決断
(私が……カルを殺す……)
スズネは躊躇いなく主を殺した。
それを見たベルタの心には怯みが生じている。
(殺せるのか……?)
屋敷へと戻ってくる間も何度も問いかけを繰り返す。
だが、答えは出てはこない。
(カルさえ、一時的に私を自由にしてくれれば……)
そうすればカルの命を奪わなくて済む。
「もう一度……もう一度説得してみよう」
そうする事が、カルにとっても一番良い事だ。
その結論を得ると、屋敷の中に入りカルの部屋へと向かう。
「カル、私だ。入って良いだろうか?」
扉をノックしてから呼びかける。
「構わんぞ。どうした?」
カルの声を聞いて扉を開け室内に入る。
室内では、ちょうどカルが書類をしたためているところだった。
「邪魔だったか?」
「いや、もう終わる。ちょっと気になる事があったのでな」
「闘技会の事、か……?」
「まぁ、そんなところだ。よし。これで良いだろう。急ぎの手紙だ。しっかり届けてくれよ」
メッセンジャーと呼ばれる鳥の形をした魔法アイテムを窓から外へと放つ。
羽ばたきながら、夜空を飛んでいく紙の取りを見送るとカルが窓を閉めてベルタの方へと向き直った。
「それで? 何の話だ?」
「……さっきの事だ。必ず、必ず貴様の元に戻ってくる。だから……頼む……私を自由にして欲しい」
「ふぅぅぅ、またその話か。返答はさっきと同じだ。その話なら、するだけ時間の無駄だ。もう諦めろ」
「諦める訳にはいかない。諦めてしまえば私は貴様を……っ」
「ん? 俺がどうしたって?」
言葉を途切れさせたベルタを、カルが訝しそうに見つめる。
「い、いや、何でも無い……」
主従の刻印と首輪を取り除く為に、カルを殺さなければならない。
そう言いかけたベルタが、口をつぐみ項垂れる。
「ベルタ、一つ聞かせてもらっても良いか?」
「な、何だ……?」
「何故、いきなりそんな馬鹿げた話をする? お前の郷が窮地になっているなんて情報、どこから手に入れた?」
「それは……」
同族であるスズネの事をカルに告げる事を躊躇うベルタが言葉に詰まる。
「お前、騙されているんじゃないのか?」
「なっ!?」
続いた言葉に、ポカンとなったベルタの顔に、みるみる怒気が浮かび上がってきた。
「騙されてなどいない! 騙すような卑劣な事をするのは人間だけだ!」
スズネを侮辱されたと感じたベルタが語気を荒げカルを睨みつける。
「卑劣な事をするのは人間だけか……」
ベルタの言葉に、軽く肩を竦めてみせるカル。
「俺も人間だ。その俺が、お前を自由にする筈は無い? そう思わないか」
「く……っ! これ以上は話し合っても無駄なようだ」
「俺は最初から無駄だと言っていたがな」
カルの為を思い説得しようとしていたベルタだったが――
騙されているのではないか? という一言によって怒りが先立っていまい、まともな話し合いにならないまま決裂してしまう。
クルリとカルに背を向け、荒々しく扉を閉めて部屋を出て行くベルタ。
「人間だけ、か……」
苦い記憶を思い出してしまったのか、カルの口元が歪み自嘲が浮かぶ。
だが、すぐに表情を引き締めると、机に向き直り、ペンを走らせ紙に文字を刻み始めた。
カルの部屋を出たベルタは、怒りに駆られたまま自室へと戻る。
だが、一人になると、昂っていた感情も少しずつ落ち着き始める。
(時間は、もう残されていない……しょせんカルも人間……信じてなどはもらえないか……)
ベルタ自身、郷の窮地を救う事が出来れば、カルの元に戻るつもりでいた。
相手の真心につけこんで、自由になったからといって、そのまま逃げるつもりは無かった。
だが、その真意をカルには信じてもらえなかった。
(私にとって郷は帰るべき場所……ここはかりそめの場に過ぎない……)
悠久の時間を生きるエルフにとっての郷とは、人が思う以上に大切な場所。
そこが、人間やオーク共によって蹂躙されようとしている。
それを放っておく事など決して出来はしない。
(説得出来ないのであれば……)
この仮初の場所を失う事になったとしても、郷は守らなければならない。
(スズネの言う通り、迷う必要は無い……私にとって、郷は何物にも代えられない場所なのだから……)
月明かりの差し込む室内で、自らの手をジッと見つめるベルタ。
踏ん切りをつけようとしながらも、心は千々に乱れてしまうのか――
手を見つめたまま、ピクリとも動かなくなってしまあった。
月が山の端にかかる頃、空が薄っすらと明るくなってくる。
一睡もしないまま、じっと考え続けていたベルタ。
(カルを……殺す……!)
