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14.わがまま王女の外出

 その日、ジビュレ王妃の墓所を詣でるため、アマーリアは早朝に王宮を出た。フェルディナントを撒くために、予定よりもかなり早く出発したのである。


 くすんだ銀灰色のドレスは細身の型で、アマーリアをより華奢に見せる。同じ色のトーク帽にはアマーリアの精霊石(いし)が飾られ、目的を踏まえた装いの中で少しばかり異質に見える。だが、王族の証を身につけることも、儀礼のひとつとされている。


 ヴァルターのもとでは副隊長を務めていた近衛騎士が、現在のアマーリアの護衛隊長となっている。

 騎士の腕に手を添えて馬車に乗る際に、声をかけられた。


「本当によろしいのですか? 王太子殿下は、ご一緒に過ごされたかったのではありませんか?」


 いいのよ、と言いながらアマーリアは笑った。騎士の指摘はおそらく当たっている。フェルディナントは姉を心配をしつつも、アマーリアと王宮の外で話す時間を持ちたかったのだろう。


「フェルディナントが忙しくしているのは、王太子の仕事ですもの。わたくしのために滞らせるわけにはいかないわ」

 本来なら、まだ手を出さなくても許される年齢でありながら、フェルディナントはすでに、成人した王太子に課せられる職務のほとんどを行っている。

 アマーリアの器に劣る、王太子に相応しくないなどと言う一部の貴族たちは、いったいなにを見ているのだろうか。


 馬車には、アマーリアの侍女の中でも歳の近いネーナが同乗した。ゆっくりと動き出した馬車は、結界の魔法が付与された精霊石によって、ほとんど揺れることはない。


「わたくしの護衛は、いろいろとよくわかっているのね」

「私どもと同じく、姫様が本当は素直でお優しい方だと存じておりますからね」


 驚いて目をしばたかせたアマーリアは、不機嫌そうにネーナを見る。

「おだててもなにも出てこないわよ」

「まあ! 本心ですよ。近衛の別の隊はともかく、姫様の護衛は皆、ちゃんとわかっていますから。そういう騎士しか採用されないからですけど。以前に、あ……」


 笑顔で話していたネーナは、そこで気まずそうに黙って下を向いた。口を閉じた理由はアマーリアにも心当たりがあった。

「ヴァルターがなにかしていたの?」


 ネーナは、ばつが悪そうに苦笑して、少し首をかたむけた。

「姫様の護衛となる騎士は、必ずヴァルター卿と面談してから、採用されていたそうです。以前その席で姫様のふたつ名を口にした者がいて一蹴された、と聞きました」

「それくらいで? そのようなことをしていたら、人がいなくなってしまうでしょうに」


『わがまま王女』という呼び名は、実際に迷惑を被った王宮の使用人たちの口から広まっている。口にしたことのない者のほうが、少ないだろう。


「姫様の直属には、そのような不心得者はいませんよ。それに、美名のほうなんです。姫様がそちらも嫌っておられることは、あまり知られていませんから。もともとは近衛騎士たちが言い始めたものですし、褒めているつもりだったのでしょうけど」


