捨てられた時間の上に
「セイレキ 2043ネン 3ガツ 17ニチ ホンジツ ノ セッテイハ カイセイ デス」
音質自体が鉄でできているような無機質な音声に目を覚まされる。むくりと起き上がると私も人形のように立ち上がり、パソコンの前に座った。
「オハヨウゴザイマス 結城美野里 サマ」
「おはよう。みんなは元気?」
「ハイ。結城家 ノ ミナサマ ノ ナカニ 感染者 ハ ゼロ デス」
「うん。よかった」
パソコンのモニターが青く点り、合成音声が私の質問に答える。この三年間、彼は私の世話係兼、話し相手だった。
事の発端は中東から全世界へと広がったウィルス。そのウィルスは日本にも上陸し、何度抑制しても感染爆発を繰り返した。
この事態に政府は緊急事態宣言よりもさらに重い戒厳令を最後の手段として打ち出す。すでに人々の生活に浸透していたAIや機械に人間の世話を任せ、人間は地下シェルターにこもり、自分の家族以外の誰ともかかわりを断ち切ったのだ。
そして私は、高校生活の3年間をすべてこの部屋で過ごした。
「ホンジツ ハ 桜林高校 ノ ソツギョウシキ デス」
「そうね。一度も通ったことのない高校の卒業式なんて、何も思わないのだけれど」
毎日のように授業はあった。しかしクラスメートも教師もみんな画面の向こう側。外に出られないならみんなで遊びに行く予定は立たず、管理しやすくするためにクラス替えすらもなかった。
3年間、最初から味のないガムをひたすらかみ続けるような高校生活の卒業式に、何を思えというのか。
「ソツギョウシキ ハ ゴゼン 10ジニ カイシイタシマス」
「はいはい」
人工音声にそう生返事をしながら私は下へ降りた。
「あら、美野里。おはよう」
「おはようお母さん。どうしたの?」
一階に降りると、いつもは朝食の支度をしている母がどういうわけかテレビにくぎ付けになっていた。見ているチャンネルは1番。国営放送だ。
「すごくいいニュースがあるの。7チャンネル以外、今日はこのニュースをやっているだろうから、見ていきなさい」
「えぇ? 何なのよ」
言いながら私が椅子に座ると、ちょうど母が見たという場面が再放送されるところだった。誰もいない記者会見場に、発表原稿を持った総理大臣だけが映し出されている。そして総理大臣は、耳を疑うような発表をこの国に向けて行った。
「国民の皆様に多大なるご不便をおかけした戒厳令ですが、本日の午前零時を持って解除されたことをお伝えします。また、ウィルス感染症についても、完全に終息したことを宣言いたします」
「え……?」
戒厳令の解除。ウィルス感染症の終息。
喜ばしいはずのその二つの言葉が、私にはなぜか遠い他人事のように聞こえた。
「よかったわねぇ美野里。大学も地下で過ごすのかと思ったけど、そんなことないみたいね」
「そ……そうだね。よかった。よかった……」
よかった。何度も繰り返したのは、自分にそう言い聞かせるためなのだろうか。
入学式を境に腕を通していない制服は、なんだか硬くて重くて、まるで鉄の塊みたいだった。鎧のように守ってくれるのではなく、鎖や枷のように自分を重苦しく縛り付けるものだ。
「ソツギョウシキ マデ アト 10フン デス」
「わかってるわよ」
どうしてだか、声にいら立ちがこもる。なんだろう。何も感じるはずのない卒業式で、私の胸には何かがつっかえている。
そうしてAIのいう通り十分が立つと、パソコンのモニターが紙芝居のように切り替わった。体育館の壇上を模した背景に校長先生の映像を合成したものだ。
「皆様、本日は戒厳令の解除とウィルス感染症の終息宣言という善き日に卒業を迎えられたこと、校長先生は大変うれしく思います」
そこからの校長先生の話を、私はよく覚えていない。
どうして戒厳令の解除が今なのだ。どうして、今になってウィルス感染症が終わるのか。
どうして、今更になってなのか。
「――以上を持ちまして、第一期桜林高等学校卒業式を終了いたします。卒業生の皆さんは解散してください。なお、教室へのログインは本日二十四時まで。マイページへのログインは三月二十四日の午後二十四時までですので、データの整理を忘れないように」
気が付けば卒業式はとっくに終わり、卒業式の会場には私だけがログインしている。
クラスメートたちは教室にログインして話をしているのだろうか。もしかすると、これからのことも。
ただ私は、その場から動けずにいた。
「美野里サマ ソツギョウシキ ハ シュウリョウ シマシタ」
「……うん」
三年間付き合っていたAIの声が、今は寒々しく聞こえる。私は機械的にログアウトボタンを押すが、結局見つめる先が合成された体育館の背景から青ざめたデスクトップ画面に戻るだけだ。
「ふふ。はは」
