九条悠生VS九重タクト
「探索者、E級昇格試験。第二試合開始!」
審判の宣言が演習場に響き渡るや否や、コメント欄は即座に騒ぎ出す。
“あれ? 九重タクトって剣士じゃなかった?”
“拳でやんの? それじゃあまりにもハンデが……”
“いや、C級とF級じゃ、これでも足りないくらいw”
“F級の彼、可哀想”
“これ一瞬で終わるやつw”
そんな中、戦いは始まった。
九重タクトが一歩、地を踏みしめる。
それだけで空気が重くなった。
拳を構え、真っ直ぐにこちらへ来る。
迷いがない。
まるで獣が突っ込んでくるような圧。
……だが、こっちも覚悟は決めている。
「――はっ!」
先に動いたのは俺だ。
踏み込んで右ストレート、体重を乗せて放つ。
そう、あの猿神を倒した重撃だ。
「オラァッ!」
それを、九重が真正面から迎え撃つ。
拳と拳がぶつかり、
ドガン、と風圧すら感じる衝突音を鳴らす。
二人とも後ろへ半歩ずつ吹き飛ばされた。
“うおおおお!?”
“拳、ぶつかって弾かれたぞ……”
“パワー拮抗してなかったか?”
“九重が手加減したのでは?”
“……これは意外と見応えあるぞぉぉ!”
「……ほう」
九重がうっすらと笑う。
「やるじゃねぇか」
次の瞬間、今度は九重が飛び込んでくる。
拳の角度、腰の入り方が、明らかに違う。
さっきとは別の技だ。
間違いなく、重撃と同等かそれ以上。
「これならっ――どうだァッ!」
それを、同じように俺は迎え撃つ。
バンッ!
衝突音はさらに大きく、足元の床がきしんだ。
二度目の衝突でも、結果は拮抗。
だが、こっちはわかってる。
九重の力を上がってきていることが。
それでも打ち負けていないのは、俺があえて、同じ力になるよう調整しているからだ。
これは絵を描く時、モンスターの位置調整にのみ使う俺の重撃と、理屈は同じ。
力の向きとベクトルを、相手に触れた瞬間に感じ取り、即座に出力を調整するだけのこと。
衝突の瞬間、相手の動きや内部の構造が振動になって伝わってくるから、絵を描くちょっとした材料になるんだよな。
あくまで写生のために自然と覚えたものだけど、まさか対探索者戦でも同じように使えるなんて。
思わぬ収穫だ。
バンッ――
バンッ――
拳がぶつかるたび、熱が高まる。
初めは様子見のために行っていたけど、
目の前の九重という男、思いの外、楽しくて仕方なさそうな顔で殴りかかってくる。
「ハッ、おもしれぇじゃねぇか!」
戦闘に悦するこの表情――めっちゃ描きたい……!
だけど描いてはいけない。
このジレンマが、俺の描きたいという欲をさらに掻き立ててくる。
だから今この瞬間、
九重タクト。
その構え、足運び、目の動き――
俺は全てをこの目に焼き付けている。
今この場にスケッチブックがあれば、もう描き終えてる。
でも、試験中にそれを出すのは違う。
だから戦ってこの目に、脳に記録する。
拳と拳、蹴りと蹴り。
それを何度も重ねながら、俺は九重の動き全てを脳裏に刻んでいく。
“こいつら、素手でやってるのに迫力おかしくね?”
“映像じゃ伝わらんかもだけど、床割れてるやんw”
“剣士なのに拳でもここまで戦えるって、もうすでにC級の域を超えてるのでは?”
“それをいったらあのF級も壊れ性能すぎる”
“さすが師匠……尊い”
“師匠、ずっと笑ってるのマジで怖いんだが”
“実は絵だけじゃなくて戦闘狂でもあったとはな笑”
【詩乃@写生室の弟子】
“師匠。お願い、勝ってください……っ!”
息が弾む。
けれど、熱は冷めない。
この構図を、描写を、あとで描けると思うと、本当に胸が弾むばかり。
しかし、
九重の表情からは徐々に笑顔で抜け落ちてく。
そして目の奥で何かが揺らいでいた。
何かを悟ったのか。
彼の中で何を思ったのか検討つかないが、試験前の顔つきとかかなり違う。
明らかに心の余裕がなくなっている。
……これ以上、引き伸ばしても仕方ないか。
次で終わらせる。
俺は拳を引いた。
次の瞬間――
九重も一歩踏み出した。
だがその足に、ほんのわずかに迷いがみえた。
それ故に遅れた初動。
――それが、この戦いの勝敗を分けた。
悪いけど、これは真剣勝負。
決めさせてもらう。
「重撃ッ!」
最高出力に練りこんだ拳が、九重の拳よりもわずかに速く相手に届こうとする直前、
九重には様々な思考が脳裏に走る――
* * *
くそ、なんでだ……っ!
拳が、重い。
ただのF級探索者の拳。
戦歴も、スキル構成も、武器すらない、はずだった。
それなのに、どうして。
この拳からは、一切底が見えねぇ。
しかもこいつ……調整してやがる。
オレの攻撃と全く同じ出力に。
こっちは中級以上のものを放ってる。
烈震撃。
内部にまで震動が届く衝撃打。
思わず重撃以上のスキルまで使っちまった。
直撃すればC級でも沈む威力のはず。
それをあいつは、重撃の力一本であえて受け止めてきた。
タイミングを合わせ、拮抗に見せかけて。
手加減? 侮辱?
――違う。
この表情、遊んでやがる。
いや、楽しんでるのか。
わけが分からねぇ。
オレたちは、勝つために殴るんだ。
生き残るために、牙を研ぐ。
なのにこいつは戦いの最中に、なんでこうもずっと笑ってられる。
なんなんだよ、お前は……。
頭に浮かんだのは、かつてのあの人だった。
まだオレがF級だった頃。
初めて見た、S級探索者の姿。
「いいか。戦いに必要なのは、強さだけじゃねぇ。楽しめる余裕だ」
あの人は笑っていた。
全身に返り血を浴びながら、敵の中心で、嬉しそうに拳を振るってた。
「楽しさがなきゃ、いつか心が折れる。苦しさだけで頂点になんか立てねぇよ」
憧れた。
心底、そう思った。
この人に追いつきたい。
早く隣に立って並べるような、スゴい探索者になりたい。
あの人は、半年でF級からS級になったらしい。
だったらオレだって最速で――
力こそ正義だと信じて、勝ちに拘り、誰よりも昇格を急いだ。
なのに。
オレは、いつから戦いが苦しくなった?
勝ち続けた先に残ったのは、虚しさだけだった。
拳を打ち合う。
コイツは、ただ強いだけじゃねぇ。
あの人と同じ目をしていた。
命のぶつかり合いを、本気で楽しんでいる。
……そうか。
オレは、あの人に追いつくことで頭がいっぱいだった。
だから、大切な気持ちを忘れてたんだな。
楽しくなきゃ、探索者なんてやってられねぇ。
そろそろ立ち止まってもいいのかもしれねぇな。
拳を構える。
最後の一撃。
勝敗なんてどうでもいい。
今はただ、この戦いを刻みたい。
お前の名、たしか……九条悠生、だったな。
――試験終了の鐘が鳴る。
次の瞬間、オレは天を仰ぎ、笑っていた。
「よォ……」
拳をまっすぐ突き立てる。
「……お前の勝ちだ、九条悠生。いや、ゆーぼう」
ただのF級じゃねぇ。
お前はオレの忘れてた、探索者の原点を、思い出させてくれたんだ。