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わがまま王女がわがままに紡ぐわがままな恋の行方  作者: 永井 華子
わがまま王女と公爵

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20/21

20.わがまま王女の想い人

 新たな年を迎え、水の月が終わり、風の月に入ると、アンティリアの王宮では、国の重鎮が集う年初の御前会議が開かれる。


 宰相をはじめ、大臣を務める有力貴族の当主たちが一堂に会するその席では、その年に予定されている国事や外交について話し合われる。

 一通りの議題が片づくと、各所で談笑の声が聞こえはじめた。それをさえぎるように席を立ったヴィッテンベルク公爵ヴァルター・クリスティアンが、国王アルトゥールに王女アマーリアの降嫁を願い出た。


 一瞬の沈黙の後、出席者たちは一様に口を開いたがその内容は、声を荒らげて反対を叫ぶ者から、穏やかに賛意を示す者までさまざまであった。


 唯一、口を引き結んだままの国王に向けて、ヴィッテンベルク公爵は再度懇願する。


「六年間、お仕えする栄誉に浴し、昨年その任を辞しました。お傍を離れ時が経つほどに、どれほど己が殿下をお慕い申し上げていたのか、自覚いたしました。この上はどうか、陛下にお許しをいただき、アマーリア殿下が望んでくださいますなら、我が生涯をかけてお守りいたします。叶いますなら、どうか殿下にお目通り願い、臣の大望をお伝えする機会をお与えください」


 つい一週間前まで、アマーリアはヴィッテンベルク公爵領で過ごしていた。結局、半年近く王宮へは帰ってこなかったのだ。それをよく知る国王は、芝居がかった台詞を吐くヴァルターに鼻白んだ。


 会議の場を舞台へと変えた若者は定位置を離れ、出席者の末席のさらに先へと進んで振り返った。騒がしかった貴族たちは、固唾を呑んで成り行きを見守る観客と化した。


「諸卿におかれましては、若輩が世迷言(よまいごと)をと思われたことでしょう。ですが、殿下のご尊顔を拝することがならない月日の間に、幾度も諦めようとしましたが、できなかったのです。殿下が望まぬと仰るなら、所領にて謹慎する所存です。何卒(なにとぞ)、臣の愚行にお力添えいただきたく、お願い申し上げる」


 言い切って頭を下げた若き公爵に、皆唖然としている。この場にいるのはほとんどが、ヴァルターより下位の身分とはいえ、年長の高位貴族である。

 それぞれに思惑を抱えながら、若者の一見真摯な熱弁にどう応じるべきか思案し、黙り込んでいる。


「陛下、公の願いを殿下のお耳に入れるくらいは、よいのではありませんかな」


 静寂の場面を破ったのは、数少ないヴァルターの上席にある宰相ラウエンブルク公爵であった。片眼鏡(モノクル)に手をかけて位置を直しながら、宰相は続ける。


「恐れながら、アマーリア殿下におかれましては、婚約者は決まっておられません。歳の頃を考えると、そろそろという時期ではありましょう。しかしながら、お相手について以前陛下は、殿下のお心に添うように、と仰ったと臣は記憶いたしております。ヴィッテンベルク公爵は昨年の継承より、遅滞なく任を務めておりますし、なにより、殿下も気心が知れておられるはず。案外、ご承知くださるかもしれません」


