墓造りを手伝う者
ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク。
カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ。
『ゴミ捨て場』に、墓造りの音が響く。だが、響く音はそれだけではなかった。
「ふぅー!お墓造るのってこんなに大変なんだねー!」
いい汗かいた、とでもいうように額を拭って、小さなスコップを片手に明るく話す少女がいた。
「いや、サクラは何もしてないでしょ」
墓守が思わず突っ込む。
小さなスコップでできるのは、せいぜい墓造りの真似事だ。墓守の近くで浅く穴を掘っているに過ぎなかった。
「ま、わたしはほとんど何もしてないんだけどね!」
そう言いながらも、サクラは土いじりを止める様子はない。
それに、全く役に立っていないわけでもない。
カチャリ、カチャリ、カチャリ。
墓標を積み上げて、墓造りを終える。手を合わせると、いつの間にそこにいたのか、隣でサクラも同じように手を合わせていた。
「さて」
次の墓造りに取り掛かろうとして、死体を持ってこようとすると、すぐそばにすでに死体が横たえられていた。
すぐそばにいるサクラに目を遣ると、どや顔でこちらを見つめていた。
「さ、次に取り掛かろうよ、シャベルさんっ!」
言われるまでもなく、墓守はシャベルを担いで横に進む。そこには、先ほどまでサクラに弄られていたのであろう、少しばかり掘り返された跡があった。それの上から遠慮なくシャベルで削っていく。
「あぁー、わたしの努力の結晶がぁー」
ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク。
墓守が墓一つ造る間にサクラによって掘り返された箇所は、同じように掘り始めた墓守によってすぐにその痕跡を失くした。
「~~♪~~~~♪」
隣からは聞き覚えのある鼻歌が響いてくる。墓守もたまに口ずさんでいる曲だ。曲名や歌詞などは分からないが、曲自体は知っている。
「その曲、知ってるの?」
墓穴を掘りながら尋ねてみる。しかし、サクラから返答はない。ただ上機嫌に唄っているだけだった。
「~~♪~~~~♪」
気づけば、墓守自身も唄っていた。
ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク。
墓を掘る音が拍子を打っているかのように聞こえてくる。墓守にとっては慣れたその動作は、メトロノームのように一定の間隔でその音を響かせる。
ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク。
気がつけば、いい感じのところまで掘り進めることができていた。死体を降ろし、空を見上げた。
狭い穴からは広い蒼穹が覗ける。
「今日は、いい天気だな」
ふと呟く。太陽はまだ昇り始めたばかりで、墓穴の底からはまだ見えない。
「さて、今日もまだまだやっていこう」
墓穴を埋めていき、石を積み上げていく。
カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ。
* * *
あれから数日が立ったが、サクラの様子に特段変わったところはなかった。ただ、変わったとすれば彼女の行動は少し変わった。
墓守が目覚めて墓を造り始めると、サクラが後ろからついてきて、墓守の手伝いを始めようとするのだ。最初の方こそ墓守はなるだけ近づけさせないようにしていたが、そんなことを繰り返しても無駄であることに気付いてから、墓守はサクラに一本の小さなスコップを与えた。
無理に突き放して変なことをされるよりは、ある程度関わらせて自分がコントロールした方がよいと判断しただけのことだ。
結果、今の状況が出来上がった。
サクラは墓守の傍で土いじりをして、たまに手伝いをする。昼頃になると食料を取るために一度席を外すが、基本的には常に墓守の傍にいた。
そんな生活にも、そのうち慣れた。
それがいいことなのか悪いことなのか、それはわからないが、サクラは能天気に笑っているので、墓守はそれで良しとすることにした。
サクラの生存に関しても、今のところ問題はない。
初めの方こそ節約のせの字もなく、あるものすべてを平らげていたサクラだったが、流石にこれでは食料が足りなくなることに気付いたのか、徐々に食事制限をかけるようになっていき、いざというときのための備蓄という概念も学んだ。少なくとも今冬を乗り切るのに問題はなさそうである。
このように、墓守とサクラの共同生活はそれがまるで当たり前であるかのように、お互いに慣れ、過ごしていくようになっていた。
気がつけば、西の空が赤み始めている。
