出会い
人々が行きかい活気ある声が混じり合う市場。
呼び込みの声に足を止める客と、店の主人との間で値段の交渉が始まる。
大陸に覇を唱えるマルス帝国の帝都マルベニアにある市場。
この市場は、広大な帝都の中でも一際異彩を放っていた。
その原因は――
市場内に建てられたテントの中に並べられている商品にある。
奴隷市場。
帝都に住む人々から、そう蔑まれ呼ばれる市場が、このハーファー市場だった。
召使、娼婦、小者等々、ありとあらゆる職種に対応する為の――
様々な人々が、この市場では奴隷として売り買いされていた。
扱われる商品は人間だけでなく、森や大地を住みかとする亜人種までもが、商品として並べられている。
それらを値踏みしながら、金にモノを言わせる商人や貴族たちが市場を闊歩する。
「おっ! カルの旦那!」
雑踏の中を歩く端正な面立ちをした一人の男に、商人が声をかける。
派手さはないが品の良い服を着た男は、見た目には貴族の子弟にも見える。
呼びかけられて立ち止まった若い男が、店主の方へと顔を向ける。
「久しぶりだな」
「えぇ、えぇ、カルの旦那が、御前闘技会で優勝して以来ですよ」
「もうそんなになるか」
「へへっ、どうですか? 新しい闘技者は見つかりましたか?」
「いや、なかなか、な……」
揉み手をする商人に、カルと呼ばれた男が頭を振ってみせる。
「そいつぁ良かった。ぜひ、うちの商品を見ていって下さいよ」
「……」
商人の言葉を聞いたカルが陳列された商品――奴隷女たちを見る。
「止めておこう。時間の無駄だ」
一瞥したカルが頭を振って、止めていた足を踏み出しにかかる。
「ち、ちょっと待って下せぇよ。ここにある商品じゃないんですよ。とびっきりのが奥にいるんでさぁ」
袖に取りすがる商人を煩わしそうに見たカルだったが――
「……分かった。見せてみろ」
仕方ないといった感じで軽く頷き返した。
「へへっ、そうでなくっちゃ。どうぞどうぞ、こっちですから」
一転、満面の笑みを浮かべた商人が、カルをテントの中へと案内する。
異臭を誤魔化す為に、香料がふんだんにまかれているのか――
鼻の奥にツンッとした刺激が伝わってくる。
「こいつなんですがね」
テントの奥にある壁の前には、一人の女性が鎖に繋がれている姿があった。
「ほぅ、エルフ、か……しかも褐色の肌に銀髪とは……」
真っ直ぐな長い銀髪が海藻のように床に広がっている。褐色の肌と長い耳。
鋭く光る切れ長の瞳を持った褐色のエルフの姿に、カルが小さく驚きの声を漏らす。
「いかがですか? なかなか凶暴なやつでしてね。闘技者にはピッタリだと思うんですがねぇ」
「そうだな……」
筋骨隆々という訳ではないが、引き締まったバネのありそうな筋肉。
しなやかな体は、スピードとパワーを兼ね備えているようにも見える。
「悪くは無い」
頷いたカルが、鋭く視線を送り込んでくるエルフを真っ直ぐに見つめる。
挑戦を受けるかのように、紺碧の瞳がカルを睨み返してくる。
「ふっ、なかなかふてぶてしい顔をしている。この状況にも絶望していない、か」
四肢の自由を奪われ、今まさに奴隷として売買されようとしている。
その絶望の中でも、切れ長の瞳には屈した気配は微塵も浮かんでいなかった。
「エルフともなれば、高額で取引されている筈だが……」
エルフから商人へとカルの視線が移る。
希少種であるエルフともなれば、大枚をはたいても惜しくないという、欲にまみれた者達は数えきれない程にいる。
それにも関わらず、テントの奥でこうして人目を隠すようにして拘束されている理由を問いかける。
「へへっ、さすが旦那は鋭いでさぁねぇ」
「何が理由だ?」
「実は、こいつは、まぁ、お下がり品と言いますか中古品と言いますか……」
いかに高く売りつけるかが、商人にとっての重要事項。
商品の瑕疵に関しては、誤魔化す為に曖昧に言葉を濁す。
「正直に言えないのなら、この話は無しだ」
踵を返そうとするカルの態度に――
「ま、待って下せぇよ旦那! 分かった分かりやした。正直に言いますから」
慌てた商人が、エルフを手に入れた経緯を話し始める。
「このエルフは、まぁ、とあるお金持ちに買われていたんですがね。それが、まぁ、どうにも手のつけられない凶暴な奴だったらしくて……」
「その……色々躾けようとしたらしいですが、手に負えないって事で、あっしが買い取ったんですよ」
「エルフを飼い馴らす方法なら、金持ちであればいくつもある筈だ」
希少種であるエルフを、自分だけのモノにする。
その為の調教師も存在している筈。
現に、エルフを飼い馴らしている貴族や金持ちは存在している。
カルの問いかけに商人が愛想笑いを返すと――
「それが、ですねぇ。腕利きの調教師も手に負えないって事だったんでさぁ」
「それ程、か……」
「いや、だからね。闘技者としてだったら、その力を発揮できるじゃねぇかと思いましてねぇ。旦那に声をかけさせてもらったんでさぁ」
「ふむ……」
何としても売りつけようとする商人のおべんちゃらを聞きながら、カルが再びエルフへと視線を向ける。
エルフの瞳は、先ほどからずっとカルに注がれたまま動かない。
「面白い。なかなか躾がいはありそうだ」
「だ、旦那! だったら、買っていただけますよね!?」
