11話 追う者
嫌に高い声だ。誰かへの罵詈雑言をまくし立てている。よく酔いが回っている。きっと息が酒臭いに違いない。
「俺らがあいつらを黙らせてやらきゃ。わからせてやるんだよ。馬鹿でもわかるように」
もう一つ、適当な相槌を打つ声。こっちも息が臭そうだ。
「おまえは正しいよ。俺と同じことを考えた」
深夜だ。どこからも室内光は漏れてこない。街灯は不自然にまばらで、光源としては不十分だ。それでも酔客達の姿形が影になって見える。くっきりとした輪郭が大きくなり、近づいてくる。
「おい」
呼び止めながら、一人を殴り倒した。顔を殴っただけだが、まるで死んでしまったかのように呆気なく崩れ落ちた。これほど上手に倒される人間は初めてだ。
「おまえらみたいなチンピラに聞きたいことがあるんだ。商会の負け犬どもがどこに逃げたか、知ってるなら教えろ」
突っ立ている方の男は、「えっ」と言って息を呑んだ。間抜けで臆病な子供染みた印象からして、まだ思春期の真っ只中なのかもしれない。その顔を軽くはたいてやる。
「知らないなら、それでも構わないけどな」
次は強くはたいた。酔いを覚ましてやりたいわけではない。どれだけ苛めてやれば虚勢を張るようになるのか、試しているのだ。
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「知らねえよ、俺は! おまえらの言ってること、全然わかんねえ!」
ネロの前を走るランスルが怒鳴り、ネロの後ろを走るギミィが笑う。
「いいや、知ってるさ! あんたが知ってることを知ってるのさ! 俺達は!」
馬鹿共に挟まれて走るネロが苛立つ。
「うるせえよ! もっと速く走れ!」
「もっと速く走ったらッ! おまえら追いかけるの止めるのかよ……!」
「おまえには言ってないんだよ! 遅えぞギミィ!」
息も絶え絶えになっている中年男が、まったく減速せずに走っている。追いかけても距離が縮まらないので、ネロはランスルの快足に舌を巻いた。快足を誇るのはネロも同じで、普段なら人を追いかけて追いつけないなどあり得ないことだった。
「さあ! これでも遅いと言えるか!」
背後からギミィが叫んだ。振り返って見ると、なぜかギミィは自転車に乗っていた。さっきまで足を使って走っていたはずだが、今は立ち漕ぎで自転車を走らせている。
「道を譲れぇ!」
言われるまでもなく、ネロは道の脇へ飛び退いた。危うく建物の壁に衝突しかけた。一瞬、自転車と併走し、追い抜かれる。
「誰か助けてくれ! 殺される……!」
ランスルに迫るギミィ。だが、ブレーキ音を響かせて減速する。ランスルが曲がり角に入った。
車体を横に傾けて、ギミィも曲がり角に滑り込む。失敗だ。体勢を保てなかったギミィは転倒し、自転車が投げ出された。
「何やってんだ! 下手糞!」
「怒るなよ!」
すぐに起き上がらないギミィが自転車を指差してた。
「ネロ! 自転車!」
「乗れねえって言ったろ!」
「まだ乗れないのぉ!?」
ネロの方が下手糞じゃないか! という罵声を無視して、ネロはランスルを追いかけた。
このまま進めば、ランスルは路地を抜けて大通りに出る。追いつく算段のないまま走り続けるが、問題ない。打ち合わせ通りに事は進んだ。
ランスルは、脇道で待ち伏せていたリドに顔面を新聞紙で殴られ、失速した所を腹に拳を叩き込まれた。そのままゆっくりと膝から崩れ落ちて嘔吐した。リドの手並みは実に鮮やかだった。
ネロは深く息を吸って、呼吸を整えようとしたが、リドのヤニ臭い体臭を吸ってしまい、むせた。
「随分と走らされたな」
「本調子じゃなかったんでね」
横向きで倒れているランスルの腹をリドが足で二度小突いた。その度にランスルは吐瀉物を少量ずつ吐き出した。
「別に痛めつけてるわけじゃない」
ネロでもわかる。窒息しないように吐瀉物を吐かせているだけだ。
「俺は他人を殴ったり蹴ったりしても楽しいとは感じない。おまえはどうだ」
「なんのことですか」
射抜くようなリドの目が、ネロを非難していた。幼い頃、大人に隠し事をして叱られた時に感じた、心に陰りが差していくような不安を思い出す。秘めていた後ろめたさを引きずり出される感覚だ。
だが、リドから目を逸らしてはいけない。今この場でリドに非難されるような謂れはないのだから。
「必要があるなら殴ります。仕事は楽しくありません」
リドは幾重にも折り重ねた新聞紙でランスルの口元を拭った。車に積み込む際に吐瀉物で汚したくないからだろう。力尽きたランスルは逃げも喚きもしなかった。
「ギミィはどうした」
「自転車で転んで寝てます」
「すぐに連れて来い。帰るぞ」
胸に暗い予感を抱えながら、ネロはギミィを起こしに行った。不安も後ろめたさを無視して、人を殴る自分を想像すると気がまぎれるようだった。




