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誰も知らぬ誰かの幸せな話

 少女は幸せだった。

「たっだいまーっ!お姉ちゃーん!いるー?」

 快活な少女の声が、決して広くはない部屋に響き渡る。

 少女が掛け声とともに開けた扉の向こうには、いつも通り姉がおり、その向かいには見慣れない年配の男性がいる。

 それでも少女はあまり驚かずに、どかどかと家に上がる。

「奥様の症状は……」

「そうですねぇ、最近は容態も悪くはないのですが、なにぶん薬がなかなか十分量手に入らないのもありまして……」

 少女の姉は薬屋を営んでいる。それは、元々は母がやっていたものだが、母の病に伴って姉がその稼業を継いだのだ。姉は小さいころから母の手伝いをしていたこともあり、母に比べれば未熟なところもありはするものの、今では立派な薬師である。家に来ている男性も姉の常連であり、少女はそこまでよく彼の姿を見るわけでもないが、家から出ていくその姿は何度か見かけている。

「そうですか」

 薬にも原材料があり、それがなければ当然薬は作れない。需要はあるものの、供給が追い付いていないのが現状だ。

「一応、いつものを処方しますが、容態の急変などがみられればご連絡ください」

 それで対処できるかどうかは分からないが。

 そんな言葉は喉元で抑え込み、席を立とうとする。

 そんな彼女らの様子など知る由もなく、

「お姉ちゃん!お仕事終わったー?」

 話が切りよく終わったとみるや否や、少女は明るく声をかけた。

「まだ終わっていないから、ちょっと待ってなさい」

 姉は小声でささやき、

「すみません、うちの妹が……」

 無表情でありながらも、若干申し訳なさそうな声色で姉は男性に謝る。

「いえいえ、大丈夫ですよ。むしろ子供はこのくらいの方がわしも元気が出ます」

 男性は気に障った様子もなく、むしろ微笑まし気に少女の姿を見る。

「そうだ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃん、可愛いからこれをあげちゃおうか」

 なんて言って、柔和に笑いながら男性は懐から何の変哲もない、凸凹の激しい灰色の石を取り出した。少しだけ表面がキラキラしていて、綺麗に見えなくもない。

 少女は疑うことなくこれを両手で受け取り、

「これなにー?」

 純粋無垢な瞳で尋ねた。

「これはね、月の石さ」

「月の石?」

「そうさ、夜空にあるまん丸いお月様があるだろう?」

「丸くないときもあるよ!」

 はっはっはと笑いながら、男性は頷く。

「お嬢ちゃんは頭の良い子だ。そうだね、丸くないときもある、あのお月様だ」

 月の石を手に取りながら、男性は少女に顔を見合わせる。

「この石はね、あのお月様から墜ちてきた石なんだ。とっても貴重なものなんだよ?大切にしてあげてね?」

 男性の言葉に、少女は勢いよく頷く。そんな彼女らの様子に、

「もう、やめてくださいよ。素直なのですぐに信じちゃうんですから、そんな世迷言でも」

 姉が冷静に男性を嗜めた。

 妹はそんな言葉にも耳を貸さず、真っ直ぐな瞳でその月の石を見つめている。

「何を言うんだ、これは本当に月の石だよ」

「はいはい、そうですね」

「本当なんだけどなぁ……」

 男性の言葉にも姉はすげなく返す。

 そんななか、その石を興味深く見ていた少女は、それから目を放し、男性を見上げた。

「うーん、でもこれ、おじちゃんに返すよ」

 そう言って月の石を差し出した。

「だってこれ、貴重なものなんでしょ?あたしが持ってたらすぐなくしちゃう!」

 その言葉に、先ほどよりもひと際大きく男性は笑う。

「大丈夫だよ。この石には魔法がかかってるんだ。だから絶対になくなったりしないよ。大丈夫、おじちゃんが保証しよう」

 魔法、という言葉に反応したのか、少女は目をキラキラと輝かせ始める。

「その魔法、本当っ!?絶対の絶対のぜーーったい!なくならない?」

「ああ、本当だとも。絶対の絶対の絶対の絶対に、なくならないよ。例えお嬢ちゃんの家からなくなってしまっても、おじちゃんの家に戻ってきてるからね。大丈夫」

 姉が小さく、ほら、やっぱりただの石、などとつぶやくものの、「魔法」に目を輝かせている少女の耳には届かない。男性の耳には届いて、ちょっとだけ渋い顔をしていたが、それはご愛嬌というものだろう。

