エンピツ
三人称の日常的な少しホラー要素を持った物語です。
「あっ」
ボキッとシャーペンの芯が折れ、黒板の文字をノートに写していた本田誠は気の抜けた一言とともに作業が中断された。
すぐに誠は筆箱からシャー芯を探すが、見つからず舌打ちをする。
「ほいよ」
そんな誠をずっと見ていた新海翼はエンピツを渡す。
今時、高校生がエンピツなど使わない。
それなのに翼の筆箱にはエンピツしかない。
「シャー芯ねえのか?」
エンピツを受け取った誠は困った顔で翼に尋ねる。
「ない」
誠の困惑する表情を無視して翼は可愛らしい笑顔で答え、彼の肩をポンポン叩いた。
「エンピツ、使いづらっ」
仕方なくエンピツを使う翼だが、普段シャーペンの細い文字しか書いておらず、使う度に段々と太くなっていく状態に悪戦苦闘する。
「慣れだよ。慣れ。絶対エンピツの方がいいって」
「いやっ、オレはシャーペンを使いたいが」
「ダメダメ。このエンピツは“特別”なんだよ」
「特別ねぇ」
あまりにも無邪気に話す翼に誠はそのままエンピツを使って黒板の文字を写す事に。
「手首にくる」
「気のせい」
「腱鞘炎になりそう」
「時にはガマンも必要」
「ムリ」
「ムリだと思うからムリになる」
「実際にムリだし」
「じゃあ、代わりに書くよ」
「それは断る」
「なんで?」
「お前の丸文字はオレのノートをけがす」
「いいじゃん」
「良くない。オレは完璧主義なんだ」
「いつから?」
「今からだ」
「へぇ、頑張って」
「なんだよ、それ」
「だって、絶対続かないじゃん」
「なんでわかるんだよ」
「当たり前じゃん」
なんだかんだで誠は黒板の文字をエンピツですべて写した。
その間、なぜか翼は様子をずっと見ていた。
帰宅時間になり、支度をしていた誠は思い出してエンピツを翼に返そうとする。
「あげるよ」
「えっ」
「ほら、今日で分かったでしょ?エンピツの偉大さを」
「・・・」
「ちゃんと大事に使うんだよ」
「あっ、はい」
半ば強引にエンピツをもらった誠は翼の押しに負けてしまう。
一度決めた事は頑として譲らない翼の性格を知る誠は彼女の言葉に従うのが無難だと理解している。
いつも一緒に帰る誠と翼は昇降口で靴に履き替える。先に待っていた誠がボーッと外を見ていると、遅れてきた翼が背後から言った。
「雨」
それを聞いた誠は空を見上げるも、雨が降る気配が一切ない。
「降るのか?」
「うん、もうすぐね」
「マジか」
「だから降る前に早く帰ろう」
「お、おう」
誠は翼に引っ張られるように家路へ向かう。
「それじゃ、また明日ね」
「あ、ああ」
途中まで同じ道だが、二股に分かれるところで誠と翼は離れていく。
いつも素っ気ない態度の誠は、この時、いつも以上に素っ気なくなる。
「エンピツ!」
すでに歩いていた誠の背後から翼は大声で呼び止める。
振り向いた誠は手を振る翼の姿を見る。
ちょうど夕日と重なっていたのか、翼の姿はなんだかボンヤリしていた。
素っ気なく手を上げて翼に返事した誠。
しばらく歩いていると、鼻先に一粒の雨が落ちると、次の瞬間には土砂降りの雨が全身を濡らした。
誠は諦めて土砂降りの中、マイペースに歩いて家にたどり着く。
玄関を開けようとドアに手を当てると、なんとも言えない不安な気持ちが胸の奥を刺激する。
思わず誠はある方角を見ていた。
「気のせいか」
自嘲気味に呟いた誠はドアを開ける。
「ただいま」
玄関に入った誠はすでに用意されていたタオルを取り、濡れた全身を拭きながらその場で制服を脱ごうとしていた。
すると、奥の方でガシャンという音が聞こえた。
誠は何事かと濡れた制服のまま上がる。
「どうした?」
声をかけた誠は受話器を落とした母親の涙を流す姿があった。
「翼ちゃんが・・・翼ちゃんが・・・」
誠は母親の表情だけで悟った。
そこから誠の記憶は曖昧で、地に足がついていないような感覚に長い間襲われていた。
