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17.『風の精霊』の加護

 耳に響く動悸と、空転する思考に支配されたヴァルターは、無意識のうちに胸元に手を押しあてた。

 指先に硬いものが触れる。急いで上着から通信石を取り出すと、氷の魔力を流し込んだ。石はたちまち青く光り出す。

「殿下! 王太子殿下!」


 紺碧の魔力を吸い込むと、通信石は紅を包む虹色の光を吐き出した。燃えるような蛋白石(オパール)の魔力は渦を巻き、焦るヴァルターをよそにゆっくりと像を結んだ。

 ゆらめく霧の中に、フェルディナントの怪訝そうな顔が浮かぶ。


「ヴァルター、どうかした?」

「殿下、アマーリア様がまた転移を! いや、まだ魔力が回復していないのに、転移自体が成功しているのかどうか……。王宮へ戻られていませんか!」


「ヴァルター、とりあえず落ち着け」


 フェルディナントの冷静な口調に、ヴァルターは呼吸を整えるよう努めた。フェルディナントはそれを見てうなずく。


「姉上が目を覚まして、しおらしい様子を見せた。ヴァルターは安心して、なにか不用意な言葉で姉上を怒らせた、と。そんなところかな?」


 まるで見ていたかのようなフェルディナントの言葉に、ヴァルターは驚いて頭を下げる。


「……申し訳ありません」

「面倒をかけるね。と言っても、今回はヴァルターに言いたいこともあるかな」

「誠に申し訳ありません」


 重なる謝罪に苦笑するフェルディナントは、落ち着き払った様子でヴァルターの焦燥をあおる。


「とりあえず、姉上は無事だから安心していい」

「王宮へ戻っておられますか?」

「いいや、でも大丈夫だよ」


 ヴァルターは錫色の髪に手を入れたが、かろうじて掻き回すことは思い止まった。

「なら、どうしてご無事だと言い切れるのですか? アマーリア様は、これまで転移の魔法を使われたことはないはずです」

「うん……、転移の魔法はね、別に王族の魔法というわけではないんだ。王家の精霊石があればヴァルターにも使えるだろう? 王族の魔法というのは、王族の器でなければ使えないものなんだよ」

「ですが、それは王家の魔力で……」


 フェルディナントは眉を寄せて、ゆっくり首を振る。

「そう思わせているだけで、そもそも転移の魔法陣には、純粋な魔力が注がれている。陣にはすべての精霊への聖句が刻まれているけれど、あれは偽装だ。実際には『風の精霊』の魔法だから、風の精霊の加護が強い姉上は、たとえ失敗しても精霊に守られる。行方知れずにはならないし、行き先も限られる」


 予想外の話に、ヴァルターは目をしばたたかせる。

「それは、どういう……」

「ああこれは国家機密、というよりも、アンティリア王家の秘密だ。王族以外に知る者はいない。ただ、どれほど『風の精霊』の加護の器が大きな者でも、転移できるだけの風の魔力は持てない。それこそジェイソス公の一族でもね。アンティリア王家の器がなければ、使えないんだ。私たちは自らの魔力で転移できるけれど、それでも『風の精霊』の魔力で発動している」


 ジェイソス公国の守護は『風の精霊』。代々のジェイソス公は『風の精霊』の加護の器を持つ。ジェイソスに限らず、大陸の各国では、国の守護精霊の加護を持って生まれた王族にのみ、王位継承権がある。