カルが興味を持っているのを察知すると、商人がパッと顔を輝かせる。
「魔法はどうなっている? このエルフの魔法属性は何だ?」
「えぇっと、ですね……それが……」
闘技者として鍛えあげ、闘技大会に出して賞金を稼ぐ。
当然、魔法が使えるエルフは、それだけでも他の闘技者よりも有利になる。
魔法の事を問いかけるカルに、また商人がモゴモゴと口ごもる。
「どうした?」
「このエルフ、魔法は使えないらしんでさぁ」
魔法が使えない。その言葉が商人から発せられた瞬間――
「っっっ!」
今まで無言だったエルフが、小さく呻くような声を漏らした。
エルフは人間などは足元にも及ばない程の魔力に秀でた種族。
にも関わらず魔法を使う事が出来ないという事実に――
耐えがたい屈辱を感じているのか、エルフが初めてカルから視線を逸らした。
「くくっ、あははははははははっ!」
「だ、旦那? どうしたんですか?」
突然笑い声をあげたカルに、商人とエルフが同時に視線を向けてくる。
「いや、いい。分かった。このエルフは俺が買おう」
「ほ、本当ですか!?」
「あぁ、お前の言い値で買おう。確かに、これは堀出しものだ」
「あ、ありがとうございます! 旦那!」
不良在庫になりかねなかったエルフを売り払えた事に、商人が満面の笑みを浮かべる。
「では、お代の方は……こんな感じでどうでしょうか?」
「分かった。今すぐ払おう」
「ありがとうございます」
ホクホク顔になった商人が、カルが差し出した札を受け取る。
金貨を持ち歩かなくとも、魔法アイテムを使えば、この札によって決済をする事が出来る。
「はい。確かにお代はいただきやした。それじゃ、今から主従の刻印を交わしますんで」
主従の刻印とは――
買われた奴隷達が主に逆らえないようにする為に作られた魔法。
誰の所有物であるかを示す刻印が奴隷の肌に刻まれる。
刻印には魔力が込められ、もし、主を傷つけるような事があれば――
その傷は刻印を刻まれた従者にも向かう。
主が死ねば従者も死ぬ。
主と一蓮托生となる事を魔法によって定められるのが、主従の刻印であった。
「く……っ!? うぐっ! うぅぅ……」
褐色の肌に浮かび上がってくる刻印。
その痛みに整った顔を歪み、僅かに呻くような声を漏らす。
だが、怒りに滾った瞳は相変わらずカルへと向けられたままだった。
「終わりやしたよカルの旦那。これでこのエルフは、旦那のモノですぜ」
刻印が刻まれていることを確認すると、商人が壁に打ちつけられていた両腕の拘束を解除する
手に余っていたエルフを売却できた事にホッと安堵したのか――
油断し切った商人がエルフに背を向ける。
「!!!!!!!!」
凝縮させていたバネを一気に解き放つかのように、エルフが商人の背中向かって、その細い体を弾けさせる。
「ひぃっ!?」
眼前に迫る怒気と憎悪に塗り込められた顔を見た商人が、顔を真っ青にして小さく悲鳴を放つ。
細く長い指が男のたるんだ首筋にかかろうとしたその瞬間――
「止めておけ」
カルの手が、しなやかな褐色の腕を掴んでいた。
「くっ……!!」
「お前は、俺のモノになったんだ。他人を傷つけられると、俺が困る」
「私は……貴様のモノになったつもりなどない!」
よく通る凛とした声と、屈しない態度のまま、切れ長の瞳がカルを睨み返す。
「はぁっ、はぁっ、旦那……さ、さっさとそいつを連れて帰っておくんなせぇ」
死の恐怖を感じたのか、息を乱し冷たい汗を流しながら、商人が忌々しそうにエルフを見る。
「……お前も、まだ死ぬつもりはないんだろう? 死ぬつもりなら、とっくに命を断っている筈だからな」
「っっっ……」
「その首輪をつけられている限り、この街からは出られない。それも分かっている筈だ」
奴隷の証としてつけられた首輪。
この首輪もまた、魔法アイテムの一つだった。
奴隷が勝手に逃亡をしないようにと、首輪をつけられていた。
主の許可なく帝都を出た瞬間、首輪内に取り付けられた針が飛び出し、毒液を注入する。
奴隷達にとっては、自由を妨げるおぞましい魔法アイテムの一つだった。
「どうした? 答えろ。死ぬつもりはないんだろう?」
「……私には、まだやらなければならない事がある」
視線を伏せたエルフが絞り出すような声で呟く。
「死ぬつもりが無いのなら感情的にならないことだ」
「く……っ!」
奴隷の身で市民に手をかければ、裁判をする事もなく処刑が決まる。
それ程に、奴隷達は厳しく管理統制されていた。
「しかし、鉄球の重石をつけたままで、これほど動けるとはな……確かに、闘技者向きではある」
スラリと長い脚に込められた強烈な筋力に、カルが感嘆の呟きを漏らす。
「足枷も外してやってくれ」
ビクビクと怯えながらも、商人が鉄球のついた足枷を取り外す。
「ついて来い」
短く呟いたカルが、エルフを一瞥する事もなく歩き出す。
従わざるを得ない。そう確信しているカルの背中を、褐色のエルフは貫き通しそうな鋭い視線で睨みつける。
だが――
言う通りにするしかない事を思い知らされたかのように、裸足のまま歩き出す。
「ふひぃぃぃ、全く……儲かったから良いが、ヒヤヒヤさせられたぜ」
一人になると腰が抜けたように商人が、地べたにへたり込み、大きく息を吐き出した。