あれは一瞬の出来事だった。
道路に飛び出そうとした子供を事前に助けるも、翼は暴走していた車に轢かれた。
救急隊員が駆けつけた時にはすでに翼は息を引き取っていた。
運転手は当時酔っていて正常な判断が困難だったという。
事実を聞かされた誠は未だに実感が湧かず、フワフワした感情が支配していた。
いつも一緒にいた翼はもういない。
誠は無邪気な笑顔を浮かべる翼が何事もなかったように現れるのではないかと思っていた。
翼の葬儀からしばらく経つが、誠は感情をなくしたかような無表情な日々を過ごしていた。
授業を受ける誠はどこか上の空で、窓の外を見る頻度が増えていた。
ただ、彼の筆箱には最後に翼からもらったエンピツがしっかりとある。
あれから誠は一度も使っていない。
「誠。放課後遊びに行くぞ」
そんな誠に友人たちは励ますつもりで頻繁に彼を遊びに誘っていた。
「今日はやめておく」
「おいおい、今日って。そのセリフ、昨日も聞いたぞ」
「ああ、ワリィ」
「ダメだね。俺は決めた。お前を遊びに連れていく。いいな?」
「いやっ、今日は・・・」
「拒否!俺、お前誘う。お前、来る」
「なんでカタコトなんだよ」
「やっと、マトモな反応したな」
友人の励ましで久しく笑っていなかった誠は笑みを浮かべる。
友人のマシンガントークは止まらず、誠は嫌がる事なく聞いていた。
「・・・!」
と、誠は急に寒気を感じる。
背中を冷たいモノが垂れる感覚があって、誠は振り向いた。
後ろにはロッカーがある。それだけだ。
しかし、誠は何かを感じた。
「うん?どうした?」
「いやっ、なんでもない」
「そっか。それでよ、あのゲーセンが・・・」
マシンガントークを再開した友人だが、誠は半分聞いて、半分は寒気の原因を考えていた。
「参ったぜ、あれは。なんな強えヤツは初めてだったなぁ。おかげであっという間に千円が飛んだ。はっは」
友人がゲーセンで強者に連敗した話しをしていると、フッと視線を教室の前の引き戸に移した誠は一瞬、黒い何かを見た。
目を見開いた誠だが、そこには何もない。
眉をひそめていた誠に、
「聞いているのか?」
少し怒ったような口調で聞いた。
「聞いている聞いている」
「ああ。でさ、俺が違うキャラを使ったら・・・」
再び友人がマシンガントークを展開する中、誠は気持ちを入れ替えて聞く事にした。
その時、誠は無意識にあのエンピツを触っていた。
放課後、友人の誘いに乗ってゲームセンターに来た誠は触発され、これまで溜め込んでいた感情を一気に爆発させて解消していた。
「いや〜、今日は楽しかったな!」
興奮した後に誠は友人とともにファーストフードで腹ごしらえをする。
「まさか誠があんなに格ゲーが強えとは思わなかった」
「まあな。アイツのおかげだ」
「そっか。翼ちゃんはゲーセンの連続勝利記録保持者だったっけ」
「ああ。顔に似合わず、やたらと格ゲーは強かったな」
「そうそう。思い出した。なんだか先読みされまくってお手上げ状態だった」
「だからオレは悟って、読み合いよりミスをしないテクニックを磨けた」
「ほほう。なるほどな」
翼の話になっても誠は負の感情よりも、楽しかった過去の思い出に浸り、気持ちが穏やかになっていた。
友人は単純に誠を誘っただけだが、結果的に感情がなくなっていた誠に良い刺激を与えた。
「翼ちゃんならプロのゲーマーになってもおかしくなかったな」
友人が一人で納得している時、多くの客で賑わう店内を見渡した誠は何かの視線を感じた。
目の前でマシンガントークを披露する友人の話は耳に入らず、誠は気味の悪い視線の正体を探ろうと店内を慎重に観察する。
「そう思うだろ?誠。誠聞いているか?」
「うん?あっ、ああ、そうだな」
またも話を聞いていなかった誠に不満気な友人だが、当の本人はすっと鳥肌が立っていた。
