11.わがまま王女の感謝のかたち
宮殿の屋上には、緊急時に備えて転移の魔法陣がいくつか用意されている。その中でも特に広い場所にある陣に、虹色の魔力が流れた。
色を失った結界に阻まれて、屋上の警備塔に詰めていた騎士たちは、陣が発動したことに気がつかなかった。
「視界と音の遮断の結界を張って、そのまま転移。難しいことを簡単そうにやってみせるわね」
「アマーリア様にもできますよ」
ちらと見上げてくるアマーリアは、それにはこたえず、手に虹の魔力をまとわせると、目に見えない壁に触れた。
「色が消えているわ」
「結界を張るときには『氷』の魔力を使いますが、維持するには純粋な魔力のほうが効率がいいのですよ」
器に注がれる魔力は、個々人に与えられた『精霊の加護』の力のみである。『氷の精霊』の加護をもつヴァルターは、基本的には氷の魔力を使うが、『氷の精霊』の加護に属さない魔法には、加護の影響を除いた純粋な魔力を用いる。
加護に依らない魔力を操るには、ある程度の器と修練が必要となる。結界の魔法にはすべての精霊がかかわるとされるため、加護が何であれ魔力が充分にあれば発動できる。ただし、結界を維持するために加護の力を使うと不都合が生じる。
「外からの音は聞こえるのね」
「なにかあったときに対処が遅れますからね」
足もとからは人の騒めきや、微かに音楽がきこえてくる。宮殿大広間のある棟の屋上に、転移していた。
頭上には漆黒の中に煌めく星々が、さえぎられることなく存在を主張している。王宮の灯りの先には、アンスリーの街の光がところどころに見える。
多くの商店は閉じる時間だが、歓楽街の店は賑わいはじめる頃だろう。
「純粋な魔力というものが、よくわからないのよ。だからわたくしの結界は色が消えないのね」
アマーリアが発動する結界には、いつも『風の加護』の金の光がまつわる。虹の魔力から、『精霊の加護」の力を除いた、純粋な魔力のみを取り出すことができていないからだ。
王族の虹の魔力には、すべての『精霊の加護』が含まれるから、どの加護に属する魔法も基本的には扱える。
しかし、純粋な魔力を用いない結界は、加護の色によって、そこに存在するとわかってしまう。視界を遮断するには、不充分なのだ。
「……王族なのに転移の魔法も使えないのよ」
「そう、思い込んでおられるだけのように拝察しますが」
「できないのよ。いっそ、ふれ回ってほしいわ。『アマーリア王女には王族の魔法が使えない、とても女王など務まらない』って」
「アマーリア様」
ヴァルターが身を屈めてアマーリアの顔をのぞき込む。不機嫌になっているのかと思ったが、彼女はただあきらめているように見えた。
「だいたいフェルディナントが悪いのよ。わたくしより魔力量は多いのに。それを隠して、王太子を侮っている者をあぶり出しているのよ。本当にお父様にそっくりだわ」
「国王陛下にですか?」
「嫌ね、ヴァルターまで騙されているの? お父様は清廉潔白です、みたいな瞳をしているけれどお腹の中は真っ黒よ? リューレの叔父様とは真逆なのだから、騙されてはだめよ」
国王アルトゥールは『水の精霊』の加護が強い虹の瞳である。おだやかな表情を崩さない王への国民の支持は高い。
対して王弟であるリューレ大公クラウス・ヴィルフリートは、濃い『大地の精霊』の加護が現れる虹の瞳をもつ。それは、暗闇に極光が浮かぶさまに例えられる。
人嫌いで領地に引きこもったまま過ごしている王弟は、玉座を狙って潜んでいるのだ、とも噂されている。
アマーリアのあまりの言いようにヴァルターは苦笑するが、次期公爵の国王に対する認識が、国民と同じであるはずもない。
「陛下が深慮遠謀のお方だということは、存じ上げておりますよ。それに」
ヴァルターがめずらしく意地の悪い笑みを浮かべ、アマーリアは少し気後れする。しかし、続く言葉には顔をしかめた。
「人を見た目だけで判断するものではない、と私はよくよく知っております」
「貴方がわたくしの見た目に騙されているなんて、思っていないわよ」
柳眉を下げるアマーリアは、憂いを帯びて儚げだ。それが彼女の本当の姿だと知る者が、どれだけいるだろうか。
「アマーリア様が魔力の制御を苦手にされている、と広めても構わないのですが、あまり効果はないと思いますよ」
「どうして?」
「今でも特に隠しているわけではないですし、アマーリア様に心酔している輩の耳には届かないでしょう。今夜の美しいお姿を拝見して、信奉者はさらに増えるかもしれませんよ」
金の虹の瞳が大きく見開かれる。その視線の先にある紺碧の瞳は、いたって平静だ。
