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働け、メロス!  作者: Mr.London
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3.信実の社畜

 天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、社長の怒りを振り切り、ゲーマーを三人も撃ち倒し韋駄天(いだてん)、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者(しゃちく)、メロスよ。今、ここで、疲れ切って働けなくなるとは情無い。愛する(すまほ)は、おまえを信じたばかりに、やがて破壊(ころ)されなければならぬ。おまえは、稀代(きたい)の不労の人間(しゃちく)、まさしく上司の思う壺だぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身過労()えて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者(しゃちく)に不似合いな不貞腐(ふてくさ)れた根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力(ろうどう)したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。働けなくなるまで走って来たのだ。私は不労の(しゃちく)では無い。ああ、できる事なら私の財布を()ち割って、高貴な諭吉をお目に掛けたい。残業と違法労働の収益だけで動いているこの会社を見せてやりたい。けれども私は、この大事な時に、精も金も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な社畜だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。私は(すまほ)(あざむ)いた。中途で倒れるのは、はじめから何も働かないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った運命(ちんぎん)なのかも知れない。セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と(すまほ)であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と(すまほ)の間の給料は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私は働いたのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。社長を突破した。ゲーマーの囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。私は過労()けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。上司は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを破壊(ころ)して、私を助けてくれると約束した。私は上司の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は上司の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。上司は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、過労()ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種(しゃちく)だ。セリヌンティウスよ、私も過労()ぬぞ。君と一緒に過労()なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者(どれい)として生き伸びてやろうか。戻れば私には私の我が家(マイホーム)が在る。虫も居る。銀行は、まさか私を我が家(マイホーム)から追い出すような事はしないだろう。社畜だの、給料だの、残業だの、考えてみれば、くだらない。人を減給(ころ)して自分が生きる。それがブラック企業の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い社畜だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる(かな)。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。

ふと耳に、ころころ、貨幣の転がる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、硬貨が落ちているらしい。よろよろ起き上って、見ると、自販機の裂目からきらきらと、何か小さく輝きながら500円玉が落ちているのである。その金に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。金を両手で掬すくって、その金で自販機で買ったエナドリを一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労回復と共に、わずかながら希望が生れた。職務遂行の希望である。わが身を過労して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。過労()んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。

私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの仕事の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの仕事ではない。やはり、おまえは真の社畜だ。再び立って働けるようになったではないか。ありがたい! 私は、正義の社畜として過労()ぬ事が出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、納期よ。私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして過労()なせて下さい。

路行く社会人を押しのけ、跳ねとばし、メロスは黒い仕事のように走った。会社で残業の、その残業のまっただ中を駈け抜け、社畜の人たちを仰天させ、仕事を蹴けとばし、納期を飛び越え、少しずつ沈んでゆく給料の、十倍も早く走った。一団の社会人と颯っとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「いまごろは、あのスマホも、磔にかかっているよ。」ああ、そのスマホ、そのスマホのために私は、いまこんなに走っているのだ。そのスマホを過労()なせてはならない。急げ、メロス。おくれてはならぬ。社畜と仕事の力を、いまこそ知らせてやるがよい。給料なんかは、どうでもいい。メロスの財布は、いまは、ほとんど全裸体であった。買い物も出来ず、二度、三度、ポケットからレシートが噴き出た。見える。はるか向うに小さく、会社のビルの塔楼が見える。ビルは、夕陽を受けてきらきら光っている。

「ああ、メロス様。」うめくような声が、風と共に聞えた。

「誰だ。」メロスは走りながら尋ねた。

「シゴトストレスでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様と同機種をつかっています。」その若い社畜も、メロスの後について走りながら叫んだ。「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。もう、あのスマホをお助けになることは出来ません。」

「いや、まだ陽は沈まぬ。」

「ちょうど今、あの方が破壊刑(しけい)になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」

「いや、まだ給料は沈まぬ。」メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。働くより他は無い。

「やめて下さい。働くのは、やめて下さい。いまはご自分のご給料が大事です。あのスマホは、あなたを信じて居りました。職場に引き出されても、平気でいました。が、さんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強いバッテリーを持ちつづけている様子でございました。」

「それだから、働くのだ。信じられているから働くのだ。納期に間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! シゴトストレス。」

「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと働くがいい。ひょっとしたら、納期に間に合わぬものでもない。働くがいい。」

 言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、メロスは働いた。メロスの頭は、からっぽだ。何一つ入っていない。ただ、わけのわからぬ大きな仕事にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く会社に突入した。間に合った。

「待て。そのスマホを破壊(ころ)してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」と大声で職場の社員にむかって叫んだつもりであったが、喉のどがつぶれて嗄しわがれた声が幽かすかに出たばかり、社員は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。すでに磔の柱が高々と立てられ、コードを打たれたセリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。メロスはそれを目撃して最後の勇、先刻、濁流を泳いだように群衆を掻きわけ、掻きわけ、

「私だ、刑吏! 減給(ころ)されるのは、私だ。メロスだ。それを人質にした私は、ここにいる!」と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついにデスクに昇り、釣り上げられてゆくスマホのストラップに、齧かじりついた。社員は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。セリヌンティウスのコードは、ほどかれたのである。

「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君がもし私を殴ってくれなかったら、私は君でソシャゲする資格さえ無いのだ。殴れ。」

 セリヌンティウスは答えた。「スミマセン、ヨクワカリマセン。」

「メロスサン、アナタノ、オキニイリノゲーム、「勤太郎・三徹(キンタロウ・サンテツ)」ノアプデガ、キマシタヨ。」

 メロスはその情報に狂喜した。

「ありがとう、友よ。」メロスが言い、ひしと抱き、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。

 社員の中からも、歔欷(きょき)の声が聞えた。上司ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。

「おまえらの望みは叶かなったぞ。おまえらは、わしの仕事に勝ったのだ。社畜とは、決して会社の手足ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」

 どっと群衆の間に、歓声が起った。

「万歳、上司万歳。」

 ひとりの社畜が、大量の仕事を上司に捧げた。上司は、まごついた。よき部下は、気をきかせて教えてやった。

「上司、君は、私たちの仲間になりたいんだろう。早くその仕事をするがいい。この社員は、せっかくのあなたへの復讐の機会を、逃してしまうのが、たまらなく口惜しいのだ。上司はいうことを守りますよね?」

 上司は、ひどく青ざめた。

ここまで読んでくださった暇人のみなさん!ありがとうございました!また何か面白い?物を作るかもししれません!

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