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4話 小さな棘

◆◆◆


(…なんなのこれ……、過去の…記憶?)


一瞬、足元が揺らぐような感覚に襲われた。思わず言葉を失いかけるが、目の前のリリアナは、涙に濡れたままの瞳で微笑んでいる。


「お姉様…?どうして私のことを“リリアナ“って…もしかしてあの時のこと、まだ怒って――」


「リリー、落ち着いて」


リリアナの言葉を遮るリゼリアの一言。その言葉にリリアナだけでなく、周りの侍女も驚いたようにこちらを向いた。


リゼリアは、“リリアナ”と呼ぶべきか一瞬迷ったが、記憶の中で彼女が使っていたのは”リリー”という愛称だった。それが本来の呼び方なら、わざわざ他人行儀にする理由もない。

だからあえて、“リリー”と呼ぶことにした。


「実はね…落馬の衝撃で記憶がまだ曖昧なの」


「……そうだったんですね、お姉様。そんな状態なのに、私……」


リリアナは申し訳なさそうに目を伏せながら、ちらりとこちらを窺う。


「でも……記憶が曖昧でも、心は覚えてるって私は思うんです。お姉様は、昔からとても優しかったから。だから……あの時のことも、きっと思い出してくれますよね?」


涙をにじませた微笑。しかし、その笑みには計算されたような美しさがあった。


(ああ、そういうことね)


リゼリアは静かに理解した。この妹は今、完璧な演技をしている。

周囲の視線を意識した涙。計算された震え声。そして「お姉様ならきっと」という期待を込めた言葉――全ては、自分から都合のいい謝罪を引き出すための布石だった。


(姉妹仲は、思ったより複雑みたいね)


興味深い、とリゼリアは思った。元魔王として数々の権謀術数を見てきたが、実の妹からこのような心理戦を仕掛けられるとは。


この身体の本来の持ち主――リゼナに特別な思い入れはない。しかし、一方的に悪者にされる筋合いもない。何より、こんな見え透いた罠にはまるほど、自分は愚かではなかった。


(いいわ、リリー。あなたが望む通り、姉妹の物語を紡いであげる)


ただし、それはリリアナが想像するものとは、少し違うかもしれないが。リゼナは心の中で静かに微笑んだ。


沈黙が流れる中、リゼナはゆっくりと口を開く。


「うーん…でも思い出せないのよね」


あまりにもあっさりとした口調で肩をすくめると、リリアナのまつ毛がぴくりと揺れた。期待していた反応とは、明らかに違っていたのだろう。


「で、でもっ……あの時、お姉様が先に馬に――」


「“勝手に乗った”って、護衛の人たちにはそう説明したのよね?」


リリアナの言いかけた言葉を遮り、リゼリアは微笑を崩さずに尋ね返した。

二度もリリアナの言葉を遮る。それは、今までのリゼナでは考えられない態度だった。


「でも考えてみてリリー。あの馬は魔獣の血を引いた混血馬よね?」


(あの特徴的な角と鱗……魔王だった頃、北方の山岳地帯で見た魔獣とよく似ている。おそらくその血を引いているのね)


リゼリアは確信を持って続けた。


「とても大人しい性格だけれど、その分体格は成人男性の背丈よりもずっと高いわ。女性が一人で乗るなんて到底無理な大きさなのに、あの場には足台もなかったし…どうやって私一人で勝手に乗ったのかしら…そこが不思議なのよね…」


「そ、それは…」


この質問を予想していなかったリリアナの顔が青ざめていく。

部屋に重い沈黙が落ち、時計の針の音だけが響いた。侍女たちは行きを潜め、リリアナは唇を震わせながら答えを探している。


「お嬢様が嘘をついているとでも?あのようなご様子で、あなたを案じて涙を流されたというのに!」


突然、鋭く声を上げたのは、リリアナ付きの侍女――モルガだった。

黒髪をぴたりと結い上げ、皺一つない制服に身を包んだ中年の女性。彼女の登場は、まるで主人を守る番犬のようだった。


モルガの顔には明らかな敵意が浮かんでいる。彼女にとってリリアナは守るべき主人であり、リゼリアは主人を苦しめる存在でしかないのだろう。

その忠誠心は本物だが、同時に盲目的でもあった。


しかしリゼリアはあくまで穏やかに、けれどはっきりとモルガの剣幕を受け止めた。


「嘘だなんて、とんでもないわ。そんなこと、一言も言ってないでしょう?ただ……あの時のことを思い出そうとしているだけなの。記憶が曖昧な私にとって、頼りにできるのは、ほんの些細な違和感や傷跡なのよ」


彼女は裾を少し持ち上げ、足首に残る赤い痕へと視線を落とした。

その傷跡は、まだ生々しく残っている。

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