開いていた両手をグッと握りしめ、ベルタがやつれた顔で宙を睨む。
(これより他に方法は無い……郷を守る為だ……)
エルフの自分にとって、何が一番大事なのかを――
何度も心の中で言い聞かせ、決断を下す。
(スズネに会いに行こう……)
決断した事をスズネに告げ、封印の魔法で刻印を消してもらわなければならない。
まだ街の中が眠りについている今であれば、ベルタの姿を見つければスズネが声をかけてくるかもしれない。
そう考えると、ベルタは足音を忍ばせ、屋敷を後にする。
「ベルタ」
虫の音に混じって聞こえてきた囁くように小さな声。
その声のする方へと、顔を強張らせたままベルタが向かう。
「スズネ、封印の魔法をかけてくれ」
スズネの姿を見つけると、決意を顔に浮かばせたまま、ベルタが言葉を紡ぐ。
「決断してくれたのね。ありがとう、ベルタ」
「郷を守るのは……当然の事だ……」
「えぇ、そうね。今日、決行するつもり?」
「……カルは、優れた武術者でもある。そう簡単に討ち取れるとは思えない」
「それは困ったわね。刻印を封じる時間は、それほど長くは無いの」
「そうか……だが、カルがそう簡単に隙を見せるかどうか……」
「だまし討ちをするしかないわね。私も協力するわベルタ」
「だまし討ち……」
スズネの言葉に、ベルタが眉を寄せる。
「いや、それは出来ない。討つのであれば、正々堂々と討つ」
「何を言っているの。あなたの主は相当の使い手だって今、言ったじゃないの。確実に勝てると言うの?」
「分からない。一度は負けた……だが、その後、私も鍛錬を積んできている。次は……」
「待ってちょうだい。確実に仕留めなければ意味がないのよ。あなたが負ければ、郷を救えなくなるわ」
「だが……」
「ベルタ、あなたのプライドを満足させる必要は無いわ。私達は、どんな事をしても、郷を守らなければならない。そうでしょう?」
スズネの言葉に納得出来ないのか、ベルタが拳を握ったまま顔を伏せる。
「ベルタ、私だって、あなたの情報を得る為に、この身を人間の好きにさせてきたわ……玩具のように好き勝手されたのも……あなたを見つける為……」
「スズネ……」
「あなたさえいれば、郷を守る事が出来るから。だから、ずっと耐えてきた。娼婦のような真似事もしてきたのよ」
正々堂々と戦う事で自分のプライドを満足させようとしているベルタに――
スズネが苛立ったように語気を強める。
「自己満足の為だけのプライドに固執しないでベルタ」
「く……っ!」
スズネの言葉に、ベルタが傷つけられたような顔になる。
(スズネも……屈辱に耐え、自らを犠牲にしてきた……スズネの言う通りかもしれない……)
スズネの言葉が心に重く響いてくる。
「分かった……スズネの言う通りだ……自分のプライドにこだわっている時ではないな」
決意をしたベルタだったが、まだ感情が揺れ動くのか、その顔は憂いに満ちている。
「いつ? いつ殺すつもり?」
「……闘技会のひらかれる日の夜。その日であれば、カルの注意も闘技会に向けられている筈……」
闘技師として闘技者の情報を分析するのも一つの仕事。
ベルタが闘技に出ない時は、カルが闘技者の情報を分析している事をスズネに告げる。
「分析で疲れているのだったら、お酒でも飲ませればすぐに酔うわね。良いわ。その日まで待ちましょう」
納得したように頷いたスズネの顔に、小さく笑みが浮かぶ。
「郷を守る為よベルタ。私と一緒に郷に戻りましょう」
「あぁ……分かっている……」
主従の刻印が消え首輪を解除出来れば、ベルタが帝都に残る理由は無くなる。
「今週末の夜。あなたの屋敷に行くわ。決行は、その後で」
「分かった」
「ベルタ、これも郷の為よ」
再度、念を押してきたスズネに、ベルタが無言のまま頷き返す。
そんなベルタを見てから、スズネがスッと物陰へと消えていく。
それを見送ったベルタの顔に険しい表情が浮かぶ。
強く拳を握りしめたまま、ベルタは屋敷に戻る為に踵を返した。
(カルを……殺す……しかも、だまし討ちで……カルさえ、私を信じてくれれば……こんな事にはならなかった……)
スズネを前にして、決断したつもりだったベルタだが――
屋敷に戻ると、また躊躇いが頭をもたげてくる。
(いや、これ以上考えては駄目だ……もう、こうするしか手段は無いのだから……)
二度、カルにこの身を解放して欲しいと頼んだが――
カルは一考する事もなく拒絶してきた。
何度頼もうとも結果は同じだという事は、ベルタも理解している。
(だが、だまし討ちをする必要はあるのか……?)