店内は特別寒いワケじゃないし、風邪を引いているワケでもない。
「・・・!」
誠は背後に何を感じる。
すぐに振り返るが壁しかない。
ただ、見えてしまった。
何か黒い影のようなモノが一瞬笑っているようにも見えた。
「大丈夫か?」
誠の様子に心配する友人は声をかけると、誠は向き直して作り笑いをして黙って頷いた。
ファーストフードを出た誠たちはそれぞれ家へ帰っていく。
一人になった誠は見えた黒い影を頭の中で何度も思い出し、正体を探ろうとする。
だが、当然のように答えが出ず、堂々巡りとなって気付いたら、あの二股の道に立っていた。
左を向けば自分の家がある。
右を向けば翼の家に続いている。
翼がいなくなって以来、誠は右の道を避けていた。なぜなら、あの日を思い出し、素っ気ない態度で接した自分を許せない気持ちが湧き上がるからだ。
しかし、今日は違っていた。
友人のおかげで気が晴れていた事もあるが、どうしてもあの黒い影が気になっていた。
誠の中で一つの推測が浮かび上がっていた。
それは黒い影と翼の関係だ。
実は翼が事故に遭った瞬間、誠は何か感じ取ったが、同時に背後の黒い影の存在を潜在的に察知していた。
その日から定期的に黒い影が現れるようになり、日に日にハッキリとその存在を主張し始めていた。
だから今日は気持ちが乗っている分、その勢いで事故現場へ誠は向かい、何か掴めるのではないかと考えていた。
「何もないな」
事故現場に来た誠はガッカリした様子で見る。
以前は花があったが、今は翼の両親の考えでなくしていた。
誠の前には単なる道があるだけで、特別何かを感じる事はない。
誠は一つ大きく息を吐き、その足で事故現場から家路へ向かう。
その間、何かの異変に警戒するが、特に何もなく家の近くまでやって来た。
すると、誠はここで重要な事を思い出す。
「エンピツか!」
すぐに誠はカバンから筆箱を取り出し、中から翼からもらったエンピツを握りしめた。
踵を返して誠は事故現場に駆け戻った。
「マジか」
さっきまで何も感じていなかったが、今度は全身の鳥肌が立っている。
更になんだか急に寒気が走り、ノドが乾いた自然と瞬きの回数が増えていた。
そして、急に雨が降り出す。
「なんだよ、これ」
エンピツを握っていた誠は視線の隅で蠢く黒い影を捉え、しっかりと視界を合わせる。
それはまるでアメーバやスライムのようで、何かの形を成そうとしている。
生唾を飲み込む誠は動けずにいた。
頭の中では動こうとしても、体が金縛りに遭っているような感覚で言う事を聞かない。
すると、遠くから車のエンジン音が聞こえる。
気付けば、誠は道の真ん中に立っている。
普通なら運転手はクラクションを鳴らしてブレーキーをかける。
だが、誠の視線が捉えたのは口から泡を吹いて気絶している運転手の姿。
車はスピードが緩まず、あっちこっちにぶつかりながらも誠の方に迫っていた。
水飛沫を上げながらやって来る暴走車に誠の脳裏には、人生が走馬灯のようによぎると、その中で一段と眩い光から聞き慣れた声を耳にする。
『エンピツ!』
ハッとした誠は体の自由を奪っていた呪縛から解き放たれ、動けるようになると、近くの電柱に飛び込んで暴走車からギリギリのところで避けた。
暴走車はしばらく走った後、別の電柱に衝突してようやく止まった。
事故を聞きつけた周辺の住民が来て、誰かが救急車と警察に通報し、現場は瞬く間に大勢の人だかりとなった。
誠は軽い擦り傷だけで済み、警察からの事情聴取を受けて解放された。
救急隊員の治療を受けて誠は帰ろうとした。
「翼。知っていたのか」
誠は事故現場を見て、次に視線を右手に置く。
少し微笑んだ誠の手には折れてしまったエンピツがあった。
「ありがとう」
誰にも聞こえない声を発した誠に、
『当たり前じゃん』
どこからともなく響いた返事とともに翼が笑顔で手を振っていた。