救出
その頃――
カルは、廃屋の一室で、四肢を拘束されたカルは、男達に取り囲まれていた。
「ちゃんと手紙は渡してきたのか?」
「へぃ、メイドに渡してきたんですが……」
現れないベルタを待つ奴隷商人と、その用心棒たち。
声に苛立ちを含ませながら、ウロウロと室内を歩き回る。
「アンタの奴隷は、何を考えてるんだ? 何故、助けに来ない」
「ははっ、あまり良い主人だとは思われてないんだろうな」
「はんっ! 躾がなってないだけだ。主人が死ねば、奴隷も死ぬ。主従の刻印を交わした意味を分かってないんじゃねぇのか?」
用心棒の一人が、切っ先をカルの喉元へと突きつける。
「止めろ。殺すんじゃない。あの奴隷は、かなり高く売れるそうだからな」
「ちっ!」
「エピファにそそのかされたのか?」
ベルタに執着していたエピファが、奴隷商人を炊きつけたのかと――
探りを入れるようにカルが問いかける。
「ふんっ! アイツは関係ないね! アイツのおかげで、こっちは大損させられたからな! それに、あんたもだ。余計な事を言ってくれてよぉ」
「そうだぜ。俺達は、あの後、あの貧民街の奴らに身ぐるみはがされちまったんだからな」
気を失っているうちに、貧民街の住人達によって服までも奪われてしまった。
その事を思い出したのか、男達の顔に怒気が閃く。
「あんな糞ガキ共を助けたせいで、こんな目にあってるんだ。あんたも散々だなぁ」
「そうか? 俺は別に後悔はしていないがな」
「ふんっ、死ぬかもしれないってのにか?」
「そのうちベルタが来てくれるだろう」
「はっ! 昼過ぎに手紙を受け取ってまだ助けにも来ない奴隷に期待してるのか? はんっ、哀れなものだな」
圧倒的優位な立場にいる余裕が故に――
男達はカルを嘲笑し、言葉で嬲っていく。
「しかし、あの奴隷が来ないとなったら、どうしますか?」
「そうだな。こいつをぶっ殺して、屋敷にある金目のものでも貰っていくか」
認可を得ていない奴隷商人は盗賊と何ら変わらない。
その獰猛な一面を男達が見せる。
「まぁ、そう焦るな。ベルタは来てくれるさ」
「おい、奴隷商人としてお前に教えておいてやる。奴隷を信用する奴は馬鹿を見るだけだ。アレは、モノだよ、モノ。壊れりゃ買い替える。それくらいの気持ちでいな」
人として接しているカルの態度に、奴隷商人が憐憫さえ浮かべる。
「奴隷は死ぬまで使い切る。それが、賢い人間ってもんだぜ」
「そうか……その考えでは、お前はベルタの主にはなれそうもないな」
「はんっ! 奴隷に相応しい主は、きっちり搾り取る事が出来る奴だけさ」
「そんな事をしなくても応えてくれるさ。俺は、ベルタには十分に満足している」
「この状況でもか? そういう甘い事を言ってるから、こういう目にあうんだよ。がははははっ!」
勝ち誇ったような笑いが廃屋に響き渡る。
「お前、もしかして主従の契りに関しても、ちゃんと説明してないんじゃねぇのか? 主人が死ねば奴隷は死ぬ。その事を、伝えてないから助けに来ないんじゃねぇの?」
「さぁ、どうだろうな? だが、知らなかったとしてもベルタは来てくれるとは思うがな」
「けっ! 話にならねぇな。こんな夢見るボンボンを相手にするのは時間の無駄だったか」
蔑みの視線を浴びせかけ、奴隷商人が頭を振る。
「どうしますか?」
この状況に飽きてきている用心棒たちが、商人に決断を仰ぐ。
「あのエルフを手に入れられねぇのは惜しいが。その分、コイツの屋敷から金目の物を奪うとするか」
「へへっ、あの糞ガキ共を売るよりは、儲かりそうですね」
「あぁ、そういう事だ。殺してしまえ」
モノでも見るかのような視線をカルに向けると、商人が躊躇いなく殺せと告げる。
「あのエルフを嬲れなかったのは残念だがよぉ。まぁ、そういう事だ。成仏してくれや」
男の一人がカルの首筋に切っ先を突き立てようとした瞬間――
「がっ!?」
カランッと音を立てながら剣が床に落ちる。
柄を握っていた手に突き刺さっているのは、食事の時に使うフォークだった。
「ふぅぅ。死ぬかと思ったぞベルタ」
軽く息を吐きながら、カルが壊れた扉の方へと視線を向ける。
