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2話 魔王、目を覚ます

「――嬢様。お嬢様っ!起きてください!」


荒々しくもけだるげな女の声が、頭の奥に響いてきた。


「いつまで寝てるんですか…もう朝です!早く目を覚ましてください、ったく、これだから…」


がつんと乱暴に何かが机に置かれる音と共に、頭蓋骨を砕かれるような激しい痛みが走った。


「……っ…うっ…!」


焼けつくような鈍痛に、彼女は反射的に頭を押さえた。意識がぐらりと揺れる。

だが、押さえた自分の手を見て、ふと息を呑んだ。


(白い……?なに、これ……?)


滑らかで小さく、まるで陶器のような白磁の肌。爪は丸く上品に整えられ、魔王だった頃の黒く鋭い爪とはまるで違っていた。


「……これは、誰の手……?」


ぼそりと、声が漏れた。自分でも驚くほど細く高い声――そして、視界の隅に映る淡い金色の髪。


「……嘘でしょ…?」


彼女は反射的に身を起こした。痛みでよろめき、足に力が入らない。それでも必死に、ベッドの脇にあった大きな鏡へと駆け寄る。


鏡の中に映っていたのは――


腰まで波打つ金色の髪に、驚くほど華やかで、宝石のように輝く紫の瞳。陶器のように白く滑らかな肌に、薔薇色の唇。まるで人形のように美しく、見目麗しい少女だった。


「……誰よ、これ…?」


唇が震える。声に出しても信じられなかった。鏡に触れ、まるで幻覚であることを願うように何度も確認するが――鏡は嘘をつかない。


"魔王リゼリア"にあったはずの血のように紅い眼も、夜のように深い黒髪も、戦いで刻まれた無数の傷跡も――何一つ、そこにはなかった。


「私は…私は一体……」


声が裏返る。これは夢なのか。それとも死後の世界なのか。混乱の渦に呑み込まれそうになったその時――


「ったくもう、元気そうでなによりですね。じゃあ、さっさと支度してください。今日こそリリアナ様に謝罪していただきますから」


不機嫌そうにそう言い放ったのは、部屋の隅にいた侍女だった。くすんだ赤褐色の髪をひとつにまとめ、そばかすの浮いた頬にうっすらと寝不足の影。その表情には明らかな苛立ちと軽蔑が滲んでいる。

その口ぶりと態度からは、主人への敬意など微塵も感じられなかった。


「……リリアナ?」


困惑するリゼリアに、侍女は鼻で笑った。


「何をとぼけてるんですか。あなたの妹、リリアナお嬢様ですよ。あの方が大切にしていた馬に、お嬢様が勝手に乗ったあげく落馬して……。ふん、ほんと、いいご身分ですねぇ。」


侍女の声には、隠しきれない怒りが込められていた。


「お嬢様のせいでリリアナお嬢様はずいぶん落ち込んでおられましたよ。怖くて馬に近づけなくなったって。あの優しいお嬢様が、どれだけショックを受けられたか…!」


落馬? 妹?


言葉の一つ一つが、まるで異国の言語のように頭の中で踊っている。わかっているはずなのに、意味だけがぼやけていく奇妙な感覚。記憶の断片が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。


リゼリアは、混乱を振り払うようにゆっくりと視線を鏡に戻した。


「私……死んだ、はずよね……?」


炎に包まれた玉座の間。崩れ落ちる天井と轟音。あのとき、セイルが必死に叫んでいた。契約魔法の光の中で、心臓を貫く痛みと共に、たしかに私は――命を終えたはずなのに。


「……どうして、また目覚めてるの……こんな姿で」


リゼリアがそう呟くと、侍女は思い切り大きなため息をつき、呆れ果てたように言い放った。


「まったく…落馬して気を失ってたんですから、鏡の前で自分の顔に戸惑うのも無理ないですけど…。怪我してたんですから、顔色が悪いのも当然でしょう?」


その目には、"傷と疲れで乱れた自分の姿に驚いているお嬢様"という滑稽な光景しか映っていないのだろう。


「かすり傷一つで大騒ぎして…リリアナお嬢様のほうが、どれだけおつらい思いをされたか。いいですか?今日はきちんと謝罪してくださいね」


冷ややかにそう言い放った侍女の手には、氷のように冷たい水の入った粗末な桶。まるで主人というより、罰を受ける罪人への扱いだった。

それを乱暴に差し出しながら、彼女は最後に吐き捨てるように言った。


「五分で支度を済ませてください。リリアナお嬢様がお待ちですから」


侍女はぶつぶつと小声で文句を続けながら扉へ向かい――


バンッ!