「本当?」
「ご尊顔を拝して、惚けていた男はひとりふたりではありませんでしたよ。ああ、もちろん近衛が確認して、今後の警護には抜かりなく……」
「そうではなくて! ……美しいって、本当に?」
今度はヴァルターが驚き、そしてゆっくりと口の端をあげた。
「お美しくなられましたよ。今夜は『暁の姫君』というより、『宵月の姫君』とお呼びするべきですね」
アマーリアは頬を染めてうつむいたが、そのまま首をかしげると眉根を寄せてつぶやいた。
「どうしたの?」
「……いや、そうですね。ちょっと慣れないことが続いて、冷静を失っているのかもしれません」
アマーリアはヴァルターの表情をうかがっていたが、慣れないことに思い当たって、あっと声を上げた。
そして、にっこりと金の虹をつくると、ドレスの隠しから黒い小箱を取り出した。
「はい、これでいいでしょう?」
差し出された箱を、ヴァルターは姿勢を正して受け取った。
「これは?」
「今回のお礼よ」
箱の中には鈍色の鎖に、同じ金属で作られた逆三角形のトップが通してある。持ち上げると表面は平たいが、裏側はまるみを帯びた厚みがある。
トップの蓋を開けると、結界の中にまぶしい金の虹の光がこぼれ出して、半球を形づくった。
「アマーリア様……、これは、私が手にしてよいものでは……」
渋い表情をつくるヴァルターから、アマーリアは顔をそむける。
「なによ。フェルディナントの精霊石をもっているのに、わたくしのものはいらないと言うの? 貴方はわたくしの護衛でしょう!」
放たれる強い金の光に、目を眇める。そっと蓋を閉じると、結界を染めた金の虹はゆっくり薄らいでいく。
「いえ、そうではありません。身に余ることです。ですが」
「貴方が言ったのよ、高くつくって。ほかに誰ももっていない特別なものよ!」
『王家の精霊石』が下賜されることは、滅多にない。
王族の危機を救った、災害を被った地を復興に導いたとして、かつてそれを賜わった家は、家宝として代々受け継いでいる。
それほど稀少なものが、ヴァルターの手にふたつもある。
名誉なことといえるかもしれないが、王太子の精霊石は、王妃の厚情から私的に賜ったものだ。
今、ここにある王女の精霊石も、下賜の品だとは思わない。アマーリアが、これまで誰かに精霊石を下げ渡したことは一度もない。
むくれた顔に、少しの不安をのぞかせている少女が、精一杯表した感謝のかたちである。
ヴァルターが、受け取るべきものだ。
「ありがたく、拝領します」
ぱっとアマーリアの瞳が輝く。精霊石と同じ光はまばゆく、ヴァルターは目を細めた。
降り注ぐ星の光と、警備塔から届く少しの灯りしかない屋上で、その瞳は最も頼れる輝きに思えた。
そのとき、足もとから一際大きな旋律が響きはじめた。夜会の終わりを告げる、最後の演奏に入ったのだ。
「円舞曲だわ。ねえ、結界をもっと広げて!」
「はい?」
「このドレスで踊りたいの! はやく!」
アマーリアが、本当は今夜の装いをとても楽しみにしていた、とヴァルターは知っている。それを我慢した意味も、わかっていたつもりだった。
アマーリアの精霊石を上着に仕舞うと、掌に『氷』の魔力を集める。そのまま、ぱんっと音を立てて手を叩いた。
もとの結界がはらりと崩れ、棟を覆う見えない壁があらたに築かれた。
ヴァルターはアマーリアの手をそっと持ち上げる。
「姫君、踊っていただけますか?」
「ええ、いいわよ」
満面の笑みでうなずく王女は、一段と大人びた仕草で最初の一歩を踏み出した。
ふわりと広がるスカートに描かれた美麗な刺繍が現れる。
金の半円の上に、まるい花弁が五枚の銀の花。花の中に輝く金剛石。
からまる細い枝に、幾重にも咲き誇る幻の花。
「そういえば、いつの間にお履き替えになったのですか?」
足を痛めたアマーリアは、踵の低い靴を履いていたはずだ。その靴では踊れない。しかし今、ヴァルターのパートナーは優雅に舞っている。
「部屋に戻ってすぐによ。用意しておいたの」
「なら、ティアラもつけたらよかったのではありませんか?」
「いらないわ。必要ないもの」
成長したアマーリアの艶めいた表情に、十歳の彼女のそれが重なる。
「そうですか。なら」
アマーリアの背に回された手が少し離れる。空に向けられた掌の上で紺碧の光の礫が弾けた。
舞い散る青い光のかけらが、アマーリアの淡い栗色の髪にまつわって天上の色に染め上げる。
真珠色のドレスにも同じ色がさし、アマーリアの視界も色づく。
その色の源を見つめて、アマーリアは小さくつぶやいた。
「ありがとう」




