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わがまま王女がわがままに紡ぐわがままな恋の行方  作者: 永井 華子
その後の公爵家

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家族の肖像

「さあ、ヘンリエッテ。おじい様ですよ」

「う、うむ」


 母親の腕から、座る祖父の腕へまだ小さな赤子が渡される。

 ヘンリエッテ・マルガレーテ・ヴィッテンベルクは生後六ヶ月。ヴィッテンベルク公爵ヴァルター・クリスティアンの第二子にして、長女である。


 小さな公女の母親は公爵夫人となった、王女アマーリア・ジビュレ・ヴィッテンベルク、祖父はアンティリア王国の国王アルトゥール・ラインハルト・ニーベルシュタインである。


 ヴィッテンベルク公爵家には、現在五歳の長男エドゥアルト・マクシミリアンがおり、ヘンリエッテは国王にとって二人目の孫で、初の女児だ。


 孫とはいえ、降嫁した娘の子であるため、国王がそう気安く会えるものではない。これまでエドゥアルトに会える機会も数えるほどしかなかった。

 ヘンリエッテはこの日、生まれてはじめて王宮にあがり、祖父母にまみえることとなった。


「ほら、おじい様、もっとしっかり抱っこしてくださいませ。首はすわっていますけれど、男の子と比べると頼りないほど柔らかいのですから」


「アマーリア、おじい様は赤子を抱いたご経験は数えるほどしかないのだから、そう厳しくしてはいけないよ」

「あら、失礼いたしました。そうですわね、おじい様は国王陛下でいらっしゃるのですものね」


 ぎこちない祖父の腕の中で、ぐずりはじめたヘンリエッテをアマーリアはすぐに取り上げる。アルトゥールは、待望の孫娘との邂逅に水を差されて、ひどく苦々しい表情になる。


「お前たちは……、相変わらずだな。いい加減にしたらどうなのだ」

「そうねえ、アマーリアはともかく公爵まで。少し大人気ないわね」

「申し訳ありません」


 王妃カタリーナ・エリーザベトがたしなめるが、口もとはほころんでいる。ヴァルターは笑いを噛み殺しながら、形ばかりの謝罪を口にした。

 アマーリアからヘンリエッテを受け取って、カタリーナは嬉しそうに「おばあ様ですよ」とあやす。


「お母様は、エドゥアルトが生まれたときからご自身で『おばあ様』と仰っているのに、お父様がこれほど諦めが悪いとは思いませんでしたわ」

「そういうことではない。だいたいお前たちは……」

「あら、こんなに可愛い可愛い孫たちの『おばあ様』ですもの。誰にも譲りませんよ」


 孫娘にとろけるような笑みを見せながら、カタリーナはゆらりゆらりと、ヘンリエッテを抱いたまま歩き回る。赤子の声は少しずつ小さくなっていく。


「そうですわ! こんなにも可愛い子たちのおじい様ですのに。なにがご不満なのかしら」

「お前たちが問題だ。明らかに遺恨が含まれておろう」

「まあ! ひどいいわれようですわね! そのようなことは、まったくありませんわ。ねえ、ヴァルター」


 ソファに掛けて良い香りの漂うお茶に手を伸ばしながら、ヴァルターは深くうなずく。

「もちろん。ですが、陛下は日々の政務に忙殺されて、お心のゆとりを失っておられるのでしょう。どうぞ、本日は家族の集まりですから。ゆるりとお過ごしになってください」


 娘婿の心にもない言葉を聞き流し、国王は王妃とその腕の中の孫娘に目を移した。


 年があらたまり、水の月である。所領をもつ貴族は領地へ帰り、そうでない者たちもそれぞれに家族で集う。

 王家も同じく、ごく私的に王宮で家族の時間を過ごすのが、アンティリア王国の新年の祝いである。


 この日は、国王夫妻に王女アマーリアと夫のヴァルター、そして、王太子フェルディナント・アルブレヒトとその妃が一堂に会する。


「フェルディナントたちはまだかしら。シャルロッテに会えるのを、楽しみにして参りましたのに」


 フェルディナントは三年前、ベーヴェルン侯爵令嬢シャルロッテ・ウルリーケを王太子妃に迎えた。

 シャルロッテは、生糸のような淡い金髪に飴色の瞳という、『大地の精霊』の加護の輝きを身にまとった佳人である。


 その荘厳な色調にふさわしい整った容姿は、ときに近寄り難く、またふとしたおりに見せる笑みは愛らしく、一時、王都は彼女の話題で持ち切りであった。その並外れた容姿を称えて『精霊姫』という呼び名を冠されていたほどである。


 そのシャルロッテがデビュタントとして出席した春の夜会で、フェルディナントはいちはやくダンスのパートナーの座を確保した。


 その後ほどなくして正式に婚約し、王太子殿下は『精霊姫』に一目惚れした、との噂が社交界を駆け巡った。フェルディナントはそれを否定することなく、結婚後は堂々と愛妻家を気取っている。


