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9話 仮面の朝餐_1

翌朝――。

高い天蓋の奥から、ぼんやりと朝の光が差し込んでいた。その光を見ながらリゼリア――今は“リゼナ”として生きる少女は、ベッドの上でそっとため息をついた。


「この国や家門について調べるには、まずは書庫よね…。貴族の屋敷なら、小さくても書庫くらいあるでしょう。最低限の資料は揃ってるはず…」


と、そのとき。


「お嬢様~。奥様とリリアナお嬢様が、ぜひ一緒に朝食をと仰っております」


間延びした声とともに、勢いよく扉が開く。

現れたのは、そばかすの浮いた頬に、どこか人を見下すような笑みを貼り付けた、あの侍女だった。


(またあなた……ってことは、やっぱり私の付きの侍女ってわけね…。それに日記には“朝食はいつもひとり”って書いてあったのに今日は随分と優しいのね)


無関心だった者が、急に声をかけてくるとき。

それは決まって、何かを頼みたいときか――もしくは、よからぬ企みを抱えているときだ。元魔王として数々の策謀を見抜いてきた経験が、そう警告していた。


(……まぁ、ただの気まぐれという可能性も捨てきれないけれど――あのリリアナの性格を考えると、やはり何か裏があると見ておくべきね)


そう結論づけたリゼナは、侍女に問いかけた。


「…朝食?いつもは一人で済ませていたと思うけれど。どういう風の吹きまわしかしら」


「まぁ!リリアナお嬢様がわざわざお誘いになったんですよ。落馬の衝撃でまだ混乱しているお嬢様を、心配しておいでなんです。心優しいリリアナお嬢様に感謝してくださいね」


(あ~はいはい。ここの侍女は口を開けば”心優しい~”って、そればっかりね)


誇らしげに言う侍女に、内心呆れるリゼナ。この侍女の忠誠心がどちらに向いているかは、火を見るより明らかだった。


「さぁ、早く準備してください。お二人がお待ちですから」


押しつけがましい声を聞きながら、リゼナは一度、まぶたを伏せる。


(……そういえば以前も、身支度は私自身でしていたわね)


日記にあった過去のリゼナの暮らしぶりが、また一つ見えてきた気がした。


「…あなた、名前は?」


「…え?ドリーですけど…?」


突然の質問に、ドリーは戸惑いを隠せない。なぜ今さら名前を聞くのか、という困惑が顔に浮かんでいる。


「ふうん、ドリー。じゃあ、あなたの“お仕事”って何かしら?」


「それはお嬢様の身の回りのお世話を……」


「そうよね」


リゼナはふわりと微笑んだ。けれど、その瞳の奥は氷のように澄んでいた。


「なら、朝食に向かうための身支度も、“あなたのお仕事”よね?」


「……っ」


言葉を詰まらせるドリーを一瞥して、リゼナはゆっくりと立ち上がる。


「じゃあ、お仕事を果たしてもらえるかしら?」


その声は穏やかで優しい。けれど、“今後なめた真似は許さないわ”という、貴族らしい威圧が滲んでいた。

渋々ながらも準備を始めるドリーの背を見ながら、リゼナは小さく息をつく。


(……まったく、面倒な家ね)


けれど、今は波風を立てる時じゃない。

この屋敷の中にある「知識」こそが、今のリゼナにとって必要な武器なのだから。


(まぁ、朝食のあとにでも書庫を探してみましょうか)


そう心に決めながら、リゼナは身支度を整えた。


◇◇◇


「お待たせして、申し訳ございません」


扉を開けて、リゼナは丁寧に一礼した。すると、待っていたかのように奥から冷ややかな声が響く。


「十八にもなって、朝食に遅れるなんて…。貴族の令嬢たる者、教養も規律も、年齢と共に自然と身につくものですのに」


一見たしなめるような口調。けれど、その言葉の端々には、棘が隠しきれず滲んでいた。

リゼナは眉一つ動かさず、にこりと微笑む。


(侍女に呼ばれた時点で“もう2人がお待ちです”なんて言われているのに、どう急げっていうのかしら。最初から遅刻は確定じゃない)


「そういった基本的なことができないから、いつまでもだらしない印象を与えるのよ。だから未だに魔法も発現しないのでしょう?」


継母の辛辣な言葉に、リゼナは内心で冷静に分析していた。


(なるほど、この女性がリゼナの継母か)


日記で垣間見た冷酷さが、まさに目の前に現れている。


「お母様、そんなふうにお姉様を責めないでください。お姉様だって、お姉様なりに頑張ってらっしゃるんですもの。魔法が発現しないのも、きっと何か理由があるんですよ。ね、お姉様?」


継母の隣の席から、リリアナがふんわりと笑いかけてきた。まるで“心優しい妹”を演じるかのように、声は柔らかく、目元には憐れみを滲ませて。

けれど、その言葉の一つ一つには丁寧に毒が塗られている。


(何か理由がある…ね。魔法の芽すら出せない姉を、遠回しに“欠陥品”と宣言しているつもりかしら)


心の中でリリアナの言葉を受け流しながら、リゼナは静かに空いている席へと歩いた。

椅子を引き、すっと腰を下ろしたリゼナは、整った口調で口を開く。


「魔法が発現しないのは、私が未熟なせいです。…けれど、せめてお義母様のご期待に応えられるよう、これからはもっと精進いたします」


その言葉には、控えめながらも芯のある声音と、曇りのない眼差しが宿っていた。

継母はわずかに眉を持ち上げたものの、すぐに表情を整える。おそらく、いつものリゼナならもっと萎縮した態度を取っていたのだろう。この堂々とした様子に、わずかな戸惑いを覚えているのかもしれない。


「……それなら結構。ルクレシアの名に泥を塗らぬよう、せいぜい励んでちょうだい」


その名を耳にした瞬間――リゼナの瞳の奥が、ふと僅かに揺れた。


(ルクレシア家、ね。ありがとう、お義母様。皮肉のおかげで、一つ手がかりが増えたわ)


この家の正式な名前が分かれば、書庫での調査も格段に効率的になる。

リゼナは微笑みを崩さぬまま、湯気の立つカップにそっと口をつけた。

その様子を見ていたリリアナの笑みが、すっと消えた。


母にだけ向けられた返答。自分は完全に無視されたという事実に、その頬がかすかに強張る。

周囲には気づかれまいと必死に笑顔を保っているが、握りしめたナプキンの端がわずかに震えていた。


(ふふ、可愛らしいわね。でも残念ながら、その程度の演技では私を騙せないわ)


リゼナは紅茶の香りを楽しみながら、内心で愉しんでいた。可愛らしい反応だ。しかし残念ながら、その程度の演技では騙されない。元魔王として、もっと巧妙な策略を幾度となく見破ってきたのだから。


そんな時、継母が口を開いた。


「そういえばリゼナ。あなた、落馬したんですって?」

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