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7.わがまま王女の反省

 真夏の青空が好きだ。

 遠く高く、のびゆく紺碧の空は決して手は届かないけれど、すべてを包み込んでくれるような気がする。きっと、どこまでもどこまでも、この青空は続いている。



 雲が流れて、窓の外から陽の光がさす。床から天井まで連なる格子窓の枠が、四角形の影をいくつも作っている。

 アマーリアのまぶたに光と影の境があたり、頬に少し熱を感じて目を覚ました。


 窓に映るのは、まだ低くそっけない水色の空。

 その空を視界から消したくて頭を動かすと、さっきまで見ていた青空と同じ紺碧の双眸が、困り顔で見つめていた。


 いつかのように、ヴァルターの膝を枕にして眠っていたらしい。ソファまで運んだのはヴァルターだろう。避難した侍女たちは、まだ戻ってきていない。

 アマーリアはじっとしたまま、己の魔力を確認する。きちんと、身の内に収まっていた。


「ご気分はいかがですか? 侍医をよびますか?」

「大丈夫よ。どれくらい眠っていたの?」

「少しの間です。まだ昼前ですよ」


 そう、と言いながら体を起こそうとすると、ヴァルターが背に手を添える。もう片方の手はアマーリアの額にあてて、体温を確認している。

「子ども扱いしないで」

 それでも、ひんやりした心地よい大きな手を、払うことはしなかった。


 アマーリアが身を正すと、ヴァルターは立ち上がり、部屋の角の小卓に置かれた水さしから、グラスに水を注いで持ってきた。差し出されたグラスを受け取って、口をつける。水さしにはなかったはずの氷は、ヴァルターが魔法で作ったものだろう。


 喉を潤す冷たい水が、体の芯に染みこんでいく。グラスをテーブルに置くと、ヴァルターに座るように促す。向かい側に座ったヴァルターを、正面から見ることはできなくて、少し顔をそむけた。


「魔力はもう大丈夫ですね。体調も?」

「問題ないわ。やっぱりヴァルターの結界は、わたくしの魔力では破れないのね。魔力があふれても、貴方が本気の結界を張ればこの程度なのよ」


 この四年間、アマーリアの魔法技術は格段に成長したが、アマーリア自身はそれを認めたがらない。甘えているのだ、とヴァルターは思っていた。しかし、それは思い違いだったかもしれない。


「アマーリア様の魔力の暴走は、魔力があふれているのではありません。こぼれているのです。私の結界で抑えられるのですから」

「こぼれている? どう違うの?」

「通常は『精霊の加護』の器に、魔力が満ちることなどありません。王族の方々であっても、それは同じはずです。もしも、アマーリア様の器に魔力が満ちて、あふれ出したら、私の結界ごときで抑えられる魔力量ではありませんから」


 ヴァルターの結界の魔法は、アンティリアで最も強固だと言われている。緻密に構成されたその結界を(ほど)くのは精霊術士でも、至難の業であるらしい。


「でも、解くどころか欠けさえしなかったわ」

「精霊の加護の器に注がれている魔力は、貴族でも半量もあれば多いほうです。ほとんどの者はそれ以下が普通で、己の扱える量を超えることはない、とされています。扱える量を超えると、俗に言う『魔力酔い』の状態になります。ひどくなるとめまいや発熱を起こし、最悪、死に至ることもあります」


 アマーリアも知識としては知っている。器に注がれる魔力が過剰になると、それは身を蝕む毒になる。

 ヴァルターが、テーブルのグラスを手に取る。中の水は、ちょうどグラスの半分ほどの量になっていた。


「このグラスをアマーリア様の器、中の水を魔力とすると、平静であればあふれることも、こぼれることもありません。ですが」


 ヴァルターがグラスを横に揺らすと、水が暴れて波を生じる。小さくなった氷は、荒海に揉まれる小舟のように浮き沈みしている。揺れる水の先がグラスの縁を超え、ヴァルターの手を濡らした。


「お心が乱れるとこのように、魔力が波打ってこぼれます。ですがこれはもともと器にあった魔力です。魔力量が増えたわけではないので、アマーリア様のお体には影響がありません。こぼれるのも、このように少しです。ですから、私の結界でも抑えられるのです」


 ヴァルターの持つグラスから、彼の顔へと視線を動かすと、紺碧の瞳が優しくアマーリアに向けられている。


「どういうこと?」

「アマーリア様の魔力は、扱える量を超えていません。器には貴女に扱えるだけの魔力が、正しく注がれているのです。ただ、貴女の器は少し繊細にできていらっしゃる。それを支えるために、私がいるのです」