今日は雪どころか、雲が空を覆うこと自体なく、いい感じに心地の良い日となった。大穴の底は依然雪が積もったままではあるが、その光景も見慣れたものだ。今のところ墓標も安定して立ち続けている。
そしてある方向を見ると、そこにもある意味見慣れた光景があった。
薄高く積もった雪山の上に、さらに死体が落ちている。雪山の下には前々からあった死体が埋まっている。
最近、投下される死体の量がちょっとずつ増え始めた。
墓守は溜息をつく。
それが当然のことであったとはいえ、死体が新たに落ちてくることはそう気分のいいものではない。依然として前と比べればその量はかなり少ないけれども、その量が徐々に増えてきていることは間違えようがない。落ちてくる死体の量が少ないことは、確かに上の方がまだ活発的ではないことを示しているように思えるが、実際のところどうなのか、基本的に『ゴミ捨て場』でしか生活しない墓守には存ぜぬところだった。
そんなことはさておき。
「サクラ、今日はもう終わろうか」
墓守は呟いて、シャベルを突き立てた。それを見て、
「あ、今日はもう終わり?もうすぐ暗くなってくるしねー」
冬は暗くなるの早いね、なんて言いながら、サクラは片づけを始めた。片付けと言ってもそう大層なものではない。彼女の荷物と言えばスコップくらいなものだし、あとは暑いからと脱いだ上着を羽織れば片付けはほぼ終わる。
「さ、帰ろーっ!」
元気よくサクラが先導し、寝床たる洞穴までの道を辿っていく。突っ込むことも特にないため、墓守はおとなしくそれについていく。
歩きながら、墓守は再度辺りを見回す。
依然として変わらぬ『ゴミ捨て場』。死体も積もり続け、墓も増え続ける。墓が増えた分死体も増え、終わらない鼬ごっこである。そもそも、死体はどこから来るのだろう。
墓守とて、疑問に思ったことはある。ここまでの量の死体、確かに『ゴミ捨て場』を完全に占拠するレベルではないが、既に小さな街一つくらいはあるのではないだろうか。これらはどこから調達されるのだろうか。どこで人が死んでいるのだろうか。それを解消すれば、落ちてくる死体も減るのではないだろうか――。
首を振って思考を中断する。
そんなことが分かったところで、大した問題解決にはならないだろう。そもそも、それを探すこと自体時間がかかる。
なぜ『墓守』をすることになったか、それを思い出せ。
悶々と考えていたせいだろうか、サクラが立ち止まったことに気が付かなかった。
ぶつかる直前で何とか急ブレーキをかけて踏みとどまる。
「どうし……」
たの、と続く前に、
「ねえ、シャベルさん、アレ……」
サクラが前方を指差した。
その先には、洞穴のすぐ目の前で動く影。夕日も落ちかけ、さらに大穴の底のこの『ゴミ捨て場』では、すでに辺りは薄暗く、その影の詳細までは分からなかった。わからなかったけれども、それが何なのか、それは明白だった。
墓守がサクラを守るように前に出ようとするが、それより早くサクラが前へ進む。
「待って、サクラ……」
墓守の制止も聞かないでサクラはその影に近づく。
それは、今に始まったことではない。あの日から、頻度は低いにしろ、何度か『生きている』死者に出会うことがあった。そのたびにサクラは、彼らと対話を試みるのだ。
死者の声が聞こえるはずなどないというのに、それでもサクラは対話しようとする。
少なくとも今まではサクラが怪我をしたことはない。けれど、それがこれからも同じであるとは到底言い切れない。むしろ怪我を負う可能性の方がはるかに高いと言えよう。
「あのっ!名前は何て言うんですか?」
そんな質問を投げかける。けれども、影からの返答はない。墓守が近づくと、その死者の姿が見えるようになった。
腹が抉れただけの、全体としてみるとそれ以外の損傷は少ない女性の死者。比較的新しいのか、腐敗などもあまり見受けられない。ぶつぶつとしきりに何かを呟いているが、墓守にその声の内容までは聞こえない。
返答がないのを見て、サクラは少しだけ悲しげな顔を浮かべる。しかし、すぐに気を取り直すと、笑顔を浮かべて言った。
「わたしはサクラっていうの!よろしくねっ!」
サクラの自己紹介にも反応を示さない。
さらに墓守は近づいてみた。そしてついに彼女の目の前にいるサクラの横に並ぶ。耳を澄ますと、やはり何かを口にしていた。さらに耳を澄ます。すると、
「死にたくない」
ただ、その一言だけが聞こえた。その一言だけを繰り返していた。その瞳は呆然自失としているようで、なぜ死にたくないのかという事さえも、もはや覚えてはいないだろう。
「サクラ」
そう声をかけて、シャベルで押して彼女から離れさせる。多少の抵抗も感じたものの、体重の軽いサクラの抵抗は弱いもので、簡単に後ろへ退かせられた。
そして、墓守は一人で彼女の前に立った。
「死にたくないの?」
墓守は静かに問う。
そこで初めて、彼女は反応を示した。
