笑って死に逝く愚か者
平和な日々が戻ってきた。
サク、サク、ザク、ザク、ザク、ザク。
聞き慣れて久しい土を掘る音に、
「うぉーっ!堀ったるどーっ!」
最近聞き慣れ始めた誰かの声。その声の方からはそれ以外に、ザクザクという墓守が掘る音よりも素早く、軽い音が響いている。
その方向を見遣ると、小さな少女が小さなスコップ片手に、気合いっぱいに掘り進めているが、その深さは墓守と比べるまでもないほど浅い。
その様子を見て、墓守は笑みを浮かべる。
各々に適したペースがあるのだ。今のサクラには、そのくらいのスコップの方があっている。
ザク、ザク、ザク、ザク、ザク。
ザクザクザクザクザクザクザク。
二つの異なる採掘音が調和する。
ちょっと前まで、こんな風に誰かが横にいるなどとは考えられなかった。なんとも幸福な気持ちで墓守は掘り進める。
時折、このような気持ちを抱いていいのだろうか、だなんて考えてしまうときもある。
墓守が墓を造るのは、今は亡き大切な少女を守れなかった、その罪悪感から己を守るためだ。
そのためだった。
なぜだか、今はそんな気がしない。この気持ちは墓守にはよくわからない。墓を掘り進めながらも、その心に思考を巡らせ始めた時、
「シャベルさーん、どうー?」
サクラの声で我に返る。
死体を降ろし、土をかぶせていく。この墓に埋まったのは、若い女性だった。その顔を頭に浮かべながら、手を合わせる。
カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ。
石を積み上げて、完成だ。
手を合わせて、これで、おしまい。
また一つ、誰かの墓が完成した。墓守にも、サクラにも存ぜぬ、誰かの墓。きっとそれで埋まった彼女が救われるわけでもないだろうが、少なくとも墓守は救われる気がする。
「そういえば、ここももう一杯だねー」
サクラが呟いたことに、墓守はふと周りを見渡す。
気づけば『ゴミ捨て場』一面に死体を埋められていて、死体が落ちているところの周辺を除いたら、墓標が一面に立っている。
「もう、こんなに埋めたんだな……」
多少は雪に埋めれているが、露出した死体がそこそこ残っている。しかし、その数は決して多くはない。落ちてくる死体もかなり減っている。一日に埋める量よりも少ないほどだ。
「このペースで行けば、来年には終わるかね?」
無限にも思えた墓造りの終わり。なんとなくそれが見えてきた。
感慨深く墓守は呟く。
空を仰ぐと、いつになく高くて蒼い空が墓守たちをはるか上空から覗いていた。太陽は頂点を通り過ぎ、西に傾き始めているものの、まだまだ明るい時間帯だ。しかし、少し遠いとはいえ、終わりが見えてきたこともあり、さらに一面の墓をちょうど造り終えたので、墓守は上機嫌だった。
「今日は……休もうかな」
そんなことを呟いて、シャベルを持って洞穴の近くに戻ろうとする。
「?シャベルさん?おやすみするの?」
墓守の後姿にサクラが問いかけると、シャベルをあげて答えた。
「そっか!」
墓守の意を汲み取り、サクラは元気よく答える。今日は昼休憩が終わって、墓を造り終えたら休憩となったので、サクラも手持ち無沙汰だ。なので、彼女はとてとてと墓守の後についてく。
墓守は、洞穴の近くの二つの墓標の前にシャベルを抱いて座る。そんな墓守の傍に、サクラも佇む。
「よっこらせっと」
「おじさん臭い」
サクラの座る時の掛け声に思わず突っ込んでしまうが、サクラは黙って墓守と同じように墓標の前に座った。
しばしの沈黙が降りる。
「……なんで、こんなことし始めたんだっけね」
ぽつりと墓守は呟いた。
『霧の魔女』だった彼女が、なぜ墓守をしているのか。なんでこんなことを始めたのか、完全には墓守自身もわかっていない。ほかにもできることはいくらでもあったはずだ。
右手が、知らず知らずのうちにシャベルの刃をなぞる。
