58話 眠る者
「おまえを殺したい理由はいくらでもあるんだが」
この声は相手の耳に届いていないのかもしれない。いや、そうに違いないとネロは理解している。
「例えば……数年前に俺が作っちまった子供だ」
気を強く保つために自分を語る。内から迫り上がってくるものと、外から侵食してくるものに抵抗しなければならない。
「あれは俺の意思で殺すべきだった。それをおまえが――」
俺の意思を奪った。絶対的な力で、さも虫の死骸を紙くずにくるんで捨てるかのように。造作もないことだと言わんばかりに。
「俺は、俺の人生を生きる。おまえが邪魔だ」
テイザーは何も言わない。ネロの期待を無視する。
ネロは歩く。廊下に敷かれた死体、銃、破片、薬莢。血を吸った絨毯の感触。逃げ場のない悪臭。
拳銃を落としてしまう。弱った握力と乾かない血のせいで銃把が重く、大きく感じる。拳銃を両手で拾い上げる。心地悪いぬめりがまとわりつく。鉄の塊のくせに。
階段にさしかかった時、壁の陰に潜んでいた兵隊がネロを襲った。わけもわからない内に足をすくわれ、転倒し、頬を破片で切り、更にはうなじに銃口らしき硬いものを当てられた。
「ネロ、ここで何をしている」
「もう目的なんかないさ」
「テイザーはどこだ」
「死んだよ」
「死体の所まで案内しろ」
銃口の圧迫感に逆らって起き上がる。
「痛そうだ」
リドの左目は充血し、虹彩がずれている。肩に下げている突撃銃はエルボー軍のものだ。
促されるがままに、拳銃二丁とナイフ一本、全部の武器を渡した。リドの拳銃が指し示すように、ネロは来た道を戻る。テイザーの亡骸までの案内人になる。
最も奥の部屋のドアを死体が塞いでいた。顔を伏せてあっても、その拘束された姿はどう見てもエバンスだったが、確信を持って生死を判断するには損傷が少ない。ぼんやりと眺めていると、まだ死んでいないという気がしてきた。
「拳銃を貸してくれ」
「闇雲に手を汚すな」
つまらない正論でエバンスへの関心が失せた。そもそも、もう目的はなかったのだ。 血で汚れたドアノブを回す。何気ない動作で掌が捻じれ、痛覚が冴えてきた。肋骨までじりじりと痛みだした。
虎目石の暴君がお待ちかねだ。
「無様なもんだろ」
「おまえがやったのか」
「いいや」
「これがテイザーだと言い切れるのか」
「わかるさ。俺を養育して、無力にした男だ」
潰れた顔からは、それがテイザーであるという証は見つからない。
「これがテイザーだ」
ネロはリドに指示されて、死体の左の前腕に古い切り傷があることを確認した。これによりリドもテイザーの死を確信した。
肋骨の痛みが鮮明になった。その影響で呼吸に違和感が生じる。
リドが煙草を取り出した。
「何があった」
「虎目石をクビになった後、エルボー軍に加わった。だが、カートライトを殺しちまった。テイザーも殺すつもりで探したら、この有様だった」
くさい煙がネロの肺にまで流れ込んでくる。こんなものは腐臭だ。リドもテイザーと同様に死にたがっている。
「ここに籠城する。外が安全になるまでな」
「警察が突入して来るぜ」
「その時は諦めて投降しろ。死ぬよりは良い」
「自動車爆弾に吹っ飛ばされるのとどっちがマシだ?」
「知るか」
「塀の中? 冗談じゃない」
息をするのも喋るのも億劫だ。痛い。
「俺は、生き死にを含めて人生を徹底的に捻じ曲げられてきた。そして、全部をしくじった。もう御免だ」
「死にたいなら死ね」
ネロはベッドに座った。時折、自分がどこを見ているのかわからなくなる。目を閉じる。
「俺がおまえを助けたのは、ある人の恩に報いるためだ。おまえのことはどうでもよかった」
聴覚だけが生きている証明だ。体が脈打ち、その存在を意識に拾い上げている。
「少なくとも俺の意思がどうかなんて、おまえには関係ないんだ」
その通りだ。
「そうだな」
当然だ。
「ロットロンには会ったか?」
「野郎、裏切者のくせに虎目石に戻りたいとほざきやがった」
「それで?」
窓の外からくぐもった銃声が聞こえた。女の悲鳴や野太い怒号が混じり、ホテルの周囲を賑やかす。そして、銃声に次ぐ銃声。
「誰もわからないように男前にしてやった」
「”新しい人生”だな」
何か言いかけたリドだったが、含み笑いで言葉を飲み込んだ。




