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敗者達とネロ  作者:
7章 少年期の終わり
43/62

42話 二つの要求

 車は海岸通りに差しかかった。キコ海の浜辺は閑散としていた。海で遊びたがる人間はしばらく現れないだろう。今はもう週が変わる毎に気温が下がり、日照時間が短くなる時期だ。近づいてくる厳寒が憂鬱で仕方がないが、ネロは寒くなくても憂鬱だ。

 浜辺の向かいにある豪奢なホテルを通過し、市街地に入った。そして、一分も経たない内に別のホテルの駐車場に到着した。

 海岸沿いのホテルが金持ちの嗜好に寄り添った保養施設であるなら、こちらは格式を排した気軽な宿だ。花壇が並ぶ駐車場にネロは降ろされた。ここがエルボー商会の根城なのかはまだわからない。

 ボルガスのタバスカン収容所もただのホテルだった。客が皆無であったとはいえ、堅気にも開かれたホテルに捕虜を軟禁する理由が当時のネロにはわからなかった。だが、確かな利点はあった。ホテルは、集団生活に適した施設であり、不特定多数の人間が出入りしても不自然ではない。

 ネロは迎えの二人の誘導に従った。エントランスを素通りし、客室で身体検査を受けた。何もかもが滞りなく進み、再び案内人についていく。相変わらず無駄口を叩く者はいなかった。

 ホテルの制服を着た者達を堅気とギャングに識別する試みは、ネロの観察力では無理があった。なんとなく堅気だろうと印象付けられるのだが、堅気以上に堅気らしく振舞うギャングもいる。

 だが、今すれ違おうとしている男は堅気であると断言できる。緊張感を欠片も臭わせない、杖を突く年寄りだったからだ。

 つまり、このホテルには堅気の客とエルボー商会の残党が混在している。堅気という盾が存在するからには、仮に虎目石の会に攻め込む用意があったとしても実行できない。抜け目ないカートライトの顔が目に浮かぶ。

 三階に踏み入れると、足元の感触が変わった。弾性に富んだ絨毯はいかにも値が張りそうな品だった。高級家具の出現は、親玉との接近を予感させた。以前、エンジュリーアと一緒に観た映画から得た教訓だ。

 案内人が客室の前で止まり、扉をノックした。扉越しのくぐもった返事。カートライトの声だ。

 ネロは促されて入室した。ところが、ソファーに深々と腰かけている若い男に見覚えがない。他に人はいなかった。カートライトではない、そう思ったが、その顔に違和感を覚えた。よく整った顔立ちの優男のようでありながら、目に暗く不穏な眼光が走り、物憂げだった。これが病院に現れた焼けた肌の男の素顔だと察した。

「変装だったのか」

「無闇に顔を晒せば、命取りになる」

 あらためてカートライトの声を聞くと、病院でのやり取りを思い出す。中年の外見に不似合いな若々しい声。気味が悪かったわけだ。

 客室は身体検査を受けた客室よりも上等だった。ソファーを始めとしたあらゆる家具がいちいち大きく、それに見合った広さがある。バスルームまで備え付けられている。

「どうぞ、座って」

 ネロがソファーに座ると、テーブルに二人分のコーヒーが並べられた。どうやら客としてもてなされているらしい。ネロとカートライト以外の全員が退出した。護衛すら置かない部屋に、対面して座る二人だけが残った。

「君の意思を聞かせてもらいたい」

 カートライトは肘掛と体の間にクッションを噛ませてもたれかかっている。頬杖をついて顔を傾かせた。

「あんたに協力する」

「なぜ?」

 カートライトはその問いを準備していたようだった。短く問い返す口ぶりからは大儀そうな印象すら受けた。

「僕が話した陰謀論や、あの荒唐無稽な遺書、そして、僕を信用するのか?」

「大事なことだとは思えないな」

 そんなはずはない。うまく納得できないだけだ。しかし、ネロには真偽よりも戦う動機が必要だった。自分を持て余すことに耐えられない。

「エンジュリーアの面倒を見ないとな」

「素敵な彼女だ。でも、君が彼女に尽くすのは意外だな」

「あいつだけは特別だ」

 偽りのない言葉を吐いたつもりだ。だが、不貞を働いていた男の言葉はなんと軽いことか。カートライトもそう言いたいに違いない。

「二つ言わせてもらう。エンジュリーアを金銭的に援助しろ。身の安全も保障してもらう。それと、あいつに近づくな。まずそれが一つ」

 いきなり三つも要求してしまったが、構うものか。

「あんた、狙撃銃の撃ち方を教えてくれるらしいな」

「その流言飛語は初めて耳にしたよ」

「軍隊で使うような武器を隠し持ってたんだろ?」

「あれらは、武器調達を担当した者の蒐集品のようなものだ。当然、建前があって集めたものだったが。……強兵運動の一環さ」

 物憂げだったカートライトの目にかすかな力強さが宿る。まるでネロへの興味を深めたかのように。

「その強兵運動に俺を加えろ」

「君という証人を危険から遠ざけておきたいのが本心だ」

 要求を読まれていたとネロは感じた。言葉を選ぶ素振りも見せず、淀みなく話すカートライト。

「しかしそれでは、君は口をつぐんでしまうのだろうね」

 カートライトはコーヒーで口を湿らせた。

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