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5.護衛騎士の事情

 初夏の陽気の中、硬い金属音が響く。

 常であれば、剣戟の音が鳴り止まない近衛騎士団の鍛錬場からは、一対の剣が交わる響きのみが聞こえてくる。


 王太子フェルディナントと、近衛第一師団第三小隊長ヴェルフ伯ヴァルター・クリスティアンが真剣による訓練を行っているのだ。

 魔法を使わない真剣のみの試合形式の訓練に、万が一にも邪魔が入ってはならない。ほかの騎士たちは皆、固唾を呑んで観覧に徹している。


 フェルディナントとヴァルターが、間合いをはかる。

 数秒の静寂の後に、鈍い金属音が地面に叩きつけられた。同時にフェルディナントの剣が手を離れて落ちる。


 一瞬、悔しそうな表情を浮かべたフェルディナントが、地面についた膝をはたきながら立ち上がる。顔を上げた王太子は、いく筋かの金髪を額に貼りつけたまま満足気に笑った。

「あー、負けたか」


 剣を鞘に納めたヴァルターは、控えていた部下に手を上げて水を運ばせる。

「殿下、どうぞ」


 受け取った水を一気に飲み干すと、フェルディナントは汗に濡れた前髪をかき上げる。


「今日こそと思っていたのにな。まだ足りないか」

「腕を上げられましたよ。私は加減しておりませんから」

「うん、ヴァルターだけだよ。本気でつき合ってくれるのは」


 十二歳になったフェルディナントは、背も伸びてヴァルターの肩を越えた。剣の腕前は確かで、ヴァルターが本気で打ち合ったというのは世辞ではない。

 フェルディナントの剣は、まだ格上の豪剣に打ち勝つことはできないが、しなやかにいなす技量は抜きん出たものがある。


「それはまた、無礼なことですね」

「下手に手加減されるほうが、やりにくくて危ないと思うのだけれど、もし僕がかすり傷でも負ったら、と皆および腰だから」


 呆れたようにフェルディナントは肩をすくめた。王太子に万が一にも怪我をさせてしまったら、と騎士たちが畏縮するのも当然ではある。

 しかもすでにフェルディナントの技量は、彼らを上回っている。稽古の相手としては不足なのだろう。


「さて、少し休憩しようか」


 鍛錬場の詰所には、見学に訪れる貴賓のための応接室がある。

 冷たい果実水を用意させて、ヴァルターはフェルディナントと向かい合って座った。


 フェルディナントが両手を軽く打ち合わせる。ぱん、と音が鳴ると、紅玉(ルビー)を閉じ込めた蛋白石(オパール)の輝きがさっと広がって消えた。

 一瞬にして部屋に防諜の結界が施される。


精霊石(いし)はどう? まだ魔力は足りている?」

「はい、ありがとうございます。月に一度の往復ではそれほど減りません。『王家の精霊石』はやはり別格ですね」


 フェルディナントの目的はもっぱらヴァルターとの稽古だが、精霊石の魔力の補充が本来の理由である。

「もっと使っても構わないのに。遠慮しても、僕の稽古の相手はしてもらうからね」


 フェルディナントが鷹揚に笑う。支配者の笑みである。歳に似合わぬというよりも、子どもながらに王者の(たたず)まいを身につけている、と感じられるようになってきた。

 ヴァルターには、この歳下の主の目に見える成長が、頼もしく思える。


「もちろんです。お気遣いにも感謝しております。私が帰ると、母は無理をして振舞うようなので、あまり頻繁に顔を見せないほうがよいかとも思いまして」

「ああ、なるほど」


 うなずいて腕を組んだフェルディナントは、虹色の瞳に悩まし気な色を浮かべた。

「公爵夫人の病はどのようなものなの?」

「病、と言いますか、もともと脆弱だった体が年々弱っているようでして」

「医師は何と言っている?」


 ヴァルターは、虚をつかれたように言葉を呑み込んだ。フェルディナントが、真心から心配していることはわかる。しかし、家庭の事情を、主筋、しかも王族にどこまで打ち明けてよいものだろうか。まして、ヴァルターは家長ではない。


 ヴァルターの困惑を理解した上で、フェルディナントは続けた。

「立ち入ったことを訊いて悪いね。ただ、姉上の件でずっと迷惑をかけているし、できることはしたいと思っているから」


 ヴァルターは静かに頭を下げて感謝を示す。

「ありがとうございます。実は、我が家の主治医が少し前に代替わりをしまして、娘が診に来るようになったのですが」

「女性の医師か、珍しいね」


「ええ、王宮の侍医のもとで学んでいたとかで、もしかしたら殿下もご存知の者かもしれません。その医師が、何度か診察した後に私に連絡をしてきたのです。母の病は医術の領分ではないかもしれない、と」


 夫であるヴィッテンベルク公爵ではなく、息子に連絡を入れたのは、公爵に伝えても無駄だと思ったからか、連絡を無視されたか、あるいはその両方だろう。


「一度、精霊術士の検分を受けてはどうか、と言われました」


 フェルディナントは冷えたグラスの結露を指でなぞり、少し首をかしげた。指の通ったあとには、氷の影が見える。

「医師が、そう言ってきたの?」


「はい、王都で治癒士とも交流があったようです」

「ふうん」


 精霊術士の中でも、特に『治癒の魔法』を専門的に学んだ者は、治癒士と呼ばれる。

 医師と異なるのは、怪我や病の診断を行なうのではなく、あくまでも患者自身の回復力に働きかけて、治療を行う点である。


 したがって、患者に回復するだけの体力や魔力がない場合には、治癒士の力は及ばない。

 医師ではなく治癒士の領分となる病とは、いかなるものか。フェルディナントに、おそらくヴァルターと同じ疑問が生じている。


「公爵夫人は治癒の、いや、暗示の魔法は使える?」


 フェルディナントの言葉に、ヴァルターの青い瞳の丸い形があらわになる。


「暗示、ですか……。使っているところを見たことはありませんが、母の加護は『水の精霊』です。おそらく使えると思います」


 魔法を使うにはは、その魔法が属する加護の力を必要とする。器が大きな者は加護にかかわらず、さまざまな魔法を使えるが、それでも自らの加護の力を用いる魔法を得意とする。