「別に、罪滅ぼしってわけじゃないんだけどね」
それきり墓守は黙り込み、再び沈黙が降りた。
しばらく経って口を開いたのは、今度はサクラの方だった。
「ね、このお墓は、シャベルさんの知ってる人だったの?」
二つの墓標は、他の墓よりも少しだけ離れた場所に位置している。この二つを少なからず特別視していることは間違いないだろう。
「そりゃあ、ね」
「シャベルさんは、優しいね」
突然出てきたサクラの言葉に、墓守は驚く。しかし、それもなんとなくわかっていたことのような気もする。
「なんで?」
「大事なヒトだけじゃなくて、皆同じように埋めてあげようとしてる。だから、シャベルさんは優しいよ」
一人しきりに頷いて、納得した顔している。
自分の世界に入り始めている彼女を尻目に、墓守はそっと立ち上がり、こっそりとばれないようにサクラの後ろに回ると、
「えいっ」
足元にあった雪を固めて思いきりサクラに投げつけてみた。
「ひゃっ!つめたいっ!」
恥ずかしいことを言った罰だ。一つと言わず、足元から何度も掬っては投げつける。
「何するのっ!もーっ!」
怒ったように言う割に、表情は笑っている。
やはり、こうでなくては。
しんみりするのは似合わない。元気に笑っているのが一番綺麗だ。
「むーっ!今度はこちらの番だーっ!」
サクラは反撃とばかりに雪玉を投げつけてくるが、墓守はシャベルで以ってそれを撃墜する。
「あ!ずるい!シャベルさんだけ武器持ちなんてっ!」
「そうは言っても、これが私のアイデンティティーだからしょうがない」
「じゃあ、これならどうだーっ!」
相も変わらず投げつけられる雪玉を、シャベルで叩き落としてはこちらからも雪を投げて応戦する。
「ふぎゃっ!」
その中の一つが再びサクラの顔に命中し、短い悲鳴を上げる。
「うがーっ!まだまだーっ!」
自分でも大人げないと思うが、全力で雪合戦をする。
墓守のフードの下は、楽しそうに笑っていた。
陰鬱で、無人だった『ゴミ捨て場』には、一人の笑い声が木霊していた。
* * *
昼間は結局遊び通した。
それは別に無駄なことだったとは思わない。そもそもサクラはまだ小さい子供だ。もっと遊ぶべきだろうとすら墓守は思う。
今日は穴の底を一面を埋めたというお祝いみたいなものだったが、定期的にやった方が絶対にいいだろう。
これからのこと、そして、終わった後のことを少し想像して、墓守の口元が少しだけ綻ぶ。
それは、幸せな想像だった。
でも、そのためには、まだやることがある。己のやるべきことを為さぬままに享楽に興じることは、墓守自身が許さない。
でも、大丈夫だ。
墓守は運命なんてものは信じない。しかし、墓守の経験した出会いが偶然だったとしても、だからこそ、その結果は必然であると信じたかった。
ゆえに、根拠はないけれど、大丈夫な気がした。
それらが、墓守を赦してくれる気がした。
「ふぅ……」
洞穴の中で、小さくため息をつく。傍にサクラが安らかな寝息をたてながら眠っている。その様子を、微笑まし気に墓守は見守る。
そうしているうちに、墓守の瞼も段々と重くなってきた。
幸せな夢を見る。
笑って終わる夢を見る。
夢と現の狭間で、幸せに墓守は微睡んでいた。
そして――、
抱いていた希望の夢は、泡沫のように割れて散った。
微かな振動で、目が覚めた。
「……?」
サクラの寝息だけが響くこの『ゴミ捨て場』において、微かな振動や音でも思いのほか響く。
その振動は、だんだんと大きくなっていき、微かな音も聞こえるようになってくる。
サクラの耳にやっと届いたその音は、
がしゃ、がしゃ、がしゃ、がしゃ、がしゃ。
どこまでも聞き覚えのある、明確に記憶に刻まれた、絶望を暗示する音だった。
「……!」
その音に気が付くと、愛用のシャベルを持ってそっと洞穴から抜け出す。
外に出ると、いつもよりも時間は早いが、月は沈みかけ、東の空はほんの少しだけ白みかけている。