 過去には国の守護と異なる加護を持つ王が立った王国もあったが、どの王も短命に終わり国は乱れたという。


 守護精霊の加護を持つ王族の器は、国の主に足る魔力を備えているとされる。

 ジェイソス公家の『風の精霊』の加護の器は非常に大きいが、それでもアンティリア王家の精霊石と魔法陣がなければ、転移の魔法は使えない。

 そのため、転移の魔法はアンティリア王家の虹の魔力が必要だ、と大陸各国で信じられている。

 しかし、フェルディナントはそれが偽装である、と言った。王家の秘密である、とも。


「殿下、それは私が耳にしてよい話ではないでしょう。それに、今はアマーリア様を」

「まあ、姉上は頭を冷やしたほうがいいよ。君もね? 少し話すことがあるから、それを聞いてからでちょうどいいと思うよ」


「アマーリア様は本当にご無事なのですね?」

 念を押すヴァルターに、フェルディナントはうっとうしげに眉を上げた。

「問題ない、と王太子(わたし)が言っている」

「……承知しました。申し訳ありません」


「まあ、ちょっと父上もやりすぎたよね。私はやめるように言ったんだけれどね」

「国王陛下が、なにか?」


 小さな像に投影されたフェルディナントが肩をすくめる。ヴァルターは、(はや)る気持ちを一旦収める。


「ヴァルターは、姉上を迎えに行く意思があるんだよね?」

 紅い虹の中で濃く光る紅玉の瞳が、ヴァルターを捕える。逃れることを許さないその視線に、ヴァルターも正面からこたえる。

「今すぐにでも。……そのまま、陛下が公になさる前にアマーリア様をヴィッテンベルクへお迎えする許しをいただきに参る所存です」


 満足そうに笑みを浮かべたフェルディナントは、小さく嘆息する。

「やっと腹を(くく)ってくれてよかったよ」

「……ですが、アマーリア様に縁談があるというのは、本当ですか?」

「ああ、ないない。それは、姉上が勝手に悲観しているだけだから。父上はね、ヴァルターが望んで迎えるのでなければ、姉上を嫁がせるつもりはないとか言って、あれこれと面倒な工作をしていたんだよ」


 フェルディナントはため息を吐いて手を広げた。

「は?」

 ヴァルターは目と口を大きく開いて、困惑している。

「王命で降嫁させればいいだけの話なのに。可愛い娘が望むところに望まれて嫁ぐ、幸せな婚姻を結んでやりたいそうだよ。ヴァルターから申し出ることがどれだけ難しいか、わかっていてそう言うのだからたちが悪いよね」


「では、ジェイソスのアルバン公子は?」

 眉を寄せたヴァルターを、からかうようにフェルディナントは笑う。

「やっぱり気にしていたのか、父上の思い通りに踊らされているねえ。あれはまあ、ヴァルターにその気があるか確かめようと、アルバンに頼んでわざとらしい振る舞いをしてもらっただけだよ」


 ヴァルターの眉間がぐっと狭まり、フェルディナントは憐れむように眉を下げる。

「姉上をジェイソスへ嫁がせるつもりはない、と父上からきかなかった?」


「……アマーリア様のデビューのときにうかがいましたが、陛下は『今のところ』と仰いました。傍目(はため)には『風の加護』を持つアマーリア様が、ジェイソスの公妃となるのは相応しくみえます。それに、アマーリア様ご自身もジェイソスのほうが、今よりも心穏やかに過ごせるでしょう」


「ジェイソスはない。かと言って、ほかの国では国内と変わらないどころか、それ以上の重圧にさらされる。父上は可愛い姉上をそのようなところに()る気は最初からないよ」


 アンティリアとジェイソスの間柄であれば、アマーリアは()()の姫君として丁重に迎えられるだろう。

 しかし、ほかの国との縁談にはより複雑な外交が必要となる。アンティリアの国力を頼るだけならいいが、虹の魔力を求められ、あるいはその血を繋ぐことを期待されて嫁ぐのは、アマーリアでなくとも荷が重い。


