木の下での語らい
日本の田舎町で生まれて学校に行くために上京したこと。交通事故に巻き込まれて死んだこと。かばった子供が【異世界の神】で、お礼にこちらの世界に転生したこと。転生した先がこの土地で、そこで青年に助けられたこと。
青年は時々混ざる知らない単語に戸惑ったり考えたりをしながらも、最後まで口を挟まず静かに澪の話に耳を傾けた。
「それで、今はここでご飯を食べていてお兄さんに聞かれたことを話しています。終わり」
ふう、と一息入れて澪は青年の顔をじっと見た。
にわかには信じられない話だろう。立場が逆転していたら、自分だって信じられない。
けれど澪は実際に【異世界の神】に会ったし元の世界の記憶もある。だからあっちの世界での19年間を否定したくないし、今この世界のことも否定したくはない。
それからしばらくは火が燃える音だけが響き、次に澪の耳に届いたのは青年が大きく息をついた音だった。
「自分から訊ねてみましたが、話があまりにも想像とかけ離れてすぐに理解が追いつきません」
「想像って何を想像してたんですか?」
「どこかの商家か下級貴族の娘が家出でもした、位に思っていました。恰好が綺麗すぎるし、旅慣れているような足ではないので」
やはり最初から見破られていたのか。澪は内心舌を出した。
「それと初対面の人間を信じて付いてくる不用心さも」
不穏な口調に澪はぎくりとした。
とうとう本性を現したのか。そうなったら今の澪に勝ち目はない。相手は剣を持っている上に巨大イノシシを一撃で倒せるほど腕が立つし、こっちには武器になるものといえばカバンの中に入っている大型ナイフだけだ。それだって使い慣れていないからあっという間に負ける。
「……話を変えますが。あなたはこれからどうするつもりですか?」
澪の反応を読んだのか、青年は浮かべた鋭い雰囲気を収めて別の話題に話を切り替えた。
「どうするって、どういうことでしょう?」
「町に行きたい、というのは分かりました。ですが町に行ってその先はどうするのですか? あなたの話が本当ならこちらの世界にはあなたの知り合いも伝手もないと思いますが」
「私一人で何とか生きていくことはできますか?」
「それは何とも言えません。あなたが何か技能を持っているのなら、できないこともないですが」
「技能……」
それならある。【異世界の神】から与えられた能力。
「錬金術とか」
「錬金術?」
「えっと魔法の薬とか道具とかを作ったりできる能力です」
狭義での錬金術はそのあたりの石ころを金に変えることを目的とした技術らしい。けれどそれを言ったらあまり良いことにはならなそうなので、ゲームでのそれに言い換える。もともと澪も【異世界の神】にそっち方面の能力を望んだので当たらずとも遠からずであろう。
もっともまだ薬を作ったことは一度もないけれど。
青年は澪の言葉を聞いてほんの刹那、目を見開いた。まるで思いがけない話を聞いた、とでもいうような。
しかしそう見えたのは一瞬のことで、次の瞬間にはまた冷静な顔を取り戻していた。
「クラフトですか」
この世界では錬金術ではなくクラフトというのか。澪は心の中で思った。
「需要ありますか?」
「あります。冒険者には特に」
青年の説明ではこの世界には冒険者とよばれる職業の人がいて、モンスターと戦ったり素材を集めたり、と様々な依頼をこなしているらしい。ゲームでいう所のクエストというやつだ。青年もあまたいる冒険者の一人だという。
そんな仕事をしているから大なり小なり生傷が絶えない。また冒険者に限らず、一般の人にとっても薬は必要で、それを作れる人間は重宝されるという。
「ただし信用は必要です。クラフト使いの中には詐欺師まがいの者もいて偽物の薬をつかまされる事もありますから」
そういう話は万国共通なのか。人間というものは異世界でも変わらないようだ。
異世界に来て一日目。それを学んだ澪であった。
目を開けたら元の世界に戻っていた。そんなことにはならなかったらしい。
異世界二日目の朝。全身を襲う痛みに顔をしかめながら目を覚ました澪は、昨日と変わらない風景にそう思った。
周囲には靄が立ち込めている。今は何時だろうか。時計を持っていないから時刻を知るすべはないが、朝であることは間違いないだろう。
「体が痛い」
起き上がって澪は呟く。野外の地面の上に毛布一枚を敷いただけの寝具での寝心地は予想通り最悪であった。せめてもう少し厚みが欲しい。
かまどの火はほとんど燃え尽きてしまっていた。だからだろうか少し肌寒い。火を熾したいところであるが、澪はマッチやライターは持っていない。青年は昨日火打石を使っていたが、たとえ同じものを持っていても澪には火花一つ作り出せないだろう。
ところで、青年はどこだろうか。彼の荷物は残っているので、まさか一人で先に出発したとは思えないが。
思った矢先そう遠くないところから物音が聞こえて、澪は立ち上がって物音の正体を確かめようと近くへ寄った。
囲むもののない草原の中に誰かが立っている。
手に剣を握り一心に素振りをしている。それが朝の稽古だとは一目でわかった。その稽古をしているのが青年だということも。
時々何かの型を取るように上へ下へと滑らかに動かす。
引き締まった表情、真剣な目。
あんまりじろじろ見るのも稽古の邪魔になるだろうと澪は立ち去ろうとした。しかしその場から離れる前に青年が気づき、こちらを振り向いた。
「おはようございます」
とっさに朝の挨拶をすると青年も挨拶を返し、剣を鞘に収めた。さくさくと草を踏んでこちらへ近づいてくる。
「すみません。お邪魔してしまって」
「別に見られて減るものではありませんから」
「毎日ああやって練習しているんですか?」
「はい。これを欠かしたことはありません」
だからあんなに強いのか。澪は納得した。
「起きたのでしたらちょうどよかった。食事にしましょうか。といっても昨夜と同じものですが」
青年の言う通り朝食はパンとチーズのみ。暖かいコーヒーかせめてお湯でも飲みたいと思ったが、ないものねだりはできない。水を飲んで喉を潤すだけで我慢するしかできなかった。
火を消してかまどを崩して、荷物をまとめて。
それぞれに荷物を持っていざ出発の段、となった時。
「あ!」
そこで澪はとても重要なことを聞いていないことにようやく気付いた。
「どうしましたか」
「お兄さん、名前なんて言うんですか」
問われて青年は目を瞬かせ、
「そういえば名乗っていませんでしたか」
と、自分でも初めて気が付いたかのようにそう呟いた。
「私はユーディンです。あなたはナナセ・ミオと言いましたか」
「ミオです。ナナセは名字で、私の世界というか私が住んでる所は名字が先なんです」
「分かりました。それでは、ミオ。今日も一日歩きどおしですが頑張ってください」
青年に言われてミオは大きく頷く。
それから昨日屋根になってくれた大樹に心の中でお礼を言って町までの道のりを一歩踏み出すのだった。