 国王は口を開かない。水色の濃い虹がのぞく目をつり上げて、腰を折ったままのヴァルターに視線を注ぐ。


 しかし、宰相が賛意を示したことで、諸侯の大勢は決し、ぱらぱらとうなずく者が現れた。

 その気配を察したヴァルターは、厚い絨毯の敷かれた床を見つめたまま口の端をあげた。


 国王が大きく息を吐き、場の空気が現実へと立ち戻った。


「……許す」


 重々しい言葉を残して、国王は立ち上がる。

 顔を上げたヴァルターのもとへ、幾人かが祝いと激励を告げるために近づき、苦々しく思う者は表情を隠して立ち去った。


 宰相は国王に続いて退出する際、片眼鏡越しに目を細め、その視線を受けたヴァルターは小さくうなずいた。



 その年の春の夜会にアマーリア王女は、ヴィッテンベルク公爵にともなわれて出席し、その手を離すことも、ほかの男性と踊ることもなかった。

 公式発表こそないものの、アマーリアとヴァルターの婚約内定は周知されたのである。



「お父様、明日はヴァルターが観劇に連れて行ってくれると申していますの。出かけてもよろしいでしょうか」

 国王の執務室に、きちんと先触れを出してから扉を叩いたアマーリアは、父の前で優美に微笑んだ。


「……その話は先月のうちにヴァルターから聞いて、予は許可したはずだがな」

「ですが、ヴァルターが、お父様に今一度確認してお許しをいただかないと、と申しますので」


 社交シーズンになると、ヴァルターは王都の別邸へ戻り、折に触れてアマーリアを連れて出かけるようになった。

 ふたりの婚約は既定路線となったが、正式には秋になる予定だ。


 ヴァルターは、まだ仮の婚約者だからと事あるごとにお伺いを立てて、国王を苛立たせている。それに加えてアマーリアも、外出の前日には必ず、重ねての許しを求めにくる。


「アマーリア、この茶番はいつまで続けるつもりなのだ」

「さあ、ヴァルターの気がすむまででしょうか」

「まだ怒っておるのか。……意外に執念深いな」


 国王アルトゥールは、娘可愛さに、自らが選んだ相手にさえ、邪魔をするように余計な画策をしていた。国外へ出す気はもとからなく、アンティリアの貴族の中でも信頼が厚く、アマーリアが望む相手は、はじめからヴァルターしかいない。


 王命によって、アマーリアを嫁がせることは難しくない。それをしなかったのは、ヴァルターに請われて婚姻を結ぶ、というアマーリアの幸せを願ってのことだ。そう言ったところで、ふたりが納得するはずもなく、意趣返しの嫌がらせを受けている。


