勝利の後
「作戦通りだったな」
舞台を降りたベルタの横にカルが立つ。
「私は貴様の考えた通りに戦っただけだ」
「簡単に言うが……作戦通りに戦うのは、たやすい事じゃないぞ?」
「相手が弱かったから何も問題は無い」
「はははっ、まぁ、このクラスで負けられては、俺も困るからな。だが、おめでとうベルタ。初勝利だ」
「……」
お祝いの言葉を聞いたベルタが、歩みを止めマジマジとカルを見る。
「ん? どうした?」
「な、何でも無い……私は自分の為に戦っただけだ。礼を言われる筋合いはないと思っただけだ」
「俺には賞金が入るんだからな。礼くらいは言うさ」
「ふんっ……」
ベルタ自身、カルに礼を言われた瞬間、自分の感情に戸惑ってしまったのか――
そんな自分に憤りを感じたかのように、苦虫を噛み潰したような顔になる。
そんなベルタを見たカルが笑いを堪えながら歩き出す。
階段を降り地下の通路を通ってゲートを抜ける。
「ベルタは先に部屋に戻っていても良いぞ。俺は賞金の受け取る手続きをしてくる」
「分かった」
カルと別れたベルタが、一人部屋へと戻る。
まだ闘技への出番を控えている闘技者達のピリピリとした緊張感に周囲は包まれていた。
集まっている闘技者達の脇を通り抜け部屋の中に入ると――
「ふぅぅぅ」
ベルタが大きく息を吐き出す。
闘技は一瞬で決着が着いた。
だが、一切の緊張が無かったかと言えば嘘になる。
人が居る前では、そんな緊張を見せる事もなかったベルタだったが――
一人になると、自然と気持ちも緩んでいく。
「私は……勝ったのだな……これからしばらくはこの生活が続くのか……」
勝利をした事への昂揚感は、未だ感じられない。
これからも、あの大観衆の前で戦い続けなければならない。
それは、厳しく険しい道である事に間違いは無かった。
「だが、こうするしかない……私には、この道しかないのだから……」
両手に握った短刀を見たベルタが、未だ武装をしたままだった事に気づく。
闘技の為の防具を身につけ短刀を持っている事に、何ら違和感を覚えていなかった事実に、小さく驚きを見せるベルタ。
「それだけ馴染んでいるという事なのか……?」
もうずっとこの短刀を使い続けてきたかのような、自然な馴染み方に、ベルタは戸惑いを見せる。
(やはり……私は……闘いを好む忌まわしい血が流れているのだろうか……)
遠い昔に言われた言葉が脳裏を過る。
(いや、そんな事は無い……! 私は争いを好んでなとはいない!)
脳裏に浮かんだ考えを追い払うように長い髪を揺らして頭を振る。
「どうした? ベルタ」
不意に聞こえてきた声にハッとなったベルタが顔を上げる。
いつの間にか、部屋にはカルの姿があった。
「何でも無い……放っておいてくれ」
「まぁ、干渉はするつもりは無いが……そら、これが今日のお前の取り分」
賞金の入ったズシリと重い袋をカルが見せる。
だが、金に興味は無いとばかりに、ベルタはこれといった感情を見せない。
「金はどうする? 銀行にでも預けておくか? まぁ、屋敷に溜め込んでおいても良いが……」
「その忌まわしいモノを持ち歩く趣味は無い。銀行……? そこに預けるとどうなる?」
「まぁ、預けておくだけだ。特に何もならんがな」
「だが、金に触る必要はないという事だな?」
「あぁ、そうだ」
「では、預けておこう……どうすれば良い?」
「そうなると、お前の為の口座を作らないといけないな」
「私にはどうでも良い事だ……貴様に任せる」
森で生き自給自足をしていたエルフにとって、金の存在など一切の興味を惹かれるものではない。
そういった反応を見せるベルタだったが――
「良いのか? 俺を信用してしまって。お前の稼ぎを奪うかもしれないぞ? 金が溜まってないと嘘をついて、お前をいつまでも戦わせる事だって出来るんだがな?」
露悪的なカルの言い方にベルタが眉をしかめる。
「貴様は、そういう事をしない男だと思っていたが……」
「ほぅ。そういった信用はある訳か」
「信用などしていない……だが……そうだな。計算位は出来る。賞金の総額の20パーセントが私の取り分だと言っていたな? 総額がいくらかは、調べれば分かる」
「なるほど、馬鹿では無いという事か。だが、甘いな。もし、俺がお前を死ぬまで戦わせるつもりなら、いくらでも手はある」
「何故、そんな事を言う? 貴様にその気があるのなら、そんな事を私に言う必要はない筈だ。黙っていれば良いのだからな」
「確かに、な……まぁ、あまりにも金に関して無防備だったら、からかってみただけだよ」
「戯れ言が過ぎる……だが……もしかして、私の為に言ってくれていたのか?」
金に対しての価値観を全く持っていないベルタに、金の力を教える為に言っていたのではないかと――
ベルタなりに、カルの行動を判断する。
「ははっ、いや、からかっただけだ。お前が言った通り戯れ言だよ」
「……戯れ言、か……分かった。では、銀行に口座を作ろう。そして、管理も私がする。そうしておけば、問題は起こらないという事だな」
「そういう事になるな。だったら、早速銀行に行くか」
「ここに銀行があるのか?」
「あぁ、今日一日でここでは莫大な金のやり取りがされるからな。ここにもいくつかの銀行の支店があるんだよ。今日の闘技会が終わるまで、俺達はここにいなきゃならないからな」
