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18.『風の精霊』の加護の泉

 大きな黒い岩の上にそれを覆うように、なめらかな白い石板が置かれている。真っ白な石板は柔らかく光り、岩と石板が重なる隙間からは、とめどなく金の霧が流れ出している。下へ落ちては広がっていく霧が、洞窟の中をふんわりと照らす。


 視界を金色に染める霧は、陽の光を織り重ねたヴェールのようだ。


 アマーリアは白い石板の上に座っていた。だれかに見られたら、間違いなく叱られるだろう。なにしろ『風の精霊』の加護の泉である。

 でも今はひとりで、叱る人はいない。


 己の意思で転移の魔法を発動したのは初めてだった。風の魔力は、アマーリアが()()()()行きたいと願うだけで、勝手に動き出した。これまでどれほど練習しても出来なかったのに、あっさりと発動して拍子抜けしたほどだった。

 しかし、「どこかへ」という漠然とした願いは適当でない、と気づいたときには既に転移は完了していた。

 体を包んでいた金の虹の霧が晴れて、視界が開けると、この石板の上にいたのだ。履物のないまま転移したのだから、仕方がないではないか。


 石板から足を下ろすと足首は金の霧に埋まり、ひんやりとした風を感じる。閉じられた空間なのに、空気は流れている。


 加護の泉から湧き出す魔力は濃く強い。加護の色に染まった霧は泉の周囲に揺蕩うが、『風の精霊』の加護の泉はほかの精霊の泉とは、少しだけ様相が異なる。

 魔力そのものがゆるやかな風を起こし、金の川のように霧が常に移ろっている。


 泉の入り口は物理的にも、魔力的にも閉じられて、結界が施されている。結界は高位の精霊術士が張った強固なもので、アマーリアが結界の中に直接転移できたのは王族の器を持っているからだ。


 二度の転移でアマーリアの器は、少しばかり軽くなっていた。体がふらふらしているのは、幻想的な目の前の景色に感化されたからではない。軽くなった頼りない器が、ぐらぐらと揺らいでいるのがわかる。

 それでも、泉から湯水のように湧き出る金の魔力が、器へ次々と注がれて急速に回復していく。

 アンティリアの王族が、最も多くの加護を与える精霊によって守られていることは知っていた。『風の精霊』は彼女を、相応しい場所へと導いてくれたらしい。


 金の霧が足や腕をするりと撫でる度に、心地よい魔力が気持ちを落ち着かせてくれる。軽やかに器を満たしていく『風の精霊』の加護は、アマーリアによく馴染む。重たい虹色の魔力よりも、よほど肌に合うとさえ思うのだ。


 もしも、『風の精霊』の加護のみで生まれてきていたなら。

「……だめね。お母様にあらぬ疑いがかかってしまうわ……」


 それでも、もしも王女でなかったなら、「かけがえのない身」などでなかったら。素直に想いを告げるくらいはできただろうか。

 いや、王女でなかったなら、彼と出会ってこれほど長く一緒に過ごすことはできなかった。


 ありえない願望を抱いたところで、なにかが変わるわけではない。アンティリアの王女は虹色の瞳を持って生まれる、それは精霊の理なのだから。


 王女に生まれ、それらしく振る舞ってきた。模範的な王女ではなかったにしても、そうではない生き方をアマーリアは知らない。

 これからも王女、あるいは元王女として過ごしていくしかない。


 ヴァルターがいなくなった王宮は、息苦しさばかりで、安心できる場所ではなくなってしまった。

 どれほどわがままに振る舞っても、必ずヴァルターが来てくれる。それが、アマーリアの限界だった。


 遠慮がちに諌めてくる使用人たちを困らせても、色あせた景色は戻らない。

 望むのはただ、失ってしまった過去の日々。そのわがままは、どこにぶつければよいのだろう。


 アマーリアは石板の上に仰向けに寝転んだ。下から湧き上がる金の光は岩肌を滑っていくが、天井にまでは届かず、洞窟の上部は薄暗い。

 王宮のアマーリアの部屋ほどの広さの空間は、地面だけがふんわりと光り続けている。


 そのとき、アマーリアの視界の端を虹の光が切り裂いた。全ての加護をあわせ持つ、アンティリア王家の魔力。濃い金色を放ち、この泉の魔力に馴染むその虹色の魔力はアマーリアのものだ。

