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 第一章 旅立ちは突然に

「――で、あたしはどうすればいいんです?」

 ここは役場の会議室。町長に呼ばれたあたしは、蒸し暑い室内で立ったまま胸の辺りつまんでパタパタと扇いだ。

「なんです? その態度は。町長の前ではしたない」

 全身黒尽くめのきちんとした正装の女性秘書が眼鏡を上げながら注意してくるが、あたしにはどうってことない。この暑さの中にもかかわらず長袖長ズボンとは見ているこっちが暑苦しいくらいだ。

「だって暑いんですもん。これ以上脱ぐわけにはいかないでしょ? さすがに」

 すらりと長い足がにょきっと出ている短いパンツ。腕はおろか、へそまで見える短い上着。そんな軽装であたしは町長の前に立っているのだった。

「私は構わんよ。暑いのは事実だしな」

 あたしの正面の机の前に腰を下ろす初老の男性、つまり町長があたしを見てにっこりと微笑む。

「君こそ、脱ぎたいなら脱ぐがよい。私はムネペチャであってもちゃんと女性として扱うぞ?」

 ズガゴンっ!

「おおぅ」

 女性秘書の持っていた書類が町長の頭に炸裂。顔を机にめり込ませる。

「性的差別は遠慮願います」

「だから、胸で差別をするような低俗な男ではないと表明しただけであってだね、何も君に対して言った訳では……」

 ズガッ!

「あら、ワタシとしたことが。手元が狂ってしまいましたわ」

 おほほほ、とさわやかに笑う女性秘書。さりげなく強い。

「――って、本題をお願いしますよ!」

 漫才を見に来たわけではない。町の代表に選ばれたがためにここに御呼ばれしているのである。

 ――それに……。

 大した用事でないなら早く自宅に戻って残っている家事をしなくてはならない。病に臥しているお母さんに代わり、家のことを任されているからだ。

「おう、そうだったな」

 額から一筋の血を流しながらにこやかに言う町長。案外と打撃を受けているようなのだが、大丈夫なのかしら?

「ミマナ君。君には来週、神殿に向かってもらうことになった」

「神殿?」

 そんなものがあっただろうか。

 あたしは記憶を辿るが全く思い出せない。

 首を傾げると、町長は続ける。

「君が知らないのも無理はない。なんせ十年前、そこへの道は閉ざされてしまったのだからな」

「へぇ……って、閉ざされた場所にどうやって行くんです?」

 思わず突っ込みをいれると、町長はにこやかな笑顔のまま続ける。

「なぁに、心配はいらん。現在私の部下たちが気合を入れて修復中だ。来週には開通する目途が立ったので呼び出したまでのこと。何かと準備が必要だろうしな」

 ――なるほど、そういうことね。

 旅立つとなれば確かに準備が必要だ。家のことも誰かに任せねばならないだろう。どのくらい留守にするのかはよくわからないが、引き継げる部分はきちんとやっておいたほうがいいに決まっている。お母さんを心配させたくないし。

「神殿に向かうことは了解です」

「必要なものがあるなら、町からいくらか出すこともできる。何でも聞くように」

 お、なかなか気が利くじゃない。

「じゃあ、服を新調したいですね。荷物を入れる背嚢も丈夫なものにしたいですし。さすがに学校の研修で使ってきたやつじゃぼろぼろで心許ないですし」

 あとは……武器はいるのかな?

「あぁ、そのくらいならこちらで準備させよう。携帯食料は確保済みだ」

 ――ん?

 あたしは町長の言葉に引っ掛かりを覚える。

「えっと、町長?」

「なんだい?」

「そんなにあたし、町を離れるんですか? 神殿の場所が遠い、とか?」

 携帯食料が必要となるということは、少なくとも日帰りではない。お弁当を用意しなくちゃとは思っていたが、そこまで長く家を留守にするとは考えてもいなかった。

 不安な気持ちのあたしの問いに、町長は笑顔を絶やさずに応える。

「あぁ、そうだね。記録によれば最短でひと月かな。帰ってこない年もあったと聞いている」

 ――帰って……こない?

「ちょ……ちょっと、そんな危険なものだなんて聞いていないですけどっ! 町の運命を背負うことになっちゃったことについては諦めていますけど、命を懸けるつもりはないですよっ、あたし!」

 今死ぬわけにはいかない。身体の弱いお母さんを護らなきゃいけないから。

 ――それにそれに……恋をする前に死んでたまるもんですかっ!

 町長の机を思いっきり叩いて詰め寄るあたし。町長はそれでも表情を変えなかった。

「そう何人も戻ってこなかったわけじゃない。間違いがなかった年の選出者はみな無事に帰ってきている」

「……って、町長、あなたの目利きが悪かったら町が不幸のどん底に叩き落されるだけじゃなく、あたしまで完全に悲劇の主人公街道まっしぐらじゃないですか」

 思わず顔が引きつる。

 投票で選ばれたなら納得できる。今の町長がそこにいるのも、だから納得できる。

 しかし。

 町長の一存で勝手に選ばれた結果、命を奪われるなんて冗談じゃない。やるべきこともやりたいこともいっぱいあるお年頃の女の子なのよ、あたしは。

「町長、あまり彼女を刺激しないでください」

 黙ってこちらの様子を窺っていた女性秘書が冷静な声で注意する。

「う、うむ……」

「ど、どう責任とってくれるんです! あたしにもしものことがあったらどうしてくれるんです!」

 苦いものが混じる町長の顔。あたしはそのとき悟った。

 ――この人たち、まだ何か隠している?

「説明責任はありますよね? 洗いざらい喋ってくれないと、あたし、神殿なんて行きませんよ!」

 ぐっと町長の襟首を掴んで持ち上げた、そのときだった。

「その辺でやめとけ、ミマナ」

 聞きなれた少年の声に、あたしは町長を持ち上げたまま扉の方に顔を向ける。

「マイト……あんたどうしてここに?」

 長身短髪の少年――マイトが扉に背中を預けて立っていた。

 マイトはあたしのうちの裏に住んでいる少年で、幼なじみ。一つ年下であるのだが、この町の少年たちの中ではもっとも戦闘に長けている。彼の父親がこの町の用心棒をやっている影響を受けているのだろう。

「神殿までの警護を任されたんだ。本来なら俺の親父がお前を警護するはずだったんだが、運悪く大事な予定があってな。その代理だ」

「そういうことなんだよミマナ君。わかってくれたかな? だから、その、手を離していただけないかな?」

 ――マイトがあたしの警護を?

 意外だと思うと同時に、それなら大丈夫かもなんて安堵してしまう。知らない男どもと旅をするより、知っている人間が近くにいてくれたほうが良い。身の安全も必要だが、精神的にも護ってほしいってのが正直なところ。その両方を満たしてくれるのはマイトしかいない。

「――って、ごまかされませんよ! 神殿までの警護はそれでいいとしても、帰ってこれるか保障されているわけじゃないんでしょ! そんなところにはあたしは行けないって言っているんです!」

「なに苛立っているんだ? ミマナらしくない」

 つかつかと隣までやってきたマイトは、あたしの手に自分の手を添える。

「俺がお前を死なせたりしないよ」

「マイト……」

 ――な、なに格好つけているのよ、こいつ。

 あたしはしぶしぶ手を離す。自由になった町長は軽く咳き込んで席に腰を下ろす。

「だいたい、お前が簡単に死ぬタマか? 俺より強いくせに」

 ガンっ!

 あたしの真っ直ぐな拳がマイトを捉える――かに見せかけて、手を捕まれた。

 ――ふ、不意打ちを狙ったのにっ!

 マイトはあたしの手を掴んだまま、顔をこちらに近づけてくる。にやついた顔で。

 ――む、むかつくっ!

