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12.ヴィッテンベルク公爵

第一話の時間に戻ります。

 アマーリアのはじめての夜会から一年が経った。二度目の社交シーズンは最低限、王家主催の夜会にのみ出席し、王族席から立つことなく過ごした。

 そのシーズンが終わりを迎える頃、ヴィッテンベルク公爵夫人アルベルティーネ・バルバラが亡くなった。


 葬儀は粛々と営まれ、夫人の亡き骸はヴィッテンベルク公爵領の精霊殿の墓所へと埋葬された。

 それまで複数の愛人を囲い、病床の夫人を顧みることのなかったヴィッテンベルク公爵ヴィクトル・エルンストは号泣し、愛人たちに暇を与えて領地に引きこもった。


 それほどまでに夫人を愛していたのなら、これまでどうして冷遇していたのか、と周囲は呆れたが、公爵の意思は固く、爵位を嫡男に譲って隠居するとまで言い出した。


 幸い嫡男は王家の信任が厚く、優秀な近衛騎士として周囲にも認められている。

 二十二歳とまだ若いが、真面目な人柄の評価も高く、爵位継承に反対する意見は少ない。国王の裁可さえ下りれば継承は問題なく、むしろ歓迎される空気が濃かった。


 嫡男ヴァルター・クリスティアンは、父公爵の指示にしたがって、正式に爵位継承を願い出た。国王の裁可が下りるまで、それほど時間はかからなかった。



「国王陛下のお許しはいただきました。当家の事情は、殿下もご承知かと存じますが」


 アマーリアにさえぎられた言葉を継ぎながら、ヴァルターは彼女の魔力の流れをうかがっていた。暴走する気配はなく、魔力が現れているのはその大きな瞳の中だけだ。


「でも、公爵はまだ引退するような歳ではないでしょう? 貴方はわたくしが器を支えらるようになるまで傍にいる、と言ったのに」

「確かに仰る通りですが、父は母が亡くなってから気力が失せてしまったようで、引きこもってしまいました。公爵領を放置するわけにはいかないのです。もともと、私が近衛にいたのは特例です。それに、殿下はもうご自身で充分に……」

「殿下って呼ばないで!!」


 日頃、ヴァルターは「アマーリア様」と呼ぶ。「殿下」と呼びかけるのは、苦言を呈するときだけだ。


 もう機会は少なくなったが、アマーリアのわがままが発動したとき。ヴァルターはその紺碧の瞳に呆れや、落胆や、ときには怒りをにじませて口を開いた。「殿下、いい加減になさいませ」と。


 でも今日は違う。


 アマーリアはなにもしでかしていないし、ヴァルターも平静だ。それなのに、彼は「殿下」と呼びかけてくる。そこにはもう、親しみの情は存在しないかのように。


「どうして、いつもいつも勝手に決められているの。わたくしの護衛はそれほど軽い役目なのね!」


 がしゃん、と音を立てて持っていたティーカップを置く。アマーリアの顔は紅潮しているが、それでも魔力は安定していて、流れ出す気配はない。


「……殿下」


 ヴァルターは苦り切った表情で眉根を寄せる。アマーリアは顔を背けたまま、視界の端でそれを確認した。


「ヴィルトグラーフ伯爵領内にある王領の『大地の精霊』の加護の泉、ヴィッテンベルク領内の『風の精霊』の加護の泉。どちらも当家の騎士団が警護の任を負っております」


 アマーリアは目を見開いて顔を上げたが、視線は動かさない。目の前の壁にかかる大きな風景画をにらむ。


 旧カランタニア侯爵領は、侯爵がジェイソス公となるにあたり、アンティリア王家へ返上された。その領内には『風の精霊』の加護の泉が存在していた。

 ジェイソスとの国境近くにあるその地は、かつての王女の降嫁にともなってヴィッテンベルク公爵へ割譲され、現在まで『風の精霊』の加護の泉とあわせて公爵家の管理下にある。


「家令だけでなく、騎士団長も長年勤めております。彼らが健勝であるうちに、私が引き継がなければなりません」


 ヴァルターが背負うものは、極めて大きい。彼がそのために必要とする貴重な時間を、これまでアマーリアは奪ってきた。

 アマーリアは、ゆがめた唇の端を小さく噛んだ。

 ヴァルターはそれを見て眉間の皺をさらに深く刻んだが、口にしたのは別のことであった。


「陛下のご指示でもあります。今回は、なりませんよ」

 ヴァルターは、アマーリアの横顔に向かって騎士の礼をとった。


「アマーリア殿下。長きに渡り多大なご厚情を賜り、誠にありがとうございました」

 それでは、と踵を返して去る騎士の後姿を、アマーリアは最後まで見ようとはしなかった。



「結局、ほとんど役に立てなかったね」

「いいえ、充分にお心遣いをいただきました。母も最期まで感謝を口にしておりました。両陛下や殿下のおかげで穏やかに旅立ったように思います」

「そうだといいのだけれど」


 ヴァルターは正式に近衛騎士を辞し、王太子フェルディナントのもとに退出の挨拶に訪れていた。

 近衛騎士の制服を脱ぎ、貴族としての正装に身を包んでいる。その姿は威厳ある、とまではいかないが、若き公爵として充分な存在感を見せている。


 精霊術士アーダの見立ての通り、アルベルティーネの器を修復することは叶わなかった。治癒士による魔力の制御によって、身体への負担を和らげ、いくらか時を稼ぐだけで精一杯であった。


