13話 猛る者
ネロは左腕を振りかぶった。手にした靴で、煙草もろともリドの顔を打ったつもりが、感触はなかった。
腹に衝撃を受けて倒れそうになる。蹴られたらしい。
煙草の火に静止に近い状態で浮かんでいる。リドの動きは恐ろしく敏捷だ。
戦意の赴くままに殴りかかるが、ネロは拳がリドに届かないことに気づいた。自分とリドと火と拳、それらの距離感が掴めない。果てしなく奥行きのある闇の向こうにリドの影がある。
火が動いた。怯えが体を緊張させる。顎に軽い一発をくらった。脳が揺すられるような眩暈を覚える。
「あまり騒ぐなよ。リーエン地区の警官は意外と働くぞ」
リドを目掛けて靴を投げた。距離を一気に詰めてリドに組み付こうとするが、突然目が眩んだ。不自然に強い光と熱を顔に感じ、思わずネロは後ろずさってしまった。逆に組み付かれて強引に投げ倒され、肩から地面に落ちた。
リドは足で地面をまさぐり、何かを悠々と拾い上げた。それが一瞬だけ火を吐いたので、ライターだとわかった。
この数日間でネロは、暗闇に近い状態で四人のチンピラを倒してきた。視界が不自由でも殴るべき場所が見えるがごとく的確に相手を殴ることが出来た。にもかかわらず、リドを前にするとなんの感覚も機能しない。闇は近眼であるはずのリドに味方している。それがネロにはまるで現実とは思えない。
骨盤付近を蹴られた。驚くほど鮮明で強い痛みが走った。
「おい、マゾ野郎。わざとやられてるんじゃないだろうな」
ネロは蹴りを受け止めた。腹に叩き込まれたリドの足を、体を丸めて抱えるようにして捕まえた。そして、自分でもどうやったのかわからないが、抵抗するリドを引き倒した。すかさず、頭がどこを向いているかも見えないリドに飛び掛り、腕を振り下ろした。一撃を加えた感触があった。追い討ちを重ねる。
耐え忍んでいたリドが突然消えた。ネロは誤って地面を殴ってしまい、体勢を崩す。
尋常じゃない突風に巻き込まれたようだった。何も把握できないまま押し倒されたネロは、そのまま顔面に拳をくらった。
聞えてくる荒い呼吸はすべてリドのものだった。ネロは息を整える余力もないほど消耗していた。リドの気が済むまで殴られ続けた。
「立てるか」
ネロには返事をする余力もない。痛みよりも疲れが酷い。
「今から車を寄越す。ギミィに送ってもらえ。先に警察が来たら、通り魔にやられたと言え」
最後に、「一日休みをやる」と言い残してリドは去った。
ネロは地面の上で眠ろうと決めた。どこであろうと、疲れたときに横になれるということは幸せなことだと、今は思えた。それ以外のことを考えたくはない。




