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9.わがまま王女の画策

「明日は狩場で落馬するから、ヴァルターがついてくるようにしてね」


 アンティリア王国の貴族令嬢の多くは、十五歳から十八歳の間に社交界にデビューする。春に開かれる王家主催の夜会でデビュタントとなり、国王夫妻に拝謁するのだ。


 十五歳になったアマーリアは、王女である。貴族家のデビュタントとは異なり、夜会に参加して王族の席に着くことが公式な成人の告知となる。

 その夜会を二日後に控えて、突拍子もないことを言い出した(あるじ)に、ヴァルターは流れるようにため息を吐いた。


「なにを仰っているのか、見当もつかないのですが。明日は、明後日の夜会の諸々について、最終確認を行うとうかがっておりますよ」


「そう、それが面倒で嫌になって、気晴らしにアーディに乗りに行くのよ。そうしたら、運悪く落馬して足を痛めて、夜会で踊れなくなってしまうの」


 にっこりと微笑むアマーリアは、外出の予定を楽しみにしている可愛らしい王女に見える。しかしながら、話している内容はなにからなにまでおかしい。


「仮に、仰るようになったとしても、すぐに治癒士が呼ばれて、予定通りに夜会に出席することになりますよ」

「いいえ、前日に大怪我をしてしまうから、治癒の魔法で治しても、大事をとってダンスだけは取りやめになるのよ。夜会には出席するけれど」


 しばしの沈黙の間、アマーリアの笑みはまったく崩れないが、ヴァルターの眉根はぐっと寄る。それを見たアマーリアは、美しい蛋白石(オパール)の瞳を悪戯っぽく輝かせた。


「誰かと踊ると、いろいろ面倒になるでしょう?」

「そう仰っても、アマーリア様のデビューにあたる夜会なのですよ」

「わたくしをおかしな目で見ている人たちが騒ぎ立てると、お父様もお困りになるでしょう?」


 夜会でアマーリア王女は誰とはじめに踊るのか、この年の社交界はその話題でもちきりである。

 美貌と神秘的な魔力に惑わされた信奉者は、相変わらず彼女を過大評価している。特に、かつて王妃や王配を出した実績のある家の子息は、あわよくばと前のめりになっている始末だ。


 通常、王女のはじめての夜会では、すでに婚約していれば婚約者と、そうでなければ参加者の中で最も身分の高い者がパートナーを務める。

 今回の参加者の中で最上位にあたるのは、前年と同じくジェイソス公国のアルバン公子である。


「どうしてジェイソスはアルバン公子が来るのかしら。去年は挨拶が必要だったとしても、今年はもう大使が顔を見せれば充分でしょうに」

「それについては私も同意しますが、理由はわかりかねます」


 十九歳のアルバンと十五歳のアマーリア。

 政略結婚でなかったとしてとも、程よい歳の差である。ジェイソスには、その辺りに思惑があるのではないか、との噂もあるが、アマーリアの耳には届いているのだろうか。

 ヴァルターはあえて口にはしなかった。


「アルバン公子と踊ったら、うるさい人たちは文句が止まらないでしょうし、かと言ってラウエンブルクと踊るのはもっと嫌」


 宰相ラウエンブルク公爵は、国王アルトゥールのひとつ歳下の辣腕政治家であるが、なにかと口うるさいためにアマーリアは嫌っている。


「アルバン殿下と踊るのは、表面上は問題ないように思いますが。国賓ですし」

「ヴァルターは、普段わたくしに贈り物や手紙がどれくらい届いているか知らないでしょう? あれらがどういう反応をするか想像するだけで、夜会に出るのも嫌になりそう」


 アマーリアに様々な贈呈品が届いていることは知っているが、ヴァルターは送り主や数までは把握していない。

 その対応に辟易したアマーリアは、侍女に丸投げしようとして、カタリーナに叱られている。

 叱られたことを思い出したのか、望まぬ贈呈品への不快感からか、アマーリアは小さな唇をとがらせた。


「それほどでしたか」

「わたくしを遠目に見かけただけで、『先日お会いして』とか書いてくるのもいるのよ」


 ヴァルターの顔がこわばり、濃紺の瞳が鋭く光る。

「どこの者ですか、そのような不届者は」

「師団長には、不穏なものは連絡してあるから、副隊長以下には周知されているわ」

「……私は隊長であるはずですが」

「ヴァルターはお飾りの隊長だから、余計な任務が増えないよう、お父様の計らいですって」


 アマーリアの護衛を担うのは、近衛第一師団第三小隊である。隊長はヴァルターだが、ほとんどの実務は副隊長が行なっている。

 ヴァルターは週に一度のアマーリアの魔法の修練と、護衛の交代任務のみを行い、ほかの時間は公爵家の仕事にあてることが許されている。


 公爵家の後嗣が近衛騎士団にいることが異例である上に、次期公爵が隊長では下につく騎士たちが萎縮する、という事情もある。

 結果、ヴァルターの任務はアマーリアにかかわる最低限のみとなっている。

 それでも、アマーリアの身辺警護は最も重要な仕事ではないのか。


 ヴァルターの思考をよそに、アマーリアはさらりと続ける。


「それに、ヴァルターがいるときには来ないのよ」

「え?」

「わたくしが外廷にいるときを見計らって、話しかけにくる輩もいるけれど、ヴァルターがついている日には来ないもの。次期公爵に勝つ自信も、敵にまわす気概もないのに、王配の座を狙うなんてどうかしているわ」


