若き剣豪が選んだもの
その男は、十二歳の誕生日に、親からこう切り出された。
「よいかマリウス、お前はこれから三年間、諸国で旅をして、剣術を修めなければならない」
マリウスの父の言うには。
ネイブン村道場を代々経営してきたこの家では、嫡子は十二歳になった日から十五歳の誕生日を迎えるまで、世界の見聞を修め、そしてこの道場の将来の師範たるにふさわしい剣の技を習得しなければならないという。
この習わし自体は、すでにマリウスは知っていた。道場の蔵に先祖の日記、というか諸国の旅日記が何人分かあり、彼は稽古の合間、休憩時間に読みふけっていたからだ。
だから彼はうなずいた。
「わかっております父上。僕はまだまだ未熟者です。剣の道を究めるには、きっと世界と触れることが必要なのでしょう」
そう言ったが、しかし父はため息。
「そこまでは必要ない」
「え?」
「もちろんそうしたいならそうしてもいい。だが、これはもう誰も廃止に反対などしない、形式的なしきたりにすぎない。まだ続いているのはひとえに私の力不足だ。この剣術道場が勇名轟く剣豪を何人も輩出した時代は、とうに過ぎたのだ。……三年間、適度に遊んで、無事に帰ってこい。死んだらどうにもならない」
父は続ける。
「自警団のジェイラス、羊飼いのリンファ、酒屋のヘンリエッタ、誰もお前が剣の極みに挑むことなど望んではない。お前も、特にリンファの別嬪さんとは仲良くしたいだろう」
「しかし父上、剣の家に生まれた者がそのような生半可な」
「……まあ、旅をすればお前も分かるかな」
荷物などをまとめておくように、とだけ父は言い、砥石を持って食卓を後にした。
翌日、マリウスは乗合馬車で故郷を後にした。
友人や家族などとの別れもそこそこに、彼はありふれた鉄の剣を空に掲げ、それをもって旅の始まりとした。
旅に、というより剣術の新たな鍛錬と立身出世に、彼は何か輝けるものを見ていた。
遊んで過ごすなどとんでもない。野試合から大会、栄誉の一騎打ち、そして叶うことなら皇帝による御前試合での勝ち抜き。
外で。外で、彼は世界と自分を比べることができる。世界に磨かれることができる。
彼の眼前は、黄金で彩られた気がした。
旅は回る。
あるときは都市の警備補助。日雇いである。
「くっ……退路を断たれたか」
「狼藉者よ覚悟! 僕の剣と打ち合え!」
「このガキが、その首もらってやるよ!」
狼藉者は剣を抜き、猛然と斬りかかる。
その狼藉者の剣は……未熟そのもの。
剣は遅く、踏み込みは甘すぎ、剣筋は全く妥当でない。
剣の次の展開を考えていない。弾かれる危険すら眼中にない。
事前の情報によれば、彼はこれでも元々は中位の道場の師範代の地位にあったという。
……なにか罠を構えている?
結論から言えば、そんなこともなかった。
「覚悟!」
ひらりと斬撃をかわし、死角からマリウスの剣が彼を食いちぎった。
あるときは道場の認定試験。もちろん実技である。
一年と少しで、グレミス剣術道場の筆頭弟子にまでのし上がったマリウスは、師範アルト=グレミスと直接剣を合わせる。マリウスの免許皆伝をかけて。
これまでマリウスが戦ってきた相手は、いずれも彼より力量において格下だったようだ。
しかし彼は喜ばない。格下をぶちのめして喜んでいても、剣の道は一向に極まらないだろう。
父は旅の始まりの時に「生きて帰ってくればそれでいい」などと言っていたが、きっとそれは自分に対する試練なのだ、と彼は思っていた。向上心をその言葉でも失わないことが、おそらくは剣に切磋琢磨するということに違いない。とすれば、格下をひたすら打ち破っているだけでは、その趣旨は果たされない。
師範の剣もそこまで冴えていないように見えるのが不安ではあったが、きっと免許皆伝はそれを超えた価値があるに違いない。
「不肖マリウス、先生と剣を合わせること、光栄に思います」
「その意気だ。まあ結果は見えているけどもね……。頑張りなよ」
両者、剣を構えると、審判役の「はじめ!」で、師匠にとって最後となる試合が始まった。
十五歳の誕生日まで一ヶ月の日。マリウスは数通の免許皆伝の証とともに、皇帝杯・御前試合の招待状を大事に整理していた。
不思議なことに、彼が戦ってきた剣士たちは、いずれも……不遜を承知でいうなら、弱かった。
あれよあれよという間に、免許皆伝をいくつも取得し、有名な剣士たちをあらかた下した。
これ以上の高みをみるならば、もはや招待を受けて御前試合に臨むしかない。
本当の強敵は、きっとその中にいる。
彼の旅は、最後になって金となるか屑となるかが決まるのだろう。
御前試合、決勝戦。
世界に名を響かせる剣聖の剣を、マリウスはついに制した。
「勝負あった!」
さすがに腕や肩に少しの摩耗を感じていた彼は、一方でついに察した。
もはやこの世界に、自分の渇望する、圧倒的で恐ろしい剣客は、どこにもいないのだと。
御前試合で優勝を決めた彼は、そのまま帝国の剣術指南役になるか否か、意向を聞かれた。
十四歳の若さで、というのは前例のないことであったが、一方で御前試合の優勝者を一時金の支給だけで済ませる判断もまた、ないようだった。
だが、同時に彼はこの旅の目的を思い出した。
これは故郷の道場を継ぐための試練であったはずだ。外の世界に触れたのは、あくまで生まれ育った道場に、自身の見識を持ち帰るため。
それに、羊飼いのリンファに、また会いたくもあった。旅の途上も文通は欠かさなかったが、それはともかく。……きっと、とりあえず御前試合に優勝したマリウスのことを、彼女は認めてくれる。
それが、ささやかな幸せというものだ。
彼は宮殿からの使者に告げた。
「僕は、身の程をわきまえて、故郷に錦を飾ります」
宮殿から乗せられた、きらびやかな馬車。
徐々に見知った景色が流れるようになり、やがて、マリウスのよく知る村の入り口で停まった。
彼は村民の盛大な出迎えに答える。
「ただいま、みんな」