対戦相手は闘技会の前日に発表されている。
闘技を終らせた闘技者や闘技師が、その情報を外に持ち出さないようにと――
その日の闘技会が終わるまでは、闘技師や闘技者は足止めされる事が決まりとなっていた。
その為、傷ついた闘技者を治療する治療スタッフ等も、しっかりと備え付けられている。
主催者にとって闘技者は金を実らせる存在であり、戦い続けてもらう為に、治療等に関しては万全の体制が整えられていた。
「……まだここにいなければならないのか……」
「時間はあるんだ。銀行の手続きをしよう」
金貨の入った重い袋を持つと、カルが部屋を出る。
人間達が作り出した貨幣の存在が、帝都で生き抜く為にはどれほど必要なものなのか――
改めてそれを思い知らされたベルタは、享楽を謳歌する人間の貪欲さに、無意識のうちに顔をしかめてしまっていた。
日暮れと共に闘技会は盛況のうちに終わる。
「さて、どこかで食事でもして帰るか?」
「いや……もう人のいる場所には行きたくない」
闘技場内にある隔離施設を出ると、月が空の中央で輝く時間となっていた。
「そうか。では、俺一人で行ってくるとしよう。屋敷には一人で戻れるな?」
「大丈夫だ」
「闘技に出る日はメイドたちも来ないから。料理は何もないぞ? まぁ、備蓄の食材は好きに使ってもらってかまわんがな」
「そうさせてもらう」
「では、俺は一杯飲んでから帰るとしよう」
ヒラヒラと手を振ったカルが、これから盛りを迎えようとする夜の街へと消えていく。
ベルタもまた一人、屋敷に戻るべく月明かりに照らされた石畳の道をゆっくりと歩いていった。
週末の闘技会が終わると、新しい週が始まる。
だが、日々の生活は変わらない。
「今週も、また闘技に出るのか?」
日課となった鍛練をこなした後、湯浴みを済ませたベルタがカルに問いかける。
「ほぅ、戦う気満々といったところか」
「この間の試合は……戦いと呼べるようなものではなかった」
「確かにそうだな。だが、闘技会に出た者は、一週間は間に休みをいれなければならない」
「そう、なのか……だとすると、次は来週という事になるな」
「ベルタに出る気があるのならな。どうだ?」
「私は今週でも戦える」
「良し。では、来週の闘技会に登録するとしよう」
ベルタの戦意が衰えている事は無い。
その事を確認したカルが満足そうに頷く。
「後、二回ほど戦い勝つことが出来れば、一つクラスを上げる事も出来るだろう」
「上に行けば賞金額も高くなると言っていたな?」
「あぁ、そうだ。他にも、色々と賞金に関してはあるんだが……まぁ、今は良いだろう。王道で進めていこう」
「良くわからんが……貴様から見て、どう思う? 私は……上のクラスでも戦えるか?」
「ほぅ」
ベルタの問いかけを聞いたカルが、興味深そうに眼を細める。
「お前が俺にそんな事を聞くとはな。俺の見立てでは十分に戦える。油断さえしなければ、な」
「そうか……」
カルの言葉を聞いたベルタが、少しだけ表情を和らげる。
「……では、クラスを上げる事が出来るようになれば、上のクラスに行こう」
「ベルタ、改めて聞くが……これからも上を目指し戦っていく気はあるんだな?」
「当然だ……戦う事で自由になれるのなら……そうするより他に道は無い」
「良し。その覚悟があるのなら、今後の鍛錬は俺がプランを立てる」
「何、だと……? 私の鍛錬の仕方に文句があると言うのか?」
カルの言葉に、ベルタがムッとしたように形良い唇を尖らせる。
「上を目指すのなら、今のままではいずれ負けるという事だ」
ハッキリと言い切ったカルを悔しげに睨みつけるベルタ。
だが、闘技師としてのカルの高名は、この数日の間にベルタも十分に理解していた。
「貴様がそう言うのであれば……そうなのだろうな……」
今の実力のままでは、いずれ負ける事になるというカルの言葉を――
悔しさを噛み殺しながらも、ベルタが受け入れる。
「強くなれるのであれば……貴様の言う事に従おう……」
目的は、早く自由の身となる事。
その為であれば、言う事を聞かざるを得ない。
そう思う程度には、ベルタの中でカルへの信頼が芽吹いていた。
「良し。では、明日から始めよう。今日はゆっくりと休め」
カルの言葉に頷いたベルタが休む為に部屋を出る。
それを見送ったカルは、夜が更けるまでベルタの鍛錬のプランを考え続けていた。
翌朝――
中庭には、ストレッチをしながらカルが来るのを待つベルタの姿があった。
「随分早いじゃないか。いい心がけだ」
「体は十分に温まっている。何をすれば良い?」
「そうだな。まず基本のトレーニングはここに書き込んである。それをこなしてもらおうか」
夜更けまで考えたプランを書いた紙をベルタに手渡す。
「ふぁぁぁ。俺はまだ少し眠らせてもらうぞ」
「鍛練をするのを見ていないのか?」
欠伸をして部屋に戻ろうとしたカルを、ベルタが訝しそうに見つめる。
「ん? お前は監視されていなくても、やるべき事はやるだろう?」
「勿論、手を抜くつもりはないが……」
「だったら、俺が見ていなくても問題無いだろう。昼にはまた来る。ふぁぁぁ」
もう一度大きく欠伸をしてから、カルが部屋へと戻っていく。
(信頼されているという事か……?)
