E級昇格試験、開始
四日後。
E級探索者昇格試験当日。
探索者ギルド本部、地下演習場にて、本日試験が行われる。
この場所は、昇格試験や実地訓練のために設けられた本格的な戦闘区画。
「まったく、探索者の試験ってのは形式だけの試験が多すぎんだよ……」
開口一番にそうぼやいたのは、今日の試験官。
肩まで流れた黒髪を後ろで一つに縛り、軽装のレザージャケットを羽織った男性が、演習場の中央にあぐらをかいて座っていた。
「こんな軟弱そうなヤツらが、本当に上の階級を目指すってのか?」
鋭い眼光で俺たちを睨む。
今日の受験者は三人。
俺と、その隣に並ぶ剣士系の青年、もう一人が格闘家らしき若い女性だ。
そしてこの部屋の端に身なりの整った大人の男女が一人ずつ、左右に分かれて佇んでいる。
ギルドの職員とかだろうか。
“試験、もう始まる?”
“いやまだ”
“今回の試験官、九重タクトらしい”
“たった三ヶ月でC級まで上り詰めた男か”
“めっちゃストイックらしいぞ”
“そりゃ三ヶ月でC級だもんな笑 普通は一年くらいかかってもおかしくないだろうに”
“そいえば有名な探索者いる?”
“F級だぞ、いないだろ”
“そもそもこんなマニアックな配信、見に来る人の方が少ないって”
“師匠、見に来てやったぞ”
“あやつなら、九重タクトごと描きそうだ”
“それはさすがに草”
“誰だ師匠って?”
“悠生の写生室チャンネル。この前猿神倒した奴
“……は? あれ、デマじゃねぇの?”
“少なくとも生配信中に見てた身としては、映像は本物だったかと”
そして俺のスマホに飛び交うコメント。
これは探索者ギルド公式チャンネルの動画から、見守ってくれている視聴者たちのものだ。
生配信限定、アーカイブなし。
視聴者数は600人に届くかどうか。
今はE級の試験だからこんなものだが、これがB級やA級となれば別格だと、詩乃が言っていた。
【詩乃@写生室の弟子】
“……頑張ってください、師匠!”
そんな彼女は今日、一視聴者としてこの試験を見守ってくれている。
最近はずっと隣にいた詩乃が、今は画面越しにいると思うと少し変な感じ。
だけど安心する。
この無数にあるコメントの嵐の中に、自分のことを本当に知っている人がいると思うと。
「コメントなんか見てんじゃねぇぞ、テメェら!」
と怒鳴り声をあげるのは、目の前に座る試験官。
たしか九重タクトといったか。
「F級からE級にあがるってこたぁ、どういうことか分かるか?」
異常な緊張感の中、九重はまず俺の隣の青年を睨みつける。
「え、えっと……その……」
「次ィ、女!」
痺れを切らし、矛先はもう一人の参加者へ。
「え……っ、とぉ……危険度が、あが、る?」
その解を聞いた九重はニタッと口角を上げる。
「そうだ。今までのようなF級のお遊びダンジョンとは違う。本物の死が――お前たちを待っている」
空気がヒリついた。
まるで空間全域に渡って、薄い電気の膜が張り巡らされているかのような感覚。
C級にもなれば、こんな空気を自ら表に出すことができるのか。
いや、もしくは彼独自の気迫……。
どちらにせよ彼は、本気でこの試験の監督として、俺たちに向き合おうとしている。
「その覚悟があるかを見極めるのが、今回の試験。内容は簡単だ。オレとの一騎打ちで、テメェ自身がE級以上の実力だと、このオレ様に認めさせろ! まずはテメェからだっ!」
九重が指差したのは、剣士の青年だった。
「……は、はい!」
まだ若い。
真面目そうな顔に、緊張の色も濃い。
怯えながらもギルド職員らしき人から、訓練用の木刀を手渡される。
対して九重も同様の武器。
彼も剣士なのか、参加者に合わせた武器チョイスなのかは分からない。
だがその佇まいからは、只者じゃないほどの迫力を感じる。
迫力というか……もう殺気だ。
こんなの、一試験で出していいものじゃない。
「探索者、E級昇格試験。第一試合開始」
そんな九重の気迫など関係なく、審判役の職員は静かに淡々と開始の合図を告げる。
と同時、地面が鳴った。
ダッ、と床を蹴り込む音。
九重だ。
躊躇なく飛び込む姿勢に、剣士の青年は驚きながらも同じよう踏み込む。
だが、九重の速さそれを遥かに上回る。
一拍、二拍。
青年が剣を振り下ろすより早く、九重の剣先が横腹部に突き刺さる。
ゴッ。
「まだ浅ぇな」
突きによる木刀がめり込む。
「……カハッ!」
剣士が咳き込み、その場で膝をつく。
「手筋が甘ぇ。お前、そのままじゃ、モンスターに喰われるぞ?」
続けざまに振るわれた木刀が、青年のこめかみに叩き込まれる。
「ちょっ……! 九重さん!」
見張り役の職員が一歩前に出るが、九重は吐き捨てるように怒鳴った。
「うるせぇ! ダンジョンの中はこんなもんじゃねんだよ! 生きるか死ぬか! その覚悟を見てんだ!」
剣士の青年が倒れたままもがいている。
それでも、手をついて立ち上がろうとする。
偉い。
彼の心はまだ折れてないってことだ。
しかし――
「諦めねぇのは評価する。だが弱ぇな!」
九重の剣が振り落とされ、青年は完全に崩れ落ちた。
そこで、審判が静かに手を上げた。
「……試験終了。搬送班、お願いします」
その合図と共に、担架を持った別のスタッフが現れ、そのまま彼を運んでいく。
“え、これほんとに昇格試験?”
