憑いてるの、だぁれ
「はぁっ‥‥、はぁっ‥‥‥!!」
家の中庭にある、一本の大きな木。
「澄子ちゃんね、大きくなったらこの木に登るの!!」
昔言っていた自分の夢。たった今、その夢は叶った。
「ひっ‥‥!!や‥‥ぁあああっ‥‥!!!」
ただし、最悪な状況によって。
ーーピピッ‥‥ピピッ‥‥
「速報‥‥?」
澄子の見ていたテレビから、突然音が鳴る。聞き覚えのある音に反応してテレビを見ると、”昨日逃亡した二匹の猪がトラックにひかれて死亡”と書かれてあった。
これって速報にする必要ある‥‥?思わず心の中で突っ込む。
「って、あれ‥‥?これってウチの近くじゃん」
自分の住んでいる地区から、そう離れていない田舎道。
う~ん、ちょっと、気になる‥‥かも‥?
少し好奇心に駆られた澄子は、今から自転車で行ってみようかな、とリビングを出た。
「う、わ‥‥すご‥‥」
そしてニュースで出ていたところに辿り着く。すると地面には、とりきれていない、赤黒いあとが残っていた。時間があまり経っていないせいか、鼻にツゥンとくる、錆びた鉄のような臭いがあたりに広がっている。それに眉をひそめながらも、澄子はゆっくりと事故現場を見渡した。あまりいいものではない。
来ないほうがよかったかな‥‥。
‥‥‥と、そのとき。
「ふぃぎー‥‥」
「ん?」
何かの鳴き声のようなものが聞こえた。きょろきょろと辺りを見る。
「気の、せい‥‥?」
一度首を傾げて、澄子はその場を立ち去った。‥‥しかし、澄子は気付いていなかった。その姿を、”四つの瞳”が静かに見つめていたことに。
ーーその日の夜。澄子はゆったりお風呂に入っていた。すると、いきなり呼吸が苦しくなる。
「ぅ‥、はっ‥‥」
思わずギュゥッと瞼を閉じ、はっ、はっ、と荒い呼吸を数回繰り返す。
収まった‥‥かな‥‥?
暫くすると、なんともなくなった。なんだったんだろうと疑問を感じながらも、瞼をあける。
「ーーっひぃ!?」
その瞬間澄子はビクンッと大きく体を震わせた。見開いた先に見えたものは、脳天がつぶれ、わずかに赤黒いものが見え隠れする”獣”の顔だった。
「‥‥て、あれ‥‥?」
しかしそれも一瞬の出来事。
「気の、せい‥‥?」
昼間にあそこにいったせいかな‥‥。
「‥‥‥‥」
背筋がブルッ‥と震える。温かかったはずのお湯が、とても冷たいものに感じた。
「もう出よ‥」
気のせいだと思いつつも、澄子のなかから不安が消えることはなかった。
「え‥‥‥?」
そして風呂から上がり、リビングに行った澄子は目を丸くする。
「‥‥‥っっっ!!!???」
即座に自分の部屋へと走り出した。
「ふぃぎーー!」
その後を追いかけてくるのは、さっき一瞬だけ見えたあの獣。しかも二匹もいる。
ーーなんでっっ!??あれは気のせいじゃなかったの‥‥!??
