決着
「な、何っ……!?」
「ベルタっ! そいつ眠っていないわ!」
「く……っ!!!」
短刀がソファーに突き刺さると、羽毛がバッと勢い良く舞い散る。
「どういうつもりだ? ベルタ」
ソファーから転がり落ちたカルが、タンッと床を蹴りベルタと距離を取る。
素早く立ち上がると、訝しそうな表情を浮かべたままベルタを見る。
「貴様が……私を信じてくれないから……こうなるのだ」
「何を言っている」
「私は郷を守らなければならない!」
トドメの一撃をかわされた事に、一瞬唖然となってしまったベルタだったが――
すぐに動揺を立て直し、カルに切っ先を向けて身構える。
「そのエルフに吹き込まれたか……」
ベルタからスズネへとカルの視線が移る。
「ベルタ! 早くトドメを!」
「分かっている。だが……こうなるとそう簡単には……」
先ほどまで酔い潰れて眠っていた筈のカルだったが――
ベルタと対峙している今、酔いの影響は全く見られない。
「しかし、だまし討ちとは随分じゃないか。お前らしくないぞベルタ」
「だ、黙れ! こうするしかなかったのだ!」
「主を殺せばどうなるか分かっているのか? 主従の刻印がある今、お前も死ぬ事になるぞ?」
「その事なら問題は無い」
「そ、そうよ! 私の封印の魔法で、人間の魔法なんて封印出来るんだから!」
「なるほど、な」
頷いたカルの視線が、ベルタの腹部へと向けられる。
腹部に刻まれていた従者の証は、完全に消えている。
それを見て納得したように頷くカル。
「それで? 何故だまし討ちをしようとした?」
「私は、勝たなければならない。郷に戻らなければならないのだ……その為であれば……」
「そっちのお仲間にそそのかされたんじゃないのか?」
「く……っ! 違う! これは私の意思だ」
「どうやら、良いお仲間とは言えないようだがな」
「人間風情が! 黙りなさい! ベルタ! 早くこの男を黙らせて!」
侮辱されたとばかりに、キィキィとスズネがわめきたてる。
だが、カルと対峙しているベルタは、迂闊に攻め込めば自らが反撃を喰らう事は十分に理解していた。
(まさか……これ程とは……)
使い慣れていない剣でカルに勝てるのか。
何よりもカルには武装化でいつでも武器を取り出す事が出来る。
「オーフェンハーテン!」
詠唱と共に眩い光が室内を包む。
「え……?」
「どうした? 俺を倒さなければならないんだろう?」
光が消えた後、小さく声を漏らして唖然となるベルタを、カルがニッと笑いながら見つめる。
使い慣れた短刀がベルタの両手に握られている。
「どういうつもりだ!?」
カルの意図が分からずベルタが声を大きくする。
「その方が、俺に勝てる可能性が高くなるだろう?」
「私を侮辱するつもりか!?」
「いや。そんなつもりはないさ。俺も、自分の剣を使わせてもらうからな」
カルの手にもまた、長剣が握られている。
「これくらいのハンデがあった方がちょうど良いだろう?」
「なめるな!!!!」
怒声と共に、ベルタが鍛え上げられた瞬発力を見せるように床を蹴る。
一気に間合がつめられ握られた短刀が一閃する。
「おっと! さすが俺が作った鍛練メニューをこなしてきただけの事はある」
紙一重でかわしながら、ベルタの鍛錬の成果を確認して満足そうに頷くカル。
「だが、まだまだ強くなれるぞお前は!」
身を滑らすようにしてベルタの横に回り込んだカルが長剣をかざす。
その動きに意識を奪われ――
振り下ろされる剣戟をかわそうと、後ろへと跳躍するベルタ。
「あっ……!?」
その動きを見越していたかのように、カルが剣をかざしたまま、ベルタの懐に潜り込む。
「がはっ!?」
膝頭が突き上げられ、ベルタのみぞおちに叩き込まれる。
腹部を伝う鈍い衝撃に苦悶の呻きを漏らすベルタ。
その場に崩れ落ち、その頭上に剣が振り落される。
「私は……っ! 負ける訳にはいかない!」
「おっと!」
左手に握られていた短刀が、ヒュンッと音を立てカルに向かって投げつけられた。
その反撃は予期していなかったのか、振り下ろされる剣の軌道に迷いが生じる。
その隙を見逃すことなく、ベルタが再び床を蹴る。
引き絞っていたバネを一気に伸ばし、弾丸にも劣らない勢いでカルへとぶつかっていく。
右手に握られた短刀は、しっかりとその切っ先をカルの首筋へと向けられていた。
「んっ!」
強引に上半身を捩り、切っ先をかろうじてかわすカル。
余裕を浮かべていた顔が引き締まり、その瞳に戦意が燃え上がる。
必殺の一撃をかわされたベルタだったが、勢いを緩める事なくカルの横をすりぬけ――
柱に突き刺さっていた、もう一本の短刀を再び左手に戻す。
「やるなベルタ」
首筋を狙った一撃をかろうじてかわしたカルだったが、その代償とばかりに――
肩の肌が切り裂かれ、血が滲み出す。
「いつまでも、以前の私と同じだと思わない事だ」