「おやおや。だいぶ切れが落ちているようで。久しぶりに組み手でもしないか? 俺が手ほどきするぜ?」

「うるさいわね! 泣き虫マイトの癖に!」

「いつまでもあの頃の俺と同じだと思っていたら痛い目に遭うぞ? あと、自分が女であることも忘れるな。露出多すぎ」

「へへんっ! このあたしを襲おうって奴がいるなら会ってみたいものね。仕返ししてやるんだから!」

 力任せに腕を振ってマイトの手から逃れる。

 ――う……また腕を上げてるし。

 あたしの力が落ちているのは認める。お母さんが病気で寝込むようになってからは修行なんてしていないし、どんどんと女らしくなっていくこの身体の限界も感じている。小さい頃こそマイトに勝ち続けていたあたしだが、今はきっと負けてしまうだろう。あたしの背を彼が抜いた頃からいつかはそうなると覚悟していた。覚悟していたけど――。

 ――とにかくむかつくっ!

「すみません! 緊急事態です!」

 ドンッ! ガンッ!

 勢いよく開け放たれた扉が壁にあたる大きな音。

 入ってきたのはきちんとした服装でびしっと決めた青年。右手に書類の束を抱えている。彼の顔が青ざめている様子から、ただならぬことが起きていることは想像できた。

「なんだね? 騒々しい」

 町長の声に、あたしとマイトはさっと離れて机の前を空ける。

「各町から通達です! すぐに目を通してください」

「こんなに? ……!」

 どんっと置かれた書類に視線を向けるなり固まる町長。表情が強張っている。

「そんな……」

 書類の内容が気になったあたしは、ちょっと覗き込んで冒頭を読む。

 ――な、なんですって?

 見間違いかと思った。そんなことがあるとは、信じられなかったから。だからあたしはその書類を奪って、その紙の束をぺらぺらとめくった。

「うそ……」

 その衝撃に耐えられなくなったあたしは、その場にへなへなと座り込んだ。

 ――ありえない。

 結論はそれだけ。悪夢を見ているようだ。じゃなけりゃ、誰かが大嘘をついているか。

 だって、一晩で町が消滅するだなんて信じられる? それも、複数の場所で、よ?

「――いずれの町も、今年選出者を出したところですね」

 あたしの手から書類を取り返したのは女性秘書。書類を目でしっかりと見ておきながら、対応は非常に落ち着いている。

「そのようだな」

「そのようだなって、おい」

 秘書と町長のやり取りに口を挟んだのはマイト。

「その相関関係が認められるなら、この町も危険だってことだろ? 違うか?」

「それを知らせるために、町を通りかかった者か生き残りかが使いをよこしたのでしょう」

 どこまでも冷静な女性秘書。

「お前……よくそんなに冷静でいられるな。町が一晩で、だぞ! そこに住んでいた人間が消されてしまったってことは大変なことじゃないか!」

「えぇ、それはわかっております」

「わかっていたらそんな態度ができるわけないだろうが!」

 女性秘書に詰め寄ろうとするマイトを止めたのは意外にも町長の腕。

「やめるんだマイト君。彼女は充分に動揺している」

「動揺って――」

「消滅した町の中に、彼女の出身地が含まれているんだ。責めないでやってくれ」

 町長から女性秘書に視線を移す。

「!」

「――それを言わないでほしかった……。認めたくありませんでしたのに」

 顔を伏せると、女性秘書は部屋を出て行ってしまう。

「……」

 しゃがみこんでいたあたしからは彼女の表情がよく見えた。涙を浮かべていたのだ。たぶん、彼女の両親は町の消滅に巻き込まれて亡くなっていることだろう。生きている可能性は絶望的。

「――これは、前代未聞の事態だ」

 静かになった部屋に町長の声が響く。

「そこでミマナ君。君に依頼したい」

「は、はい」

 あたしは町長に声を掛けられて何とか立ち上がる。

「町の消滅と選出者の因果関係を探ってきてくれ。そして、無事に帰って来い」

「端からあたしは無事に帰還するつもりでしたけど?」

 こんな気になることが起きたら一歩も引けない。何故町が消滅したのか、それも今年選出者を出すことが決められた町に限って。

「その返事が聞けて頼もしい限りだ。こちらも君のためにできることは全面的に協力しよう」

「はい。きっと必ず」



 ――町が消滅するなんて、どうすればそんなことが起こりうるのかしら?

 町長に呼び出されたその夜。あたしは寝台の中でふと思う。

 町を一つ消滅させることができるほどの凶暴な生物は知らないし、そんな兵器も聞いたことはない。

 ――平和だと思っていたのにな……。

 この世界には大きな戦争はなく、あちらこちらで小さな紛争が起こるくらいだって学校で習った。『あくまでも自分たちの身を護るための兵器であり、他者を侵害するための武器は持ってはならない』と各国々をまとめるえらい人が言ったとかなんとかで、今はそれがちゃんと機能している。それを破ると様々な制裁が加えられることが決まっているそうで「それを恐れているうちは平和なんだよ」と歴史の先生が言っていたと思う。

 ――それこそ神の仕業、か。

 この世界を創ったとされる神様は、創造神であり破壊神でもある。気に入らなくなった世界を破壊して今の世界が作られた、という言い伝えもあるくらいだ。今の世界が気に入らなくなったので壊し始めたといわれても、そう違和感はない。ま、あたしには大迷惑だけど。

 コンコン。

「ん?」

 雨戸を叩かれる音に気付いたあたしは上体を起こす。

 ――こんな時間に一体誰?

 夜もだいぶ更けた時間だ。そんな時間に町を出歩く人間も少ない。

 あたしは警戒しながら窓の鍵を開ける。

 ガチャ。

「お、親切だな」

 声はマイト。

「なに? あたし寝ていたんだけど」

 窓はまだ開けていない。鍵のみを開けた状態で、相手の出方を窺う。

「開けてくれないってことは、お前、素っ裸、とか?」

 からかい口調全開のマイトの声。あたしは長くなった髪を枕元においていた髪紐で縛る。

「昼間とさして変わらない格好よ。――で、何の用?」

「ここじゃ話しにくいから入るぞ」

「どうぞ」

 あたしはしぶしぶ窓を開けてやる。自分らが小さかった頃はこうやって窓から出入りしていた。それぞれの家の玄関に向かうよりもこの方が近いのだ。マイトの家はあたしの家の裏側だから。

「うわー。久しぶりに入ったけど昔と全然変わってないな。色気なし」

「そんなに久しぶりだっけ?」

 小声で言うマイトにあたしは首をかしげて問う。

「お前のお袋さんが倒れた頃からこっちには出入してない」

「そっか。こっちから行くことはあっても来ることはなかったんだっけ」

 思い返してみればそんな気もする。あたしが家のことをやるようになってからはあんまりマイトと遊んでいない。学校で顔を合わせるくらいだったことに今更気付く。その学校を卒業してしまった今となっては、お隣さんでもそう接点はなかった。

「療養中のお袋さんを起こすわけにはいかないだろ? 俺なりに気を遣っているわけだ」

「で、そのマイトが何の用事?」

 あたしは寝台の上で胡坐をかきながら訊ねる。

「夜這い、とか?」

「泣き虫マイトが良い度胸しているじゃない」

 反射的に戦闘態勢。明かりを灯していない自分の部屋なら、物の配置を熟知しているだけこちらが有利。負ける気がしない。

「そこ、馬鹿にするところじゃなくて、戸惑うところだ。そんなんだから良い年頃になっても言い寄る男がいないんだぞ」

「し、失礼ね!」

 小声で反論。お母さんもお父さんも部屋で寝ているのだ。別室といえど騒げば起こしてしまうことだろう。

「それだけ整った顔で、綺麗な体型をしているのにもったいないと思わないか?」

「……え?」

 身体を鍛えていたから全体的に締まっている。腕も足も筋肉質ではあるが、女らしさを帯びてきた今なら健康的な感じだ。お母さんが結構目立つ胸をしていたからか、あたしの胸も順調に発育中。お尻だって小さい方が理想的なのに徐々に大きくなってきている。

 ――あたしはあんまりもったいないとは思わないけどな。

 外で身体を動かす方が好きであるあたしにとって、女らしい身体は不要なものだ。男を誘惑し子どもを宿すことを目的とした身体なんてあたしはいらない。あたしは戦いの最前線で軽やかに戦っていたい方の人間なのだ。

「俺は、お前のことが嫌いじゃない」

 ――って、待て待て。

 寝台の方にゆっくりと近付いてくるマイト。結構表情が本気っぽい。何に対して本気なのかわからないけど。

「き、嫌いじゃないって言われても」

「じゃあ、素直に告白しよう。――ミマナのことが好きだ」

「!?!」

 ――な、何、この展開? あたしにどうしろと? ちょっと待て、待ってったら待って! ちょっと、この部屋狭すぎ! 逃げ場ないし、近付きすぎだし!

