居場所
「……どうして?」
封印の魔法によって消されていた主従の刻印が腹部に浮き上がってくる。
効果が切れた事を示しているにも関わらず――
「どうして死なないの!?」
崩れ落ちたベルタの命は断たれてはいなかった。
「……まだ俺が死んでいないからな」
突如聞こえてきた声。
「カル……っ!?」
左胸に短刀を突きつけられていたカルが、上半身を起す。
スズネだけでなくベルタまでもが眼を見張ったまま硬直してしまう。
「クズ人間がぁああああああっ!」
呆然となっていた状態から、スズネが一足先に立ち直る。
床に転がっていたスピアを手に取ると、カルに向かって突進を始めた。
「ベルタ! 気をつけろ! 来るぞっ!」
呆けたようになっているベルタを叱咤するように、カルが鋭く声を飛ばす。
「させないっ!」
カルを守ろうとするかのように、ベルタがスズネの前に立ち塞がる。
「無駄よっ! 魔力の無いお前に、私を止める事など出来ない!」
「ぐっ……! くぅぅっ!」
よろめきながら立ち上がったカルが、突き立てられた短刀を一気に引き抜く。
「刹那の祝福だ! ベルタ!」
「はぁああああっ!」
カルの呼びかけに呼応するかのように、ベルタがスズネに向かって短刀を突き出す。
「無駄よっ!」
パリンッ!
「え……!?」
ガラスの割れるような音と共に、光の壁が脆くも砕け散る。
「馬鹿な……っ!? どうして!?」
「魔力でなら壊せるんだろう? ふぅぅぅ、刹那の祝福を与えれば可能だ。ギリギリだったけどな」
ベルタが握る短刀を魔力の炎が包み込む。
「そ、そんな……ど、どうして……!?」
魔力の防護壁を打ち破られたスズネの胸元に切っ先が届きそうになった瞬間――
ベルタに向かってスピアを投げつけ、慌てて跳び退るスズネ。
「ベルタの動静は調べていたようだが、俺の事は知らなかったようだな」
「何故……!? 何故生きている! 確かに、お前は……!」
スズネの視線がカルの左胸へと注がれる。
短刀が突き刺されていた場所は血が滲んでいる。
だが――
破れた衣服の下から見える肌には薄っすらと傷跡が残っているだけだった。
「これも、まぁ、刹那の祝福の力だ。心臓に届く直前に短刀に治癒の属性を与えておいたって訳だ」
肌を切り裂き心臓が突き刺される直前に、短刀に治癒の属性を与えた事で――
短刀はその力を失い、触れたものを治癒する存在へと変化した。
「魔法壁は治癒の属性じゃ破壊できないから、属性変化をさせてもらったが……さすがに属性変化を使うと……疲れが半端無いな……」
そう呟いたカルは精根尽き果てたようにへたり込んでしまう。
「カル……何故、そんな事を……」
「ん? 俺が何を言っても、お前は信じないだろうからな。お仲間の口から真実を話させてやったのさ」
ニッと笑いながらカルがスズネを見る。
「人間の分際でぇええっ!」
「おっと、ベルタ。向うはやる気になっているが、どうする? 俺は戦う力は残ってないのだが……」
確信していた勝利を手に入れる事が出来なくなった。
その事への怒りが、スズネの顔を醜く歪ませる。
「貴様は私が守る……それに、これは私がケリをつけなければならない事……」
カルの前に立ち塞がるベルタが両手に握った短刀を身構える。
「私を殺すつもり? ふふっ、ふふっ! 殺すつもりなの!? ベルタ!」
手にしたスピアを捨て、自分が無防備である事を示すように両手を広げる。
「くっ……」
「汚らしい人間の味方をして、同胞を殺すって訳ね。混じりモノらしいわ。裏切り者め!」
「……最初に私を裏切ったのは、お前達だ」
小さく呟いた声に、あらゆる感情が滲んでいる。
「ふんっ! 良いわ。殺しなさい。殺せば良いわ。さぁ、殺してみなさい!」
「っっっ!」
スズネが一歩足を踏み出すと、気圧されたようにベルタが一歩後退る。
「どうしたの? 殺すんでしょ? ほら、早く! お前のような混じりモノが入った一族の行く末なんて見たくもない。死んだ方がマシだわ」
ケリをつけると自ら言ったベルタだったが、同胞を手にかける事への躊躇いと、スズネの威圧に完全に怯みを見せてしまう。