「……怖い、痛い、いやだ、みんなみんな、死んでしまった。生きてたくもないけど、死にたくもない」
虚ろに答える。
「……なんで、こんな目に合わないといけなかったの、こんな苦痛は嫌だ、痛いのは嫌だ、死にたく……ない……!」
段々と語調が強くなる。
それを見て、墓守はシャベルを強く握る。未だしゃべろうとする彼女を遮り、墓守は口を開いた。
「……わかるよ」
言葉はなんて形だけの伝達手段だろうか、そんなことを思う。
「痛いのは、嫌い。苦しいのも、嫌だ。でも……」
彼女が動きだす前に、墓守はシャベルを振り上げた。後ろから、何か聞こえてくるような気がするが、それは無視だ。
「……ごめんね」
グシャリ。
もう聞き慣れてしまった、骨を砕き、肉を潰す音が木霊する。
「もう、死んでしまっているから、もう終わっているから」
きっと、そうなっていることに気付かない方が、幸せだ。独善的にそう判断して、墓守は手を下した。
ここで暴走してしまえば、サクラを傷つけることになったかもしれない。この前のようにうまくいくとは限らないのだ。
なんて己に言い訳してみても、手に残る感触は消えてくれはしない。
頭が潰れ、倒れ伏した彼女を前に、墓守は手を合わせる。
「……ごめんね」
もう一度だけ、そんな無為な言葉を放った。
それで彼女が救われるなんて微塵も思いはしなかったけれど、その方が、自分の中では救われる気がしたから。
振り返ると、サクラが拗ねたような顔をしてそっぽを向いている。そんな彼女を追い越し、
「帰ろうか」
それだけ言い残す。
サクラもわかっているのだろうか。墓守の行動が、ただの自己満足であり、それは死者のための行動ではないという事を。彼女が救いたいのは、己自身であるという事を。
先に洞穴に戻って、火を起こしておく。墓守と違ってサクラは火が必要だ。
火が灯り、明るくなった洞穴にほどなくして、サクラも戻ってくる。いつもなら「ただいまっ!」なんていう元気な声が木霊するが、今日はそんな声はしない。『生きている』死者に出会ったときはいつもそうだ。
備蓄した穀物類から適当な量取り出し、サクラはもっきゅもっきゅとそれを口いっぱいに頬張り始める。機嫌の悪い時にたくさん食べるのもいつも通りだ。怒ったような瞳で墓守を見つめ続ける。
いつも通りなら明日の朝になればすっかり忘れて元通りになっているため、あまり問題ないと言えばそうなのだが、明日の朝になるまでの時間は気まずいものとなる。
口の物を呑み込むと、おやすみ!なんて言い放って、サクラはそのまま寝てしまった。
「……おやすみ」
小さくそれに返すと、すぐにすぅすぅという小さな寝息が聞こえてきた。サクラがしっかり寝たことを確認すると、墓守はシャベルを持って洞穴の中から這い出た。
大穴は暗黒に包まれ、空は黒に染まっている。だが、その中に点々と無数の光が煌めいている。
これも日課だ。
いわば反省会である。
胸にシャベルを抱いて、空を仰いだ。
ここで、墓守は冬の冷気を感じながら、己の行動を顧みる。
何も間違ったことはしていない。死者たる彼女を野放しにすれば、被害を被ったのは墓守ではなくサクラだった。墓守ならともかく、サクラに被害が生じれば、取り返しのつかないことになる。そんなことは考えるまでもない。
もっと、いい方法があったのだろうか。
いつかの誰かのように、彼女にも笑って逝けるような方法があったのだろうか。
明確な答えなど存在しない。あったとしても、答え合わせはもうできない。それでも墓守は考える。広大な空一面の色とりどりの星々を前にしながら。
気づかぬうちに、墓守の指はシャベルの刃をなぞっていた。死者を『殺し』、数々の死体を埋めたシャベルの刃。
「ねえ、答え何て、あるのかな……?」
そうつぶやく彼女の瞳に、一筋の光線が走る。それは一つで終わらず、続いて何本も何本も通っていく。
「流星群……?」
初めてみたので、それが本当にそういうものかどうかは分からなかったけれども、とりあえずそう言うことにしてみる。
――綺麗。
それは、言葉には出なかった。でも、思ったことは本当だった。
――厚かましいかもしれないけど。
いつかの流れ星に願ったことを思い出す。そしたら、本当にサクラが降ってきた。だから、もう一度そんな奇跡が起きないかと。
期待なんてしていない。けれど、こんな寒い冬の夜には、なにかに縋りつきたくなって。
――いま、この世界で私しかこれを見ていないなら。
月明りもない中に幾筋も走る光の線を前にして。それがどこからやって来て、どこに向かうのか、墓守には分からなかったけれども。
「あの人たちを救えるような、笑って終われるような、いい方法はなかったのかな?」
手を伸ばしても決して届かない流星たちに、墓守はそうつぶやいた。
誰もいない『ゴミ捨て場』で紡がれたその言葉が、誰かに届くことを想いながら。