「じゃあ、もらうっ!ありがとう、おじちゃん!大切にするねっ!」

「ああ、大切にしてあげてね」

 その言葉を待たずに、少女は母のところへと向かう。

「あ、ちょっと、待ちなさい」

 姉の言葉も聞こえない様子で、元気よく狭い家の中を走る。

 ぴしゃっと勢いよく襖を開ける音が聞こえた後には、お母さん、月の石もらったー、なんてあどけない声が聞こえてきた。

 それを男性は微笑まし気に見送る。

「わしにもあの子よりちょっと小さい年の孫がいましてなぁ……なにぶん引っ込み思案な子でして、あれくらい元気に駆けまわってほしいものですよ」

 わしも若い頃はもっとやんちゃしたものですしな、などと言いながら豪快に笑う。

「あれは少し元気すぎるくらいですよ。もう少し落ち着きがあった方がいいと思いますけどね……」

 少し困り顔で男性に応える姉。

「わしの息子もいってしまって、なかなか帰ってこないし、残った者には元気でいてもらいたいのですよ」

「そんなものですか」

「そんなものです」

 優しく語る男性と無表情でそれを聞く姉の様子は、今は買い手と売り手ではなく、ただの年老いた男と若い女の人生談にも見えた。

「あっと、そういえば、お薬お出ししますね」

 しばらく無言が続いたが、自分の立場を思い出し、姉は席を立つ。近くの棚には昨日調合したばかりの薬が入っている。今日男性が来ることは分かっていたため、あらかじめ作っておいたのだ。

「はい、これをどうぞ」

 差し出された瓶を男性は受け取り、

「いつもありがとうございます」

 温和に笑って感謝の辞を述べた。

「わたしには、これくらいしかできないので」

 なんてことはない、ただのお世辞のような淡々とした言葉だったが、経験豊かな男性は、そこに何を感じ取ったか。

 彼は優しく姉の頭を撫で、

「先ほど言ったことは、あなたにも当てはまることですよ」

 それだけ言うと、彼は帰っていった。


     * * *


 また、別の日。

 今日も今日とて、少女は出掛けている。

 目的はない。行きたい場所もない。少なくとも、散歩を始めた当初は何の目的もなかった。

 では今もそうなのか、そう聞かれると、そういうわけでもない。

 明確な目的地はない。でも、確かな目標はある。

 それに向かって少女は歩く。たまにスキップも交えながら明るく元気よく向かっていく。機嫌よく鼻歌なんか流しながら、街中を進んでいく。

 少女の頭の中で流れている曲は、今よりもうんと小さい頃聞いた、頭の片隅にしか残っていない行進曲。

 人々が忙しそうに、たまには苦しそうにする人もいる中で、少女は楽しげに進んでいく。恨めし気に見る人も居はするものの、突っかかるような愚か者もいない。そもそもそのような人は突っかかる気力すら失っている。

 自分のやるべきことを、やらなければいけないことをしっかりやっている人々を目の端に見ながら、少女は気楽に進んでいる。

 決して彼女にやるべきことがないわけではない。やらなければならないことを、母や姉が全て肩代わりしているわけでもない。確かに彼女がやるべきこと、任されていることもある。

 少女はそれらをすべてこなしているわけでもないが、ある程度こなした後で、この気楽な散歩を敢行している。

 トン、トン、トン、トン。

 軽やかにステップを踏む彼女は、傍目から見てとても幸福そうだ。幼い彼女を多くの人は微笑まし気に眺めて送っていく。

 ある意味彼女は、この街の天使ともいえたであろう。

 辛く、苦しい中でも彼女はどこか楽しげに街を過ぎていく。周囲にも幸せを振りまいていくその幼い姿に、確かに人々は勇気をもらっていた。

 だから、少女は同時に街の宝であった。

「~~♪~~~~♪」

 せまい路地を進んで、広い通りに出て、角を曲がって、また狭い路地に潜って。

 山中に無作為に人々が集まり、だんだんと発展してきた小さな街だ。道はいくらか入り組んでおり、思いもよらぬところに思いもよらぬ道が通じていたりする。幼い彼女にとって迷路のようなこの街は、いくら歩き回っても飽きないものだった。

 それは、この戦時の今でも、変わらなかった。

 まだまだ未開発の山中にあることもあり、この街にはまだ全然その戦火が届く様子もない。影響と言えば少し離れた村間との交流が少なくなり、必要な物資が十分量なかったり、この村からも徴兵で若い男衆が出ていったりしたことくらいだ。

 尤も、それらが大きな打撃を与えていることに間違いはないのだが。

 街の中に少女にはよくわからないハイテクそうな物体もあるが、ほとんどがとうに忘れられたもので、よくわからないままに御神体として祀られている。

 そんなことはさておき、少女は街の路地を再びくぐって、今度は街の外に出る。決して禁じられているわけではないが、通常危険なので出ることは姉、母からはあまり推奨されていない。

