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3/30

目指すは登録者数500万人


 詩乃が「弟子にしてください」と言ってきてから、数日が経った。


 あの時の彼女は、まっすぐに俺を見て言った。


「上層部から仕事を山ほど押し付けられてたんです。無茶な依頼とか、報告書の横流しとか……。でも、もうやめました」


 その目は、迷いも濁りもなくて。


「これからは自分の目で確かめて、したい仕事だけ選んで生きていこうと思ってます」


 とはいえ生態記録士という仕事は続けるらしい。


 ただ、内容は選ぶ。

 あくまで自主的に動いていく、とのことだった。


「こんなワガママが通るなんて、生態記録士も人手不足なんですね〜」


 といって詩乃は軽く笑っていたが、弟子入りに対する気持ちは本気のようだった。


 驚いたけど、断る理由もない。

 だからこそ俺は彼女を受け入れた。


 ただ、絵は描かないらしい。


「絵のセンスは壊滅的なので……私、撮る係に徹します。その代わりこの目と、カメラにしっかり収めますので」


 と、そんなわけで、今は詩乃が撮影を担当してくれている。


 画角の安定感も抜群だし、何より俺が両手を空けられるのが嬉しい。

 やっぱり人に頼れるって、いいな。


 配信の雰囲気も、少しずつ変わってきた。


 コメントには詩乃を褒め称える人たちが増えつつも、画角の指示が飛び交ってる。


 登録者数も、今や倍くらいになった。

 配信に女性の声が入ったというだけで、すごい伸び具合だ。


 増え方はゆるやか。

 コメントも絵に関係なことも多いけど、それでも、誰かが見てくれてると思うと嬉しい。

 

 ただ絵を描くだけの配信だけど、なんとなく、ちょっとだけ世界が広がった気がした。


 そして今日も俺は描くのだ。


 そのために今潜っているのは、F級ダンジョン。

 極めて危険の少ない場所だ。


 薄暗いダンジョンの奥、苔むした壁と湿った空気の中で、俺は、ペンを走らせている。


「いいよ、その角度……光の当たり方も完璧。動かないでね」


 目の前には、全身を薄い甲殻で包んだ大型カニ系モンスター《赤鋏蟹(せききょうがに)》。

 通常個体よりも倍近いサイズで、右の大鋏が過剰に肥大している珍種らしい。興奮する。


 カメラの液晶越しに、詩乃が苦笑した。


「……師匠って、本当に怖いものないんですね。あの爪、並の探索者なら一撃で致命傷ですよ?」


「大丈夫だよ、蟹さんもこんなに協力的だし」


 まぁ、俺が糸縛で押さえてるんだけど。


「あと、いまちょうど構図がいいから。カメラ、もうちょい左にずらしてくれる?」


「あ、はい……っと。これくらい?」


「完璧!」


 シャシャッと線を重ね、ペンが走る。

 脳内にはすでに構図と色味、ハイライトの位置まで出来上がってる。

 描くのが、ただ楽しい。


 コメント欄の管理も、詩乃に任せてある。


 

“おお、この蟹、前脚デカすぎでは?”

“師匠またレア個体見つけてる……!”

“後脚の付け根、もうちょい寄ってください!”

“詩乃さんカメラワーク神”



 詩乃がカメラをズームした。

 おそらく何か指示があったんだろう。


 ふと、カメラ越しの詩乃と目が合う。

 彼女は不思議そうな顔をしていた。


「師匠。チャンネル、もっと伸ばそうとか思わないんですか?」


「うーん、なんで?」


 ペンを走らせながら、軽く聞き返す。


「いや、こんなに面白い配信なのに。もっと多くの人に見てほしいって、思わないのかなって」


「それより仲良い視聴者さんと一緒に絵を描ける今の方が、楽しいからさ」


 彼女の言い分はごもっとも。

 だけど、これが俺の本心だから。


「……変わってますよね、やっぱり師匠って」


 詩乃は苦笑したあと、少し真面目な声になった。


「……師匠、探索者階級を上げるつもりは? 師匠の青銅竜さえも縛ってしまうあの実力は、おそらくS級クラスにも匹敵します。あとはこのチャンネルの登録者数さえ伸ばせば……」