深呼吸をして、落ち着いて辺りを見渡す。
まずは下から。そこには相も変わらない『ゴミ捨て場』と、石を積み上げただけのいくつもの簡易的な墓標が立ち並んでいる。
少しだけ視線を上げる。常に影となるようなところには苔が生しているところもあるはずだが、積もった雪によってそれらは見えなくなっている。また、壁のある所には結局動かせなくて放置されたままの無機質な物体が埋もれている。アレも一種の墓なのかもしれない。
そしてさらに視線を上げると、
「…………」
言葉が出なかった。
多少の予想はしていた。振動が思いのほか大きかったから。けれど。
そこには、白んできた空を背景に、黒い影がいくつも並んでいる。数にして十ほど。それが人であれば大した数ではないが、そのすべてが四つ足の蜘蛛のような機械とすれば。
「…………ッ!」
歯を食いしばって、喉元まで出かかった弱音を押し殺す。シャベルを強く握り、ここに来た無機質な蜘蛛たちを睨みつける。後ろに行かせることは決して許されない。
夢見た幸福は届かないことを、改めて墓守は認識した。
墓守を認識したのか、蜘蛛たちが動き始める。そのうちの一体から熱線が飛んできた。それは何とか回避したものの、洞穴のすぐ前の雪が融けて、蒸気を上げる。
「くっ……!」
蜘蛛たちは墓守を狙ってきている。それならば洞穴の入り口からできるだけ離れた方がいいだろう。無心で駆けだす。
蜘蛛たちの様子を見ると、どれもボロボロの機体だった。脚部は錆びついて、どれも内部が露出している。胴部も腐食の酷い個体では中のケーブルや基盤が見えていた。
――まだ、希望はある。
先日の個体を思い出す。アレもボロボロの体で、人の身でもなんとか破壊することができた。ならば、まだ可能性はあるかもしれない。
極小の可能性に縋りつく。
蜘蛛たちは、ボロボロの体でもその機動性はいまだ健在だ。縦横無尽に飛び回り、墓守を踏みつぶそうとし、熱線によって焼き切ろうとする。
いつの間にか『ゴミ捨て場』は壊れていた。
雪が融け、蒸気が冷え、霧に包まれていてもわかる。
周囲の音がソレを示していた。
カラ、カラ、ガラ、ガラ。
そんな音が、そこら中から。
蜘蛛たちが下に降り、墓標も何もなく、動き回っているのだ。せっかく建てた積み石も、無慈悲に壊されていく。
それ自体には不思議と何も感じなかった。
でも、
「サクラは……私が護る……!」
その気持ちだけは熱く、心で燃えていた。
駆けまわって、彼女の庭ともいうべき『ゴミ捨て場』は壊されていく。それでも彼女は気にしない。それ以上に大事なものがあるからだ。
飛んできた墓標の石につまずきそうになるが、何とか飛び越える。
気が付くと、すぐそばに蜘蛛の脚があった。露出した内部を躊躇なくシャベルで叩くが、思いのほか弾力あるケーブルに跳ね返される。
「く……っ!」
一度ではだめなら、ともう一度叩きつける。が、すぐに飛び退く。直後にその位置を熱線が焼いた。しかし、恐らく個体同士で綿密に情報のやり取りをしているのだろう。蜘蛛の体には微塵も影響を残さなかった。
墓守はすぐに目標を変えようとして、走り出すが、あるはずの物体がなくて、盛大に転んでしまう。
左足首から先が消失していた。
痛みはない。けれど、これでは動けない。
「だい、じょうぶ……!」
周囲はすでに霧に覆われている。彼女は『霧の魔女』だ。例え今は違くとも、その力の片鱗くらい残っている。
霧が集合し、墓守の足を覆う。一瞬で固まっていくと、そこには白い足首があった。
尤も、これはただの応急措置である。ただの霧でしかないそれを取り込んだところで、恒久的な維持は難しい。戦闘が終われば、この足首は二度と戻らないだろう。
それでもよかった。少なくとも、この戦闘中は使える。
とんとん、と軽く地を叩くと、強く踏み込んだ。
ザ――ッ!