 降りる前にマイトはあたしの寝台に入ってきた。あたしの後ろは壁。

「じょ、冗談ならそこでやめておきなさいよ! 後悔するわよ!」

「俺は後悔しないし、後悔もさせないよ」

 本気で逃げ場がなくなった。

「あたしはあんたのことは好きでもなんでもないしっ! ただの幼なじみとしか思っていないし! 大体あたしに勝てない弱っちいマイトに惚れるわけないでしょ! あたしはあたしより強い男じゃないと嫌!」

「馬鹿だなぁ、ミマナ」

 追い払おうと振り上げた腕をあっさり捕まれ、あたしは壁に押さえつけられる。

 ――だから、だからだからだからっ! 顔が近い! あたしに触れるだなんて十年早い!

 そう言ってやりたいのに言葉が口から出ない。

「お前を本気で殴れるわけないじゃん」

 文句の一つも言ってやろうかとしたとき、唇をふさがれた。マイトの唇で。

「!」

「――ん……。もう少し抵抗されるかと警戒していたんだが」

 マイトはそう呟くと、それ以上のことはしないでおとなしく離れた。

 で、あたしはというと。

 自由になったにもかかわらず、そのままの体勢で固まっていた。

 ――き……キスされた?

 思い出すだけで全身が熱くなる。その上、思い出さないようにしようと思えば思うほどと身体がまったくいうことを利かない。突然の出来事に対処できず、固まってしまっているのだった。

「あのー。ミマナ? それ以上のことはしないつもりだから緊張を解いて大丈夫だぞ? その先も期待しているなら考えなくもないが」

「……」

 パクパクと口を動かすことはできるが、どうにも声が出ない。情けない。

「くっ……おもしれーな。男にこういうことされるって想像したこともなかったのか?」

 大声で笑いそうになるのを必死にこらえながら問いかけるマイト。

 ――む、失礼な奴ね!

 そうは思えど声が出ない。身体の緊張はだいぶほぐれてたものの、振り上げたままの腕は地面と仲良しになったまま固定。さっぱり身体が動かない。

「――今なら俺の思うがままにできそうだな」

 再び真顔になってこちらを見るマイト。

 ――や、やめい! その顔、その表情!

 熱いお湯に浸かった時みたいにのぼせてしまっていて冷静な判断ができない。なんなの、これ。

「でも、それは卑怯だと思う。無防備な女を襲うのは俺の美的感覚に反するし、ミマナも嫌だろ、そういうの」

 ――あ。

 マイトはあたしの頭に手を載せて優しくなでてくれる。

 ――あたしのほうがお姉さんなのに……。

「お前の頭をこうして撫でてみたかったんだよな。いっつもされる側だったし。すぐに半べそをかく俺を慰めるために撫でてくれるの。あれ、すっごく好きだった」

「……」

「――責任重大なことを町長に押し付けられて、泣きたい気持ちになっているかと心配だったんだけど、余計だったみたいだな。気を張っていっつもけろっとしているから、せめて俺の前では弱いところをさらけ出してくれてもいいんじゃないか、なんて期待していたんだけど」

 言って、にっこりと優しく微笑む。

 ――あぁ、本当に彼はあたしの気を紛らわすのが目的で来てくれたんだ。

 偽ることのない純真な笑顔。昔からそれは変わっていない。

 いつの間にかあたしの視界はにじんでいた。

「ま、マイトぉ……」

 やっと出てきた声がそれで。

「ほら、飛び込んでこい。肩でも胸でも貸してやるぞ」

 いつの間に彼はこんなに頼もしい存在へと成長していたのだろうか。あたしはどんどんと弱くなっていくのに、男の子はずるい。

「ばか……」

 それだけを言って、あたしは肩を借りた。寝台に腰を下ろした状態ではそこがちょうど良かったから。

「町長に任命された以上、責任を持ってお前を護るよ。だからそこは心配せず、お前はお前の任務を全うすればいい」

「うん」

 あたしはどんどん弱くなっていく。男の子には勝てなくなっていく。それをなんとなく想像していたけど、それが現実になってしまうと気構えだけでは耐えられない。

 あたしはずっと護る側にいたかった。護られる側になんて、そんな弱い存在になりたくなかった。どうしてそれが許されないのだろう。

 ――あたし、精神的にも弱くなっちゃったんだな……。

「必ず、戻ってこよう。この町に」

「うん」

「――くだらないな」

 あたしたちは突然の闖入者にさっと離れ、声のした方を見る。

 闇に紛れるためだと思われる黒っぽい衣装。身体に巻きつくようにぴったりとしているのは、彼が近接戦闘を好むからだろう。顔にまで布が巻かれているのは正体を隠すためか。

 ――い、いつからいたの? 全く気配を感じなかったんだけど!

 格闘技を習っていた身としては恥ずべき失態である。黒尽くめの男はあたしの部屋にいたのだ。

「――何者だ?」

 黒尽くめの男に向かって殺気を放ちながらマイトが問う。あたしよりも半歩ほど前に出ているのは、彼があたしを護ろうとしている気持ちの表れだろう。

「名乗るほどのものではない。それに、いずれまた会うだろうしな」

 ――「いずれまた会う」ということは、殺しに来たわけではなさそうだ。

 しかし油断はできない。あたしたちは黒尽くめの男を睨む。

「二人ともいい目をしている。好きだよ、そういう目。そしてその戦意むき出しの目を絶望に染めるのがたまらなくいいんだ」

「何しに来た?」

「君たちに吉報を届けに」

 ――吉報? 良き知らせを届けに来るような格好じゃないと思うんだけどね。

「――我が主からの伝言だ。二人とも今すぐこの町を出なさい。さすれば、今は見逃す、と」

「今は見逃す、ですって?」

 室内が戦場の雰囲気を帯びてきたからだろう。あたしの身体は水を得た魚のように滑らかに動き出す。

「冗談じゃないわ。あんたの主は何様のつもり? 上から目線とは良い根性をしているわね」

 捕まえて情報を引き出そうと、瞬時に接近する。

「何様かと問われれば神様なんだがな」

 すっと左に避けるところを、あたしは軽く足の位置を戻して回し蹴りに持ち込む。

「神様? 冗談でももっとまともなことを言うべきだと思うわ」

「そうか。――残念」

 放たれる殺気。全身が総毛立つ。

 ――な!

 あたしは回し蹴りをひっこめて素早く離脱。その動きを行えただけでもすごいことだ。

「素早いね」

 壁に大きな傷ができていた。どういう仕組みなのかはわからないが、音も立てずに綺麗な直線が生まれている。

「ミマナ、無事か?」

「えぇ、マイト。……こいつ、かなり危険だわ」

 全身が冷たい汗で覆われている。攻撃をやめていなければ命に関わっていたことだろう。身軽さが武器のあたしだからこそ緊急回避ができた。次も同じようにかわせる自信は正直ないけど。

「――だが、それだけでは勝つことはできないだろうな。生き延びるだけで精一杯」

 ぼそっと呟く黒尽くめ。

「何のこと?」

「さぁてね。――では、これで失礼。従うか、抗うかは君たちの自由だ」

 その刹那。

 びゅうっ!

 部屋に突風が巻き起こる。あたしはその風を腕で防ぐ。風がやむと、黒尽くめの男は消えていた。

「な、なんなのよ、あの男……」

 まだ肌がチリチリしている。放たれた殺気の感覚がまだ残っているのだ。

「さぁな」

 マイトは窓の外を確認しながら応える。追わないところを見ると、もう見えないかあるいは力の差を感じてあえて追わないか。いや、たぶんその両方。

「しかしどうする? 今すぐ出ろって話だったが――」

 マイトはこちらを見て、そしてすぐに窓の外に視線を移す。

 ――ん、なに? その不自然な動きは。

「お……お前、服破れてる」

「へ?」

 あたしの格好はへそが出るくらいに短い上着に短いパンツ。それが破れているとなると――。

「ひゃっ!」

 黒尽くめの男が放った攻撃がかすっていたようだ。上半身がほとんどあらわになっている。

 ――って、見られた? 見られちゃった、マイトに……!

