第23回「青銅竜・翼部詳細写生会」
本作は公募用です。
なので、80000字は必ず書きます。
どうぞよろしくお願い致します!
1話、2話はヒロイン視点です。
「A級モンスターの青銅竜が、ポーズを決めて写絵のモデルにされてる!?!?」
岩陰から覗いた私は、瞬きさえ忘れていた。
ここ、A級ダンジョンだよ!?
しかも凶暴な青銅竜、別名ブロンズ・ワイバーンが複数体徘徊するような深部。
そんな危険地帯のど真ん中。
どれだけ優秀なA級探索者でも、パーティを組んで戦うのでやっとなのに、
その男は、モンスターの真正面に立っていた。
警戒もなく、武器も構えず、ただ静かに――ペンを走らせていた。
戦ってすら、ない?
そして目が思わず、その腰元に留まる。
黒革のペンケースが、ベルトに巻きつけられていた。
無骨で無機質な戦闘用ホルスターとは違う。
だが、それはまるで鞘のように洗練されていた。
そこに収まるのはペン。
細身で芯径の違うものが、綺麗に揃っている。
腰の道具は明らかに芸術家のものだ。
けれど、その佇まいはどんな上級探索者よりも迫力がある。
何……この人……。
彼は青銅竜に声をかけた。
「もうちょっと上を向いてもらえると嬉しいな〜。……ほら、竜翼フェチ@青銅竜しか勝たんさんがコメントで言ってるからさ」
どこかの喫茶店かと錯覚するほど、のんきで明るい声色。
その声に反応するように、青銅竜は少しだけ顔を上にあげた。
「……なんで?」
私は反射的に息を潜め、岩の裏へ身を隠す。
青銅竜。
その名の通り、青銅の甲殻を持つ大型の竜種。
強力な酸性ブレスと俊敏な脚力で、A級探索者数人をも返り討ちにする危険個体だ。
そしてこの場をこっそりと覗き見している私は、一ノ瀬詩乃。
ただの生態記録士だ。
これは戦闘職じゃない。
ダンジョン内の魔物や生物の生態を観察し、記録し、報告書にまとめることが主な仕事。
討伐も捕獲もしない。
ただ、見て、知るだけ。
いわば、ダンジョン界の事務職みたいなもの。
だけど時には、今回のように命の危険を冒してでも深層に足を踏み入れなければならない時もある。
私たちの観察眼じゃないと、知り得ない生態があるからだ。
そのための《隠密》と《防護》。
この職につくために、嫌というほどこの二点を極めさせられた。
そう、生態記録士とは――
自分の身を守ることに特化した、探索者の集まりなのである。
とはいえ、これは私にとってただのノルマ。
今回の潜入も、報告書の空白を埋めるための事務的作業にすぎない。
だけどさすがにA級の生息圏、ブロンズ・ワイバーンの行動パターンを可能であれば目視で――というのは、さすがに無茶振りすぎる。
はい、可能であれば、って言えば全部通ると思ってるよね、上層部。
こっちはもう、何日も徹夜で報告書書いてるんですけど。
……じゃなくて、今は青銅竜の話だ。
彼らは特に鋭い直感、優れた知能を持つ。
いくら隠密の上手い人でも、青銅竜に見つかる可能性はゼロじゃない。
しかも見つかったら間違いなく、終わる。
彼らは一度認識した匂いを忘れない。
地の果てまでも追ってくると、生態教本には記されてあった。
それだけ危険な相手にも関わらず、
あの青年は、本来ではあれば絶対に接触してはいけないような至近距離まで傍に寄り、
あろうことか無防備に、絵なんて描いてしまっている。
「……やっぱり正面威嚇ポーズじゃ角度がなぁ。ちょっと調整しようか」
そう言って助走を取り、ふわりと跳び、ワイバーンの顎を軽く蹴り上げた。
「その角度ォ! 完璧!!」
まるでプロカメラマンのような褒め方。
そして青銅竜は少し顎を上げ、ピタリとその場で静止した。
威嚇でも、硬直でもない。
あれ、怯えてる?
青銅竜が、そんな表情を見せるなんて……。
私の記録では一度もない。
生態教本ではこう書かれていた。
ブロンズ・ワイバーンは、自分より明確に格上の存在には服従反応を示す。特に、群れのボス的存在に対しては、極めて忠実で、警戒よりも信頼を優先する、と。
まさか、あの青年を格上だと認識してるの……?