 アマーリアの瞳が、金の虹がこぼれそうなほど見開かれる。ヴァルターは、どこか嬉しそうにそれを見つめる。


「繊細だなんて言われたのは、はじめてだわ」

「逆に王太子殿下の器は、非常に頑健で揺るがない。ゆえに、制御も容易(たやす)いでしょう」

「もともとフェルディナントの器との差なんて、精霊石ひとつ分もないのよ。注がれている魔力は、フェルディナントのほうが多いということね?」


 器はアマーリアのほうが大きくても、フェルディナントの魔力操作の技量は姉をはるかに上回る。それだけの魔力が器に注がれているはずだ。


「そういうことだと思います。ですが、それでよいのではありませんか?」


 フェルディナントはすでに立太子され、アマーリアは女王になることなど望んでいない。弟が自分より国王に相応しいことも、彼自身がそれを望んでいることも知っている。


「ええ、それでいいと思っているわ。わたくしの器に注がれている魔力は、わたくしに扱えるだけの量だというのね?」

「そうです。どうかそれを忘れないでください」


 信じろ、とは言わない。あくまでも事実なのだから。アマーリアが己を信じられなくとも、事実は変わらない。

 アマーリアは無言のまま、ヴァルターが持つグラスに手を伸ばした。


「新しいものをお持ちします」

「これでいいわ」


 受け取ったグラスに残る水を飲み干す。小さな氷が底を打って、澄んだ音を立てた。

「これでも、ヴァルターのことは信頼しているのよ」

「ありがとうございます」


 はじめて言われた、とは口にしない。頬をゆるめて笑みを浮かべるヴァルターから、アマーリアは視線を逸らした。


「今日、なぜお怒りだったのか、お聞かせ願えませんか?」


 横を向いたアマーリアの口もとがゆがむ。言いたくないが、「信頼している」と言った手前、話さないわけにはいかない。


「……先日の夜会は、会場にいたのでしょう?」


 思いがけない言葉に、ヴァルターは怪訝な表情になる。

「仰る通りですが、王妃陛下の護衛として侍っておりましたので、夜会に参加したわけではありませんよ」

「それはわかっているわ。でも、女官や侍女たちが騒いでいたのよ。ヴァルターの礼装が素敵で格好良かったとか、夜会服の姿が見たいとか。……貴族の令嬢たちもそわそわしていたとか」


 フェルディナントからも同じ話を聞かされ、王宮内の女性たちからの視線が増えて、少なからずうんざりしていた。アマーリアの機嫌が悪くなった原因も夜会の件だというなら、それでヴァルターが浮かれているとでも思ったのか。

 弁明するようなことはなにもない。が、久々に魔力の暴走を起こして気落ちした様子のアマーリアを見ていると、今日ばかりは仕方ないかと口を開く。


「近衛の任務ですよ。ジェイソスのアルバン殿下がいらっしゃるから、会場内に配置されただけのことです」

「それもわかっているわ。だから、ヴァルターに怒っているとか、そういうことではないの。そうではなくて、……貴方は、本当は招待される側だったのに、と思ったから……」


 うつむくアマーリアの声が小さくなる。いまさらながら、ヴァルターが近衛騎士に所属しているのは、かなり異例のことだと気がついたのだ。

 当然その理由にも思いいたり、アマーリアははじめて己の未熟と、わがままを省みたのであった。


 その結果、感情を持て余して、しばらくぶりの魔力の暴走を引き起こしてしまった。本末転倒もはなはだしい。

 さすがのアマーリアも弱気になるというものだ。


 ヴァルターは、しばし呆然としていたが、苦笑をこらえて言った。

「私が近衛にいるのはついでですよ。そのほうがいろいろと都合がいいから、というだけのことです」


 ヴァルターが立ち上がり、アマーリアの傍で跪く。

「アマーリア様の器を支えることが、私の任です。もう少しでしょう、貴女がご自身で器を支えられるようになるまで、おつき合いいたしますよ」

「それでいいの?」

「ほかに道がないわけでもないのに、望まぬ仕事を四年も続けるほどお人好しではないですよ」


 半分は嘘だ。最初の一年は忠誠心から引き受けた。それが延長されるとは思いもしなかったし、進んで応じたわけでもない。今ならもう、ヴァルターが真に望めば、近衛を辞すことも許されるだろう。

 だが、あのときよりも慕わしくなった、目の前の主を置き去りにできない、と思うのも確かな気持ちのだ。

「信じるわよ?」

「はい」


 ヴァルターはアマーリアの手を取ると、少しほっそりとしたその指先に優雅に口づけた。

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