まるで苛立ちをぶつけるように、乱暴に扉を閉めて出ていった。

部屋に残されたのは、まだ現実を呑み込めずにいるリゼリアひとり。

見知らぬ部屋。違和感だらけの身体。わけのわからない状況。そして、この身体の元の持ち主が犯したらしい「罪」。


「……よくわからないけど、今は言うとおりにしてみましょうか。状況を把握するためにも…」


ふう、と小さく息を吐き、彼女はそっと手をかざす。


(魔法は……使えるかしら?)


わずかに息を吸い、指先をそっとかざすと――黒、赤、紫の三色がゆらりと混ざり合い、懐かしくも妖艶な魔力が指先に宿った。まるで彼女の魂を認識するかのように、力は自然に集まってくる。


「――まだ、残ってるのね。私の魔力」


安堵とも哀しみともつかぬ声を落としながら、近くの机に置かれていた水の桶にそっと触れる。

魔力を通すと、水面がコポコポと小さく沸き立ち、ふわりと湯気が立ち上った。


「あったかい……ふふ、ちゃんと反応してくれてる」


そのまま洗面台に歩み寄り、湯気の立つ水で顔をそっと洗う。頬に触れる水の感触さえ、以前とは全く違っていた。透けるように白い肌は、魔王時代の強靭な身体とはあまりにもかけ離れている。


顔を洗い終えると、リゼリアは室内を見回した。部屋の奥に、立派な彫刻の施されたクローゼットが置かれている。


「さて、着替えないと。謝罪に行くらしいし……どんな服が用意されているのかしら」


扉を開けると、中には何着かのドレスが整然と並べられていた。しかし、どれも色味は控えめで慎ましやかな印象。華美さとは程遠い、上品だが地味なものばかりだった。


「……あら、随分と地味になったのね。人間の流行って、ずっと変わらないと思ってたけれど」


装飾の数も少なく、露出も控えめ。素材は確かに高級だが、全体的に"従順な良家の令嬢"という枠に押し込められているような印象を受ける。


「このくらいなら、怪しまれないでしょう。お嬢様と呼ばれてたし、きっと私は貴族の娘ということなのね」


軽く指先を動かすと、淡い藤色のドレスがふわりと宙を舞い、まるで生きているかのように身体に馴染んでいく。魔法による着替えは、彼女にとって当然の所作だった。


「ふふ……皮肉なものね。貴族なんて腐敗した存在だと軽蔑していた私が、今こうして"貴族のお嬢様"として目覚めるだなんて」


自嘲的につぶやきながら、鏡の前に立つ。ゆるやかに波打つ金色の前髪が目元にかかり、視界を遮っていた。


「前髪……横に流してすっきりさせた方がいいわね」


魔力でそっと髪をまとめ、横に流してエレガントなハーフアップに仕上げる。鏡に映る少女は、確かに上品な令嬢の佇まいを醸し出していた。


「このくらいで……完璧ね」


そう呟いて最終確認をしていたその時――


バンッ!!


唐突に扉が勢いよく開き、あの侍女が息を切らして飛び込んできた。


「準備はまだですか!?まったく、これだから甘やかされたお嬢様は――……あれ?」


罵倒の途中で言葉が止まる。

完璧に身支度を整え、鏡の前で凛とした姿をしているリゼリアを見て、目を丸くしている。


「ま、まあ……準備が終わっているなら、いいです。ええ……それでは、行きましょうか」


どこか拍子抜けしたような、それでいて惜しそうに言葉を濁す侍女。罵る口実を失った悔しさが、その表情に滲んでいた。


その様子を冷静に観察しながら、リゼリアは小さく目を細めた。


(……興味深い。この家では"お嬢様"という立場でありながら、下働きにまで軽んじられているのね。一体、この身体の元の持ち主は何をしでかしていたのかしら?)


心の奥に、ほんのわずかな好奇心と、静かな警戒心が芽生え始めていた。

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