 それでも少女は平気で出ていった。別に母や姉の言いつけを破りたいわけでもないが、これは彼女にとって仕方がないことなのだ。

 彼女の目的は、街の外の森にある。

 ルンルン気分で内心スキップしながら進みたいが、足元の悪い森を飛び跳ねながら進むのが危険なことは、身をもって経験している。だから慎重に、足元に気を付けながら歩くことにした。

 まだ明るい森の中、とはいえ重なった葉に日の光が遮られ、街よりは薄暗い。もちろん視界は十分すぎるほどに鮮明だが、それでもその薄暗さにはどこか不安にさせるようなものがある。

 しかし、少女はそんなことを微塵も感じさせずに、ずんずんと森を進んでいく。

 しばらく歩いていった中で、少女は気づいた。

 周りを見てみる。

 どこも同じ景色、目印となるような特徴あるものは見当たらない。

 迷った。

「ここ……どこだろ?」

 そんな彼女の不安をあおるかのように、どこからか霧が湧いてくる。日が遮られ、だんだんと暗くなってくる。雨こそ降りはしないものの、格段に暗くなったのは事実だ。

 そんな中でもいったい何が楽しいのか、少女は眩しい笑顔を呈している。

 霧はだんだんと濃くなり、一メートル先も満足に見えなくなってくる。

 そして――。


「はぁ、私に会うためだけに森で迷うのはやめてくれないかしら」


 気が付くと、少女のすぐ後ろに、彼女よりも幾分か年上に見えるものの、まだまだ幼いもう一人少女が立っている。

「あ、魔女ちゃん!こんにちはっ!」

 彼女の存在に気付くと、少女は明るく声をかけた。

「だから、気安くここに来るんじゃないの!なんでいつの間に来たの、みたいな顔してるけど、これが目的だったんでしょ?」

 非難がましく魔女と呼ばれた少女は言うが、そんな言葉はどこ吹く風。

「どうどう!?これ見てみて!」

 そう言いながら、少女は懐をあさぐる。

「聞いて驚け見て笑え!どうだ、これが目に入らぬかーっ!」

「あなた、いろいろ混ざってるけど、なんか古めかしいわよね……」

 魔女は呆れた様子で少女を見る。

「それで、この『霧の魔女』様を驚かせようだなんて、どういうものを持ってきたのかしら?」

「えっとー、ちょっと待ってねー?」

 そう言いながらしばらく懐を探した後、

「あ、あったあった!」

 と言って何かを取り出す。

「ポケットの中探さないといけないとか一体どれだけそのポケットつまって」

「月の石ぃーっ!」

 自慢するかのような笑みとともに少女の手に握られていたのは先日もらった灰色の石。

「は、はぁ」

 対照的に困惑気味にその石を見つめる魔女。

「あ、魔女ちゃんお月様ってあの空にあるアレのことだよ!?あそこから落ちてきたんだって!」

 魔女は、半信半疑、いや九割がた疑いながらも、残りの一割ほどに期待を膨らませながらしげしげとその石を眺めてみた。

「月の石、ねぇ……?」

「それにそれにね!この石には魔法がかかってるんだって!」

 その言葉に、魔女の瞳がきらりと光る。

「魔法?」

 魔女を名乗っている以上、「魔」のつく者には興味が惹かれるのだろう。やはり内心は疑いの方が大きかったが、それでもさらに近くで月の石を眺める。

「ちなみに、どんな魔法がかかってるの?」

 魔女の質問に、少女はやはり明るく答える。

「えっとね!この月の石はなくならないんだって!」

「なくならない?」

「うん!なくしちゃっても大丈夫な魔法がかかってるんだって!」

「ああ、そういうこと」

 ちょっと触ってもいい?などと聞いてから、魔女はその月の石を手に取る。しばらくそうやって眺めていると、

「どう!やっぱすごい魔法がかかってる!?かかってるよね!?」

 少女が問い詰めてきた。

「あ、ああ、そうね。うーん、私が見る限りこれはただの……」

 そう言って、魔女が少女の方を見遣ると、瞳を期待に輝かせる彼女がいた。

「……そ、そうね。これは……魔法の道具……だよ……」

 気圧された。

「でしょでしょでしょ!?確認も取れたことだし!じゃ、あそぼあそぼ!今日は何しよっか!鬼ごっこ?かくれんぼ?いや、ここは意表をついておままごととか!?おままごととか!!?」

 なにの意表をついているのかわからないが、少女はしきりにおままごとを推してくる。

「いや、だから私はもう、そんな年じゃ……」

 そんなことを言いながら少女の申し出を断ろうとしたとき、

 ブウゥゥゥン。

 空気を震わせる大きな音が辺りに鳴り響いた。

「……!?」

 魔女はその正体がわかっているかのようにはっとして空を見上げるが、少女の方はその出所を全く把握していない。

 その理由は単純、このような田舎の内地にソレが訪れるような機会が今までなかったからだ。それに、少なくとも今では、そのような不快な音を出すようなものは空を飛んでいない。消音機能が高く、普通はもっと静かに空を飛べるはずだ。ではなぜ、今更そんなものがやってくるのか――?