 臨終の床で、父と母が夫婦としてなにを話したのか、ヴァルターは知らない。愛情ゆえにすれ違っていたふたりが、互いを想う気持ちを確かめられていればいい、そう願うのみだ。


「それで、いつ発つの? しばらくは王都へ戻らないよね?」

「来週には所領へ向かいます。そうですね、あちらはこれまでも、家令に任せきりになっておりましたので、すべてを把握するにはしばらくかかるでしょう。父には期待できそうもありませんし、国王陛下には、一通り整うまでは領地に専念してよい、とのお言葉を頂戴しました」

「うん」


 フェルディナントの歯切れが悪い理由を、わかっていながら避ける。そのまま辞去の挨拶を続けようとしたとき、王太子は諦めた様子で背を椅子に沈めて言った。


「姉上は怒っていただろうね」

「そうですね。ですが、もうアマーリア様に私は不要でしょう。近衛にも少々長く居座り過ぎた気がします」

「……本当にそう思っている?」


 フェルディナントは、わずかに幼さの残る顔を曇らせてため息を吐いた。

王家(こちら)の都合につき合わせたのは、悪かったよ。でもそれだけで、これほど長くあの姉上に仕えてくれていたのかな?」


「意地の悪い仰りようを。実際にもう私に出来ることはありませんよ。王族の魔法は私にはお教えできませんし、アマーリア様ご自身ができないと思い込んでおられるだけで、使えるはずです。王太子殿下もご承知でしょう」


「そういうことを言っているわけでは、ないんだけどなあ!」

 砕けた口調に苛立ちが混ざる。口ではいろいろと言いながらも、この王太子は姉を慕っている。アマーリアはもう大丈夫だ。だからこそ、役目を引き延ばすべきではない。


「……アマーリア様は王女殿下であられる。私はこれから公爵となります。在るべき場所へ戻るだけですよ。当初から王妃陛下に、お約束をいただいた通りです」

「それにしたって、随分とすっぱり思い切るんだね」


「父と同様に、私も母の病から目を逸らしていたように思います。母にしても、私や父にそれを見せることを望んでいませんでした。私はお役目を理由にして、親不孝をしていたのかもしれません。もっとはやくに辞すべきだったのです。居心地の良さに甘えておりました」


「皆が皆、すれ違っていたと?」

「はい、ほかに正しい方法があったのかはわかりませんが。父を休ませてやりたいと思います。……アマーリア様も今はお怒りでしょうが、私がいなくなったほうが、後々のためにはよいでしょう」


「ほんっとうに、真面目すぎるな、ヴァルターは」

 フェルディナントの歳に似合わないため息に、ヴァルターは申し訳ありません、と真顔で返した。


「いや、その真面目さがなかったら、ヴァルターではなくなるしね。わかったよ。ヴィッテンベルク公爵」


 ヴァルターがすっと姿勢を正す。今後は、王太子と公爵家当主として接することになる。近衛騎士ではなく、宮廷の重鎮のひとりとして。


「落ち着いたらあらためて、顔を見せるように。これまでに渡したものは、私物として管理してくれ」


「……承知しました」


 ヴァルターは貴族としての礼をとり、王太子の執務室を出ていった。

 フェルディナントは、がしがしと豪奢な金髪を掻き回し、背後に立つ己の護衛に声をかけた。

「……見込み違いだったかなあ。まあ、まだ時間はあるか」


 フェルディナントの従兄であり、幼馴染でもある騎士見習いは、公爵閣下は大人ですからね、とよくわからない返事をした。


「姉上が荒れて、また手がつけられなくなるようなことは、ないよな?」

「ないといいですねえ」


 濃い茶色の細い髪に、精悍な顔立ちの少年は、王妃の妹が嫁いだ侯爵家の次男である。アマーリアにとっても従弟にあたる彼は、フェルディナントと同時に深く息を吐き出した。


「姉上の傍にいて居心地が良い、と言い切れるのはヴァルターくらいだと思うけれどなあ」


 フェルディナントは、姉よりはかなり柔らかい金一色の瞳を持つ従兄に同意を求めた。

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