そんなはずない。
馬鹿げてる。
でも――青銅竜の顔を見た瞬間、その否定が引っ込んだ。
完全に、従ってる。
青年が鉛筆を走らせるたび、角度を変えてやろうかとでも言うように、青銅竜の身体が微調整されていく。
それを配信カメラらしき機材で録画しながら、彼は軽快に喋っていた。
「ん〜なんだかんだ、俺のチャンネル《悠生の写生室》も視聴者さん増えたなぁ。へへへっ。今日は色乗りもいいし、とってもいい日だ!」
端末で何かを確認しながら、青年は笑った。
私は慌ててスマホを取り出し、口にしていた単語を検索する。
《悠生の写生室》
登録者数:20名
配信タイトル:第23回「青銅竜・翼部詳細写生会」
再生数:38回
コメント欄:
“翼の裏の質感、もうちょっと近くで見たいな”
“翼基部の筋肉、若干引きすぎです。もう少し反らせますか?”
“チャンネル主さん、今日は色乗りがいいですね〜”
“次、牙とかいけますか?”
「え……なにこれ、どういう空間……」
思わずつぶやいていた。
だってここ――A級ダンジョンだよ?
それも、複数人の探索者が命がけで挑む最深部。
その真ん中で、あの男は「ちょっと角度変えて」ってモンスターを蹴って、画角調整して、スケッチして、それを配信して、楽しんでいる。
視聴者さんすらこの状況をおかしいとも思わずに、おそらく絵を描きながらコメントしてる。
この人たちおかしいよ。
……あれ、おかしいの、私?
あまりにも世界が……違いすぎる。
そもそもA級ダンジョンには、A級以上の探索者しか、基本は入れないはず。
それだけの実力があるなら、生態記録士をしている私が知らないわけがないのに、
いくら思い返しても、あんな探索者、一度だって見たことがない。
おかしいよ、絶対。
「そうだ……っ!」
私はふとした思いつきで、このチャンネル概要を確認した。
何か、彼についての情報があると思ったから。
『絵を描くことが好きなF級探索者です。被写体のモンスターさん、あまり怒らせないよう頑張ります』
F級!?!?!?!?
それって、探索者の中でも一番下位だよね!?
そもそも青銅竜どころか、F級のダンジョンをようやくソロで討伐できるかどうかのレベル。
……というかA級のダンジョンになんで居るの?
私は生態記録士史上、初めて陥った迷宮入りレベルの謎に、頭を抱えた。
「……こんなの、初めて」
完全なる思考の停止。
ここ数日、まともに寝られてないせいもあってか、ダンジョン内にも関わらず、私は考えることを放棄したくなっていた。
まさにそんな時だった。
「――ッ!」
耳が竦む、低い唸り声が背後から聞こえた。
振り返ると、そこには別個体の青銅竜。
牙を剥き、喉を鳴らし、こちらを狙っている。
しかも、明らかに大きい。
これ、青銅竜の中でも……ボスクラスっ!?
集中しすぎて……隠密スキルを維持するの、完全に忘れてた……!
「待って、待って、待って! 無理無理無理無理!! 私、戦えないって!!」
巨体が牙を向け、完全に狙いを私に絞った。
足がすくむ。
手が震える。
この距離じゃ絶対逃げられない。
――死ぬって!
「……おっ、人を襲う青銅竜。構図的にも、割といい感じだなぁ。すごく絵になるよ」
そんな声が、背後からした。
さっきの青年の声。
写生室のチャンネル主が、笑いながら近づいてくる。
「よし、動かないでね。今の表情、ものすごくいいからさ」
そして彼は、スケッチブックを手に、ワイバーンと私の間に――ふっと、立った。
「……え?」
この人、さっきから何言ってんの?
こんな化け物を前に、なんで彼は平然と笑っていられるの?
ほんとに――狂ってる。
でも、ふと思った。
実はこういう一風変わった人が、物語の主人公で、のちに世界を容易く救ってしまうのかもしれない。
――かつて、世界を脅かした存在がいた。
誰もが『魔王』と呼び、特別な力を持つ『勇者』という存在が数年かけて討伐したという。
当然その戦いの中に私たち『探索者』は、あまりの実力差に介入する余地すらなかった。
でも、もし。
あれと同じものが再び現れたとしても、
この人なら、倒してしまうんじゃないか。
何食わぬ顔で絵なんて描きながら、
この世で最強の二勢力、『魔王』と『勇者』に堂々と並んでしまうんじゃないか。
狂気と無邪気さが入り交じったような笑顔を浮かべる彼を見て、私の胸には、ふとそんな予感がよぎったのだった。