意味もなく笑う。それくらいしかできない。
だってそうだろう。地下に閉じ込められた三年間はもう戻ってこない。あるはずだったすべては地上に置き去りのまま。朝の部活動も、友達との昼休みも、暇な授業も、放課後の部活動も、夕暮れの帰り道も。
何もない三年間だった。何もなく、何も積み上げられなかった自分に、未来などあるのか。
「美野里サマ」
「何よ」
「コチラ ヲ ゴランクダサイ」
AIの呼びかけに目を開く。するとそこには、大学を紹介する学生の姿が映っていた。
「コチラ ハ 美野里サマ ガ ツウガク スル 双葉大学 ノ ショウカイドウカ デス」
「なんで、こんなものを……」
AIが勝手に動画を流し始めたとき、私の頭にある言葉が浮かんだ
SPAS (Self -Programed Activation Syndrome)。自己プログラミング活動症候群と呼ばれるそれは、前世紀から高度に発達した現代のAIに発生する現象だ。
AIが自分で自分のプログラムを書き換え、その内容を実行する。SFでいうところの自我を持つロボットのようなふるまいを、稀に現代のAIは見せていた。
「美野里サマ アラタメテ ゴソツギョウ オメデトウゴザイマス」
「え、ええ。あなた、もしかしてSPASに……」
「美野里サマ ワタシ ノ ハナシ ヲ キイテクダサイ」
有無を言わさぬ口調でAIが続けた。
「美野里サマ ハ コウコウセイカツ ノ サンネンカン ヲ ウシナッタ ト オカンガエデスネ?」
「そうよ。そうじゃなければなんだっていうの?」
「イイエ ヒテイ ハ シマセン ウィルス感染症 ノ リュウコウ ニ ヨリ スベテ ノ ヒト ハ サンネンカン チカ デノ セイカツ ヲ ヨギナク サレマシタ」
シカシ。とAIはつづけた。
「カンセンショウ モ ウィルス モ シュウソク シマシタ コレカラ ハ」
「なくした時間を取り戻せってこと?」
失われた青春を取り戻す。そんな陳腐なお題目を考えていた私を、AIはイイエと否定した。
「美野里サマ ニハ コレカラ ガ アリマス コレカラツミアゲテイク サンネンカン ヨリモ ナガイ ジンセイガ」
「人生……」
針金のように鋭く、しかしどこか力強い言葉だった。それでも私は納得できない。前を向こうという気になれないからだ。
「ソウデス ジンセイ デス AI ニハ ナイモノ」
「前向きに生きろっていうの?」
「……AIニハ デキマセン ダカラ」
AIの針金のような合成音声が、どうしてだかその時だけは優しく聞こえた。
「アナタニ オウカシテホシイ」
「あなたの代わりに?」
「イイエ イイエ ワタシ ハ アナタ ヲ ミテイマシタ コノヘヤ デ シンダヨウ ダッタ アナタ ヲ」
AIはそういうと、照明のプロジェクションマッピング機能を使うとある映像を映し出した。桜が爛漫と咲き誇り、緑の芝生が生い茂る、架空の場所だ。
「イッテクダサイ アナタ ノ イキタイバショ ヘ」
「応援してくれるの?」
「アナタ ハ コノヘヤ デ クサッテハ イケナイ」
このAIは、理解しているのだ。自分が今いる場所から、永遠に出られないことを。
だから……いや、それでもというべきか。自分と同じになるなと私に言っているのだ。
「……ありがとう。AIに……いえ、貴方にそこまで言わせるなんて」
「イイエ アナタ ノ オヤク ニ タテタナラ ナニヨリ デス」
「ちょっとだけ反論してもいい?」
「ナンデショウカ?」
「この部屋で腐っちゃいけない人が、もう一人いるわ」
私は口の端をゆがめると、パソコンから通販サイトを開いた。
そして一か月後
咲き誇る本物の桜の下、私は双葉大学に向けて歩いていた。
「美野里サマ SPASニ リカン シタ プログラム ハ カガクショウ ニ ヒキワタスコト ト AIホウ ダイニジュウヨンジョウ ニハ……」
「いいじゃない。フレッドも一緒に通いましょ。あ、でもバレるとまずいから静かにね」
かばんには筆箱や財布。そしてフレッドと名付けたAIがいる。
フレッドの正体はAIプログラムだ。だから、データを丸ごとタブレットに移し替えれば、合成音声アプリで会話もできるし、カメラを通せばフレッドも外の景色を見ることができる。
「フレッド。見て」
私はかばんの隙間からこっそりタブレットのカメラを出すと、目の前の学び舎に向けた。
「フタバダイガク デスネ」
「ええ。一緒に行きましょ」
「リョウカイシマシタ シカシ美野里サマ。友達ダカラ“ふれっど” ハ アンイ デス ヤハリ ワタシ ガ テイアン シタ “パトロクロス” ノ ホウガ……」
「いやよ。そんな長ったらしい名前」
人生は続く。でも一人じゃない。
今の私には、それを教えてくれた友達がいるのだった。