第6話
朝の蝉の声は、いつもより耳障りに感じられた。
真琴は祖母の家の布団の上で目を覚ました。体は汗で湿り、腕にはまだ俊の手を掴んでいた感覚が残っている。
あれは──夢だったのか?
そう思いたかった。けれど足首にうっすらと赤い痣が残っているのを見て、真琴の胸は重く沈んだ。
朝食の席で、祖母が何気ない声で言った。
「……あら、俊くん。昨日、顔を見なかったね」
真琴は箸を止め、祖母を凝視した。
「え? 俊なら、一緒に花火を……」
言いかけた瞬間、祖母の目がきょとんとした。
「俊くん? ……誰のことだい?」
頭が真っ白になる。慌てて集落を駆け回ると、近所の人々も同じだった。
「俊? そんな子、この村にいたかね?」
「真琴ちゃんの同級生? いやいや、聞いたこともないよ」
誰も彼の名を知らない。彼と過ごした記憶が、真琴以外のすべての人から抜け落ちていた。
夕暮れ、再び池のほとりに立った。
風もなく、ただ静まり返った水面。そこに映るのは、赤く沈みかけた空と──俊の顔だった。
水面に浮かんだその顔は、笑っているようにも、助けを求めているようにも見えた。
真琴は声をかけることもできず、ただ立ち尽くした。
池の水が、静かに揺れた。
それが風のせいなのか、あるいは──下から誰かが手を伸ばしているのか、確かめる勇気はなかった。