 あわてて再び起き上がったアマーリアの目の前に、虹色の帯をまとった金の繭が現れた。


 繭がさらさらと解けて、中から濃い錫色の髪に紺碧の瞳の人が現れる。

 吸い込まれそうなほど高く晴れた空の瞳と、視線が交わって、アマーリアの金の虹には涙がにじんだ。


「魔力は、落ち着いていますか? 怪我はありませんか?」

 息を吐いて近づいてくるヴァルターに、アマーリアは首を横に振った。どうして、と声に出すことができない。


 アマーリアの前にたどり着いたヴァルターは、手をとって、「お迎えにあがりました」と言った。

 しかし、アマーリアがこたえる前に首をかしげてから視線をあげると、小さくなにかつぶやいた。


 そのまま、座っているアマーリアの脇に手を入れて立ち上がらせる。少し頭を下げて、のぞき込むようにアマーリアの瞳を見つめる。

 そして、今度ははっきりと言葉にした。


「アマーリア、迎えに来た。一緒に帰ろう」


 金の虹の瞳が大きく見開き、まぶたから雫があふれ出した。

 先ほどまであれこれと思い悩んでいたことが、なにもかもどうでもよくなって、アマーリアはヴァルターに抱きついた。


「ごめんなさい」

「謝ることはない、私が謝るために来たのだから」

 アマーリアを軽々と抱き上げたヴァルターは、石板に座らせるとそのまま跪いて手を握った。


「勝手にいなくなって、ごめんなさい」

「私が怒らせたからだろう?」

「ヴァルターはなにも悪くないでしょう?」

「言葉が足りなかった」


 見上げてくるヴァルターは、よく通る声ではっきりと言った。


「『貴女はかけがえのない人』だ。私にとって、誰よりも」


 アマーリアの華奢な手を握る、騎士の無骨な長い指はわずかに震えていた。

 白い手が同じように震えはじめたので、ヴァルターはしっかりとそれを包み込んだ。


「本当に?」

 驚いたアマーリアの問いかけに、ヴァルターはうなずく。

「それに、逃げるアマーリアを迎えに行くのは私の特権だ」


 指の先から厚い手の甲へ、その先の腕へ、瞳を動かす。さらに先にある紺碧の瞳は、微笑んでいる。

「ずっと、面倒で仕方ないって態度だったわ」


 眉をゆがめると、まなじりから新たに涙がこぼれる。ヴァルターは右手を動かして、白い頬を拭った。

「これから先、誰にも譲る気はない。だから、一緒に帰ろう」

「……どこに?」


 ヴァルターは立ち上がって、あらためて手を差しのべる。

「ヴィッテンベルクへ」

「ここはヴィッテンベルクでしょう?」

 なにを言っているのか、とアマーリアは視線を上げた。

 ここは、ヴィッテンベルク領内の『風の精霊』の加護の泉である。最古参の忠臣、ヴィッテンベルク公爵に託されている泉は、アンティリア王家の要地だ。


 目に見えるほど濃い金の魔力が湧く泉は、ヴィッテンベルクにしか存在しない。アマーリアも訪れたことはなくとも、どこにいるのかすぐにわかった。


 しかし、ヴァルターの事情は異なる。

 ヴィッテンベルク公爵家の本邸から、アンティリアの王族が転移できる『風の精霊』の加護の泉は、実はふたつある。


 ヴィッテンベルクの南、国境を越えた先はジェイソス公国である。さほど領土の広くない公国の首都までの距離は、アンスリーよりも近い。そこにもジェイソスの守護精霊、『風の精霊』の加護の泉が存在する。


 アマーリアが本当にヴァルターを拒絶するのであれば、ジェイソスへ転移することもできた。


「もしジェイソスの泉に飛んでいたなら、迎えに行けなかった。あちらへの転移には、魔法陣が必要になるし、私の立場ではおいそれと国境は越えられない。そのときは諦めろと王太子殿下は仰った」

「……ジェイソスになんて、行くはずがないでしょう」


 アマーリアの前には、ヴァルターの柔らかい笑顔がある。

「よかった。なら、貴女をヴィッテンベルクへ迎えたい」


 頬を染めたアマーリアが顔をそらす。長い髪から見え隠れする耳まで赤くなっている。

「態度が変わりすぎよ。なにがあったの」

「私が考えていたことは全て無駄だった、と王太子殿下からうかがった。だからもう、私も好きにさせてもらう」


 意外な言葉に目をしばたたかせて、アマーリアはヴァルターを見つめ直した。

「アマーリアは私のもとへ連れて帰る。もちろん、貴女が望んでくれるなら、だが」


 アマーリアは再びヴァルターに抱きついた。瞳から涙があふれて、ヴァルターの胸を濡らす。

 ヴァルターは腕をまわして彼女を抱き寄せると、ゆっくり背中をなでてなだめた。


 アマーリアが泣き止むまで、そのまま静かに時が流れるのを待つ。金の霧が起こす風は穏やかにふたりを包んでいた。

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