“殺意高すぎて草も生えない”
“ギルドって今こんな感じなの?”
“あれ? 試験ってこんな流血アリだっけ?”
“いやマジで止めないの? これ倫理委員案件では?”
“これがC級探索者からの洗礼……”
”試験官、もはや私怨入ってるだろ”
“グロ注意って書いといてくれ”
“おい、こんなの誰が合格するんだよ”
【詩乃@写生室の弟子】
“これはいくらなんでもやり過ぎですよ……”
いくらコメント欄が騒ごうと、ギルド職員が止めに入ろうと、試験は変わらず続いていく。
「ハッ、次はお前だぞ、女ァ!」
まだ余裕だぜとばかりに、九重は笑いを見せる。
俺の隣の女性。
だが、彼女は開口一番、震えながら頭を下げた。
「……き、棄権します」
九重が鼻で笑う。
「やる前から逃げる奴が、現場で生き残れると思ってんのかよ」
――そして、残ったのは、俺だけ。
つまり今から九重と戦うことになるわけだが、
「最後の一人は逃げねぇのか……ってなんだ、おめぇそんなもん持って何してる?」
さっきの女性が棄権して、明らかに興が削がれた九重。
彼は突如一転、目を丸くして俺を見る。
「何って、探索者同士の戦闘は珍しいからね。カタチに残してるんだよ」
と、当然のように答えを述べながら、俺は変わらぬ速度でペンを走らせる。
「……ほんとに絵ェ書いてんのかよ、気色悪い」
“また鉛筆握ってるw”
“試験中一人だけ絵描いてるの草”
“こいつホントに狂ってるよな……好き”
“さっきまで殺伐としてたのに笑”
“師匠はどこでもマイペースだなw”
“師匠ォ、一生ついていくっす!”
“写生室チャンネル登録しました”
“あの空気で描いてるの、むしろバケモンでは?”
【詩乃@写生室の弟子】
“師匠ぉ、止められなくてごめんなさい……“
「よし、描き終わった」
俺はペンとスケッチブックを床に置く。
「さっきの答えだけど、俺は逃げないよ」
そんなのなぜかって、決まってる。
最速でS級を目指すからだ。
こんなところで足踏みしている暇なんて無い。
試験場の空気が、一気に変わる。
九重の表情も一変した。
「ハハッ、いいぜ! 猿神を倒したっつーその実力、オレ様に見せてもらおうじゃねぇか!」
九重が一歩ずつ近づいてくる。
その圧は、もはや尋常じゃない。
これだけの迫力、本当は絵に収めたいけど、詩乃が試験中はダメって言ってたし。
「九重タクトさん、もう一度言います。これ以上、試験官の行動が基準を超えれば、試験そのものを中止にしますので」
見張り役の職員が、今度は真顔で告げた。
九重は舌打ちしながら振り返る。
「ちっ……これくらい、オレらが試験受けてた頃は当たり前だったのによ」
と、言いながら俺に向き直した。
仕方ない。
俺も戦う姿勢を見せるべく、拳を構える。
「……いいか? 生き残りたきゃ、牙を剥け。そうじゃなきゃ、お前はただモンスターの餌になる!」
九重は片手で指を鳴らしながら、息巻いた。
「探索者、E級昇格試験。第二試合開始」
そしてすぐ、戦いの幕が切って落とされたのだった。