「ジェイソスの旧王党派の力が、それほど強いとは思いませんが……」

 国境を接するヴィッテンベルク公爵家は、ジェイソスの国内事情にも通じている。

「そう考えていたから、身を引こうとしていた?」


 ヴァルターが、アマーリアを望むのを躊躇した最大の理由。それは、アンティリア国内に留まると、アマーリアが即位する可能性が残ってしまうことにあった。

 ジェイソスの公妃になれば、アンティリアの王位継承権はなくなる。アマーリアがより穏やかに過ごせる場所は、ヴィッテンベルクではない。

 このような事態にならなければ、今でもそう考えていたかもしれない。


「ジェイソス公はアンティリアの貴族だと思われがちだけれど、それは誤りだ。カランタニア家は爵位をアンティリア王家へ返上し、当時のジェイソス王家の承認のもとに公国の主となったのだから。ジェイソス貴族のケルンテン公爵が、王の移譲によってジェイソス公として公国を治めている。もとのジェイソス王国の全てが、今の公国となっているけれどね。ケルンテン公爵はあくまでも旧ジェイソス王朝、シュヴァーベン王家の家臣だ」


「それは、もちろん存じておりますが」

「ああ、やはりヴァルターは知らないのか。ということは、先代公爵も知らないのだろうな」

「殿下、なにを仰っているのか、わからないのですが」


 十も歳下の(あるじ)に恐ろしさを感じるのは、このような物言いをされたときだ。姿は確かに少年であるのに、なにもかもを見通しているような視線が突き刺さる。


「カランタニアはもともとヴィッテンベルクの分家だった。四百年前、シュヴァーベンがアンティリアへ侵攻してきたとき、先頭に立って抗戦したのはヴィッテンベルク騎士団だろう? 騎士団長は当時のカランタニア侯爵だったけれど、それはヴィッテンベルク騎士団を率いての戦果だからね。シュヴァーベンを打ち払った功績はヴィッテンベルク公爵家のものだ」


「しかし、ジェイソスはカランタニア侯に与えられた……」

「うん、それは誤解だが、あえて訂正していないんだ。そして当のヴィッテンベルク公爵家はその記録を抹消しているということだね、ヴァルターが知らないのだから。さすがアンティリア最古の忠臣だよ」


 四百年前、ジェイソス王国シュヴァーベン王朝の国王が、野心に駆られてアンティリアに侵攻した。打ち払ったのは当時のヴィッテンベルク騎士団であった。騎士団長はヴィッテンベルク公爵家の分家の当主であるカランタニア侯爵であったが、勝利は侯爵個人の功績ではない。


 しかし、カランタニア侯爵はジェイソス公国の主となった。


 ヴァルターは、フェルディナントがあえてまわりくどい説明をしているとわかっていたが、その意図にまでは思いいたらなかった。

「つまり、どういうことでしょう?」


 焦れるヴァルターを面白がっているフェルディナントは、わざと重々しく口を開く。


「大陸七か国の王家は、それぞれに精霊の守護を持つ。シュヴァーベンは『風の精霊』の守護を失い、次にそれを与えられたのは、カランタニア侯爵家だったんだ。精霊の(ことわり)にアンティリアの力など及ばない。それなのに、まるでアンティリア王家が介在したかのように装ったんだ。当時のジェイソスの王太后との密約によって」


 アンティリア侵攻に反対した王太后は、実の息子であるジェイソス国王に幽閉されていた。国王と王太子はともに戦場で命を落とし、シュヴァーベン王家の直系は絶えた。

 救出された王太后は次代の王家が立つまで、国をアンティリアに委ねると申し出たが、そのときすでにカランタニア侯爵家が『風の精霊の守護』を継承していることがわかった。

 生まれたばかりのカランタニア侯爵家の嫡男に、『守護の証』が現れたのである。


 カランタニアは地理的にジェイソスと接している。過去にはジェイソス王家の縁者との婚姻もあり、アンティリアの貴族でありながら、ジェイソス王家の血も引いていた。

 精霊の守護は必ず、その国に縁を持つ者に与えられる。シュヴァーベン家が失った『風の精霊の守護』は、『風の精霊』によってカランタニア家に与えられたのである。


「『精霊の守護の証』ですか」

「失えば玉座から転がり落ちる。シュヴァーベンも承知していたはずなんだけれどね」

「どれほど優れた術士でも、精霊を認識することはできない、と聞いたことがあります。精霊は真に存在するものなのでしょうか」

「存在するよ。その守護によって、王家が存在するのだから」


 ジェイソスの『精霊の守護の証』が、カランタニア家に引き継がれたのは、人知の及ぶところではない。しかし、国王と王太子がいなくなったばかりのジェイソスに、アンティリア王国の貴族であった者が王として立つことは、多くの反発を招き混乱が長引くと懸念された。