『治癒の魔法』は『大地の精霊』、『暗示の魔法』は『水の精霊』の加護に属するとされている。


 体の弱ったヴァルターの母アルベルティーネでも、自らの加護の魔法くらいは使えるだろう。


「ヴァルターと会っているときは、暗示をかけているかもしれないね。治癒士に心あたりは?」

「父に話すべきか迷っておりました。余計なことをするなと言われるなら、私の判断で招こうかとも考えておりましたが、それはそれで母が受け入れるかどうか」


 フェルディナントの指摘通り、アルベルティーネは体調を装っている可能性が高い。ヴィッテンベルク本邸の使用人たちは、彼女が息子に心配をかけたくないと言えば、したがうだろう。


 もし、『暗示の魔法』を自らにかけているのであれば、普段の体調はヴァルターが考えているよりも、悪化しているかもしれない。


「それなら、こういうのはどうだろう。ヴィルトグラーフ伯爵領に、王家の飛地があるのは知っているよね?」


 ヴィルトグラーフ伯爵領は、ヴィッテンベルク公爵領の東に接する領邦である。公爵領に比べると領域は狭いが、穏やかな気候と領主一族によって、豊かに発展している。

 隣接する縁で、公爵家とも交流がある。騎士団を持たない伯爵領には、ヴィッテンベルク騎士団から人員を派遣している。


「エルデの泉ですか? それは、もちろん存じておりますが」


 伯爵領の南側、国境に近い森はエルデの森と呼ばれている。森の奥には『大地の精霊』の泉がある。泉といっても水場ではなく、湧き出しているのは『精霊の加護』の力である。


 アンティリアには、こうした魔力の湧く泉が、いくつか存在する。王都には『王家の泉』、王族の魔力と同じ虹色の魔力が湧く泉があり、ヴィッテンベルク領内にもひとつ存在する。


 泉に湧く魔力は濃く、目に見えるほど強く精霊の加護の色に輝く。その魔力はしだいに薄まり、大気に溶け、人びとの器に注がれる。


 エルデの森は『大地の精霊』の泉があるために、王家の直轄地となっており、泉の存在を知る者は少ない。ヴィッテンベルク公爵家は、この泉を守る任も負っている。次期公爵であるヴァルターは当然知っていた。


「そう、あそこの精霊殿に、治癒士とも呼べる精霊術士がいる。僕の名代ということにして、見舞いに行かせたい。女性だし、公爵夫人も気安いのではないかな。僕の名代なら公爵の許可もいらないだろう?」


「ありがとうございます。ご厚情を賜りまして、感謝に絶えません。どうか両陛下にも」


「うん、公爵夫人の様子も気になるし。医術の領分ではない、というのもどういうことか知りたいからね」


 全ては国王夫妻の差配であり、フェルディナントは伝言役に過ぎない。ヴァルターが見抜いたことにがっかりした王太子は、視線と話題をそらした。


「そういえば先週の夜会は会場にいたの? 母上のところの侍女たちが騒いでいたけれど」


「ああ、はい。王妃陛下の警護についていたのですよ。ジェイソスのアルバン殿下の歓迎会でしたので」

「そうか、人員補充で母上のところにいたのか。騎士の礼装姿が素敵だったとか、いろいろ噂になっていたよ」


 機嫌を直したフェルディナントが、からからと笑う。

 社交界でのヴァルターは、有力公爵家の嫡男であり、なにより見目のよい騎士である。そして、未だ婚約者も、噂になった女性もいない。参加者ではなく、護衛として会場に立っているだけでも、妙齢の貴族令嬢たちの注目の的となるには充分だ。


 それらを避けるために、いつもは庭園や城門などの会場外の警護を希望している。しかし、先日の夜会には、滞在中のジェイソス公国の世子が参加するために、警護の騎士が増員されていた。

 会場内の警備を強化するために、実力が確かなヴァルターは優先して王族席に配置された。ヴァルターもこれに不服は唱えなかった。


 出席者の貴族やその令嬢たちは、国王夫妻や、主賓のジェイソス公子アルバン・エーバーハルトへの挨拶に訪れる。

 王族席で王妃の背後に立つヴァルターの顔を、はじめて目にした者も多かった。


 アルバンは、黒髪に淡い金の瞳の神秘的な美貌の貴公子である。

 しかし、隣国の世子は雲の上の人である。公爵家とはいえ国内貴族のヴァルターのほうが、いくらか近しく思えたらしい。


 会場で働いていた侍女や女官たちも、普段とは違う礼装姿を見てときめいていた、とカタリーナが苦笑とともにこぼして、フェルディナントの耳にも入った。


 ヴァルターは思わず眉間にしわを刻み、フェルディナントは重ねて笑う。


 窓の外には太陽が、夏の気配を漂わせていた。

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