「せ、責任取りなさいよ!」

 慌ててあたしは寝台の上に広がっていた敷布を身体に巻きつける。これで大丈夫、っと。

「俺は無責任なことはしないつもりだ」

「じゃあ、ちゃんと護ってもらうんだからね」

「あぁ、もちろん。約束する」

 その返事を聞いてあたしは安心する。マイトは約束を必ず護る男だ。待ち合わせをしたときも一度も遅刻はしたことのない男だってことをあたしは良く知っている。

「――そうと決まれば出発しましょ。神殿までの道が開通しているのに期待して」

 待っているのはあたしの性に合わない。あたしは常に攻めの女の子。問題が山積みなら、さっさと挑んで片付けてしまいたい性質なのだ。

 ――すぐにでも出発したいから、準備はもうできているのよね。服も背嚢も新調したかったけど、それは帰ってからにしようっと。帰る場所がなくなっちゃうのが一番困るから。

「わかった。すぐに支度する。お前のことだからすぐに行くって言い出すと思ってほとんどの準備は終わっているんだ」

「さっすがマイト。あたしの相棒はあんたしかいないわ!」

 あたしがそう言ってやると、マイトはこちらを見て微笑む。

「一生お前の相棒でいて見せるよ」

 ドキッ。

 ――う……不覚にも今ときめいてしまったぞ。

「さ、さっさと準備に出なさい! 夜明け前には出るわよ!」

「了解」

 あたしが照れているとわかったのだろう。くすくすと笑いながらマイトは窓の外に出て行ったのだった。



 早起きの小鳥たちのさえずり、心地よい冷たい風。夜明けが近付いている。

「――ところでミマナ」

 あたしの家の玄関前にやってきたマイトの問い。荷物もまとめて準備万端である。

「ん?」

「神殿ってどこにあるんだ?」

 町長からは地図をもらえなかった。勝手な行動をされると困るからだろう。

「あぁ、それなら任せて。ちゃんと準備してあるわ」

 しかし町長が何を考えていようとも、あたしの行動力を甘く見るべきではなかった。

 あたしはふふんっと鼻を鳴らすと、背嚢から一枚の地図を取り出して見せる。

「お、すごいな。――でもどうやってこれを?」

 地図に目を通し始めるマイト。どのような道程で進むべきか検討しているのだろう。

「町長は言っていたわ。十年前に道は閉ざされた、今は部下が修復中だって。ってことは、よ? 十年前の地図と、修復中の職員を捕まえてくれば良いだけの話よ。簡単なことじゃない」

 自慢げに胸をそらしてあたしは答える。こんなのは楽勝だ。

「って、ミマナ。また暴力で情報を得たんじゃないだろうな?」

 マイトの冷たい視線。

 ――う、あたしを暴力女扱いする……。

「やぁねぇ。あたしを見るなり逃げるなんて失礼な態度をしてくるから、一発飛び蹴りを喰らってもらっただけよ」

 町長と面談した会議室を出たあたしがとった行動は情報集め。神殿がどこにあるのか、一体どんな場所であるのか、また、閉ざされた道を修復している職員は誰なのかを聞いて回ったのだ。ほとんどの人があたしの問いには答えてくれず、それは本当に知らないかららしかったのだが、たった一人だけ顕著な反応を示した人物がいたのであった。

「お前なぁ……一般人にお前の飛び蹴りを喰らわせたら死に掛けるだろうが。格闘技を習うものとしてそのくらいは考えろ」

「それは心配に及ばないわ。だってその相手、クロード先輩だもの」

 クロード先輩はあたしの三つ上の先輩。マイトのお父さんに格闘技を習っており、そのときはあたしも世話になっていた。学校を卒業してからは、町役場に就職し情報課で働いている。正直、運動音痴の彼に格闘技は向いていないと思う。それくらい弱かったのが印象に残っているのだが、避けと受け身だけなら誰よりもうまかった。あんまり羨ましい特技ではないけど。

「あぁ、あの人、役場に就職したんだっけ。今もいたのか?」

 その言い草はないと思うが、一方でマイトがそんな印象を持っているのも頷ける。集中力がなく飽きっぽいクロード先輩は、何度も学校や道場を脱走しているのだ。マイトは父親のそばにいるために暇さえあれば道場にいたのだから、その様子を身近で見ていたことだろう。

「えぇ。おかげでしっかり情報を得られたわけよ」

「ふーん。――だとしても、地図まで用意できているとは運がいいな」

「あたしには幸運の女神様がついているのよ。さ、行きましょ」

 背嚢を背負うとあたしは歩き出す。神殿はこの町の北、地図上の距離からすると半日ほど歩いた場所にあるようだ。馬車、せめて馬だけでもいれば楽であるのだが、目立つ行動は控えたいので徒歩にした。そう険しい道でもないようなので問題ないだろう。

「おう」

 マイトもあたしの後ろをついてくる。

 ――さっさと仕事を片付けて、楽しい日常に戻るのよ。

 そう心に決めた、そんなとき。

「男女二人でこんな早朝からお出掛けなんて、感心しませんなぁ。ミマナ君、マイト君」

 ――この声は……。

「まるで駆け落ちじゃありませんか?」

 朝陽を背景にして立つ細身の男。その容姿には覚えがある。

「く、クロード先輩……」

 長い三つ編みに細めの眼鏡。白っぽい色の服を好むその男は、先ほどまで話題に出ていたクロード先輩、その人だった。

 ――噂話はするもんじゃないわね……。

 正直、あたしはこの人が苦手だ。この人の回避能力と異様なまでに極められた受け身のせいで殴った感じが全くしないから。

「そんなに嫌な顔をしないでくださいよ。お父様の命令で、あなた方の補佐をすることになったのですから」

 ――クロード先輩の父親の命令ということは、町長命令か……。

 クロード先輩のお父さんは町長である。その縁故もあって町役場に就職したのだとも噂されるが、あたしは彼は実力で就職したのだと思っている。学校創立以来の秀才といわれ、彼が残した様々な学業の記録は破られていない。生徒会長としての手腕も大したもので、現在もなお伝説として語り継がれているのだ。

「戦闘要員以外はいらん! 足手まといだ、さっさと帰れ!」

 吠えたのはあたしじゃなくてマイト。戦闘要員以外はいらないという意見にはあたしも賛成。

「おやおや、本当に駆け落ちをするつもりだったようで」

 眼鏡に指を添えると、はぁ、っとため息。

「この町の命運が掛かっているんですよ? 町民の代表として監視しておきませんと。あなた方が恋仲になって任務を放棄してしまうのが一番の問題ですからね」

 余計な心配だ、そう思いながらあたしは話題の矛先を変えることにする。

「でも、よくここがわかったわね、クロード先輩」

 こう都合よく現れるなんて驚きである。明け方に出ることにしたのは奇襲されたからであって、始めからそう決めていたわけではない。

「あなたの行動ならオレは熟知していますよ」

「ほう、言ってくれるわね」

 腕を組んでクロード先輩を睨みつける。

「部下を使って監視していますからね」

「なにやらせてるんじゃ貴様っ!」

 しれっと何食わぬ顔で答えるクロード先輩に、思わず回し蹴りの突っ込み。狙うはその整った顔。

「――毎度同じ軌道なら避けるのは簡単ですよ」

 ほんのわずかに動いただけで、クロード先輩はあっさり避けてくれる。腹立たしいことこの上ない。

「それに、趣味であなたを監視していたわけではありませんよ? 選出者となったあなたが、勝手な行動を取らないように見張っていただけなんですから」

「避けないで、受けるか反撃するかしなさいよ!」

「あいにく、痛いのは嫌いですし、暴力も好まないので」

 冷たい笑顔のままでクロード先輩は答える。

 ――そりゃ、痛いのが好きって人間は少数派でしょうけど。

 だとしても、その気持ちだけでかわされちゃ面白くない。クロード先輩とは道場で何度か戦闘訓練の相手になったことがあるが、不戦勝での勝利だけでまともに伸したことはないのだった。