「陛下の大切な王女殿下をお預かりするのだから当然だ、と申しておりましたわ。まさか、婚約前の王女が、好き勝手に出かけてよいわけはありませんよね?」


 アマーリアは今年十八になる。ヴィッテンベルク領から戻ってからは、随分と大人らしい表情をするようになった。

 魔力が暴走することもなく、ヴァルターが婚約者と目されてからは、下手に近づく輩もいなくなった。


 すべて思惑通りとなり、安心して送り出せるというのに、国王の心は晴れない。眉間に皺を刻んで渋面を浮かべるが、諦めて天井を仰いだ。


「……楽しんできなさい」



 翌日、ふたりは王都で最も大きな劇場で、隣国の歌劇団の公演を鑑賞した。王族専用の桟敷席は、舞台からは少し距離はあるが、真正面の位置でよく見える。


 特等席に陣取っていながら、アマーリアは観劇にはさほど興味がなかった。ただヴァルターと会うためにつくった予定である。


「お父様が、いつまで続けるつもりかと仰っていたわ」

 一般の客席から離された半個室では、よほど大声で話さなければ声が漏れることはない。


「陛下の深謀遠慮に比べれば、これくらいは大したことではないと思うけれどね」

「ヴァルターの気が済むまで、と申し上げておいたわ」


 すました様子のアマーリアの髪に手を伸ばして、ヴァルターは笑う。

「まあ、もう少しくらいは我慢していただいてもいいと思うな」


 ヴァルターも歌劇自体にはさほど関心はないが、劇音楽は好んでいるらしい。舞台には視線を落とさず、すべらかな髪を撫でながら管弦楽に耳をかたむけている。


「そういえば来週には着工するが、本当にもう希望はないのか?」


 ヴィッテンベルク公爵家の本邸は、手入れの行き届いた美しい館であるが、増築を繰り返した末に現在の形となっており、最も古い中央部は八百年前に建てられている。

 王女を迎えるにあたり、公爵家では新たに新館を設けることにした。


「わたくしの部屋だけ好きにできれば充分よ。わがまま王女に公爵が振り回されている、などといわれたくないわ」

「私が好き好んで振り回されているともう知れ渡っているから大丈夫だろう」


「わたくしが振り回していることに、変わりないでしょう」

「わがままを叶える甲斐性があるのは、誇らしいと思っているよ」


 照明の落とされた中でも、紺碧の輝きは色褪せない。絆されてはならないとアマーリアは、つんとすまして舞台に目を向ける。


「ところで、貴方のお父様は無事に帰ってきたのかしら」


 新館は現本邸とは完全に独立して建てられるが、徒歩で行き来できる距離である。完成後も現本邸はそのまま残し、ヴァルターの父ヴィクトルの住処となる。


「ああ、私が王都(こちら)へ来るのと入れ替わりでね。さすがに顔を合わせるのは、ばつが悪かったらしい。アマーリアのおかげだ、ありがとう」

「あら、わたくしはわがままを通しただけですもの。帰ってこないなら、また手紙を書くつもりだったわ」


 先代公爵ヴィクトルは、妻の葬儀が終わってから、ヴィッテンベルク領の南の港にある別邸に引きこもっていた。


 順調な継承であったとはいえ、いきなり息子に公爵の重責を丸投げするなど、高位貴族として褒められたことではない。


 アマーリアを迎えるにあたり、ヴァルターは形式を整える意味でも、ヴィクトルを連れ戻すつもりでいた。

 新館建築はアマーリアを迎えるためであるが、ヴィクトルに帰還を促す目的もあった。

 息子から定期的に届く報告書に添えられた「帰ってきて欲しい」との手紙に、ヴィクトルは一度も返信をよこさなかった。


 ヴィッテンベルク領で過ごしていたアマーリアは、想像以上に忙しく働く新公爵を見て、ペンをとった。


 ――貴方が前公爵としての責務を果たさないから、わたくしがヴァルターと過ごす時間がないことについて、釈明なさい――


 王女からとはいえ、ごく私的な手紙には返信はなく、アマーリアが王都へ帰る前にヴィクトルが現れることもなかった。


「アマーリア殿下にはお詫びの言葉もないから、お前がよくよくお仕えするように、と伝言だけ届いたよ」


 アマーリアは、舞台を見つめたまままなじりを下げた。

「反省しているなら、許してあげてもいいわ。……少しは落ち着いたのかしら」

「わからない。こればかりは時間薬ともいうしね。最期にふたりで話すことはできたようだし」

「……ヴァルターは?」


「私は、まあ以前から覚悟はしていたしね。両陛下や王太子殿下が、動いてくださっていたことは、アマーリアも知っていたのだろう? 亡くなる前に私と母が話す機会は結構あったから」


 笑みを消した顔を向けてきたアマーリアに、ヴァルターは少しだけ眉を寄せる。護衛だった頃には毎日のように見せていた表情だ。


 フェルディナントが、近衛騎士の詰所を度々訪問していることは知っていた。その理由についても、弟からある程度は聞いていた。


 しかし、ヴィクトルとアルベルティーネのふたりの間の行き違いについては、ヴァルターが王宮を辞してから知らされたのだ。

 知らなかったにしても、母を亡くした人に酷い言葉を投げつけた己の未熟さに改めて失望した。かける言葉はみつからなくとも、どうして思いやる心をもてなかったのか。


 アマーリアが手紙を書いたのは、ヴァルターにただ、わがままをぶつけてしまった、それを悔いる気持ちがわだかまっていたからだ。


「……ヴィクトル卿が帰ってきたのなら、もう大丈夫ね」


 ふたりの間に沈黙が流れる間も、舞台では高らかに愛を請う女の歌が響きわたる。


「ねえ、ヴァルター。わたくし、まだ貴方に謝っていないことがあるわ。貴方のお母様が……」


 肩に置かれていた手が離れて、長い指がアマーリアの唇を封じた。

「謝らなくていい。それに、私は後悔しているんだ」

「後悔?」


「私は王女殿下ではなく、アマーリアが欲しかったんだ。だから、アマーリア殿下のもとから逃げた。母の死を理由に諦めようとした。母には親不孝と叱られるだろうな」


 紺碧の夏空の瞳に雲がかかる。鈍色の髪は壁の魔力灯に照らされて、仄かに金を帯びている。

 アマーリアは、唇に触れた騎士の手を握って膝の上に置いた。


「王女でないほうがいいの?」


 女性の告白に応える男の、朗々とした低音の調べが劇場を支配する。

 その歌声よりも少し高いヴァルターの声が、アマーリアの側で聞こえる。


「アマーリア王女をヴィッテンベルク公爵家に迎えることは、不可能だと思っていた。しがらみが多いことを陛下はよしとされないだろうと。それに、国外へ出るほうが、アマーリアは自由になれるはずだとね」