確実に勝つ為には、そうするしかない。
そうスズネは言っていたが……。
(今の私なら……カルにも勝てるかもしれない)
この数週間の間、鍛錬を積んできた事は間違いない。
教練をこなすうちに、実力が上がっている事は、ベルタ自身も分かっていた。
(だが……確実に勝てるかどうかは分からない……)
以前に剣をあわせたが、カルの実力がどれほどなのかは、ベルタは計り切れていない。
(負ける訳にはいかないのだ……)
ベルタの敗北は、郷を救うチャンスを完全に潰してしまう。
「ベルタ、話があるんだが」
「え……?」
煩悶しているうちに、屋敷に戻りソファーに腰を落としていたベルタ。
いつの間にかベルタの前にカルの姿があった。
「な、何だ……?」
「週末の闘技会はどうする? エントリーするなら、闘技場に行かなければならんが」
「あ、そ、そうか……今日は登録の日か……いや、今週は……見送る……」
今週末の夜、カルを討つ。
その為には、闘技会に出ている余裕はない。
「そうか。体調でもすぐれないのか?」
「い、いや、そうではないが……」
気遣ってくれるカルの気持ちが、今のベルタには心苦しい。
「それなら良いが。だったら、今週は見送るとしよう。そうだ。俺は、今日、これから出かける用事があるので、昼食は一人で取ってくれ」
「わ、分かった……そうさせてもらおう」
人の眼を気にせず平常心を保つ鍛練。
最初は、その名目で始まった外で昼食を食べる事も、ここ最近はごく当然の日課になっていた。
既に、人の視線は気にかける事もなくなっていたが、それでも、ベルタはカルとの外での昼食を拒絶する事は無くなっていた。
朝に鍛錬に励み、昼はカルと会話を交わしながら昼食を取る。
それが、ごく当然で、楽しささえ覚えていた事に、ベルタが今更ながらに気づく。
(カルを討てば、このような日を送る事も無くなる、か……)
カル以外の人間と、昼食を一緒にとるという考えは、ベルタには無い。
帝都を後にし、郷の危地を救う事が出来れば――
人間とオークによって蹂躙された郷を立て直し、再び平穏を取り戻すまでは郷に留まる事になるかもしれない。
(私には……やらなければならない事がある……だが……全ては郷を元に戻してからだ……)
いずれは、また自らの目的の為に、郷を出る事にはなるだろうが……。
それは、ずっと先の事になるだろう。
最初はわずらわしさすら感じていた人間達の喧騒の中での生活。
静寂に満ちたエルフの郷で生活する事になれば、このような喧騒に包まれた生活からも、しばし離れる事になる。
「そうだ。ヨウタ達の事もある……」
帝都を離れエルフの郷に戻れば、ヨウタ達と会う事も二度とは無い。
「っっっ」
慕ってくれる子供たちの顔が脳裏を過ると、締め付けられるような痛みが胸を襲う。
自分がいなくなった後、あの子達はどうなるのだろうか?
「私が何とかしなければ……」
自分が居なくなった後も、ヨウタ達が良き道を歩めるようにしなければならない。
「私には、その責任がある……」
ヨウタ達を置き捨て郷に戻るという事に思い当たったベルタが、嗚咽を堪えるように両手で顔を覆う。
「もう時間はあまりない……」
子供達には別れを告げる事無く、帝都を出る事になるだろう。
だが、真相を話す事は出来ない。
(闘技会で得た賞金が、まだたくさん残っている……)
本来は、自由の身になる為に溜めていたお金ではあるが――
カルを討てば、そのお金は必要なくなる。
(ヨウタ達の為に、使おう。どうすれば、良い……?)
お金をどう使えば、ヨウタ達の為になるか。
こんな事でしか、子供たちの力になれなくなる事への哀しみを抱きつつも、ベルタは必死に考えていった。