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16.公爵の失言

 雨粒が硝子を叩く音が、真っ直ぐに鼓膜に響いた。アマーリアが目を覚ますと、見慣れない薄絹の天蓋の中にいた。

 天蓋の外の様子はわからない。耳に残る反響は別の音だったのではないか、と思うほどに雨の音は微かだった。


 大きな寝台に横になっている体は、こちらも白い絹の寝衣に包まれている。

 知らない場所にいるのに、不安は感じない。落ち着く穏やかな空気が、ゆるやかに流れている。


 軽いシーツが胸元までかかっていて、その上にはアマーリアの精霊石が置かれている。帽子につけていた王族の証は、か細く頼りない光をわずかに放っている。


「お目覚めでしょうか?」

 少し低い女性の声がかけられて、身を起こす。精霊石を手に取ると、弱々しい光がちらちらとこぼれて、石は真っ黒に変わった。

「ええ、大丈夫よ」

「失礼いたします」


 入ってきたのはアマーリアよりは歳上の、それでもまだ若い女性である。わずかに青みがかった茶色の髪は、肩のあたりで短くそろえられている。柔らかい笑みを浮かべる顔には、若葉色の瞳が目立つ。


「ヴィッテンベルク公爵家の主治医を勤めております、エリゼ・シュミットと申します。公爵の依頼により、診察をさせていただきました。勝手をお許しください」


 アマーリアは寝台脇の椅子をすすめて、鷹揚にうなずいた。

「かまわないわ。面倒をかけたわね」

「ありがたく存じます。一時的に魔力が不安定になられて、お体に負担がかかっていらっしゃいます。今一度、お手をとらせていただけますでしょうか」


 アマーリアが差し出した左手を、エリゼが握る。慎重に脈をとる間、開いた天蓋から入ってくる雨音が大きくなってくる。

「ご気分はいかがですか。よろしければなにか召し上がられますか?」

「食欲はないの。どれくらい眠っていたのかしら?」


「もうすぐ日の入りです。私が参りましたのが昼前ですから、半日ほどでしょうか。果物などはいかがでしょう? 葡萄がよい時節になっております」

「そうね、それなら食べられるかしら。あと、誰かに身支度を手伝ってくれるように言ってもらえる?」


 エリゼはほっとした表情を見せてうなずく。

「承知しました。私はしばらくこちらに滞在するよう申しつかっております。ご体調にお変わりがありましたら、お呼びください」

「ええ、わかったわ」


 エリゼが退出すると、すぐに侍女が入ってきた。ここの最年長と思われる侍女は、手際良くアマーリアの着替えを手伝う。部屋着は賓客に用意されているものらしく、上質で着心地がよい。軽く化粧をされ、いくらか平静を取り戻すと、ようやく空腹を覚えた。


 テーブルには薄紫の小粒の葡萄と、焼き菓子が用意されていた。どちらもアマーリアの好物だ。


 温かいお茶と焼き菓子を口にすると、侍女は主人を部屋に入れてもよいか、とたずねた。

「ええ、いいわ」


 扉を叩く音は、雨音に重なりながら三回聞こえた。

 どうぞ、と声をかけると邸の主人が姿を現した。


「体調は、ご気分は悪くありませんか?」

「大丈夫よ。世話をかけたわね、()()


 ヴァルターの眉の端が少しだけ下がって、目を細めている。

「ご無事でなによりでした。無礼をはたらいた輩は捕らえられたとのことです。アマーリア様は体調を崩して王宮へ戻られたことになっていますので、しばらくはこちらでお休みになるように、と申しつかりました」


「お父様がそう仰ったの?」

「私は王太子殿下とお話しただけですが、国王陛下のご指示と承知しております」

「そう」


 騎士服を着ていないヴァルターを見るのは、はじめてかもしれない。白いシャツに生成り色のベスト、群青のタイ。正装ではないが、貴族の(なり)である。


 有力公爵家の当主として、なにも不足はない。

 ヴィッテンベルク公爵ヴァルター・クリスティアンは、そう遠くない時期に、アンティリア王国を支える重鎮となる。彼の在るべき姿、歩むべき道筋は約束された未来へと向かっている。