カルの姿が室内に消えた後も、感情を整理できていないといった面持ちでベルタが立ち尽くす。
奴隷の身である自分を束縛しないカルに――
(変わった男だ……)
心の中で小さく感想を呟く。
だが、信頼されているという事実は、ベルタを嫌な気持ちにはさせない。
「私はやるべき事をやるだけだ」
カルの信頼に応えなければ。
そんな気持になってしまったベルタが、その感情を打ち消すように頭を振る。
「私は自分の為に戦うだけだ……人間の信頼など……必要は無い」
浮ついた感情に言い聞かせるように呟くと、カルが作り上げたプラン通りに鍛練を開始した。
太陽が空の頂に達した頃、ようやく鍛錬が終わる。
「はぁ、はぁ、はぁ」
どれも基礎筋力をアップさせるものばかりだったが、それでも汗だくになり息を整えるのに時間がかかる。
「これ程とは、な……」
使い切った筋肉がギチギチと軋んでいるような――
そんな感覚を覚えながら、ベルタが汗を拭う。
「ほぅ、全てこなし終えたのか。俺が思っていたよりも早いな」
中庭に出てきたカルが、息を整えるベルタを見て感心したように呟く。
「次は……くっ……うぅ、何をすれば良い? 武器を使った鍛練か?」
「そう焦るな。まずはクールダウンしろ。汗を流して来い」
基礎トレーニングの次は、武器を使った模擬戦をするのかと――
逸る気持になっているベルタを、カルが落ち着かせる。
「……分かった。では、水を浴びてくる」
自らが汗だくになっている事に、その匂いを気にしたベルタが素直に浴室へと向かう。
火照った肌に冷たい水を浴びせて、汗を洗い流す。
滑らかな褐色の肌の上を水滴がしたたり落ち、長い髪がキラキラと光る。
(確かに私一人で鍛練をしていた時よりも……効率的かもしれないな)
今までも、この時間になるくらいまでは、鍛錬に励んでいた。
だが、ここまで、筋肉を使い切ったという気持ちになる事はなかった。
(カルについていく……それが、今の私にとっては一番良い事なのかもしれない……)
強くなり、自由を得る為の最短の道を進んでいる事を確認しながら、ベルタは冷水を勢い良く浴びていった。
「待たせたな……それで? 次は何をするんだ?」
汗を流し終えカルが待つリビングへとベルタが入ってくる。
「次は昼食だ。腹が減ったままでは、集中出来ないだろうしな」
「分かった」
頷いたベルタがいつもの自分の席へと腰を落とす。
「ベルタ、今日は外で食べるぞ」
「何……だと……?」
「昼食は外で取る。ついて来い」
「ま、待て。私は外に出るつもりはない」
人混みを嫌うベルタは、屋敷の敷地内から自発的に出ようとはしなかった。
そんなベルタを、カルは食事の為に外に連れ出そうとする。
「ベルタ、これも鍛錬の一環だ」
「どういう意味だ……! 何故、外で食事をする事が鍛練になる!」
理解できないとばかりに頭を振り声を大きくする。
「闘技舞台に立った時の事を思い出してみろ」
「あっ……」
「あの時のお前は、間違いなく緊張していた。戦う事にではなく、見られている事に、だ」
「そ、それは……」
「これからクラスが上がれば、更に観衆が増える。強い者を見たいと、誰もが思っているからな」
クラスが上がるにつれて、収容人数が大きな闘技舞台に移る事になる。
魔法ヴィジョンを通して、闘技の模様はいたるところで流される。
「見られる事に慣れるのは必須だ。そうすれば対戦相手の事だけを考えられるようになるからな」
「く……っ……」
カルが何故、外に昼食を食べに行くと言ったのか――
その意図を理解すると、ベルタは反論すべき言葉を失ってしまう。
「ついて来い」
歩き出すカルの背中を立ち尽くしたまま見ていたベルタだったが――
意を決したように拳を握りしめると、足を前へと踏み出した。