『暁の姫君』

 一部の近衛騎士に広まっているその美名は、たしかにアマーリアの容姿に相応しい。

 しかし、アマーリア本人にとっては、『わがまま王女』と大差ない。むしろ、自覚のあるわがままのほうが、ましだと思っている。

 見た目だけで憧れているのは、中身には目を向けていないということ。王女という身分に群がってくる輩となにも変わらない。


「そう、わたくしの護衛に不採用になっただけよね? 近衛を辞めさせたわけではないわよね?」

「詳しくは存じませんが、ほかの隊に配置換えになったのだと思います。姫様の護衛になるために品行方正に努めていた、どこかの伯爵家の子息だったそうですから」


 近衛に入隊する伯爵家の子息なら、その程度で除隊させられることはないだろう。ひょっとすると、王配の座を狙っていたのかもしれない。

 念願が叶って気がゆるんだのかもしれないが、ヴァルターは許さなかった。


「意外と過保護だったのね」

「どう見ても過保護でしたよ! お気づきではなかったのですか。だから皆……」

 ネーナは続く言葉を呑み込んで、再び下を向いた。アマーリアも今度は追求しなかった。

 アマーリアに近い者ほど、彼女の相手はヴァルターになるのでは、と思っていた。アマーリア自身もまったく考えなかったと言えば、嘘になる。


 しかし実際には、ヴィッテンベルク公爵家にアマーリアが嫁ぐことは難しい。

 アマーリアの王配を狙う者たちが反対するのはもちろんのこと、フェルディナントを推す貴族たちも難色を示すだろう。王太子派の筆頭である宰相ラウエンブルク公爵などは、真っ先に異議を唱えるに違いない。

 ヴァルターには、王配に相応しい条件がそろいすぎているのだ。


 過去に王妃を出したこともある有力公爵家の嫡男であり、王女の降嫁もあった血筋。なにより、ヴァルターの実力があれば、いささか頼りないアマーリアを支える王配として不足はない。

 護衛として長く傍に仕えて、アマーリア本人の信頼を得ていることも有利な条件とみられていた。


 それでも、アマーリアは玉座を望んでいない。それはヴァルターが誰よりも知っているはずだった。

 だから、あのようにあっさりと身を引くヴァルターに腹が立ったのだ。彼の頭の中にも、父の考えにもその可能性がまったくなかったのだ、とわかってしまったから。


 ヴァルターが去ってから、アマーリアの護衛を希望する者はあとを絶たない。近衛の中にも高位貴族の子息はおり、転属願を提出してくるが全て却下されている。

 彼等の苦情を捌くことは、今の隊長には難しい。結果、それらはフェルディナントのもとへ回されるのだ。

 フェルディナントが王太子であることを不満に思っている、わずらわしい輩のために、彼は貴重な時間を割かねばならない。


「……どうしても面倒を増やしてしまうのよね」


 早起きをしたアマーリアは眠気にさそわれて、礼拝所に着く頃には、しっかりと眠ってしまっていた。


「姫様、到着しました」

 外から声がかけられて、ネーナはアマーリアが起きたことを確認してから内鍵をはずした。

 馬車を降りると、涼しい風が頬をなでてアマーリアの眉間が狭まった。ネーナからショールを受け取って肩にかけると、柔らかな生地は風に遊ばれてふわりと揺れる。染めのない絹は静かな光沢で銀灰色を包んだ。


「もう、秋になるのね」

 つぶやいた声も風にさらわれて、誰の耳にも届かない。

 礼拝堂の前には三人の精霊術士が並び、胸の前で手を重ねて深々と腰を折っている。

 アマーリアが近づくと、最も年嵩の男性が身を起こして一歩進み出る。

「王女殿下、お待ち申し上げておりました。準備は整っております」

「ありがとう。いつも通りでかまわないわ。ご苦労様」


 アマーリアの言葉に、あからさまにほっとした様子の術士たちは、重ねて一礼すると本殿へ戻っていった。


「普通は精霊術士が礼拝を取り仕切るのですよね?」

 ネーナが不満そうに言うのを、アマーリアは苦笑でなだめた。

「取り仕切るというほど大層なものではないわ。ただつき添うだけよ。『わがまま王女』は、いつ魔力が暴走するかわからないから逃げたのね。いままでもヴァルターにお任せだったのだから、同じことだわ」


