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敗者達とネロ  作者:
7章 少年期の終わり
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38話 死者の記憶

 刑事はパニーノを紙袋にしまった。ネロがそれに触れようともしないからだ。

「行きましょうか」

 ネロは刑事の後に続いて二階上の四階まで昇った。高い場所に誘導されれば逃げるのが難しくなる。それでも刑事に従う以外の選択肢はないように思えた。

 途中で小走りで駆けていく看護師と二回すれ違った。看護師が忙しく働く四階には、そういった労力を特に必要とする患者が集められているのかもしれない。

 案内された病室の入り口に、エンジュリーア・メアリスと書かれた表札が掲げられていた。

 ネロの胸が鳴った。心臓を初めて動かしたような衝撃をその身で感じ、こめかみが震えた。

 エンジュリーアはガズウィスの恋人だ。そして、ガズウィスがネロになったことを知らない。

 ノックの音に無反応な病室。そのドアを刑事が開けた。

「彼女もベイド事件の被害者です。今でも傾眠が続いているそうです」

 今でこそ変哲のない黒髪を生やしているネロだが、染料をぶちまける前の髪は赤かった。唯一の例外を除けば、誰一人として同じ色はいない。その例外がエンジュリーアだった。にもかかわらず、エンジュリーアの髪は刈られ、頭と顔の右半分は包帯に隠されている。

 容量の少ない点滴につながれ、意識を保つこともままならないこの少女をエンジュリーアと認めることは、ネロに強い屈辱を与えた。記憶にあるエンジュリーアと少女を結びつけるものは、際立った美貌だけだ。そして、それすらも酷薄につけられた傷に貶められている。やつれている。元から色の白い少女だったが、こんな病人の肌ではなかった。

 言葉が出てこない。殺してやれと言いたかったが、本心ではないような気がして何も言えなかった。

「ベイド事件は虎目石の自作自演でした。商会の孤立、ベイド・ロスの殺害を目的としたものです。偶然にも彼女は謀略の犠牲になってしまった」

 不穏な感情が頭の中でたぎり、逆に血潮を冷ましていくようだ。この場を壊すためにどんな理由が必要かを冷めた頭で考える。

「謀略か。おまえらの存在こそがそれだろうが」

 刑事とカートライトはおぞましいことこの上ない手段でネロを利用し、使い潰そうとしている。どんな脅迫を持ち出されようとネロは取り合わないと決めた。それでも、その意思を貫く自信はすでに挫かれつつある。目の前にはエンジュリーアがいる。卑劣な者達の手の中で、声も上げられずに眠っている。

「この手紙が、商会が例のドラッグに関与していない証拠になります」

 刑事が封筒から取り出した手紙を読み上げる。



 エンジュリーアへ。

 この手紙を書き終えたら、友達のアレックと死ににいきます。

 大変なことをしてしまいました。せめてエンジュリーアには謝りたいと思います。

 ガズウィスにシッポを使わせたのは私です。アレックに調合してもらった特別なシッポで、キメれば強烈すぎて死にます。私はガズウィスは助からないと思います。

 ガズウィスが浮気をしているのを見ました。その女の部屋で寝泊りしているのも。許せませんでした。だから、女が勤めている美容室に通って、女に二人分のシッポを渡しました。

 エンジュリーアと最後に電話で話した次の日に、アレックに呼び出されました。私達のシッポがきっかけでギャング同士の戦争が始まるそうです。危険なシッポが出回ったせいで、他のクスリが売れなくなり、ギャング達がお互いに責任の所在を求めて争うそうです。シッポの出所が私達であることはすぐ知られてしまいます。

 私とアレックは、二人の愚かさが招いた大罪を負って死にます。

 エンジュリーアにだけ事実を伝えます。ささやかな償いになればと思います。ごめんなさい。

 この手紙は、読み終えたら焼いてください。

 人の心がわからないエレイナ・アインスより。



 ネロは目の前にかざされた手紙からすぐに目をそらした。聞いているだけで徒労感を吸い込んでいるようだった。

 手紙の中で死んだガズウィスが、自分とは別人のガズウィスであるかのように聞こえた。手紙の内容は不出来なでたらめに思えたが、明らかな虚偽と断定できる点はない。エンジュリーアにエレイナという友人がいたのは知っているし、ネロも会ったことがある。だが、殺意や好意を持たれるほど親しい関係ではない。とにかく、自分の問題として受け止めるには荒唐無稽だった。馬鹿共の暴走は、不貞を働いた別の馬鹿から動機を得、よその馬鹿に抗争の大義名分を与えたらしい。

「この街に馬鹿しかいないことが証明された気分だ」

「エンジュリーアさんは回復に向かっています。だが、以前のような健常者として生活するのは難しく、それでいて独りで生きていかざるを得ない状態にあります。彼女には家族がいません。唯一の親類は離婚調停に入っていて、姪の世話まで手が回らない。彼女の助けになれる存在がいるとすれば、ガズウィス、それとカートライトだけです。彼はガズウィスの協力を得られるなら、エンジュリーアさんの経済的な力になると言っています」

 想像通りのきな臭い話が出てきた。

「俺が断ったらどうなる?」

「知恵を絞りますよ、どうすれば協力的になってもらえるか」

「脅す気じゃねえかよ、クソ刑事」

「テイザーの逮捕までさほど時間を要しません。彼の裁判でガズウィスが証言台に立つこと。それがカートライトと私の望みなのです」

 刑事の中には、裏社会の人間と友好的な付き合いを望む者がいる。社会正義を振りかざし、厚顔無恥で、利己的な輩のことだ。

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