「なぁ、クロード先輩?」

 あたしが苛立っている後ろでマイトの真面目な声。

「はい、なんでしょう?」

「監視していたってことは、真夜中にミマナを襲撃してきた男のことも知っているんだろ?」

 ――あ、そう、それ。

 マイトの台詞にあたしは冷静さを取り戻す。

「夜這いに入ったあなた以外の訪問者、ですか?」

 うーん、とうなって首を傾げるクロード先輩。

「とぼけていないで質問に答えろ」

「いえ……オレにはそんな情報が伝わっていませんので」

 嘘をついている気配はない。クロード先輩は曲者だが嘘をつくときにある癖が出てしまう。つい眼鏡の位置を直してしまうのだ。

「伝わっていない?」

 確かに部屋にいたはずであるのに、その人物が出入しているところを誰も見ていない。それが本当であるなら相手は相当の使い手だ。気配を殺して侵入し、圧倒的な強さを持って制圧する。それを行えるだけの人物……。

「――一体どんな人物なんです?」

 クロード先輩は興味を持ったようだ。真面目な顔でマイトに問う。

「全身黒尽くめの長身の男だ。顔は布で覆っていて見えなかった。身体にぴったりとまとわりつくような衣装で、気配を殺せる。体格は細身であるため、一見前衛は不向きに見える。しかし身のこなしはしなやかで、近接戦闘もできるようだ。音もなく壁を切り裂くことができ、風を起こして姿を消した。――戦闘能力的なことならそんなところかな」

「よ、良くあの短時間でそこまで分析できるわね……」

 相手の力の見極めもろくに行わずに突っ込んだあたしとは大違いだ。

「親父の隣で様々な人間を見てきたからな。これくらいできなきゃ恥だ」

 なるほど納得。さすがはマイト、といったところかしら。

「ほう……黒尽くめの男、ですか」

「何か情報が入っているの?」

 クロード先輩は役場の情報課に所属している。情報課はほかの町で起こった出来事を分析し、この町で起こった出来事をほかの町に発信する部署だ。なので、指名手配中の凶悪犯の情報、ほかの町を荒らしたとされる怪物の情報などに精通しているのがこの部署に所属している人間なのである。

「よくいる暗殺者のそれに似ているとしか思えませんね。――マイト君、先ほど戦闘能力的なことならと限定していましたが、それ以外に何か?」

「あ、あぁ。――神様の使い、だとかどうとか」

「神様の使い――!」

 思い当たる節があったのだろう。クロード先輩の目の色が変わった。

「か、彼は何と?」

「すぐにこの町を出るなら見逃すって」

 先輩の問いに答えたのはあたし。

「だからこうして出発することにしたのよ」

「訪問者が来たのは深夜だったんですよね?」

 クロード先輩は天を仰ぎ、全体を見回す。

「えぇ、そうよ」

「ならばこうしてはいられない。急ぎましょう」

 言って強引にあたしの手を引く。

「い、急ぐって」

 全くわけがわからない。

「この先に用意しておいた馬車があります。それに乗り込んでください」

「どういうことなの? 先輩、何か知っているの?」

 あたしは戸惑いながらも先輩に導かれて走り出す。

「詳しいことは馬車に乗ってから説明します。今は一刻も早くここを離れませんと」

 一体何がどうなっているのかはわからない。とりあえず走るのみ。

 間もなく見えてきた一台の馬車に、あたしとマイトは乗り込む。クロード先輩は御者台に飛び乗り、すぐに馬を走らせた。

「――あなた方は運が良い」

 町がどんどん遠ざかっていく。

「そりゃあたしには幸運の女神様がついているもの」

「そうでしょうね。でなければ、オレたちの町も跡形もなく消し飛んでいたでしょうから」

「へっ?」

 御者台にあたしは顔を向ける。

「『終末の予言』をご存知ですか?」

「なにそれ?」

 全く聞いたことはない。マイトにそれとなく視線を向けると、彼は首を横に振る。どうやらマイトも知らないようだ。

「『神の御使い、吉報を告げに参る。従うものには幸福を、抗うものには破滅を与えるだろう』っていう予言です。この世界に残る伝説の中ではほとんど知る者がいないですけどね」

 馬を操りながら答えるクロード先輩。

「それがどうして町の消滅に関係があるの?」

「これはオレの勘なんですが――消滅した町のほとんどが、どうも神殿への旅立ちの前にそういう事態に陥ってしまったようなんですよ。つまり、選出者を嫌って町に不幸が訪れた結果というわけではないようなのです」

「じゃあ……」

「あなたの前に忠告するものが現れたのなら、ほかの町の選出者の前にも現れた可能性はある」

 それが本当なら大変なことである。ほかの町の人間にも知らせる必要もあるだろう。

「だったら知らせないと! 町の消滅を食い止める方法があるなら!」

「あくまでもこれは仮説ですよ? それに、オレたちが町に戻れる状態になった時、故郷がそこに残っている保障はありません」

「ふ、不吉なことを言うなよ、先輩」

 クロード先輩の台詞に、顔を引きつらせるマイト。おそらくあたしも苦笑していたことだろう。

「何のためにそういうことをし、人間を試しているのかはわかりません。しかしだからこそオレたちは真実を知る必要がある。あなた方を神殿まで必ずやお送りいたしましょう。それに、自分の身は自分で守れます。あなた方はオレを気にすることなく自分の任務に集中してください」

 確かに、回避技能ならこの面子の中で最も高いのはクロード先輩だろう。一対一の戦いであれば勝つこともないが負けることもないと思う。必要最低限の動作で回避できる彼の身のこなしなら、持久戦に持ち込めればあるいは勝機も見えるだろうし。

「わかったわ。そこまで言うなら干渉しないわよ。勝手にするといいわ。あたしも勝手に選出者としての任務を全うしてやるわよ、帰る場所を失わないためにね」

 ――とにかく、神殿に行って、やることやって帰るだけよ、あたしは。

 左側から差し込んでくる太陽に目を細める。

 ――ん?

 そこであることに気付いた。

「あの……先輩?」

「何です?」

 左に太陽があるってことは、つまり……。

「この馬車、神殿に向かっているんですよね?」

「えぇ、そうですが」

 北に向かっているなら、右手に太陽が見えるはずで……。

「方向、逆じゃありません?」

 キーッ。

 馬車が急停車。

「お? う? あ?」

 クロード先輩は馬を止めると馬車を降りて辺りを見回す。一面に広がるのは静かな平原。

「ははは」

 乾いた笑いが大地に吸い込まれていく。

「すみません。道間違えちゃいました!」

「間違えたじゃなーいっ! どんだけ危機感が足りてないんじゃーっ!」

 ゴスンッ!

