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宿屋


 もう夜も近いからということでミオはユーディンに案内されて一軒の宿屋のドアをくぐった。

 あまり大きくないこじんまりとした宿屋だった。四角いテーブルが四つと、一つのテーブルにつき四脚の椅子。掃除が行き届いていてゴミ一つ落ちていない。

「いらっしゃい。あらあ、ユーディンさんじゃないか」

 カウンターの向こうに恰幅の良い中年女性がいてユーディンの顔を見るなり笑顔で出迎えた。きっとこの人が宿屋の女将だろう。

「お久しぶりです」

「半年ぶりだねえ。元気にしてたかい? どっか怪我とかしてないかい?」

「はい。お陰様で」

 女将の反応はどこかの母親のようだ。それも「お母さん」ではなく「母ちゃん」という言い方がしっくりくるような。

「今日来たってことは泊りかい?」

「はい。ですが私ではなく彼女をお願いします」

 ユーディンに紹介されてミオは小さく頭を下げる。途端に女将はぱっと破顔してみせた。

「こりゃまたかわいらしいお嬢ちゃんだこと。いいよ部屋はいくらでも空いてるし。何日泊まる予定だい?」

 聞かれて考える。一日二日では疲れを取ったり町の様子を見たりするには短い。とりあえず五日と答える四デナルと返る。感覚が分からないので隣のユーディンにさりげなく聞くと、銀貨一枚が一デナルだという。

 銀貨四枚を渡すと女将はそれをにこやかに受け取った。宿泊費には朝食代が含まれており、昼食と夕食は別料金でそれぞれ十アストが必要らしい。

 女将が壁のボードから鍵を取り、カウンターの上に置いた。

「それじゃあこれが部屋の鍵だからね。二階に上がって一番奥の部屋を使いなさいな」

「ありがとうございます」

「ユーディンさんはどうするの? 行くところは決まっているのかい?」

「ギルドに顔を出さなければならないので。しばらくはそちらに泊まっている予定です」

「あらまあ。それじゃあ仕方がないね」

「それでは私はこれで」

 ミオの宿泊手続きが終わりユーディンが辞去を告げる。ミオが去っていこうとするユーディンに改めてお礼を言うと、彼は軽く手を挙げて宿屋を後にした。

「せっかくのいいお客だったんだけどね」

 去っていったユーディンの背中を見送って女将は残念そうに呟いた。

「まあ、しかたがないさ。さてとお嬢ちゃん、二階に上がって休んだらどうだい?」

「え?」

「すごーく疲れがたまった顔をしているからさ。夕食が欲しいのなら運んであげるから、今夜は部屋でゆっくりしておきなよ」

 さすがに客商売をしているだけあって人の体調を看るのは鋭い。実際慣れない野宿と徒歩の移動で疲れ切っていたのだ。

 夕食代を支払おうとするが初めてでよろしくということでサービスしてもらった。お礼を言って二階へと上がり、女将が指定した一番奥の部屋へと鍵を差し込みドアを開ける。

 ベッドとテーブルとイス。必要最低限の家具が揃った手ごろな広さの部屋だった。ここもしっかりと掃除が行き届いていて埃一つない。

 テーブルの上にカバンを置き、腰のポシェットもベルトごと外して置く。それからベッドに倒れこんだ。前の世界のベッドよりは硬いけれど、野宿の地面よりはずっと良い。

 目を閉じると途端に今までの疲れが襲ってくる。それに抗わず、ミオはそのまま眠りの中に落ちていった。



 真っ白な空間だった。

 どこまでも真っ白な空間にミオは一人でいた。

 自分は確か宿屋のベッドの上で眠っていたはずだ。ということは、ここは夢の世界の中ということだろうか。

『ミオさん』

 不意にすぐ近くで、いつか聞いた声が聞こえた。

 振り返るとあの子がいた。小さな【異世界の神】

『おひさしぶりです。こちらの世界の生活はどうですか?』

 生活って言ってもまだたった二日だけだ。だからまだ良いとも悪いとも言えない。

『そうでしたね。何か困っていることはありますか』

 ある。錬金術、こちらの世界のクラフトの事。

 能力は与えてもらったけれど、どうすれば良いのかわからない。材料はどれが必要なのか、特殊な機材が必要なのか。手順はあるのだろうか。

 だからそれが分かるような何かが欲しい。

『教本? レシピ集? なるほど、分かりました』

 分かりましたとはどういうことだろうか。

 え、それだけですか。消えるんですか? ちょっと待ってください。

 待ってください。

 待って……



「……ちゃん、お嬢ちゃん!!」

 耳元で大声が聞こえた。ついでに肩を揺すぶられる感覚も。

 目を開くと女将の顔が視界いっぱいに広がっていて思わず悲鳴を上げそうになったのを寸前でこらえた。夜に大声で叫んだらご近所迷惑だ。

「大丈夫かい? ずいぶんうなされてたみたいだけど」

 女将の話では夕食を運んできてノックしたら返事がなく、中から呻き声が聞こえてきたのでマスターキーで入ったのだという。

「すみません。眠っていたみたいで」

「まあ疲れがたまっていたからねえ。夕食食べれそうかい?」

「大丈夫です。いただきます!」

 おいしそうな匂いが漂ってきたので途端に腹が鳴った。現金な腹だ。女将は笑い、それだけ元気なら大丈夫そうだと言って部屋を出て行った。

 夕食はテーブルの上に置かれていた。黒いパン、豆と芋とタマネギが入ったスープ。ソーセージが二本、それと皮つきのリンゴが一個。

「え? 何これ」

 そして、分厚い本が一冊。

 女将には本を持ってきてほしいとは言わなかったし、ミオが【異世界の神】からもらった荷物の中にはそんなものは入っていなかった。もちろんここに来るまでにどこかで買い物もしていない。

 革張りの重厚そうな本の表紙を開き、紙とはやや違う感触のページをめくってミオは目を丸くした。

 先ほどの【異世界の神】の夢を思い出す。教本やレシピ集的なものが欲しいと言って、分かりましたと返されたあの夢。

「これ……」

 一番最初のページにはクラフトとは何ぞやという説明が。それに続いて魔法や魔力の解説、植物や動物、魔物(?)のイラストと説明文がびっしりと書き込まれている。

 ぺらぺらとめくってとあるページで手を止めた。ポーションの詳しい説明――効能や必要な材料、作り方や注意点が事細かに書き綴られている。絵付きの、それも日本語で。

 ミオは先ほどの夢が夢ではないことを知った。

「これレシピ本だ」

 【異世界の神】は本当に本を用意してくれたのだった。


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