カルに一撃を与えた事に高揚したかのようにベルタの顔に笑みが浮かぶ。
「闘う事を楽しんでいるじゃないか。それでこそ、俺が見込んだだけの事はある」
そう言ったカルが、尋常でない汗の玉を浮かばせる。
「カル……?」
「ぐっ……くぅぅぅ……」
おもむろに床に片膝をつくと、長剣を突き立てたままそれを支えに上半身を支えるカル。
突然のカルの変化に、ベルタの声に動揺が滲む。
何が起こったのか理解できずカルに駆け寄ろうとするベルタ。
「やっと効いてきたようね。ベルタ! トドメを刺して!」
ベルタとカルの戦いを無言のままに見つめていたスズネが――
勝ち誇ったように声を大きくする。
「スズネ……これは……どういう事だ!?」
「ふふっ、料理に痺れ薬を入れておいたのよ。なかなか効果が出ないから心配したけど……杞憂だったようね」
「痺れ薬、だと……?」
「えぇ、そう。この男は、油断ならないから。確実に仕留めなきゃいけないでしょ?」
「そのような卑劣な手を……! 何故だ!?」
「だから、言ってるじゃないの。勝つ為だって。この人間を殺さないと、自由になれないのよ?」
「だが……」
「ベルタ、郷を守る為、でしょ?」
「ぐっ……」
正々堂々と戦う事が出来たと思っていた矢先のスズネの策略に――
ベルタは短刀を握ったまま唇を強く噛みしめる。
「今ならトドメを刺せる。さぁ、早くベルタ! あなたが出来ないのなら、私がトドメを刺してあげるわよ?」
最初にベルタが手にしていたスピアを手に取ると、スズネがカルに近づいていく。
「性悪エルフが……お前の力で俺を殺せるか?」
「ひっ……!?」
痺れ薬の効果でまともに動けない。
そう思っていたスズネだったが、カルが放つ闘気に圧倒されたように、ガクガクと膝を震わせ後退る。
間合に入れば、長剣の餌食になってしまう。
本能で恐怖を感じ取ったスズネが、忌々しそうにカルを見る。
「ベルタ! 早く! この男を殺して!」
「待てスズネ……カル、不本意だが、これで勝敗はついた筈だ」
魔法を得手とするスズネにとっては、痺れ薬を盛られた今のカルでも恐怖の対象だが――
ベルタにしてみれば、痺れ薬でまともに動けないカルを恐れる必要は無かった。
それでも、カルの間合に入る事無く、距離を保ったまま呼びかける。
「今からでも私を自由にしてくれれば……そうすれば、命を奪う必要は無くなる」
カルを殺さずに済むのなら、そうしたい。
そう願う気持ちが、紡がれる声に込められている。
「ベルタ! 何を言っているの! 殺すのよ! 早く殺しなさい!」
カルを助命しようとするベルタに、スズネが怒り狂ったように声を大きくする。
「黙ってくれスズネ。私が自由になれば、それで良いのだろう?」
「そ、それは……それはそうだけど……」
鋭い視線を向けられると、圧倒されたようにスズネが顔を伏せる。
「カル、私は戻ってくる。必ず戻ってくると約束する。だから……頼む……」
生殺与奪の権利はベルタの手にある。
それにも関わらず、ベルタが頭を下げ頼み込む。
「……ベルタ。お前の気持ちは嬉しいが、ダメだな。お前をこの街から出させる訳にはいかない」
「何故だ……このままでは、私はお前の命を奪わなければならない……私に……そんな事をさせないでくれ」
殺す側が殺される側に懇願する。
その状況のおかしさに、カルが口元を緩めて笑う。
「いや、ダメだな……お前を自由にすることは出来ない」
「ベルタ、もう良いでしょう。この男は、あなたが殺さないと思っているから、こうやって強気に出てるんだわ。時間の無駄よ」
首を縦に振らないカルを見るスズネから、先ほどまでの焦りが消え嘲笑が浮かんでくる。
「……残念だカル」
「俺も残念だよ」
「言い残すことはそれだけか?」
一歩、また一歩とベルタとカルの距離が縮まっていく。
カルが渾身の一撃を放つ事すら出来なくなっている事を、ベルタは十分に理解していた。
「……そうだな。油断はするな。それだけ言っておこうか」
「むろん……今の貴様であっても相手に油断をするつもりは毛頭無い」
言葉通り、痺れ薬で動けなくなったカルがどんな反撃をしてきても、それに対応できるようにと警戒を怠らないベルタ。
「……世話になった。許せ」
覚悟を決めたようにカルが瞼を閉じる。
「何をしてるのベルタ! 早くっ!」
短刀を振りかざしたベルタが動きを止める。
急かすように、またキィキィ声を上げるスズネ。
「っっっ!!」
感情を押さえつけるあまり、ベルタの顔から表情が消える。
その瞬間――
苦しまずに済むようにと心の蔵向けて短刀が鋭く突き刺された。
「やった!」
左胸に短刀がめり込み、ジワリと血が広がっていく。
それを見たスズネが、ピョンッと飛び跳ね両手を上げる。
胸に短刀が突き刺されたまま、ドゥッと仰向けに倒れ込むカル。
その姿を無表情に見つめていたベルタが、思いを断ち切るようにスズネの方へと向き直った。