 そこで、あえてアンティリア王家の息がかかったカランタニア家に、王太后がすがったとする筋書きが整えられた。


「精霊の御業に介入して、アンティリアに影響はなかったのですか。『風の精霊』の守護を騙ったようなものでしょう?」

「そのときのアンティリア国王は、その辺りの見極めに長けていたようだね。アルブレヒト王なんだけどさ」


「ああ……」


 フェルディナントの正式名は、フェルディナント・アルブレヒト・ニーベルシュタインである。

八代前の国王アルブレヒトは賢王と名高いが、それだけの人物ではなかったようだ。今、ヴァルターの前に見える少年と同じように。


「アンティリアとしては、もとよりジェイソスを併合するつもりはなかった。精霊の理に触れるからね」


 ジェイソス国内に新たな王が現れれば、王太后が承認し、新王朝が開かれるはずだった。しかし、新たに精霊の守護を得たのは、アンティリア貴族のカランタニア侯爵だ。

 国内の混乱を収めるために、王太后はあえて、ジェイソスがアンティリアの影響下に入ったように見せかけるよう望んだ。

 アンティリア王国にとっても、ジェイソスが早期に安定を取り戻すことが最善である。


 公にされたのは、ジェイソス公国の樹立とカランタニア侯爵が初代ジェイソス公に就くことのみであった。

 当時のヴィッテンベルク公爵は、全てを知っていたが、その秘密を子孫に残さなかった。カランタニア侯爵がジェイソスのケルンテン公爵となった時点で、話はアンティリア王国とジェイソス王国の外交問題となったからだ。


 ジェイソスが大国アンティリアの属国となれば、容易に手出しはできない。狙い通り、周辺諸国やジェイソスの貴族たちはそう認識した。

 実際にはアンティリアは、ジェイソスに如何なる干渉も行っていない。()()()()()()()()、と誤認する者がいたとしても、それは彼等の勝手というものだ。


「まあ、そういうわけだから、ジェイソスは姉上が嫁いでくるとむしろ困るんだ。旧王党派が警戒するだけでなく、勘違いしたアンティリアの貴族たちが、ジェイソスの独立を損なうようなことを言い出すかもしれないしね。アルバンはシュヴァーベンの血を引く姫との婚約が決まっていて、彼はいずれ国王として即位する」


「それをアンティリアが承認すると?」

 フェルディナントは、静かにうなずいた。

「正統なシュヴァーベンの後継として、ジェイソス王国にケルンテン王朝を開くことになる」


 フェルディナントはそこで、がらりと声色を変えて明るく言った。

「だから、姉上とアルバンの婚姻なんてありえない。それどころか無用な憶測を避けるために、はやく余所へ嫁いでほしいとさえ思っている。そのために父上の面倒な依頼を引き受けてくれた、というわけだよ」


「……国家間の外交に、このような茶番を放り込んだのですか?」

「私じゃない、父上だよ。そのくせ、まだ姉上を手元に置いておきたいものだから、ヴァルターには決定的なことは言わなかった。アルバンも呆れていたよ」


 肩を落としたヴァルターはこらえ切れずに、ぐしゃぐしゃと鈍色の髪を掻き回した。

 フェルディナントは声を出して笑った。


「そろそろいいかな。姉上がしびれを切らすだろうから、迎えに行ってあげてよ」

「……どちらにいらっしゃるのですか?」

「風の精霊が愛し子を匿う場所だよ」

ジェイソス公の家名はケルンテンで、爵位は公爵です。次期ジェイソス公となる公子は、代々ケルンテン侯爵を名のります。

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