28話 信頼
誰かがテントに入ってきた。だが、無警戒な足音と衣擦れはすぐに静まった。侵入者は立ち止まっているようだ。戸惑っているのだろう。侵入者は再び動き出したが、じりじりと近づいて来る歩調に躊躇いがある。ロットロンは、鼓膜かうずまき管か、なんらかの感覚器官で生じる揺れの小差で足音との距離を読んだ。全身を毛布で覆って皮膚感覚を遮断し、不完全な聴覚を頼りにすることはちょっとした挑戦だった。そして今、ロットロンは自身の能力を信頼している。
二人の間合いが腕一本分まで縮まった。毛布を払い退け、ロットロンは寝床を飛び出した。毛布をめくろうとしゃがんでいたテントの主を額から引き倒し、ナイフの側面を頬に当てた。
「少々臭いが、良い毛布で寝てるな、ボンドさん」
鷲掴みにしたボンドの頭を毛布に沈める。その気になれば口と鼻を完全に塞ぐことも容易だ。呆気なく抵抗を封じられたボンドに、ロットロンは失望した。虎目石の会で腕利きとして知られた男は見る影もない程腑抜けていた。
「……ロットロンか? なんでここにいる?」
「しばらく世話になりたい。昔みたいに」
「今すぐ出て行け。人を呼ぶぞ」
「命令してもらっちゃ困るんだよ。昔みたいに」
ボンドは脅し文句を囁いてみせたが、大声を出そうとはしない。ナイフに怯えているらしい。見苦しい態度を取らないだけでも立派だと感心し、ロットロンは面白がった。
「クソッタレのロットロンめ。塀の中で死んでいれば良かったものを」
ボンドの声に虎目石の会にいた頃の威厳が戻って来た。しかし、幾重もまとった古着とすっぱい体臭、痩せて濁った肌はまぎれもなく浮浪者の姿だ。あまり髭は伸びていないようだが。
「おまえのせいで、俺達はテイザー会長の息子に睨まれてるんだ。だから、こんな所にいればすぐに見つかるぞ」
「へえ、テイザーの息子は死んだんじゃないのか? それで戦争になったんだろう?」
「死んだのは次男だ。ここには長男が来るんだ」
長男も殺してやれば、テイザーは狂乱するだろう。これ以上、虎目石の会を刺激するのは考えただけで肝が冷える。そしてロットロンは、脅威に晒されて狂いそうな理性と張り詰めた肉体で敵を迫り、陥れ、仕留める。心を躍らせる。
「あんたに二つの選択肢を提案しよう。俺に殺されないように俺を殺すこと。あるいは、俺を匿うこと。破滅を手繰り寄せたくなければどちらか選べ」
ボンドが舌打ちする。苛立っても抵抗はしない。それがロットロンからすれば少々つまらない。
「話を聞け。ここにいると見つか――」
「俺がテイザーの息子に言ってやろう。『ここの浮浪者達は俺の友達だ。寝床と食事と武器を提供してくれた友達だ』とね。この嘘を見抜けるのか? そいつは」
「……虎目石がおまえらを信じるはずがない」
ボンドの言葉には迷いがあった。その希望的観測がいかに頼りないかを理解しているのだ。
「信用がないのはあんた達もだ。虎目石は浮浪者達を疑っている。武装した浮浪者の中にエルボーが紛れてるんじゃないかってな。俺はそれを知ってて、あんたに会いに来たんだぜ」
「正気か? 自分が何を言ってるのか理解出来てないのか?」
「よく理解出来てるぜ、ボンド。俺は正気でもないし、キチガイでもない。兵隊だよ」
ロットロンは、唖然とするボンドの顔を毛布に押し付けた。無様に腕を振り回して暴れるボンドを哀れんだ。なんと非力でささやかな抵抗だろう。この浮浪者は栄養不足で筋肉が痩せ細っているに違いない。
ロットロンは、ボンドのこめかみをナイフの柄頭で小突いた。
「あんたは簡単で穏便な選択肢を取るべきだ。でなければ、虎目石はあんたと仲間を殺す。困難で暴力的な選択肢を試すなら、俺があんたを殺して、虎目石が他の浮浪者を殺す」
ボンドの口と呼吸が自由になる程度に手加減するロットロン。
「地位を失っても情を捨てない男であってほしいんだよ、ボンドよ」
「もうやめろ。……わかった」
「恩に着るぜ」
耳を赤くし、肩で息をしているボンドを見ていると、ロットロンは嗜虐的な気分になる。だが、これから数日は世話になるのだから仲良くしていかなければならない。二人は虎目石の会で共に働いていたのだ。難しくはない。