自分の部屋に着くと、すぐにドアをバタンッと閉めて鍵も閉めた。ドアにぶつかってくるかと思ったが、それもなく、ドアの向こうは不自然なほどに静かだ。ふぅと息をついて部屋の電気をつける。そして、澄子は部屋に人がいるのに気づいた。
「おばあちゃん‥‥?」
あちらを向いて座っている祖母。
「澄子ちゃん‥‥」
なんでここに‥?という言葉は、口の中だけで飲み込んだ。振り返った祖母の姿。その姿は確かに、祖母だ。声も、祖母の声。しかし‥‥
「え‥‥いや、おばあちゃん‥‥っ!?」
顔は、猪の顔。それは、あまりにも不気味な光景だった。無意識のうちに、ズザッと後ずさってしまう。
「澄子‥‥ちゃ‥‥ふ‥‥ふぃぎぃー」
祖母の声も、段々と”アノ声”へと変わっていく。
「ひっ‥‥いや‥‥ぁぁああああっっ!!!」
澄子は絶叫した。そのままバンッと扉を開け、今度は両親の部屋へと走る。しかし、澄子はこのとき気付かなかった。扉の前にいたはずの獣が、このときいなかったことに。
「おとっ‥‥さ‥‥お母さん!!!」
息切れしながら、バンッと両親の部屋のドアを開ける。そこには、すでに眠っている両親がいた。ドアの近くで寝ていた父親の布団をゆさゆさとゆする。
「おとうさ‥‥猪!!猪が‥‥っ!!!」
しかし、返ってきた声は‥‥
「ふぃ‥‥」
まさか‥‥‥っ
「ふぃぎぃー」
その瞬間布団がめくれ、その中から一匹の”猪”が飛び出してきた。
「っぃやぁぁぁああああ!!」
バッ‥と後ずさり、今度は母親の布団へ。ばっと布団をめくって中を確認した。
「ぅん‥‥澄子‥‥どうしたのよ‥?」
今度は、ちゃんと母親の姿。澄子はほっとして母親に抱きついた。
「っおかあさっ‥‥助けっ‥‥!!」
「何が‥‥?ーーーッッ!!!」
その瞬間、母親がギュッと澄子を抱きしめる。どうやら、異様な状況だと気づいたらしい。
「澄子、早くここから逃げなさいっ!」
母親が近くの窓を指差した。
「でもお母さんがっ‥‥!!」
「いいから早っ‥‥く‥‥」
厳しい声は、だんだん苦しそうな声へと変わっていく。
「??ーーお母、さ‥‥ん‥‥」
そっと母親の胸から顔を上げる。と、そこには‥‥。
「澄子‥‥はや‥く‥‥」
「ひっ‥‥お母さん‥‥!!」
段々と毛深くなっていく母親の姿。
変わっちゃう‥‥。
本能で気付く。
「やだ‥‥お母さん、やだよっっ!!!」
自分のかすれた声。涙がぶわぁっとあふれ出た。
「澄子っ‥‥お母さんはいいから、早く外へ‥‥っ!!」
「やだぁっ‥‥おねがっ‥‥だめ‥‥!変わっちゃだめ!」
お母さんまで変わっちゃったら、私‥‥‥。
「ひっ‥‥く、やだぁ‥‥行きたくない‥‥」
「澄子!!」
しかし苦しそうな声で「逃げなさい!」と言う母親に、澄子は唇をかみ締めた。
「ごめっ‥‥なさ、‥」
「いいから早く行きなさい!!」
普段からは想像できないような力で母親が窓を叩き割る。それと同時に澄子は窓から飛び出し中庭へと降りた。母親の横を離れる際に、母親が小さく「愛して、る‥わ‥‥」と呟くのを聞いて、涙があふれるのを止め切れなかった。
「ひぃっ‥‥く、おか‥っさ‥‥」
それからは、無我夢中だった。澄子が気付いたときには、何故か昔憧れていたあの木に上っていた。
「あっ、れ‥‥ひっく、いつの‥‥間、にっ‥‥」
ぼーっと、焦点の合わない目で空中を見つめる。空には、輝かんばかりの星の数々。
吸い込まれそう‥‥
状況も忘れて、澄子は空を見つめた。
「綺麗‥‥」
「ぎぃ‥‥!」
木の下には、脳がつぶれ、目だまが飛び出し、歯をむき出しにした獣が二匹。しかし、澄子がそれに気付くことはない。もう、下なんて見ていなかった。
「今なら、お月様に手が届くかな‥‥?」
「ふぃぎっ!!」
「ぎぎぃ~!!」
ゆら、と枝の上に立ち上がる。その目は、空以外何も写していない。スッと手を上に伸ばすと、バランスを崩した体は重力に従い下降していく。
「ふぃぎぎぃぃっーー!!」
頭蓋骨が割れるのが先か、それとも獣に食い殺されるのが先か‥‥。
澄子は涙を流しながら微笑んだ。
「お母さん‥‥」
私、木登りできたよ。