「だとしても、あまりにも失礼です。師団長に報告いたします」

 前を歩く騎士は振り返らずに言ったが、不服である様子は伝わる。


「いいのよ。わたくしが迷惑をかけてきたのは確かだから。あまり近づきたくないのは、こちらも同じよ」


 騎士に続いて、礼拝堂の扉をくぐる。広い堂内には円柱が連なり、その先の壁面の上部には大きな七色の硝子がはめ込まれている。

 陽の光が石の床に虹色の帯をなびかせる。その虹を踏んで、奥へと進む。

 ジビュレ王妃が眠る区画は、最奥の少し手前の円柱を左に曲がった先にある。


 石棺は地下に埋められている。その上の石の床の中央に、大きな白い石板が一段高く敷かれ、名と生没年が刻まれている。


 ――ジビュレ・アレクサンドリーネ・ニーベルシュタイン

   風の精霊に(いつく)しまれし生涯――


 アマーリアは石板の前に跪き、手を重ねる。万が一に備えて先に結界を張る。金の舞い散る虹の結界の中に、さらに虹の光があふれた。


 白い石が虹色に染まり、大きな蛋白石(オパール)のように光る。結界が解けて、蛋白石の輝きが目に触れると、ネーナと護衛騎士たちは、知らず同時に息を吐いた。


 虹の光は少しずつ薄らいでいく。アマーリアは石板の下のほうに手を添えて、今一度文字を目で追った。

「え?」

 銘の下、空白だと思っていた箇所に紋様が浮き出ている。

 半円の上に重なる、まるい花弁が五枚の花。


 アマーリアが名前とともに受け継いだジビュレ王妃の紋章であるが、この石板にそれが刻まれているとは、これまでは気がつかなかった。


「姫様、どうかなさいましたか?」

 考え込んでいたアマーリアに、ネーナが声をかけた。

「……ああ、いいえ。大丈夫よ。行きましょう」



 礼拝堂を出て本殿へと向かう途中、貴族の若い男が、わざとらしく迷ったふりをして現れた。

 精霊殿への一般参拝者が、王家の礼拝堂へ続く通路に迷い出るなどありえない。精霊殿の内部に手引きした者がいるのだろう。


「これは、アマーリア様。御前失礼いたします。私はバーベンベルク侯爵が次男……」


 流れるように喋り出した男を、護衛の騎士たちは制することができない。曲がりなりにも侯爵家の子息である。それでも様子を見ながら、いざというときには、アマーリアとの間に割って入るよう備えている。


 しかし、当のアマーリアは表情を変えることなく、道を塞ぐ男の前へ進み出た。


「わたくしが王女アマーリアであると知りながら、王族に対する礼儀をなにも知らないようね?」


 アマーリアの静かな怒りに、ネーナや護衛騎士たちは気づいて、慎重に身構える。


 周囲の緊張をよそに、侯爵家の子息はどうにかしてアマーリアの興味を引こうと必死になっている。

「あ、アマーリア様はそういったかしこまったことが、お嫌いかと思いまして。……当家の秋の庭にお招きしたく、ご招待を……」


 整った眉がゆがみ、抑揚のない声は秋風よりも冷たく響く。

「そうね、かしこまることを好んではいないわ。だからといって、わたくしの一存で廃してよいとも思っていない。王女がそう思うものを、一臣下の身で(ないがし)ろにすることが許されるとでも?」


 予想外の反応に男はたじろぎ、ようやくアマーリアの冷ややかな視線に気がついて跪いた。


「あきれた。よくもここまで軽んじられたものね」

 アマーリアは無表情であったが、大いに怒っているように見えた。

 実際の心は泣き出しそうで、はやくこの場を離れたくて仕方なかったのであるが、それに気づく者はいない。


「もう口をききたくないわ。騒々しい声もたくさん。隊長、許可します。この者を今すぐ、わたくしの視界から遠ざけて」


 是とこたえた騎士たちが、男の腕に手を伸ばして拘束しようとする。

 そのとき、男が立ち上がってアマーリアへすがりついた。


「アマーリア様、そんな! どうか、お話を」

 ショールの端を掴まれて、アマーリアの体がかたむく。騎士から逃れようとする男が、ショールを引っ張り、アマーリアの肩から滑り落ちる。


 暴れる男の手が目の前に伸ばされて、アマーリアは叫んだ。

「……嫌!」

 その刹那、金糸が巻きつく虹の閃光が周囲に広がり、そこにいる者たちの視界を白く染めた。


 誰よりもはやく動きを取り戻した護衛隊長は、眼路の限り見渡したが、アマーリアの姿はその魔力とともに消え去っていた。

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