試合
闘技会が催される週末の朝を迎える。
早朝から日暮れまで繰り広げられる闘技者の戦い。
帝都の臣民達の熱狂に浮かれたように、帝都は朝から賑やかな声が響いていた。
そんな中――
闘技者達が集められた隔離施設だけは、今日と明日の戦いに備えた闘技者達のピリピリとした緊張感で包まれている。
「良く眠れたか? ベルタ?」
窓の無い部屋には陽光は射し込んでは来ない。
だが、時計を見れば時間を確認は出来る。
「あ、あぁ、問題無く眠れた」
頷き返したベルタだったが、心なしかその声には張りが無い。
「ん? どうした? 体調がすぐれないのか?」
「いや。何でも無い。いつも通りだ」
カルの視線を避けるように、ベルタが顔を背ける。
「お前の試合は、午前中の早いうちに始まる。そろそろ準備をしておこう」
「そうだな……」
「その前に、朝食はどうする?」
「いや、必要無い」
「そうだな。少しは腹が減っている方が良いか。では、まずはフォルム!」
カルの詠唱の声と共に、ベルタの体を光が包む。
「んんっ……!」
温かな光に、くぐもった声を漏らし身をよじらせるベルタ。
ベルタ「な、何だ……この格好は……」
光が消えると、肌も露わな防具がベルタを包み込む。
劣情を煽るような露出の多い格好に、ベルタが褐色の頬を赤らめる。
「これが、お前の闘技会に出る時の衣装だ」
「闘技会に出る衣装、だと……?」
「そうだ。闘技会は賭け事でもあるが、ショーでもある。観衆を喜ばせる為のサービスみたいなものだな」
「くっ……このような格好で戦わなければならないとは……」
「お前だけじゃない。皆、それぞれの衣装を着せられている。まぁ、我慢する事だ」
「っっ……我慢ばかりさせられる……」
屈辱を受け入れようとするかのように、ベルタがギュッと唇を噛みしめる。
「では、武器は以前の短刀でかまわないな? オーフェンハーテン!」
カルの詠唱と共にベルタの両手を淡い光が包み込み――
少しずつ光がおさまっていくと、両手には短刀が握られていた。
「どうだ? 違和感はあるか?」
「いや、何も問題は無い」
短刀を持ったベルタが、戦闘準備に入ったかのように顔が引き締める。
「では、待機所に行くとしようか」
「あぁ」
「作戦の通りにすれば負ける事は無い。お前の力を、観衆に見せつけてやれ」
「私は私の為に戦うだけだ。観衆の事など、どうでも良い」
「そうだな。それで良いだろう。良し行こうか」
ベルタを先導するべく、カルがゆっくりと扉を開けた。
待機所に入ると、既に複数の闘技者と闘技師たちが集まっていた。
名を呼ばれた闘技者はゲートをくぐり闘技会場へと向かう。
週末の間に百以上の試合が組まれている為、いくつもの闘技舞台では同時に試合が進行する。
待機所まで聞こえてくる、観衆が熱狂した叫び。
それが、嫌が応にも緊張感を昂らせる。
「闘技師カル。その闘技者ベルタ!」
名を呼ばれたベルタが、顔を引き締めたままゲートに向かう。
「んんんっ!?」
ゲートをくぐる瞬間に、また肩の刻印が光り浮かぶ。
「本人確認終了。健闘を祈ります」
ゲートについている職員に促され、闘技舞台へと向かう。
「さぁ、いよいよデビュー戦だ。何かアドバイスは必要か?」
「問題無い」
短く答えるベルタは、既に戦闘モードに入っていた。
地下の通路を通り階段を上がると眩しい陽光にベルタが眼を細める。
ドッと湧き起る歓声。
上段にある貴賓席と下段の一般席がグルリと闘技舞台を取り囲み――
これから始まる闘技に興奮する観衆たちの大声が響き渡る。
「くっ……」
静謐を好むエルフにとっては、猛々しいまでの熱狂の叫びは嫌悪でしかない。
喧噪に顔を歪めたベルタだったが、その顔がすぐに引き締まる。
対面には、これから対戦する相手の姿がある。
「緊張はしてないな?」
闘技舞台の下に備えられている闘技師席へと向かう前にカルがベルタの肩を叩きながら声をかける。
「大丈夫だ。作戦通りにするだけだ」
「良し。ハッキリ言うが、全力でなくても勝てる相手だ。気楽に戦えば良い」
「……さっさと終わらせる。ここはうるさ過ぎてかなわない」
長い耳をヒクつかせるベルタの元には、観衆たちの無責任な声が聞こえてくる。
エルフの奴隷を嘲り笑うような屈辱的な言葉も聞こえてはくるが――
(私は私の為に戦うだけだ)
その罵声に心乱される事が無いようにと、感情を鎮めていく。
