「愛された」という責任
私は最近、あんまり元気がない。すでに事情を知っている人もいるかもしれないが、理不尽な万引き冤罪にショックを受けているからだ。
それは私個人の意志や選択で解決するものだから、あまり周囲が心配することはないのだが⋯⋯、一緒に暮らしている彼女が、元気のない私を見てとても心配している。
これは困った。
私は彼女と付き合って十数年になる。その時の中で、彼女は浮気を10回くらいしたが、それは彼女の意思による責任であり、私がどうこうできるものではない。すごく傷ついたが、この心の傷は、その先にあるものを求めたから生まれた、いわば、「渇望の傷」であり、自分の人生には無いものを求めた代償みたいなものだ。
私は彼女と付き合った当初から、「おまえがどんなことになっても俺は側に居続ける」と言っていた。
彼女はそれを、「よくあるテンプレだと思っていた」と、のちに当時の思いを語ってくれたが、十数年経った今も、依然として私は彼女の側に立ち続けている。
自分でその愛を発言した以上、
その気持ちに一切の嘘はない。
彼女が世界中から嫌われても、
私は彼女への愛を止めるつもりはない。
何者も、私の意志を変えることはできない。
◇
ここまで読んでみて、私が彼女に一方的な愛を抱いているのは十分に分かると思う。
一方的な愛とは、互いに思いが通じ合っている愛とは違い、自分の意思の責任による激しい痛みを自身で引き受けれるならば、2人の間にある深い狭間に「夢の愛の世界」を作り出せる、いわば「魔法」のようなものだ。
いま。私が元気を無くしたことでその魔法が解け、彼女がむき出しの私を見て心配をしている。魔法が解けたことにより、傷だらけの私が目の前に現れ、その傷1つ1つから彼女は自身の罪を視ることになる。
彼女は「わたしの全部を捧げる」と言う。
それはいらない。
そんなことを思うべきではない。
この状況は、完全にわたしの責任だ。
何もない彼女は捧げるものがなく、「全部」と言い換えられた「人生」しか捧げるものがない。私が「ふえーん」と、鼻水を垂らして泣いたことがよほどショックだったのだろう。
今までに、彼女は何度も「好き」と言ってきた。それは10回以上の浮気を見る限り、ままごと的であり、「好き」という言葉で誰かの気を引く、どこかでみた『愛』という体験を真似ただけの空っぽの言葉だった。
しかし今は、真剣な顔で「全て捧げるから元気になってほしい」と言う。
これは「愛された責任」が彼女に芽生えたということであり、私の一方的な愛が終わって、2人の間の「夢の愛の世界」が崩壊したことを意味する。
◇
私は彼女に平和なまま暮らしてほしい。可愛いものを見つけると、何とも言えない表情でそれを見つる彼女の瞳の奥に、私が渇望した「静寂な平穏」が見える。
その平穏を守るために、
私は元気にならなければならない。
それが、やっと2人の間に生まれた愛の芽を、
悲しみという嵐から守る唯一の方法だと思うから。