地面を掻くような音がして、墓守の姿が消えた。霧が道を作っている。気が付くと、彼女の姿は手近な蜘蛛に衝突して、シャベルを叩きつけていた。
それでも蜘蛛は壊れない。
「まだッ!」
墓守が取りついていた蜘蛛から離れるとすぐに、どこかから熱線が飛んでくる。それでも墓守は何度も衝突し、何度も何度も叩きつける。
「まだ、だ……ッ!!」
気がつけば、彼女の身体の大部分が白い霧に置き換わっていた。
自分の身体の状況にも気が付かず、彼女はぶつかる。
そして、何度目かの衝突で、ようやく、
ガィン――!
鋭い音が鳴り響き、一体目の脚部が叩き切れた。
ガクンと蜘蛛が体勢を崩し、ただそれだけで動かなくなる。なにがその機体に影響を与えたのか、墓守にそれはわからない。ただ一つ。
「やっと、一体目ッ……!!」
されど、その身体はすでに満身創痍。ここまでだって、すでに戦える状況ではないところを、気力だけで戦ったのだ。その戦果が蜘蛛一体の殲滅。
それでも、彼女は立ち向かおうとするが、
「シャベルさん?」
霧から声がした。
振り返ると霧の中でかろうじて見える位置に、眠そうな顔で洞穴から這い出てきたサクラがこちらを見ていた。
はらりと、辛うじてかかっていたフードが落ちる。霧に包まれる中、彼女は決心する。もう、分かっていたはずだ。ここに彼らが来た時点で。それともこれは、「魔女」が「墓守」となった時点で決まっていたことなのかもしれない。
これが、運命か。
すでに半分ほど霧と化した顔をサクラに向け、真白な髪を揺らし、黒い眼差しをしっかりと向け、
「……ごめんね?」
少し泣きそうになりながらも、墓守は笑って言い放った。
崩れそうな笑顔で、最期にそう言った。
霧が墓守を中心にさらに濃くなり、一寸先も見えない真白な世界で、金属が拉げる音が幾重にも響いた。
そのなかで、ただ一言、最期に彼女が聞いた声があった。
「魔女……ちゃん……?」
* * *
彼女は、はるか昔に生まれた。
とある村落で生まれ、しばらくは幸福に生きていた。家族に甘え、友人と遊び、恋人まではできなかったけれど、好きな人もいたりした。
でもそれらも、全て終わった過去のお話。
流行病に襲われた。その原因はただの細菌だったけれども、村落の人間にそれは分からなかった。
だから、彼らは自分の信じられるものにその原因を求めた。
それは神の怒りであり、悪魔の悪戯であり、魔女の実験だった。
彼女の家は、薬の知識に富んでいた。ある程度効力のある薬も知っていた。それでもって彼女の家は、村落の人間を救おうとした。
それは間違いだったのだろうか。
のちの人は、これを確かに愚かと断じた。たしかにそうかもしれない。しかし、本当に未知なものに遭遇したとき、それに恐怖を感じた時、果たして適切な判断が取れるだろうか。
彼らもそうだったに過ぎない。
彼らは、自分たちの恐怖を少しでも和らげる方法を、自分たちの知識に照らし合わせて僅かでも救われる道を選んだに過ぎない。
なにが間違っていたのかと言えば、きっと誰も間違っていなかった。いかに愚かに見えようと。その時の最善を取ったに過ぎなかった。
結果として、彼女の家は魔女として糾弾された。
昨日まで仲の良かった人々の瞳に怯えが混じるようになり、それがいつしか憎悪に変わり、そして、惨たらしく殺された。
身体を焼かれ、四肢を断たれ、苦しんで死んだ。
そうやって魔女は死んだ。
そうやって『魔女』は生まれた。
殺された自身の怨念と、家族の憎悪と、その死で以てなお、何もできずに滅んだ村の無念を糧として、『霧の魔女』は、誕生した。
それから、魔女は生き続けた。いや、生き続けるという表現は正しくなかったかもしれない。なぜなら彼女はすでに『死んでいる』のだから。
終わらぬ呪いを糧にして、霧という媒介を通して動き続ける『死者』だった。
流離い、人類の進化と退化を目にして、山奥に引きこもり、そこで様々な出会いがあった。
肉体を持たぬ純然たる死者の彼女は、十分量の霧を媒介とするか、全方位を霧に包まれた場所でしか生者には触れられない。それどころか声も感知すらされない。死に漸近した者は彼女に気付くことがあるが、そんなことはほとんどない。