「殺せないの? だったら、お前が死になさい! そうすれば全てが上手くいくんだから!」
短い詠唱が終わると、スズネの周囲に光の玉が浮かび上がる。
「死ねっ!!」
魔法の攻撃に備えるように身構えるベルタ。
そんなベルタを見たスズネが口元を歪めて笑う。
「カルっ!!!」
スズネの意図を察したベルタが、カルの方に向かって跳躍する。
「遅いっ!!」
ベルタではなく、魔力の込められた光の玉は、カルを狙って撃ち放たれた。
無数の光の玉が重なり合い、大きな一つの玉となると――
カルを包み込む。
「カルーーーーーーっ!」
光の中に消えていくカルの姿を見たベルタが、絶叫を放つ。
「この人間を殺せばお前も死ぬ! ははっ! あはははっ! 私の勝ちよ!」
「そう勝手に殺せると思わないでもらいたいな」
けたたましい笑い声を遮るように、冷静な声が響く。
「なっ!? ど、どうして……!? 人間の分際で! 何故死なない!」
光の玉が収縮し、小さくなってやがて消えていく。
「ふぅぅ。こうなる事は分かっていたからな。対応策は取らせてもらっているさ」
魔法攻撃を無効化する結界を作り出す、結界石をカルが懐から取り出す。
「ベルタが、いきなり自分を解放してくれと言いだしたんだ。誰かにそそのかされていると考えるのは、自然の事だろう?」
「人間めっ! 人間めぇえっ! がはぁっ!?」
罵りの言葉が途中で途切れ、スズネが苦悶に顔を歪める。
カルに気をとられている間に、ベルタがスズネの腹部へと膝を打ち込んでいた。
「ま、混じりモノがぁああっ! ひぎっ!?」
怒りのあまり表情の消えたベルタが、容赦なく首に指を食いこませる。
「ぐっ!? がぁっ」
魔力は使えなくとも、パワーはベルタが圧倒的に優れている。
「こ、殺すの? わ、私を殺す……つもり……同胞を殺すの?」
まともに呼吸も出来なくなり、顔を赤黒く変えながら、スズネがベルタを見る。
「殺す」
ベルタが発した躊躇いの無い言葉。
「ひっ!?」
怒りに包まれた殺気に、スズネの顔にあからさまな動揺が浮かぶ。
「カルへの仕打ち……許すことは出来ない……」
「ま、待って、あっ!? うぁっ、た、助け……っ……いやっ! し、死ぬのなんて嫌ぁあっ!」
ベルタは絶対に自分を手にかける事は無い。
その盲信が崩れ去ると、死への恐怖に怯える姿を、スズネは隠そうともせず命乞いを始める。
「死ね」
だが、スズネの憐憫の声にも、ベルタは眉ひとつ動かす事は無かった。
ギリリッと更に強く首筋に指が食い込む。
「た、たずげで……ぇ……」
弱々しい声が途切れると、グリンとスズネが白目を剥く。
四肢がダランと垂れ、スズネの全身から力が抜け落ちていく。
「殺したのか?」
ベルタが手を離すと、弛緩した体がドサッと床に落ちる。
ベルタの側に歩み寄り問いかけるカル。
無言のままにカルを見つめ返したベルタが小さく頭を振る。
「すまない……迷惑をかけたのに……それでも、私は……」
「そうか。まぁ、それもお前らしいと言えばお前らしいな」
「だが、このまま済ませるつもりはない……」
失神したスズネを見るベルタの瞳には、まだ怒りの表情が滲んでいた。
「それなら一つ良い手がある」
「カル……?」
「まぁ、明日になれば分かるさ。取りあえず、今日はコイツを動けないようにしておこう。ワルさが出来ないようにな」
気を失ったスズネを手際よく拘束すると、部屋の隅に放置する。
「逃がしたければ逃がしても良いぞベルタ」
「いや……」
ベルタが力なく頭を振る。
「今日はユックリと休め」
ベルタの髪をワシャワシャとカルがまさぐり撫でる。
いつもであれば、手を払いのけ嫌そうな顔をするベルタだったが――
そうする気力も無くなっているのか、大人しくされるがままになっていた。
「……今日は……すまなかった」
「まぁ、語り草が一つ出来たと思えば良いさ」
ベルタの武装を解除すると、ベルタはそのまま力ない足取りでリビングを出て行く。
「エルフも、そう人間とは変わらないな」
エルフの中でも、スズネのように相手を侮蔑し、自らを誇示する選民思想を露わにする者もいる。