 馬車を飛び出したあたしの飛び蹴り。今回は見事に決まった。たぶんそれは彼自身が反省していたがためにあえて受けたのであって……。

 ――って。

「おい、ミマナ。だから加減しろって言ってるだろうが」

 完全にクロード先輩伸びちゃってるし。

「ご。ごめんっ! てっきり今回も避けると思って」

「お前のほうが危機感が足りてないだろうが」

 やれやれと言いながらマイトはすっかり伸びて目を回しているクロード先輩を担いで馬車に乗せる。

「うぅ……反省してます」

「操縦は俺が代わる。お前は馬車に乗ってクロード先輩の介抱をしてろ」

 言って、御者台にマイトが腰を下ろす。

「了解ー」

 ――はぁ、なんでこうなるかなぁ。

 あたしが馬車に乗り込むと、静かに発進する。

 前途多難な旅はまだ始まったばかりだ。



 町に戻ってうっかり消滅、なんてことがあるといけないので迂回路を選択。頭を強打して気絶していたクロード先輩はまもなく覚醒し、神殿に向かって馬車を走らせてくれている。

 そんな中、あたしはと言うと――。

「うぅぅ……」

 車酔いをしていた。

 決してクロード先輩の運転が悪いわけではない。くねくねと曲がりくねった道、そしてでこぼことした路面。そこを勢いよく走破しようと言うのだから車体が揺れる揺れる。長時間馬車に乗ることのないあたしにとって、これほどきついことはない。

 ――ひぃぃ、目が回る……。

「大丈夫か?」

 正面の席に座るマイトが心配そうに覗き込んでくる。

「だ、大丈夫よ」

 こんなことで負けていては戦場の最前線なんて無理。ここは何とかこらえなくちゃ。でも、生理的なものって耐えられるもんでもない、かも、しれない……。

「うぐっ……」

 気分が悪い。そろそろ限界だ。

「無理するなよ」

「無理してなんか……してないもん……」

 喋っていれば気が紛れるだろうか。口元に手を当てたまま下を向く。

「何かいるか?」

「……じゃあ、水」

「了解」

 すぐに水筒が出てきて、あたしはそれを口に含んだ。これで少しは落ち着いただろうか。

「ふぅ……」

「少し寝るか? 俺が夜にお邪魔したせいで、あんまり寝ていないだろう?」

 言われてみればそうだ。ほとんど徹夜でここまで動いている。昨日だってあれこれ調査していたので体力を使っているというのに。この体調不良はそれが原因か。

 でもあたしは首を横に振った。

「このくらい平気だって」

 あまり心配掛けさせても申し訳ない。あたしは笑顔を作って答える。

「うーん。水飲んで少しは顔色が良くなったみたいだけど」

「ね。もう心配いらないから」

「だが、休めるときに休んでおいた方がいいぞ? あの黒尽くめも気になるし」

 夜中にあたしの部屋にやってきた黒尽くめ。自分の主人が神様であるとか言っていた謎の男。あの男ともう一度対峙するような事態になったら、正直勝てる気がしないので逃げてしまいたい。簡単に逃がしてくれるような相手ではなさそうだけど。

「気になるのはわかるけど、気にしていたってしょうがないでしょ? 大丈夫、逃げ切る自信はあるから。そのくらいの体力はあるわよ?」

「ならいいけど。俺も逃げるので精一杯だろうしな。――だが、命に代えてもお前は護るからな」

 真面目な顔をして真っ直ぐあたしを見る。

「な、何言ってるのよ」

 ドキドキ。

 今までどうとも感じていなかった台詞だと言うのに、胸が高鳴る。

「それにあたし、護られるようなか弱い乙女じゃないけど?」

 自分の気を紛らわせるためにむっとした顔を作って言ってやる。

「俺にとってはか弱い乙女だよ、お前は」

「ぶー。あたしは並んで戦っていたいのに」

 ぷくうっと膨れたところで、マイトはあたしの両肩に手を置く。

 ――え? な、何?

 顔を覗き込むその目には決意の色。

 ドキドキドキ。

「別に俺はお前を弱いとは思っちゃいないよ。充分に強い」

「そ、それなら問題ないでしょ?」

 ドキドキドキドキドキドキ。

 あたしはマイトの視線から逃れるように顔をそむける。

「でも、お前は女の子なんだ」

「……」

 ――女の子だからって何? それのどこが問題なわけ?

 あたしにはわからない。

「自覚がないようだから、証明してやる」

「しょ、証明……?」

 マイトの頭が近付いてくる気配。

 ――な、何をしようって言うの?

 逃げられないあたしは両目を閉じて身体を硬くする。

 髪のにおい、汗のにおい。

 温かな呼気が肌に当たる感触、直接触れていないのに感じる体温。

 ――う……なんだか頭がぼんやりしてきた……。

「――って、やりすぎた! ごめん! ミマナ、大丈夫か? 全身真っ赤だぞ!」

 すっと離れるなり慌てふためくマイト。

 ――や、やだなぁ、大丈夫だって……。

 そう思っているはずなのに焦点が定まらない。

 ――うん、大丈夫……だよね……?

 今まで感じたことのない身体の反応。それに対処できない。

「あぁ、調子に乗り過ぎたっ! ごめん、ごめん、ミマナ!」

 そういって焦っている彼の顔も真っ赤だ。

 ――ふふふ……そういう表情は可愛いなぁ……。

 そんなどうでもいいことを思いながら、意識が途切れてしまったのだった。



 ガタン、ガタン……。

 規則正しい旋律と上下の振動。馬車が動いている。

 「――ん……」

 額の上のひんやりとした感触に、あたしは目を覚ます。視界に入ったのはクロード先輩のニヤついた顔。

「気分はどうです?」

「えっと……まぁまぁかしら」

 あたしは額に乗せられたまっさらな布切れを手に取ると上体を起こす。ここはまだ馬車の中のようだ。

「マイト君から聞きましたよ? あなたの弱点」

 愉快げに言うクロード先輩の台詞に、あたしは自分がどうして気絶したのかを思い出す。

 ――あたし、マイトに迫られて……!

「な、何を聞いたのっ!」

「いやぁ、意外ですね。町内最強の女戦士といわれるあなたの弱点が、まさかそんなことだとは」

「ちょ、ちょっと! 変な言い方しないでよね! あれは、その……」

「えぇ、心配しなくて結構ですよ。オレは口が堅いほうですし、その効果が期待できるのは彼がそれをしたときだけでしょうから」

 くすくす笑いながらクロード先輩は言う。

 ――ん?

 あたしはクロード先輩の台詞に引っかかりを覚える。

「――効果が期待できるのはマイトがしたときだけ?」

「えぇ、おそらく」

 そう答えたクロード先輩は何かを思いついたらしく、にっこりと微笑んだ。

「……なんならオレで実験してみます?」

 瞬時にあたしは眼鏡に向かって拳を真っ直ぐ放つ。

 クロード先輩はあっさりとそれを最小限の動きで避けきった。この間合いでかわすだなんて、いつ見てもすごい。

「……それだけの反射神経を持ち合わせているなら、敏捷を活かした武道家になれると思うんだけど」

「オレは頭脳さえあれば充分ですから」

 涼しげな顔での台詞。そういう態度があたしは好きになれない。

「でもはっきりしたでしょう? あなたはすぐに武力に訴える人だ。同じことをほかの人間がしたところで、おとなしくなるわけがない」

 ――そこまで言い切るか、この人。

「つまり、それだけマイト君のことを特別に思っているということですよ、ミマナ君。あなたは無自覚のようですが」

 ――あたしが、マイトを、特別視している?

「いや、それはないない」

 あたしは首を横に振る。

「照れなくてもいいですよ? それにオレはマイト君ならあなたを幸せにできるだろうと思っていますし。お似合いじゃないですか」

 ――あぁ、もう。なんでそう言うかなぁ。

「それはクロード先輩の主観でしょ? あたしはマイトを意識したことなんて一度もないわよ」

 あたしはだんだんと苛立ってくる。

「へぇ……ならば、オレにも機会があるってことですかね?」

「?」

 ――機会?

 言っている意味がわからない。

「気付いていなかったんですか?」

「何を?」

「お父様の命令であなたたちに同行したんじゃなくて、これはオレの単独行動ですよ?」

 クロード先輩は眼鏡に触れることなくさわやかに言う。

「え?」

 ちょっと待て。

 あたしは慌てて記憶を遡る。

 ――朝の登場時に眼鏡に触れていたのは……。

「あ」

 思い出した。思い出したわ。

『この町の命運が掛かっているんですよ? 町民の代表として監視しておきませんと。あなた方が恋仲になって任務を放棄してしまうのが一番の問題ですからね』

 その台詞の前に確かに眼鏡に触れていた!

「――あれは建前。任務を放棄してしまうのを心配したのではなく、オレはあなたがたの関係が変化するのに嫉妬しただけ」

 ――だ、騙された! 先輩の癖を把握しておきながら!