「お前の力で観衆たちを黙らせてやれ」
声をかけ終えたカルが闘技師席に腰を下ろす。
対戦相手の闘技師も席に着くと――
ベルタと対戦相手が闘技舞台へと上がる。
更にボルテージが上がる観客達。
「浅ましい人間達め……」
この闘技場に集まっている観衆たちは、ベルタにとってみれば嫌悪の対象でしかない。
そんな人間達に好奇の目で見られ罵声を浴びせられる。
屈辱に心揺らがないようにと、ベルタが真っ直ぐに対戦相手を見つめると――
「ふんっ、こんなヒョロいエルフ相手に、これだけオッズの差がつけられるとはねぇ。私も舐められたものだよ」
筋骨隆々の大柄の女戦士が忌々しそうに吐き捨てた。
「1倍台の人気とは、ね。まぁ、良いさ。試合が終われば、あんたは観衆の罵声を浴びまくる事になるだろうしね」
不遜な自信を獰猛な顔に浮かべ、女戦士がニタリと笑う。
闘技場に通う者で闘技師カルの名を知らない者は殆どいない。
前回の御前大会の優勝者を育て上げた敏腕闘技師が、エルフを送り出してくる事に――
観衆たちは期待と興奮に歓声を大きくする。
この闘技を仕切る審判が、煽りの言葉で観衆を更に盛り上げていく。
両者が闘技舞台に立ってから5分後に賭けの締め切りとなる為――
5分の間は、観衆に晒されなければならない。
「おぃおぃ、またオッズが下がってるねぇ。ったく、こんなエルフのどこに勝ち目があるって言うのさ」
ベルタのオッズが更に低くなるのを見て、また女戦士が忌々しそうに悪態をつく。
「ちっ! 何だかムカついてきたねぇ。あんたが二度と舞台に立てなくなるくらい、徹底的にやってやるからね」
舌打ちしながら挑発する女戦士をチラリとベルタが一瞥する。
「何か言う事はないのかい? それとも、あたしみたいな女とは話す気にもなれないってのかい? 同じ奴隷のくせにお高く止まってるねぇ」
挑発を受けてもベルタの表情はピクリとも動かない。
「ちっ! つまんない女だね!」
どれだけ挑発してもベルタが反応しないのを見て、女戦士が面白くなさそうに吐き捨てると――
ベルタを威圧するかのように大槍をブンッと振り回す。
軽々と戦斧を操る女戦士のパフォーマンスに、観衆が大きく声を上げる。
やがて賭けの締め切りを告げるラッパの音が響くと――
「では、これより第3闘技場第1舞台の闘技を始めたいと思います! 皆様、奴隷共に盛大なご声援を! 皆様の慧眼に幸あらんことを!」
闘技の開始を告げ終えると、審判が舞台を降りる為にゆっくりと階段に向かう。
審判が舞台を降りた時が、闘技の始まりだった。
二人の視線が審判に向けられる。
「さぁ、始めるとしようかね! 覚悟しなよ!」
戦斧をかまえた女戦士は、ベルタとは十分に距離を取っている。
相手がベルタのスピードを警戒しているのは、カルが言った通りだった。
(ふっ、あの男の予想通り、か……ならば、作戦を失敗させる訳にはいかないな)
予想通りの行動を取ってくる相手に作戦を成功させられないのは、己が力不足という事。
(私は負けない!)
心の中で叫んだベルタが、女戦士の顔を直視したままタンッと軽やかに地を蹴る。
「え……? がっ!? ひぃいいっ!?」
女戦士の眼が大きく見開かれ、小さな悲鳴が零れ出る。
ガタガタと震える女戦士の視界の先では――
右手に握られた短刀の切っ先が喉元につきつけられ、左手の短刀の先は見開かれた眼のまえに突き出されていた。
後、少し押し出すだけで二本の短刀が突き刺さる。
その恐怖にガクガクと膝を震わせた女戦士が、そのまま腰が抜けたようにへたり込む。
シンと水を打ったかのように静まり返る会場。
誰もが、何が起こったのかをハッキリとは理解していなかった。
だが、目の前にある光景を観衆たちが理解した瞬間――
会場を揺るがす歓声が響き渡る。
女戦士が既に戦意を無くしているのは、誰の眼にも明らかだった。
呆気に取られていた審判が、闘技の終了を告げる鐘を打ち鳴らす。
「し、勝者、闘技者ベルタ!」
勝者を告げる声が響くと、更に歓声が大きくなる。
1倍台の圧倒的なオッズの通りの結果。
ほぼ、大半がこの勝負を当てた事になる。
鮮烈なデビューを見せたベルタに注がれる熱狂的な声。
だが、ベルタにとってはその声は、わずらわしいものでしかない。
へたり込んだ女戦士の元を離れると、ベルタが舞台を降りるべく歩き出していた。