12話 暴かれる者
思わず口を殴ってしまった。前歯が倒れる感触が確かに伝わってきた。腹に膝蹴りを入れると、男は崩れ落ちた。
右手をほどく時に痛みが走った。人間の骨は堅いので、迂闊に殴ると簡単に手を傷めてしまう。暴力を振るうということはとても心身を消耗させる。
ネロは、男の片足から奪った靴を左手で握り、顔を殴った。靴底が柔らかく、よくしなる靴だった。
うめき声一つ上げない男を殴ることに何の意味があるのか、ネロにはわからなかった。ただ、いつまで殴ればいいのか考えながら、靴を振り下ろしていた。
足音が近づいてくる。堅い靴底が地面を叩いている。光源のない夜道をなんの躊躇もなく、人が歩いてくる。
その音に意識を向けると、自分の荒い呼吸までもが際立って聞えた。
考える必要はない。ネロは立ち上がり、靴をしっかりと握りなおし、人影との距離を窺った。
「靴で殴ると音が響く。迂闊だ」
ネロは一瞬何も考えられなくなり、次に走り去ろうと考え、結局何もせずに諦めた。現れたのはリドだった。
ネロは今、とても自虐的な気分だった。それでいて、この状況を楽しいと感じた。
「そんなに暴力が良いか、ネロ」
「俺は、俺なりに働いてますよ。商会の奴らを探してるんですよ」
可笑しくて声が震えてしまう。気が触れてしまったかのようだ。
「おまえは商会に復讐したくて、それが叶わないから、そこらの小僧相手に憂さを晴らしてる。今夜ので四人目か」
リドは何もかも見通しているらしい。ネロが夜中にチンピラを狙って暴行していたことを知っているのだ。
「付回されてたとはな」
「今夜だけだ」
「虎目石よりも警察で働いた方がいいな」
「おまえにはもう一つ、理由がありそうだ」
その言葉にネロは不意を突かれた。
「ベルンの連れの治療費や迷惑料を払わされたのが気に食わないんだろう」
ネロはおののいた。自分に対しても秘められていた事実を暴かれてしまった。裸にされ、皮膚をはがされた自分を丹念に撮影され、記録されたような痛烈な羞恥心に見舞われた。
意に反して何かが決壊していく中で、それを冷静に観測する自分と嘲笑する自分がいる。自分がバラバラになりそうだ。
「そうだよ。あんたは俺を止めなかった」
自分が喋っている声には聞えなかった。以前、髪を引っ張って泣かせた薬物中毒者を思い出した。
「なのに金を払わせた」
「理由を知りたいか」
「聞かせてみろよ」
「おまえがどの程度やる奴か見ておきたかった。それと、暴力を振るう代償をおまえは体験として学ぶべきだった」
リドの主張が理解できない。もはやリドは敵意の対象でしかなかった。
「気取りやがって。何を教えようってんだ。誰が頼んだよ!」
「境遇は同情するが、関係ない奴らに当り散らすな。金のことは俺に鬱憤をぶつけるのが筋だろう。だからこうして憂さ晴らしに付き合ってやろうってわけだ」
リドが何やら取り出したかと思えば、やはり煙草だった。煙草を咥えたリドの髭面をライターの火が照らした。火が消えて、燃える煙草の赤い点が残り、闇に浮かんでいる。
「ハンデだ。この火を狙ってみろ」
それを聞いたネロに、分裂しかけた自分が統合されるような感覚が生じた。それは安心感に近いもので、心地よく全身がうずいた。
「その髭、焼いてやるからな」