 対してアマーリアは、いずれ王宮を出れば王女の身位を失う。虹の魔力を持っていても、それを受け継ぐ子を産まなければ、王族としての扱いからも外れる。

 かつてアンティリア王家を離れた王女が、虹色の瞳を持つ子を産むことはほとんどなかった。おそらく、アマーリアも同じだろう。

 先行きは見えないまま、一年先の自分がどのような立場に置かれるのか、想像もできない。


「迷惑をかけるつもりは、なかったのよ」

「そのようなことは、お気になさいませんように。ご無事で本当にようございました」


 ヴァルターの紺碧の瞳を、アマーリアはぼんやりと見つめる。三か月前までは、毎日のように傍にいたのに、今はなにもかもが遠く感じる。

 アマーリアの護衛騎士であったヴァルターはもういない。


「アマーリア様? やはり具合が悪いのでは?」

「大丈夫よ。外出するのは久しぶりだったの。外の空気や陽を浴びて、疲れた気分になっただけよ」


 ヴァルターの眉がはっきりと下がり、アマーリアは苦笑をこぼす。

「違うわ。皆よくやってくれているの、わたくしが大人しくしていればよいのよ」


 ヴァルターは視線を動かし、己の姿が映る窓を見やった。

「後任の者たちの体制が整っていないのは、私の都合でお傍を離れたせいです。それがこのようなことになって、お詫びの言葉もありません」


 頭を下げたヴァルターに、アマーリアは首を振った。

「やめて。貴方はもっとはやく、ここへ帰るはずだった、わかっているわ」

 アマーリアが吐き出しため息が、ヴァルターの耳に入る。アマーリアのため息など、聞いたことがあっただろうか。

 驚くヴァルターに、アマーリアは決まりが悪そうに顔をそむけた。


「貴方のおかげでわたくしは、どうにか王族としての体裁を整えられた。それなのに、快く送り出すことも、感謝を伝えることもしなかった」

「アマーリア様……」

 アマーリアはもう一度首を振って、ヴァルターを制した。


「六年、長い間よく仕えてくれました。ありがとう」


 ヴァルターは湧き上がる感情を漏らさぬように、口もとをおさえる。


「……身に余る光栄です。殿下にお仕えできたことは私にとって幸いでした」

「なぜそこで驚くのよ」

 ヴァルターが言いよどんだのを、勘違いしたアマーリアは拗ねた口調で言った。


「いえ、謝儀の言葉をいただけるなどもったいない、と」

「それほど有り難がられるものではないわ。感謝を表せないような人間は、王宮を出て暮らしていけないでしょう?」


「そのようなお話があるのですか?」

 ヴァルターの声が重たくなったことに、アマーリアは気づかず、目を伏せた。


「聞いてはいないけれど……、わたくしはもうすぐ十七になるし、お母様はデビュタントでお父様と踊ったのよ。フェルディナントの婚約者も同じようにするなら、わたくしが王宮にいると邪魔になるでしょう? 今日のようなことが、また起こらないとも限らないわ」


 アマーリア()()の王配の座を狙う者たちは、王太子が婚約者を迎えるのを良しとしないだろう。彼らを諦めさせるには、アマーリアが降嫁することが最も効果的、かつ唯一の方法だ。


 父やフェルディナントもそう考えているはずで、候補があがっていてもおかしくはない。さすがに誰でもよいとはならないだろうが、アマーリアは望ましい相手でなかったとしても、命じられればしたがうつもりでいた。

 ヴィッテンベルク公爵とともに、国の未来を背負う弟のお荷物になる気はない。


 ヴァルターはこのとき、少なからず緊張していた。フェルディナントが示した手札(カード)を使えば、後戻りはできない。それでも腹を括るときがきたのだと。

 

「陛下も王太子殿下も、アマーリア様を大切に思っておられます。どうかご自身の将来を粗雑に扱わないでください。貴女はかけがえのない人なのですから」


 慎重に選んだつもりの言葉は、アマーリアの耳には異なった意味に響いた。

 金の虹が怒りに震える。ヴァルターは失態に気がついたが、それはわずかに遅かった。


「貴方までそのようなことを言うの? その価値は身分にあるだけで、わたくし自身のものではないのよ。……もういいわ、公爵、世話になりました。見送りは不要です」


 アマーリアが自らの意思で、金の虹を放出する。

 ヴァルターの目の前で、彼が誰よりも美しいと思う魔力が急速に膨張して、割れた。

 ヴァルターは、彼の時だけが止まったかのように茫然としていると、最後に残った一筋の金の糸が裂けるように弾けて、我に返った。


「アマーリア様!」


 アマーリアは今日、はじめて転移の魔法を使い、つい先ほどまで眠っていた。魔力はまだ完全には回復していないはずだ。その状態でまた転移の魔法を使った。

 ただでさえ魔力消費の多いアマーリアが、無事に転移できているのか。

 一瞬のうちにあらゆる可能性がヴァルターの頭に浮かび、背に冷たい汗が流れた。

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