気を失ったままのスズネを見てから軽く肩を竦めると、カルもまた自室へと足を向けた。
早朝に目覚めたベルタが部屋を起き出しスズネが放置されたリビングへと入る。
「ベルタ? 早くこれを解いてちょうだい。あの人間がくる前に」
拘束され身動きの取れないまま、スズネが拘束具を取るようにと言う。
スズネの言葉を無言のまま聞くベルタ。
「郷に戻りましょうベルタ。あなたが郷長の伴侶になる事を……私も認めるわ。郷で皆が、あなたが帰ってくるのを待っているのよ」
猫なで声で説得をするスズネだが、ベルタは真一文字に唇を引き結んだまま返事をしない。
「ねぇ、お願い。このままじゃ、私、あの人間に何をされるか分からないわ。ねぇ、ベルタお願いだから、これを外してちょうだい」
頑ななまでに反応しないベルタに、スズネが焦りを滲ませ始める。
「ベルタ、お前が許す気があるのなら、そいつを逃がしてやっても良いんだぞ」
「くっ!? 人間め……っ!」
リビングの扉が開き、カルが室内へと入ってくる。
カルの姿を見たスズネの顔に浮かぶ嫌悪の表情。
「自分から仕掛けてきておいて、大した言い草だな。で? どうするんだ? ベルタ」
スズネからベルタへと視線を移したカルが問いかける。
「私は……カルの考えに従う」
「そうか。だったら、さっさと済ませてしまおうか。エピファ入ってこい」
リビングに入ってきたのは、以前にベルタをカルから買い取ろうとした闘技師のエピファだった。
「お前は……!?」
敵愾心を見せるベルタに対して、エピファが両手を上げて害意がない事を示す。
「もぅ、あんたにゃ手を出すつもりはないよ。散々な目にあったからな」
「カル、何故この男を……」
「エルフを欲しがっていたからな。ちょうど、良いだろう?」
カルの視線が四肢を拘束されたスズネの方へと向けられる。
「おぉ、言った通りエルフじゃないか。これを俺に売ってもらえるって事か?」
スズネを見たエピファが顔を輝かせる。
「スズネを……売るつもりか?」
「そうだ。死ぬよりはマシだろうからな」
「ふ、ふざけないでっ! 人間のモノになるくらいなら死を選ぶわ! ベルタっ! あなた、本気で私を売るつもり!?」
蔑み馬鹿にしていた人間の奴隷にされる。
誇りを踏みにじられた事への怒りに、白磁の頬が赤く染まる。
「私を殺そうとしたのはスズネ、お前だ」
「そ、それは……郷の一族の為に……」
「……私にとっては、もうあの郷は帰るべき場所じゃない……郷の人たちも、多かれ少なかれお前と同じように思っているのだろうから……」
「ベルタ、良いんだな?」
「……私には関係の無い事だ」
これ以上は耐えられないと、ベルタがスズネに背を向ける。
「ま、待ってベルタ! お願いっ! お願いだからっ! 許してっ! 許してちょうだい! 人間の奴隷になるなんて嫌っ! 嫌よっ!」
ベルタの背中に向かって懇願の叫びを放つスズネ。
悲痛な声を聞くベルタの長い耳が、一度だけ震える。
「ねぇ、ベルタ! あなたが言えば、私を助けてくれるってこの人間も言っているわ! お願い! 何でもする! あなたの為に仲間たちも説得するから!」
「おぃ、カル。どうなんだ? もう連れて行っても良いのか?」
喚きながらベルタに解放を乞うスズネ。
「もう一度聞くぞ? 良いんだな? ベルタ」
最後のカルの問いかけに、ベルタが無言のまま頷く。
「エピファ、連れて行って良いぞ。奴隷商の元で、奴隷契約をするが良い」
「よしっ! 決まりだな。さぁ、今からお前は俺のモノだ」
「いやぁっ! いやぁあああっ! ベルタっ! ベルタっ!」
四肢を拘束され、拘束具によって魔力を封じられている今――
スズネにはまともに抗う事も出来ない。
「さぁ、行くぞ」
「裏切り者めっ! もう二度とお前は郷には戻れない! 私が帰ってこなければ、またお前の元に刺客は送られてくるわ! それでも良いのっ!?」
「自分の始末は自分でつける」
「嘘っ、今のは嘘っ! 私がとりなすから! ね? ねっ? お願い、お願いだから助けるって言ってちょうだい」