「……」


 アマーリアが握った手を、ヴァルターが引き寄せて口づける。困惑する恋人の額に己のそれを近づけて、そっと重ねる。


「だがそれもこれも、私が陛下に踊らされていただけだった。それなら、ただアマーリアを望むだけだ。今私は思う通りにしている」


 アマーリアは? と問われて、額から伝わる熱に浮かされたように腕を伸ばしてヴァルターの肩を掴む。


「わたくしは、王女でいたいと思ったことは一度もないわ」

「うん」


「……ずっとそう思っていたのよ」

「知っていたよ」


 顔を横に動かして抱きついた。ありがとう、と囁いたアマーリアは騎士の腕に体を預けて、涙を隠した。


 結局、アマーリアの唯一のわがままは、ヴァルターにしか叶えられないのだ。



 最終幕、恋人たちの二重唱が終わると、場内は拍手で満たされた。

 ほとんど鑑賞していなかったふたりには、少しばかり騒々しい。ヴァルターは指を鳴らして結界を貼った。青い塵が舞って一瞬のうちに消え去る。

 消えていく魔力を穏やかに見つめるヴァルターの腕から、アマーリアが逃れて再び舞台に目を向けた。


「でも、ヴァルターははじめから望んでいたのではないでしょう?」

「ん?」


 カーテンコールを眺める虹色の瞳は細められているが、笑ってはいない。

「最初の一年の約束が反故にされたときは、怒っていたわ」

「いや、それは、あのときの君はいくつだったと思って……」


 呆れたように息を吐いて、機嫌を取ろうとするヴァルターにアマーリアは笑みを返す。

「わかっているわ。十歳のわがまま王女の子守は、さぞ面倒だったでしょうね」

「可愛らしいお姫様だとは思っていたよ」


「嘘ばっかり。別に気にしていないからいいけれど。なら、いつから少しは大人らしく見えるようになったのかしら?」

「さあ……」


 ヴァルターの眼裏には、瑠璃の(とばり)に流れる金糸の煌めきが鮮やかに刻まれている。

 あの日、至高の檻に囲い込まれたアマーリアを、そのまま連れ去ってしまいたいと思った。抱いた罪の意識を、心の奥に封じて去るつもりだった。


 目の前の金を帯びた虹の瞳の中には、紺碧の瞳が映る。ああ、あのとき囚われたのは己のほうだったのだ、とヴァルターはようやく気がついた。


 もはや、自由になることは望まない。アマーリアが自由であるために。


「ねえ、聞いているの?」


 舞台に幕がおろされ、観客もあらかた席を立った。扉の外に控えている者に、帰り支度を命じるためにヴァルターも立ち上がる。


「このまま王宮へ帰るには早いか。どこかで食事でも?」

「もう! はぐらかさないで」


「この前言っていたシェフの店はどうかな? 今日行くかもしれない、と連絡させておいたから」

「本当? 行きたい! それならまだ帰らないわ」


 瞳の色と同じように、くるくると変わる表情が愛おしい。頬をゆるめる恋人の手をとって立つと、アマーリアはそのまま腕をからめて、ふふっと小さく笑った。


「どうした?」

「今日は気分がいいから、ごまかされてあげるわ」


「それはそれは、恐悦至極に存じます」

「もう!」

 空いている拳を口に当てて笑うヴァルターに、アマーリアはそっとささやく。


「知っているわよ」



 この年の冬、十八歳になった王女アマーリアとヴィッテンベルク公爵ヴァルター・クリスティアンの婚約が調った。結婚までの間、仲睦まじいふたりが王都でよく見られた。

 ふたりの婚姻が結ばれるのは、二年後のことである。

難航しました。消化不良で、いろいろと反省しているところですが、ひとまず完結といたします。

この後、数年後の話がひとつあるのですが、まだ一文字も書けていないので、年明けくらいを目標にしています。

読んでくださってありがとうごぞいました。

追いかけて、いいね!を入れてくださった方々、とても嬉しく励みになりました。重ねてありがとうございます。

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