 ヴァルターがいなければ、横柄な態度で現れる無礼者たちには、近衛騎士たちの自負心も大いに刺激されるため、これまでアマーリアの身に危険が及ぶことはなかった。

 アマーリアも外廷へ赴くのは、なるべくヴァルターがいるときにしている。


「それで、明日はつき合ってくれるのかしら?」


 ヴァルターの表情から険しさが薄らいだのを確認して、アマーリアは本題に戻した。

 しかしこれくらいで注意を怠るようでは、この王女のお守りは務まらない。


「無理ですね」

 一刀両断される。が、アマーリアもそこは織り込み済みである。


「お父様にはお許しをいただいているわ」

「本当ですか?」

「確認すればいいでしょう」

「わかりました。では後ほど。それで、どうなさるおつもりなのですか」


 満足気にうなずくアマーリアは、テーブルのカップを持ち上げて優雅にお茶を口に運んだ。この見た目だけなら、理想的な王女の佇まいである。


()()()怪我をするつもりはないわ。アーディになにかあったら嫌だから」

 アマーリアの愛馬アーディは、黒鹿毛の美しい若駒で、よく慣れた賢い馬である。

 しかし、アマーリアが落馬したとなれば、最悪は処分されるかもしれない。


「わたくしが、自分でバランスを崩して落馬するの。着地のときに転んで足を捻ってしまうから、ヴァルターは証人ね。貴方もアーディもなにも悪くないのよ」

「私は嘘というものを吐いたことがないので、自信がありませんが」

「それこそ嘘でしょう? わたくしの護衛が一年だけの約束だったなんて、知らなかったわよ」

「あえてお伝えしていないことは、あるかもしれませんが、すすんで偽りを申し上げたことはありません」


 ふうん、とアマーリアのきらきらしい瞳が細められ、口もとは緩む。


「まあ、いいわ。ほかの護衛騎士では無理な話なのだから、よろしくね」

 ヴァルターがついていても起こった事故なら、仕方ないで済むことも、一般の騎士では首が飛びかねない。


「私に嘘を吐かせるのですから、高くつきますよ」

 かまわないわ、とアマーリアは極上の笑みを浮かべ、ヴァルターはもう一度深くため息を吐き出した。



「と、アマーリア殿下は仰いましたが、陛下におかれましてはご承知でしょうか?」


 アマーリアの部屋からそのまま、国王の執務室を訪れたヴァルターは、運良く至尊の目通りが叶った。

「今回はそれでよしとする。アマーリアのわがままで通せばもっともらしく、角も立たないからな」

「ジェイソスからはアルバン殿下をパートナーに、とすすめてこられたのでは?」


 アルトゥールの湖面に輝く虹の瞳が、興味深くヴァルターに向けられている。

「そなたでも、そのように思うのか」

「わざわざ公子殿下が今年もいらっしゃるのは、なにかしら意図があってのことと考えますが」


「アルバン公子の来訪はどちらかと言えば、フェルディナントの相手だな。次代同士仲を深めよう、というつもりのようだが、さて……。今のところアマーリアをジェイソスにやるつもりはない。彼の地はいまだ、旧王党派が根強い。アンティリアの王女が嫁いで、刺激するのは得策ではないだろう。ジェイソス公もわかっているはずだ」


 現ジェイソス公の血筋は、かつてアンティリア王国の侯爵家であった。それを君主と掲げるのをよしとしない者たちは、アンティリアとの繋がりがさらに深まることを警戒している。

 同盟国が属国、果ては併合されるのでは、と恐れているのだ。


 うなずくヴァルターをアルトゥールは、慎重に観察する。

「アマーリアに公妃や王妃は、荷が重かろうしな。アルバン公子にその力量があるなら、考えぬでもないが。現状は白紙だ」

「……承知しました。それでは、明日、アマーリア様は落馬される、ということでよろしいのですね?」


 アルトゥールは呆れとも、諦めともつかない表情で少し肩をすくめた。

「よろしく頼む。あれのわがままも、たまには役に立つ」



 翌日、夜会の準備で着せ替え人形にされたアマーリアは、飽きたところで予定通り逃げ出した。

 愛馬を連れ出して、王家の狩場を駆けはじめたところで、うっかり落馬してしまった。

 追いかけてきたヴァルターは、その現場を目撃し、アマーリアに応急処置を施して、王宮へ連れ帰った。


 呼ばれた治癒士は、ヴァルターの的確な手当てを褒めたが、念のため夜会でのダンスはお控えくださいと言った。


 との報告が、国王のもとに届いたのは午後になってからであった。

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