そこには、気配を消して佇むベルタの姿があった。
「何をしている」
短く問いかけてくるベルタの低い声。
「見れば分かるだろう? こいつ等に捕まってしまった。だから、助けてくれ」
四肢を拘束された姿のまま、カルがベルタに笑いかける。
「くっ! 来やがったか! おい! お前等! 昨日の借りをしっかり返してやれ!」
用心棒たちに命じると、商人がカルのすぐ側に立つ。
「おいおい。お前等、こんな華奢なエルフに負けたってのか? しっかりしろよ」
昨日は居なかった男達が、無防備なベルタを見てゲラゲラと笑う。
「油断しただけだ! 今日はそうはいかねぇ!」
強がって見せながらも、昨日、打ちのめされた男達は、警戒したようにベルタと距離を取る。
「殺しちまっちまったら駄目なんですよねぇ?」
「出来るだけ捕まえろ! だが手に負えないようなら殺せ!」
「分かりましたよ! へへっ、エルフか。珍しいから高く売れるって話しだからよ、大人しくしてりゃ痛い目に合わずに済むぜ」
「黙れ……下衆め!」
「てめぇっ!」
突き放すベルタの言葉に、青筋を浮かばせると――
男がベルタに向かって襲いかかる。
巨漢を誇る男だが、その分スピードは遅い。
抜きんでた瞬発力を誇るベルタにとって、相手の直線的な動きを避ける事など他愛のない事だった。
無防備に両腕を突き出し、ベルタを捕まえようとする男の懐に潜り込むと。
「はぁぁああっ!」
裂ぱくの気合いと共に、掌底を叩き込む。
「がっ!? がはっ!」
奴隷商人の雇われ用心棒。
その巨漢で弱者ばかりを威圧してきた男が――
ベルタの一撃で一瞬にして気絶してしまう。
グリンッと白目を剥くと同時に、そのまま前のめりに倒れ込む。
「くそっ! やっちまぇっ!」
一番の巨漢が倒された事に怯みを見せながらも――
数を頼りに男達がベルタを取り囲む。
ベルタに逃げ場はない。
だが、昨日、ベルタに打ち倒された二人の男達は、他の男達と違い、僅かながらも怯みを見せていた。
その怯えをつくかのように――
「ひっ!?」
ベルタが一人の男めがけて、筋肉のバネを解放し、一気に間合を詰める。
そのスピードに怯んだ男が包囲を崩す、
すれ違いざまに手刀を叩き込むと同時に、包囲の輪を突破する。
囲みを破った同時に反転すると、もう一人の男の背に鞭をしならせる勢いの蹴りを喰らわせる。
「がはっ!?」
瞬く間に二人の男が、床に伏す。
「な、何だ、こいつは……!」
計三人の男が、瞬時に打ちのめされた。
その事に、残りの男達の間に怯えが生じる。
「う、うわぁっ!」
一人が悲鳴を上げ、背を向け逃げ出した瞬間――
恐怖にかられた男達が、廃屋の出入り口に向かって我先にと逃走し始める。
「逃がさんっ!!」
脚力を誇るベルタが、瞬く間に男達の背中に駆け寄ると――
一人、また一人と手刀で打ちのめす。
そのまま出入り口へと先に回り込む。
「くそっ! 舐めやがって!」
逃げ道を塞がれた事で、ヤケになった男達がギラリと刃物を閃かせる。
「ぶっ殺してやるっ!」
通常の相手であれば、刃を見せればそれだけで怯む。
その脅しすら、ベルタには通じない。
昂る感情が、戦いを楽しんでいるかのように――
ベルタの頬が紅潮し、獰猛な笑みが浮かぶ。
「ひっ!?」
その威圧を感じ取った男達は、完全に圧倒されてしまっていた。
先ほどまで、あれほど余裕を見せていた男達が窮鼠と化し――
「おぉぉぉぉおっ!」
やけくその大声を上げてベルタに突っかかる。
突き出されたナイフの切っ先をヒラリと身を滑らせて交わす。
すれ違い様に、膝をみぞおちへと叩き込むと、また一人の男が一撃でのされてしまう。
「はぁっ、はっ、何なんだお前はよぉっ!」
既に用心棒たちの数は三人にまで減らされていた。
四人を打ち倒すのに息一つ乱していないベルタの実力は、嫌でも思い知らされてしまっている。
逃げ道を塞がれた男達には、ベルタを打倒す以外の道は無い。
「くそっ! お、おいっ! 全員一緒に行くぞ!」
かろうじて残っている闘う気持ちを奮い立たせ、仲間に声をかける。
「わ、わかったぜ! か、覚悟しろよ!」