 魔女がそんなことを考えているうちにも、その音は長く長く続く。

「え、な、なに!?何!?魔女ちゃんわかる!?」

 耳障りな音の中、少女は魔女にも聞こえるように大きな声で尋ねる。魔女の方を見ると、彼女はいつになく真剣な表情をしていた。

「今日はもう帰りなさい」

 魔女は言い放つ。

「え、な、なんで!?」

「いいから!」

 魔女の珍しく強い語調に圧され、少女は頷いてしまう。

「私が家までの最短ルートを開くから、さっさと帰りなさい。いいわね?」

 いつにない真剣な魔女の眼差しに、何か危機めいたものを感じる。

 魔女が手を一振りすると、一部の霧が晴れた。そこを覗くと道のようになっていて、その奥には少女の家があるのが見て取れる。

「さあ、早く。いきなさい」

 そう言って少女を押す魔女の手は少し震えていて、少女はこれ以上何も言えずにその霧の道を駆け出した。

 遺された魔女がふと手元を見ると、返しそびれた月の石がまだ握られていた。


 家に帰ると、これまた珍しく姉が焦っている様子があった。

「お姉ちゃん!」

「あ、やっと帰ってきた……!」

 表情はいつも通り無感情なのに、その声にはやっぱり焦りが滲んでいる。

「あの音は……?」

 そう尋ねたものの、

「いいから、早く……!」

 と姉に地下へと案内されてしまう。この地下は、少女は入ったことは無いものの、薬の原料や保存をするために姉や母が入っていくのを見たことはある。

 初めてのところに入るのに少女の内心はワクワクがあるものの、いつもと違うそんな家族の様子に、不安の方がいっぱいだった。

 そして、姉も入り、地下への扉を閉じた直後、ソレが始まった。


 すぐ近くから爆音が鳴り響く。

 耳をつんざく音が上から響く。

 その予想外の轟音に、少女はあわてて耳を塞ぐ。

 それでも響いてくる音は透過し、さらに地面も揺らして触覚からも語り掛けてくる。

 姉が何かを言っている気がするもの、ただ口をパクパクと動かしているだけで肝心のその内容は分からない。

 爆音は続く。いくつもの爆音が聞こえてくる、

 それは、今隠れている少女の真上からも聞こえてくる。

 うるさいうるさいうるさいうるさい。

 少女はそんな中、魔女も無事でいるだろうか、そんなことを考えたりするのだった。


 しばらくすると、その爆音は止んだ。時間にすると大して長くもない時間だったであろう。しかし、過度の緊張にさらされた少女にとって、それはとても長い時間のように感じられた。

「お、終わった?」

 耳から手を放し、少女はすぐ隣にいた姉に尋ねる。

 姉は黙って、地下の扉を開けた。少女もそれについていく。


 そこに広がっていたのは、正しく焼け野原だった。


 上の家は完全に壊され、元の姿は見る影もない。それは少女の家だけに限らなかった。辺りを見回すと、あらゆる家が壊されていた。もう少し正確に言うならば、「人」のいる家が「的確」に、完膚なきまでに破壊されていたのだ。

 逆に、人が通りはするものの、空襲時に誰もいなかった道路は破壊の余波は受けているものの、直接その攻撃を受けた様子はない。

「………」

 姉の口から言葉はない。きっと出ないのだろう。多少貧しかったとはいえ、ある程度幸せだったそこから何もかもが奪われたのだから。

 少女が今までいた地下を見ると、奥の方に母が具合悪そうに壁にもたれかかっていた。先ほどまでは続く爆音に気を取られ、さらに扉をすぐに閉めて光が届かなかったせいで気が付かなかった。

「お母さん!」

 地下に戻って、少女は母に寄り添う。

「大丈夫?」

 今朝までは決して具合が悪いわけではなかった。けれど今は、どう見ても体調を大きく崩している。

「……大丈夫よ……」

 言葉とは裏腹に、弱々しく母は囁く。

 母は安心させるように少女の頭を撫で、微笑みかける。地下の暗がりの中、その顔は分かりづらかったけれども、

「よかった……!」

 母の雰囲気を感じて、少女は安心してそのまま眠りに落ちた。

 その()()()ぬくもりの中、少女は家族さえいてくれたらそれでいい、そんな想いを強く抱いた。


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