「少しは異性としてみてもらえませんかね? マイト君みたいにあなたを護ることは約束できませんが、足手まといにならない自信ならありますよ?」

 ――な、何、何言っちゃってるの? クロード先輩。あたしが蹴りを入れたせいで頭がおかしくなっちゃったとか? あ、でもそれならあたしが責任を取らなきゃいけないわけで……って、何考えているのよっ!

 あたふたしていると、クロード先輩は細く長い指をあたしのあごに添えた。そっと持ち上げられると、視線が重なる。

 ドキドキ。

 ――ちょ……今日のあたし、どうかしてる! 寝てないせい? 普段と違うことをしているから? だ、誰か教えなさいよ!

「おや? オレでもマイト君と同じ効果があるようですね。異性として認めてくれたようで、嬉しい限りです」

「じょ、冗談じゃないわ!」

 なんとかあたしはクロード先輩の指先から逃れる。心臓がバクバクしていることは誰にも悟られちゃいけない。

「顔を真っ赤にしているあなたは可愛いですね。ますます惚れそうですよ」

「か、からかわないでよ!」

 そう怒鳴ると、ぱたぱたと手の団扇で風を送る。露出した肌が赤く火照っているのが目に入る。

 ――う……少しは耐性をつけないとなぁ。でも、どうしたら耐性がつくものなの?

「気がついたのか? ミマナ」

 御者台から心配そうなマイトの声。

「なんであんたが御者台にいるのよ!」

 思いっきり八つ当たりである。心配してくれるのに感謝もせず、あたしは苛立ちを隠さない声で怒鳴る。

「えっ! だってあんなことのあとじゃ気まずいだろうが!」

「今現在も気まずいわよ!」

 馬車は静かに停車。すぐに扉が開けられる。

「クロード先輩に何かされたのか?!」

 敵意のこもったマイトの視線が向けられると、クロード先輩はすぐに両手を挙げて降参の意思表示をする。

「未遂です、未遂」

「未遂って――お前!」

 馬車に乗り込むマイト。逃げ場のないクロード先輩の胸倉を掴み、殴ろうと構え――その刹那、振り下ろされるはずの拳が静止した。

「!」

 今までとは違う気配があたりに充満している。マイトもそれを感じ取って思いとどまったようだ。

「この件はとりあえず保留だ」

 クロード先輩を乱暴に解放すると、マイトは周囲に注意を向ける。

「どうやら敵の来襲みたいね」

 あたしたちは臨戦態勢に入る。息を殺し、相手の出方を窺う。

「やれやれ」

 非戦闘員のクロード先輩は呟く。

 その直後に現場が動いた。

 馬のいななきを合図にばたばたという足音。複数の音がすることから察するに、敵は一人ではないらしい。

 窓よりも下に身体を潜め、頭を少しだけ出して外の様子を窺う。

 ――一人、二人、三人……。しかしこの熱中症になりそうな暑さの中、よく黒頭巾に外套なんていう格好ができるわね……。

 怪しげな結社に所属している導師みたいな格好の人たちがこの馬車に向かって近付いてくるのが見える。手に杖を持っているようだが刃物ではない。

「いけそう?」

 小声で反対側の窓から外を覗くマイトに問う。

「余裕。心配するな」

「期待しているわよ」

 外から聞こえる声。何を言っているのかまでは聞き取れなかったが、どうやら号令だったようだ。一斉に黒頭巾たちが接近してくる。

「出るぞ!」

 黒頭巾の一人が扉に接近してきたのに合わせて開け放つ。

 ごすっ!

 勢いよく放たれた扉に当たって一人を倒す。マイトはその流れに乗って近くにいた黒頭巾に接近、相手が応戦しきれぬうちに腹部に一発拳をめり込ませる。

 どんっ!

 マイトの攻撃に吹き飛ぶ黒頭巾。軽く飛ばされて地面に落ちたが、もう動かない。

 攻撃中を狙って別の黒頭巾がマイトの背後に回り杖を振りかぶる。

 しかしそれも予測済みだったのだろう。マイトはわずかに足を動かして上体をそらし、流れに合わせて足を回す。

 がすっ!

 あっけなく足の餌食になって吹き飛ぶ黒頭巾。憐れにさえ感じられる弱さっぷりである。

 ――号令かけていたわりには連携ができていないのよ、連携が。戦闘能力が低くても人数がいて統制が取れていれば倍以上の力になるわよ。

 そんなことを考えているあたしはというと。

 マイトが最初に伸した黒頭巾から握っていた杖を奪い、迫ってきた数人の黒頭巾をあっさりと昏倒させていたわけだけど。ま、一応あたしの得意な武器は棒なので。奪った杖じゃ尺が足りないけど、間合いを稼げるだけ持っていたほうが良いし、ね。

「――で、あたしたちに何のようだったわけ?」

 馬車の死角からこちらに向かってこようとした残る黒頭巾に、杖をすっと伸ばしてみせる。ぎりぎり当たらない位置を狙っていたのだが、ちょうど牽制になる距離に収まった。黒頭巾は杖を落として両手を挙げる。

「こ……降参します!」

 聞こえてきたのはまだ若そうな男の声。震えているようすから、かなり恐がっているとみた。力の差がありすぎだもんね、これじゃ。

「よろしい。――まずは、どうしてそんな格好であたしたちを襲ってきたのか説明してもらおうかしら?」

 あたしが問いかけると、黒頭巾は頭をクロード先輩に向かって動かす。

「は、話が違うじゃないですか、クロードさんっ!」

 その台詞に、あたしはクロード先輩から離れて彼を見る。

「うーん。これじゃ全然足止めにもなりませんでしたね。お二人とも強すぎです」

 にこやかな表情でさらりと告げるクロード先輩。

 ――ん? 状況がわからないぞ?

「どういうことなんだ? 説明してもらおうか、クロード先輩?」

 怪訝な顔をして、マイトはあたしに近付きながら問う。

「あれ? マイト君はご存知だと思っていたのですが」

「は? 俺は何も知らんぞ。俺が聞いているのは、神殿までのミマナの護衛だけだ」

「――あぁ、そういうことでしたか」

 クロード先輩は一人で納得して続ける。

「あなたに本当のことを話してしまったらミマナ君に筒抜けになってしまう、そう判断したのでしょう」

「一体何の話? ――それにひょっとしてこの人たちは……」

 この気だるい暑さの中で肌を出さない格好をしていた理由にあたしはやっと思い至る。だってこのくらいしか思いつかないじゃない。つまり……。

 クロード先輩は微苦笑を浮かべてあたしの言わんとする答えを告げた。

「えぇ、マイト君もミマナ君も殺すつもりで動いていないと信じているのですが――町役場職員の皆さんです」

 暑さにも負けずに黒頭巾の着用が決められていた理由はとても簡単。相手があたしたちの知っている人間だったから。

「うぉぉぉぉぉっ!? 素人臭いと思ったら、町役場の非戦闘員のやつらかっ!」

 マイトの困惑する声。

 ――えっと……本気で倒してないよね?

 あたしはまぁ、相手の殺気がそれほどじゃなかったので手加減はしたつもり。「格闘家たる者、相手の力量を瞬時に見極め、最適な攻撃、防御を行うべし」ってマイトのお父さんがいつも言っていたし。マイトの動きを追うくらいの余裕はあったってところが、どれだけ加減していたかの証明になるでしょ?