脅しの言葉を吐いた直後に、すぐにまた惨めに懇願を繰り返す。
そんなスズネを憐憫の色を浮かべてベルタが見つめる。
「行くぞ」
「あぁっ、あぁぁっ、いやぁあああっ!」
エピファによって連れ去れていくスズネの悲痛な叫びが、少しずつ遠ざかり――
やがて聞こえなくなる。
室内を満たす静寂の中、ベルタがギュッと唇を引き結ぶ。
「本当に良かったのか?」
「ケジメはつけなければならない……スズネは負けた……そのケジメはスズネ自身がつけることだ」
決断に悔いはないとばかりに、ベルタがハッキリと言い切る。
「そうか。それなら、もう何も言う事はないな」
「……私のケジメもつけなければならない」
そう言ったベルタが、カルの前に跪く。
「んん? どういうつもりだ?」
「私はスズネに唆され、貴様を殺そうとした。もし貴様が機転を利かせてくれていなければ……」
スズネの謀略の通り、ベルタ自身も主殺しとして命を失っていた。
「私の命を助けてくれた事を感謝する。ありがとう」
跪いたまま、ベルタが深々と頭を下げる。
「そして……貴様を殺そうとした私を罰して欲しい……どのような罰でも受け入れる」
顔を上げたベルタが真っ直ぐにカルを見つめ罰を求める。
「結果として俺もお前も死なずに済んだんだ。それで良いんじゃないのか?」
「私の浅慮が起こした結果だ……その罰は受けなければならない」
「そう言われてもな。俺としては、まだまだお前で稼がせてもらうつもりだから、な。罰を与えろって言われても困るんだがな」
扱いに困ったとばかりに、カルがワシャワシャと髪の毛をかき混ぜる。
「罰を与えてはもらえないのか?」
「いや、だから……罰って言われてもな……」
「では……私の方から一つ提案させてくれ」
「ん? 提案? どんな提案だ?」
ベルタが何を言い出すのか、少し興味深そうな顔になったカルが見つめ返す。
カルの見ている前で、短刀を手にとるベルタ。
「おいおい、自決とかは止めろよ」
「貴様が死ねと言うのなら……死も受け入れる」
「いや、そんな事は言わん。死ぬ必要なんてないからな」
「見ていてくれ」
カルの見ている前で、ベルタがその長い真っ直ぐな自らの髪を無造作に掴むと――
「あっ……」
躊躇いも無く短刀で切り落とす。
ベルタの生まれ育った郷では、髪は誇りであり命の次に大切なものだと、そう以前に言っていた。
その誇りともいうべき長い髪を、バサリ、バサリと切り落としていく。
突然のベルタの行為にカル自身も呆気に取られているのか――
呆然となったまま見つめてしまっている。
「マスター、これよりベルタは……あなたのモノとなります。あなたにだけ永遠の忠誠を誓います」
切り落とされた髪の真ん中で、ベルタが跪き恭しく頭を垂れる。
短く切られた髪がハラリと流れる。
「永遠の忠誠、か……だが、金を稼げば自由になれるんだ。永遠はちょっと大げさじゃないか」
「マスター、あなたの側に……あなたの奴隷として、私をずっと置いて下さい」
「おいおい本気で言ってるのか?」
「この一件で分かりました。もう、私が帰るべき場所は郷では無いと……今いるココこそが、私の帰るべき場所なのだと……」
跪いたまま顔を上げ、真摯な瞳でカルを見つめるベルタ。
「やれやれ、大げさな事になってきたな」
「スズネが言ったように、もしかすると、郷から刺客が送られてくるかもしれません……ご迷惑をおかけするかもしれませんが……どうか、私を側に置いて下さい」
「分かった分かった。そうしゃちほこばるな。好きにすれば良い」
「ありがとうございます」
受け入れられた事にホッと安堵したようにベルタが笑う。
「マスター、これからもよろしくお願いします」
蔑まれる生活を送っていた郷であっても、そこが自分の帰るべき場所。
ずっとそう思っていたベルタにとって、帰るべき場所は安らげる場所では無かった。
だが、今、ベルタは自らが居る場所を見つける事が出来た。
その安らぎが、今までに見せた事も無い穏やかな笑みとなってベルタの顔に浮かんでいた。
これにて闘技場のエルフ完結です。
最後まで読んでいただいた皆さん、ありがとうございましたー!