第4話
夕暮れ時、村の坂道を降りると、池が暮色を映していた。昼間の強烈な光を失った水面は、逆に底知れぬ闇を秘めたように静まり返っている。
俊は石垣に腰を下ろし、煙草に火をつけようとして、ふと真琴を見た。
「おばさんに聞いたんだろ? どうせ“忘れろ”って言われただけじゃないか?」
真琴はうなずいた。祖母の言葉が耳の奥で反響している。──水を怒らせてはいけない。
「……そう。でも、忘れられるわけないよ。あんなもの見せられて」
唇が自然と強く結ばれる。
俊はしばし黙り込み、それから苦笑した。
「俺もさ、毎年誰かが消えるのを見てきた。村の奴らはみんな目をそらす。でも、もう我慢できない。確かめてみようぜ。二人なら──」
「二人なら、きっと大丈夫」
真琴は自分でも驚くほどはっきりとそう口にしていた。恐怖よりも、知りたいという衝動が勝っていた。
俊は煙草をしまい、代わりに小さな懐中電灯を取り出した。
「舟はまだ残ってる。今夜、行こう」
日が沈みきり、闇が池を覆ったころ。二人は岸辺に並ぶ古びた木舟を引き出した。湿った木の匂いが鼻を突き、遠くで蛙が鳴いている。
舟が水に浮かぶと、思ったよりも軽く、ゆらりと不安定に揺れた。
真琴は櫂を握る手に力を込め、俊とともにゆっくりと漕ぎ出す。
村の灯りはすぐに背後に遠ざかり、代わりに黒い水面がどこまでも広がっていく。
月明かりに照らされるたび、波紋の間に何か白い影がよぎったように見え、真琴の心臓が早鐘を打つ。
「聞こえるか?」
俊が低くつぶやいた。
耳を澄ますと、水の底から“こん、こん”と叩くような音が響いていた。
その音は、まるで──舟の下から、誰かが出しているかのように。