「じゃあ逆に聞くけど、なんで上げなきゃいけないの?」


「え……そりゃ、上位のダンジョンに行くには同等級のランクに上がる必要があるわけで……」


「この前もA級行ったけど?」


 そう、階級がAであれFであれ、ダンジョンには難易度関係なく中に入れるのだ。

 国的にもギルド的にもあまり推奨してないみたいだけど、特に規約違反ではないらしいし。


「でもそれ、正式な申請では認められないものです。無断で入っただけですよね?」


「……まぁね」


 実はコッソリ忍び込んだだけ。

 だから報酬もないし、成果も認められない。


 それでも……絵が描けるのなら、俺は十分だ。


「……では師匠、S級のモンスターはどうされるおつもりですか? 描かない、わけじゃないですよね?」


「うん? いつか描いてみたいとは思ってるよ?」


 その問いの意味が分からなかったけど、俺はとりあえず頷いてみせた。


「それ、本気でいってますか?」


「うん、モンスター全部描きたいし。S級のモンスターだって、例外じゃないよ」


 ぴたりと詩乃の手が止まった。


「……もしかして、知らないんですか?」


「なにを?」


 この後の言葉が急に怖くなった。

 自分の知らない何かを、事実として受け入れなければいけない気がして。


「S級以上のダンジョン、S級探索者じゃないと入れませんよ?」


「…………え?」


 あまりの衝撃に、時間が止まったかのような錯覚を起こした。


 口が開いたまま閉じない。


 それでもなんとか、自分の思っている言葉を口に出した。


「えっと、こっそり入ったり……」


「犯罪です」


「知り合いのS級探索者に同行したり……」


「全員身分証チェックされます。ってそもそもS級探索者の人なんて、この国に10人しかいないそうですけど、知り合い、いるんですか?」


「……お、終わったぁ」


 俺は膝から崩れ落ちる。


 よく考えるとそんな知り合いいないし、いたとしても入れないんじゃ意味がない。


「そんなこと……知らなかったぁ……!」


 そういえば探索者になった時、ギルドからクエストの受注方法やダンジョンへの入り方を教えてもらったが、あの時の俺はダンジョンに入れることが嬉しくて、まともに話を聞いていなかった。


 きっとその中に詳しい説明があったんだろう。


「大丈夫です。師匠ならすぐ昇格できますよ!」


「……どうやって?」


「今はF級ですから……まずはE級昇格ですね。必要なのはF級ダンジョン3つの攻略動画、あと登録者数300人と総再生時間1000時間。それでギルドから昇格申請が出せます」


「登録者300人……? なんで探索者として強くなるのに、チャンネルを伸ばさなきゃなんだよぉ」


 くそぅ。

 俺は絵が描けりゃいいのに。


「知ってると思いますが、現在の探索者界では、配信者になるのが必須です。今や動画配信とは、探索者の強さの象徴であり、信頼の証ですからね」


 詩乃は「そ、し、てっ」と語気を強め、次の言葉を言い放った。


「最終的に目指すS級は、登録者数500万です!」


 ニカッと満面の笑みで。


 こっちは全く笑えない。

 S級以上のモンスターを描くために、これほどの苦行があるとは知らなかった。


「チャンネル初めてはや数年、登録者数41人の写生室がいきなり300人って、一体何年の月日がかかるんだよ……」

 


“おっ! チャンネル主さん、いよいよ昇格狙い?”

“いけるよ、アンタなら”

“S級か。描きましょう、悠生さん”

“よし、推すか!”

“#写生室を広めよう”

“なんならS級よりも詩乃さんが見たい”

“↑いや、師詩コンビでセットだろ”

“↑悠詩乃コンビだってw”

“2人が付き合ったらこのチャンネル伸びるぞ”

“すみません。脚部アップお願いします”


 

「……へ、変なコメントもありますがっ、視聴者さんも……応援してくれてますよ」


 変なコメントってのはよく分からないけど、応援してくれてるなら嬉しい限り。


「だけど俺、チャンネルの伸ばし方分かんないよ?」


 ぼそっと漏らすと、詩乃がにっこり笑った。


 その笑顔は、どこか不敵で。


「ふふっ、生態記録士もね、元は探索者なんですよ。配信系はこの私、一ノ瀬詩乃にお任せください!」


 どやぁ、とまるで文字が浮かび上がりそうなほどのドヤ顔に、俺はこう言うしかなかった。


「……わ、分かりました」と。

 

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