 王太子として手堅い政略結婚を選ぶのだろう、と思っていた弟の豹変ぶりにアマーリアだけでなく、ヴァルターも大変驚いたものである。


 アマーリアがシャルロッテとはじめて顔をあわせると、その驚きは納得に変わった。

 フェルディナントが容姿に惑わされるとは思わなかったが、シャルロッテの見目は控えめにいっても美しく可愛らしい。その上に彼女は、フェルディナントが諦めていたものを備えていた。


 彼女を婚約者とするために、少々強引な手を使ったらしい、と聞いて心配していたアマーリアは、婚約式で頬を染めながら弟に寄り添うシャルロッテを見て、胸を撫でおろした。


 そのときアマーリアは、身重であったにもかかわらず、駆け寄って白い華奢な手を握りしめた。

「なにがあってもわたくしは貴女の味方でいるから、フェルディナントを見捨てないでやってちょうだいね?」


 シャルロッテは一瞬、大きく目を見開き、美しい飴色の瞳をあらわにしたが、すぐにゆるやかな弧を描くように目を細めた。

「ありがとうございます。アマーリア様にそのように言っていただけて、とても心強いですわ」


 それ以来、アマーリアは弟の妃をことのほか可愛がっている。


 アマーリアの言葉にこたえるように、扉が開いて王太子夫妻が入ってきた。


「シャルロッテ! 久しぶりね。元気にしていたかしら?」

「はい、つつがなく過ごしておりました。アマーリア様こそ、ご体調はもうよろしいのですか?」


「わたくしは大丈夫よ。ほどほどに休ませてもらっているから」

「それがよろしいですわ。公女さまのご機嫌はいかがでしょう?」


 窓際で、まだほとんど目は見えていないであろう孫娘に、外の雪を見せていたカタリーナが、振り返ってこたえた。

「こちらよ。いらっしゃいシャルロッテ」

「ふふ、先ほどまでおじい様の抱っこで、ご機嫌ななめだったのよ。おばあ様の抱っこは気に入ったみたいね。シャルロッテも抱っこしてあげて?」


「よろしいのですか?」

 喜ぶシャルロッテの笑みに、アマーリアも笑顔になる。

「もちろんよ。お母様、ヘンリエッテをシャルロッテにも抱かせてあげてくださいな」


 完全に無視された形のフェルディナントは、肩をすくめてヴァルターの向かいに座る。

「相変わらずだね。まあ、体調はよさそうで安心したよ」


「ふたり目ですからね。(こちら)が多少のことでは動じないからか、ヘンリエッテはあまり手がかからないようで、アマーリアも落ち着いていますよ」

「それはよかった。今日はエドゥアルトは?」


「どうにか連れてきたのですが、朝から雪遊びをしたいと騒いで大変でした。挨拶をしたら、すぐ中庭に飛び出していきましたよ」

「ああ、それでレオポルトがいないのか」


 王都アンスリーに降る雪は、そうそう積もることはないが、昨夜降った雪は街を白く染めた。

 通常なら、王宮の庭師が雪かきをするはずであったが、今日はエドゥアルトのために残されていた。真っ白な中庭へ駆けていく公子を、王太子の側近が追いかけていき、そのまま雪まみれになって遊んでいる。



「そう、頭を二の腕に、おしりを手で支えて。しっかりのせたら、右手を添えて抱えるようにしたら、大丈夫よ」

「こ、これで、よろしいのでしょうか?」


 こわごわとヘンリエッテを抱くシャルロッテは、それでもとても嬉しそうだ。


「そう、上手よ。そのままゆっくり歩くと心地よくなるわ。もう、眠たくなってきているから」

「わあ、あくびをして! ちいさい。可愛い……」

「疲れたら言ってね。まだ軽いけれどずっと抱いていると腕が疲れるわ」


 シャルロッテは、ヘンリエッテと目を合わせようとするが、眠気に誘われてもうまぶたは閉じられる寸前だ。それでも小さな瞳に宿る色ははっきりと見て取れた。

「もう加護の色が見えますのね。公爵と同じ『氷』の色」


 夏の青空のような紺碧は、溌剌とした生気を感じさせるが、その加護を与えるのは『氷の精霊』である。アマーリアが愛するその瞳は、愛娘に受け継がれた。


「そうなのよ! ヴァルターと同じ色なの。髪も伸びたらきっと同じ錫色になるわ」

「お顔は母君譲りで、色は父君から。素敵ですわ。……あら、公子とは反対なのですね」


 エドゥアルトの顔立ちは、誰もが認めるほどヴァルターにそっくりだ。その加護は、アマーリアの主たる加護である『風の精霊』、瞳の色は金一色である。髪の色はアマーリアとまったく同じ、淡い栗色だ。