そんな彼女の森での偶然の出会いはかけがえのないものだった。
そこで出会った少女と仲良くなり、薬の知識を伝え、成長を見守り、結婚して子供が生まれた時には、まるで我が事のように喜んだものだった。
その子供の一人が森にやってきたときは、驚いたものだ。
でも、みんな死んだ。
彼女には何も護れなかった。護ろうとして力を行使したけど、何もできなかった。その挙句、力のほとんどを失い、実体を作ることすら難しくなった。
それでも、血の通っていないけど、少女の家族が残っていた。
そして、何も護れなかった彼女が、最期にやっと護ることができた。
幸せな夢も見たかったけれど、そんな幻想も抱いていたけれど、それで十分だった。
完全に実体を失っても、存在が消えるわけではない。ただ、何にも干渉できなくなるだけだ。
だから彼女は、霧の魔女は、墓守は、弱々しくも、笑うことができた。
これは、とうの昔に終わったはずの、二度と顧みやしない誰かの記憶だ。
* * *
サクラは、なにか鋭い音がした気がして、目が覚めた。外から何かの音が聞こえる。だから様子を見ようと洞穴から這い出てきた。
「シャベルさん?」
眠気眼を擦りながら、サクラは呼びかける。
そこで見たのはまず、真白な霧だった。ぼやける視界では全く見えない。それでも、だんだんと目が覚めてくる。
そこに人影があった。見えないけれども、何か大きな物体も動き回っていた気がする。
人影は黒いフードを被り、見慣れたシャベルを握っていた。
そのフードがはらりと落ちる。その中にはあったのは、半分ほどが霧のようにぼやけている顔と、風に揺れる真白な髪と、こちらを見つめる静謐な黒い眼差しだった。
「……ごめんね?」
声が聞こえた。聞き覚えのある声。ちょっと情けない笑顔を浮かべて、なぜか彼女は謝っていた。記憶を探れば、その顔にも見覚えがある。
もっとよく見ようと一歩足を踏み出すが、途端に霧の濃度が増し、世界が真っ白になって何も見えなくなる。同時に、いくつもの金属が潰れる音がして、その中で、自分の記憶にあったその人の名前を口に出す。
「魔女……ちゃん……?」
返事はなかった。
カラン。
しばらくじっとしていると、潰れる金属音が止み、なにかが転がる音が聞こえた。
少しだけ薄くなった霧の中を手探りで進む。しばらくまっすぐ歩いていると、なにかを蹴ってしまった。
「これは……?」
そこにあったのは、一本の大きなシャベル。いつも見ていた、あのシャベルだ。
サクラには、墓守の姿は見えていなかった。それどころか、声も聞こえてなかった。ただ、墓守が握っていたシャベルだけは見えていた。いつも一緒に過ごしていたら、シャベルの振りだけでなんとなく言いたいことが分かるものだ。
シャベルの振りから、人型であることは予想がついていた。でも、それ以上、男か女かさえもサクラはわかっていなかった。でも、姿の見えない誰かに、なぜだかサクラは安心していたのだ。根拠もなく。
サクラは、動かないシャベルを拾う。
「シャベルさんは……魔女ちゃん、だったんだね」
やっとわかった。
安心できるはずだ。一度しかあっていないけれど、彼女は、ユキとサクラの憧れであり、ユキの親友であり、サクラ自身の友達でもあるのだから。
拾ったシャベルを眺めて、サクラは呟く。
「もう、やっぱり魔女ちゃんはすごいね……」
彼女はきっと独りで、この大穴の底で、死者と向かい合い続けたのだろう。きっと、笑って終わるために。
サクラはそのシャベルを担いで、辺りを見渡した。
「これが、魔女ちゃんの見ていた世界なのかな?」
気が付くと、霧が晴れ始めていた。
霧が晴れた先にあった光景は、壊れた墓。潰れた金属塊。そして――。
「あ……」
上を見上げた先に見える大穴の淵から、桃色の花弁を開いた枝が顔をのぞかせていた。
未だ雪が積もった大穴から垣間見える春の兆し。
サクラは空を仰いだ。
日が昇ったそこには、どこまでも飛べそうな澄んだ蒼穹が広がっていた。