三人同時にかかれば、全ての攻撃をかわすことは出来ない筈。
そう踏んだ男達が、生唾を飲み下すと同時に、ジリジリと間合を詰めていく。
「い、いくぞっ!」
「おらぁああっ!」
男達がそれぞれにぶつかりあう勢いで、ベルタに向かって突っ込んでくる。
哀れなまでの必死の攻撃に、ベルタはピクリとも動揺を見せない。
一見、三人同時にかかってきているようで――
それぞれの心理状況が影響しているのか、攻撃には僅かなズレがあった。
一瞬でしかないズレではあったが、それを見逃す事無く真っ先に切っ先を突きつけてきた男の攻撃をクルリと回転をしながらかわすと――
その勢いのままに、二人目の男の顔面に裏拳を叩き込む。
「ひぎっ!?」
鼻血を拭きながら仰向けに倒れ込む男を見た、三番目の男が突進するスピードを緩めてしまう。
その男の顎を、つま先で思い切り蹴り上げるベルタ。
「がぶっ!?」
顎の砕ける音と苦悶の呻きを漏らし、男の体が宙を浮く。
ドスンッと重く鈍い音と共に、三番目の男が泡を吹きながら倒れ込む。
「ひぃぃっ!」
最初に突っかかってきた男は、バランスを崩しへたり込んだまま、二人の男が鮮やかに打倒されるのをガクガクと震えながら見つめていた。
「た、助け……っ! んがぁあっ!?」
助けを乞う声を遮るように、ベルタが回し蹴りを顔へと叩き込む。
吹っ飛んだ男が壁にぶつかり、そのままガクリと意識を飛ばす。
「ふぅ」
用心棒を全員打ちのめすと、ようやく小さく息を吐き出すベルタ。
「うっ、あぁっ、な、何だお前は……」
最後に一人残った奴隷商人が、ポカンとなったまま一連の光景を見つめていたが――
ハッと我に返ると、ナイフをカルの首筋に突きつけた。
「お、おぃ、近づくな! 近づくと、こいつを殺すぞっ!」
ガクガクと震えながら、カルを人質にする奴隷商人。
その様を眉をしかめながらベルタが見る。
「へへっ、主従の刻印があるんだろう? コイツが死ねば、お前も死ぬぞ!」
主従の刻印を刻まれた従者は、主が死ねば自らも死ぬ事になる。
それを利用して、奴隷商人がベルタを脅しにかかる。
動きを止めたベルタを見て、脅しに効果があった事を確認出来たのか――
奴隷商人がホッと安堵したような表情を浮かべる。
それと同時に、薄汚い笑みを浮かべ、先ほどまでの怯えていた自分を忘れてしまったかのように、傲慢な態度へと変化していく。
「へへっ、ったく、何を焦ってたんだ俺は。最初から、こうしておけば良かったんだ」
再び、自分が優勢になっている事を確認すると、奴隷商人がベルタを見ながら舌なめずりをする。
「やってくれたなぁ。さて、この落とし前はどうつけさせてもらうとしようか。おっと、動くなよ。まだ死にたくないだろう?」
ベルタを制するように、ピタリと刃をカルの喉元に押し当てる。
「……殺したければ殺せば良い」
黙っていたベルタが、短くそう言ったかと思うと、一歩足を前に踏み出す。
「なっ!? う、動くなって言ってるだろう!」
再び奴隷商人の顔に激しい動揺が浮かぶ。
「お、お前のご主人様が死んでも良いのか!?」
「殺したければ殺せと言っている」
また一歩、ベルタが足を踏み出す。
「ほ、本気だぞ! 俺は、本気だからな! 動くんじゃねぇっ!」
切っ先が首の皮に突き立つと、ツツッと赤い血が滴り落ちてくる。
「ははっ、ベルタ。前にもこんな事があったな」
森での野盗との一戦を思い出したのか、この状況でもカルが面白そうに笑う。
「よく人質になる男だ……貴様は……」
カルが笑ったのを見て、ベルタが呆れたように頭を振る。
「な、何を笑ってやがる! 俺が本気じゃねぇえと思ってるな!? くそっ! 死ねっ! 今すぐぶっ殺してやるっ!」
激高した奴隷商人が、ナイフを持つ手をふり被る。
「失敗したな。それじゃ、ダメだ」
その動きを見て呟くカル。
「へぶしっ!?」
カルの言葉が終わる直前に、無様な呻き声が被さってきた。
床を蹴ったベルタが奴隷商人の鼻筋に拳を叩き込む。
馬車にはねられたかのような勢いで吹き飛ぶ奴隷商人。
床にゴムマリのように叩きつけられると、ピクピクと痙攣し、そのまま動かなくなる。