 やはり王家の虹色の瞳は、アマーリアの子には受け継がれなかった。


 シャルロッテの指摘に、アマーリアは金の虹をつくって微笑む。

「親孝行な子たちでしょう?」

「ええ、本当に。素晴らしいお子たちですわ」


 ぐっすり眠ってしまったヘンリエッテを乳母に預けると、シャルロッテはフェルディナントの隣に座った。部屋にはひとときの静けさが訪れる。

 その穏やかな静寂はすぐに破られた。


 ばん! と中庭側の窓が音を立てた。

「父上! 母上!」

 雪まみれになって、頬を真っ赤にしたエドゥアルトが、窓を叩いている。


 アマーリアが近づいて窓を開けると、凍った空気が室内へ逃げ込んでくる。アマーリアは右手を軽くひねると、やんわりと冷気を風で押し返し、そのままエドゥアルトを包み込む。


「あ、母上、だめです。とけてしまいます」

「風邪をひいてしまうわ。そろそろお入りなさいな」

「ヘンリエッテに雪だるまをつくりました!」


 エドゥアルトがしゃがみこみ、足もとからそうっともち上げたのは、小さな両手に座る雪だるま。

「エドが作ったのか。上手にできたな」


 いつの間にか隣に来ていたヴァルターが、手を伸ばしてエドゥアルトの頭をなでる。

「ヘンリエッテはお昼寝だから、起きるまでとっておいてあげようか」


 ぱちんっと長い指が鳴ると、青玉の粉が散ってエドゥアルトの雪だるまを覆う。

 青く透き通った球の中に、雪だるまがふわふわと浮き上がった。

「わあ、父上! すごいです!」


「まあまあ、はしゃいで。湯を用意させているから、温まっていらっしゃい。レオポルト、連れていって貴方も一緒に着替えてきなさいね」


 カタリーナが、エドゥアルトの後ろから走ってきた騎士に声をかけた。

「承知しました。ありがとうございます」

 騎士の濃い茶色の柔らかな髪は、雪に覆われて湿っている。エドゥアルトから盛大な攻撃を受けたようだ。


 レオポルトが声をかけると、エドゥアルトは素直にしたがったが、腕を伸ばして抱っこを要求した。

 騎士の腕に抱えられて遠ざかるエドゥアルトは、満足そうににこにこしている。


「本当に風邪をひかないとよいのだけれど」

 心配するカタリーナに、アマーリアは穏やかに微笑む。

「あれだけ走り回ってきたら、汗をかいているでしょう。温まってくれば大丈夫ですわ。最近は熱を出すことも少なくなりましたし」


 ヴァルターから受け取った雪だるまを、明かりに透かして眺める。濃い青の結界は光を弾いて、雪だるまは夏の海に浮かんでいるようにみえる。

 そのままヴァルターは部屋を出て行った。エドゥアルトを迎えに行ったのだろう。


「そう、ならよいけれど。確かにエドゥアルトはよく熱を出していたわね。ヘンリエッテは大丈夫かしら?」

「まだこれからでしょうけれど、エドゥアルトはこのくらいのときからよく調子を崩していましたから。それに比べるとヘンリエッテは、丈夫だと思いますわ」

「寝つきもいいみたいね」


 慣れないシャルロッテの腕の中でも、すうっと眠ってしまったヘンリエッテの寝顔を思い出す。アルトゥールの抱っこは嫌がっていたのに。アマーリアは口もとをゆるめながら、雪だるまの浮かぶ球をそっとテーブルに置いた。


「エドゥアルトは赤子の頃は、寝ないし、よく泣くし、泣き止まないし、なぜ泣いているかわからないしで、わたくしも泣きたくなりましたわ」

「それで成長したらあの暴れようですものね。フェルディナントも似たような子だったけれど、男の子はすぐ熱を出すのに、体力だけはあるから」


 シャルロッテと並んでアルトゥールと話すフェルディナントに、悪童の面影はない。それでもカタリーナには、幼い息子の不調にうろたえていた記憶がしっかりと残っていた。


「ヘンリエッテは貴女と同じね。よく寝て、丈夫で助かったわ。きっと人見知りも物怖じもしない子になるわよ」


 カタリーナが口にしたのは、孫に重なる幼い頃の我が子たち。

 それを聞いたアマーリアは、少し目を細めてから得意げに母に向き直った。


「ねえ、お母様。最初の子がわたくしでよかったでしょう?」


 誇らかなアマーリアに、カタリーナは一瞬戸惑ったが、すぐに母の顔を取り戻して言った。


「ええ、本当にね。そう思うわ」

ベラスケスの『ラス・メニーナス』のもとの題は『王の家族』だったそうです。そのイメージには……程遠いですが。

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