「非戦闘員ってことはありませんけどね。これでも警備課の方々なので」

 ――警備課でこれはまずいだろ。町護る側の人間でこれじゃ情けないにもほどがあるわ。

 あたしの心の中での突っ込みはとにかくとして、話がややこしい方に進んでいることだけはわかってきた。

「それで、クロード先輩? どうしてこんなことを? ――ってか、そもそもどこからどこまでがくっだらない企みなんですかね?」

 役場で町長に会ったときに感じていた違和感の正体。それがここにつながっているような気がする。

 あたしは腕を組んでクロード先輩を睨む。

「これ以上は隠せそうにないですね」

 はぁっと小さくため息をついたあと、クロード先輩は眼鏡の位置を直す。

「これはですね、町を挙げての壮大な暇つぶしですよ」

「それは嘘ね。うちの町に予算はないわ」

 クロード先輩の癖を読み取ってあたしはすぐに反論する。予算がないのも事実のはずだ。十年間の約束された不幸の年にそんな余裕があるわけがない。

「経理部のお姉さんみたいな言い方しないでくださいよ」

 あたしのきっぱりとした台詞に、クロード先輩は口元を引きつらせる。嫌な思い出でもあるのだろうか。

 ――ってそうじゃない。

「ごまかされないわよ? 町長は何を企んでいるわけ?」

 ずいずいっとクロード先輩に詰め寄る。

「あたしを何に巻き込んでくれたわけ?」

 びしっと握っていた杖をクロード先輩の喉元に向ける。

「これはですね、えっと――オレが言うのもあれなんですが……」

「はっきり言いなさいよね! ぼこぼこにするわよ!」

 杖の先でクロード先輩のあごを突いてやると、彼は両手を肩のところまで挙げて降参の意を示す。

「――マイト君の父親の依頼なんです」

「は? 俺の親父の依頼?」

 伸びている黒頭巾の皆さんに謝っていたマイトであったが、名を呼ばれてこちらの話に参加する。

「なんでも、優秀な後継者が欲しいので、是非ともミマナ君を嫁に迎えたい。どうしたらマイトがその気になってくれるだろうか――って相談されたそうですよ!」

 ――あ、クロード先輩イラついてる。

「父は仲人役が好きですから、それに手を貸そうと言うことで今回の騒ぎですよ。ありもしない神殿に二人きりで向かわせ、そこを我々町役場職員の面々が罠を張る。様々な試練をともに乗り越えていった二人の間に恋が芽生え、やがて結ばれるのではないか――という、くだらない演出に沿って行われた安い演劇です。わかっていただけました?」

 少なくとも、クロード先輩が言い難いと告げた理由はわからんでもない。

 しかし、それはそれ、これはこれである。

「じゃ、じゃあ、選出者の話は? 選ばれたのはあたしじゃないってこと?」

「えぇ、今年は選出者を出す年ですが、まだ決まっていません」

 クロード先輩が眼鏡に触れていないところからすると、それは事実のようだ。少なくともクロード先輩にその情報は伝わっていない。

「だったら、あの資料は? 町が一晩で消滅したって言うアレ」

 そう。あれがなかったらここまで慌てたりしなかったかもしれない。

「あの資料はオレが作ったんですよ。オレの所属が情報課なのはご存知でしょう? 機転を利かせて作ったんですが、演出にしてはやりすぎてしまいましたね。秘書の彼女には詫びておきましたが」

「偽の情報だったってことか?」

 むすっとしてマイトが問う。騙されていたことが許せないのだろう。しかも、くだらない親の依頼ともなればなおさら。

「えぇ、そうですよ。ですから、町は消滅していません。だいたい、一晩で町が消えるだなんてありえないでしょう?」

 確かにその通り。あたしもそれが気に掛かっていたのだ。どうしたら町を一晩で消すことができるのか、不思議でしょうがなかった。そのからくりが情報の操作というのなら納得できよう。

「……って、おい」

 何かに気付いたらしい。マイトはクロード先輩に真面目な顔をして声をかける。

「ほかに何か?」

 きょとんとした顔でクロード先輩は聞き返す。

「あの黒尽くめは誰だったんだ?」

「!」

 あたしはマイトの台詞に反応する。

「そうよ! うちの町にあんなに強い人っていた? 謎の術を会得しているような、そういう危険な奴、あの町にいるの?」

 生まれも育ちもあの町である。見回りと称してあちこち探検に行った思い出のあるあたしの記憶に、あんな人物は存在していない。

「それはオレも知りたいことですよ!」

 掴みかかる勢いで接近するあたしに、クロード先輩は慌てて答える。

 ――眼鏡に触れないところからすると、本当っぽい?

「だったら、どう説明してくれるの? あたしは黒尽くめに襲撃されたからこそ、本気にして町を飛び出したのよ?」

「知りませんよ。その件に関しては完全にオレの知る範囲ではありません。あのときは演出も兼ねて適当に合わせましたが、本当に知らないのです。一体どういうことなのか……」

 ――ん、待て。

 あたしは思い出す。

「――ねぇ? クロード先輩が明け方に説明してくれた『終末の予言』ってのは創作?」

「いいえ」

 てっきり肯定かと思っていたのに否定の答え。クロード先輩は首を横に振ると続ける。

「あれは古い文献に書いてあったことですよ。どれくらい有名なものなのかはわかりませんし、信憑性なども不明ですが」

 あたしはその返事を聞くと一歩後ろに移動する。冷静に考える必要が出てきたのだ。

「――あの黒尽くめの襲撃が現実にあったこととしてよ……あの黒尽くめが本当に神様の使いだったとしてよ……町を出るなら見逃すって言われたとしてよ……」

「それらが全部本当のことだったらなんだって言うんだ?」

 マイトが不思議そうに問う。

「……いやぁ、ね? このままあたしたち、町に戻らない方がいいんじゃないかなって」

 あたしは自分が出した結論を苦笑いで告げる。

「あぁ……そうなりますね」

 すぐに頷いたのはクロード先輩。

「そうって……あ、確かにそうなるが……。だが、あの馬鹿親父を殴っておかないと俺は気がすまないぞ?」

 うなりながらマイトは言う。あたしもこのくだらない寸劇に巻き込まれた被害者ではあるが、マイトも同じ立場なのだ。その首謀者が自分の父親とあっては怒りを向けるのはごく当然だろう。

「個人的な感情でうっかり町を滅ぼすわけにはいかないでしょうが」

「む、むぅ」

 納得しかねるといった表情だが、マイトはしぶしぶ頷く。

「――そうと決まれば、とりあえずどっか別の町に行くわよ」

 あたしは棒を放り投げると、つかつかと馬車へと向かう。

「どっかって?」

「近場の町。野宿は嫌だもん。一晩泊まるくらいのお金はあるでしょ? 少なくともあたしはそうさせていただくわ」

 マイトの問いにあたしはさらりと返事する。こんな蒸し暑い外で野宿するつもりは毛頭ない。水浴びをしないと寝られたもんじゃないわ。

「しかたねぇな。お前を一人にするわけにはいかないから、俺もついていくよ」

「了解」

 その答えを聞いて、あたしはクロード先輩を見る。

「で、クロード先輩はどうする?」

 彼は肩を竦めて微笑む。

「その馬車はオレの家から借用したものですよ? それを使いたいとおっしゃるなら、自動的にオレも同伴ということになりますが――」

 あたしの足はそれを聞いてくるりと反転。馬車から移動。

「じゃ、マイト。徒歩で次の町を目指そうか!」

「おうっ!」

「えぇぇぇっ!」

 焦ったのはクロード先輩。

 ――素直について行きたいって言えばいいのに。

 あたしはわざと意地悪することに決める。馬車の中での反撃のつもりだ。

「だって、馬車は便利だけど、必要不可欠ってわけじゃないし。それに、伸しちゃった役場職員の皆さんも運ばなきゃいけないし、ね?」

「あ、それなら安心してください。ちゃんとその辺の手配はしてありますから」

 生き延びた黒頭巾こと町の警備課職員の青年が答える。

「ほら、こう言っていることですし、次の町までは少なくともオレが案内しますよ?」

 ――クロード先輩、必死だなぁ。

 見ていて可哀想になってきたので、あたしは仕方なく誘うことにする。

「ならばお言葉に甘えて」

 あたしの笑顔に、クロード先輩は安堵のため息。ほっとしたところで、彼は警備課職員の青年に向き直る。

「――そういうことなので、父にはもうしばらく留守にすると伝えておいて下さい」

「はい。伝えておきます」

 どこまであたしたちの話を理解していたかはわからないが、しばらく事情があって帰れないのだということだけが伝わっていれば良いだろう。

「よおっし! 早速出発よ! で、あんまり会いたくないけど、あの黒尽くめを探し出して、思わせぶりなことを言って去った真意を問いたださなくっちゃね!」

 目指すは近場の町。探し人は神様の使いと名乗った黒尽くめ。

 あたしたち一行は町役場職員を蹴散らした現場をこうして去ったのであった。


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