「さて、と。これを外してもらえるかな。」
拘束具を外すようにとベルタに頼む。
「貴様なら、この程度の男達に後れを取る事は無い筈だ……どうしてだ?」
カルの実力はベルタが一番知っている。
自らが息を乱す事無くに打ち倒した男達にカルが捕まっている。
その疑問を問いかけるベルタ。
「まぁ、お前が助けに来てくれるのは分かっていたからな。闘うのも面倒だし、ベルタに任せようと思っただけだ」
「な……っ!?」
あまりにも能天気な返事。
その答えをベルタは予期していなかったのか、一瞬、呆気に取られた顔になる。
「馬鹿か貴様はっ!?」
「ん? 俺は、ベルタが助けに来ると信じていた訳だし、実際に来てくれただろう? 馬鹿とは言えないと思うがな」
カルの言う通り、人質になってもベルタが助けに来たのは事実。
「この程度の男達に負けるようでは、お前を買った俺の眼が曇っていたって事にもなるからな」
「く……っ! き、貴様を助けにきたんじゃない。貴様が死ねば、私も命を断たれてしまう……だ、だから、来ただけだ」
信じているといったカルの言葉に赤面しながら、ベルタが忌々しそうに拘束具を外していく。
「主従の契りがなければ、貴様を助けになど来るものか! 私は自分を守る為に来ただけだ」
勘違いされては困ると、ベルタが声を大にして主張する。
「それも含めて信じていたって事だよ。なかなか良い戦いぶりだったぞベルタ」
「くっ……まさかとは思うが……私に実戦を積ませる為に、人質になったのではないだろうな……?」
「いやいや。そこまで深慮遠謀な考えはないよ。たまたまだ、たまたま」
頭を振るカルだったが、ベルタは疑わしそうにジッと見つめる。
「さて、こいつ等をどうするかだが……」
「うぅぅぅ」
気を失っていた男達が、少しずつ意識を取戻し始める。
「お前達……二度と、この街に近づかない方が良いぞ。次に見かければ、命の保証は無いと思った方が良い」
「ひぃっ」
カルの言葉に、男達がガクガクと震えながら何度も頷く。
そんな男達を冷たく見下ろすベルタ。
ベルタの実力と冷酷さを、男達は十分に思い知らされた。
仕返しをしようとする気は微塵も無いかのように、震えっぱなしになっている。
「さっさと消え失せろ。二度と私の前に現れるな」
「ひぃぃぃっ!」
悲鳴と共に、這う這うの体で男達が廃屋を出て行く。
「これで、良かったのか?」
命の危機すらあったにも関わらず、男達を逃がしてしまった。
その事に、少なからずベルタは不満を覚えているようだった。
「まぁ、これで良いだろう。二度と、あの子達にも近づく事はないだろうしな」
「ん? どういう意味だ……?」
「いや、気にするな。では、戻るとしようか」
何事も無かったかのように平然と歩き出すカル。
(やはり、私に実戦をさせる為に、あえて人質になっていたのではないのか?)
そんなカルを見るベルタの脳裏に、先ほどの考えが浮かんでくる。
だが、それが真実かどうかは、探り出す術も無い。
(何事も無かったのだ……良しとするか。だが……私も随分と楽観的になったものだな……)
以前のベルタであれば、先ほどの薄汚い人間共を到底許す事は出来なかっただろう。
だが、不思議と、あの男達を逃がした事にも、それほどの強い怒りは感じなくなっている。
(カルに感化されてきているというのか……? いや、そんな事は無い。私は私だ……)
自分は何も変わっていない。
そう思おうとしながらも、その考えを否定する気持ちがベルタの中にある。
(そう言えば……カルと普通に話をしているな……)
昼食の時までは、まともにカルと言葉を交わすことも無かったが――
今では、以前のように普通に話をしている。
「どうしたベルタ? 帰らないのか?」
「今、行く」
また昼の時のようにカルと会話を拒絶するのも、今更な気にもなる。
(まぁ、良いか……もしかして、私と仲直りしたいから、人質になったのか? いや、そんな筈は無いな……)
カルの事をあれこれと考えてしまう自分が、どうかしてしまったのではないかと――
そう思いながらも、ベルタは無意識のうちにカルの事を考えてしまっていた。