第99話 歓待の宴
多くの帰還兵達を乗せた船が、尾噛領唯一の港に着いた。
港だとはいっても、そんなに立派なものではない。
其処に在ったのは粗末な岸壁が一つ二つあるだけの、萎びた漁港の一つに満たぬものだった。
「こんな事なら、予算をケチらずに然と湾港整備をしておけば良かった。これからの尾噛は、船を使った大量輸送も考えていかなきゃいけないのだしね……」
尾噛家当主を襲名してからというもの、望の頭の中の大半を、常に”予算”という嫌な二文字が占めていた。
各部局から上がってくる陳情書の中には、この湾港整備に関するものも多数あったのだが、その二文字のせいで、常に後回しになっていたのだ。
船による帰還兵の輸送の案は、鳳 翔の手によるものである。
陸路では恐らく紛れているだろう工作員が、脱落を装い集団から抜け出そうとする可能性が充分にある。船で一気に輸送してしまえば、その危険性も減ると考えての予防である。
牛頭 豪の提出してきた増援部隊輸送の案に対する自身への痛烈な皮肉も、これには多分に含まれてはいたのだが。
小さな漁港は異様な熱気に包まれていた。
先代垰に従い戦いに赴いた者の家族達が、船から降りてくるであろうその瞬間を今か今かと待ち望んでいたのだ。
名簿に記載のあった尾噛に縁のある家名を、望は全て把握していた。確かに垰が重用してきた猛者達である。その者達がこうして無事に帰還できたのは、当主としても大変喜ばしい事だ。
家族と対面できた喜びに、涙する者がいた。
手を取り合い、抱き合う者もいた。
皆が失われてしまったと半ば諦めていたのだ。家族達の喜びはひとしおであろう。
暫しその光景に見入っていた望達だったが、尾噛領出身者以外の者も居る。その事を思い出し、大慌てで彼らの出迎えに走った。
「長らくの船旅で疲れた事だろう。諸君らの歓待を任される事になった尾噛の頭、望だ。帝国の精鋭達よ、暫しこの地で傷を癒やし、鋭気を養ってくれ」
鳳の指示書には、帰還者達の滞在期間は区切られていなかった。つまりは、先の事を何も考えていないという事だろう。何とか体裁だけは整えたと言った方が正しいか。
……これでは不味い。
そう望は思う。
尾噛の縁の者達は、家族に再会し、また共に暮らせる。
だが、それを目の当たりにさせられた他領出身者達は、一時滞在という形を取ってはいるが、年内は家族の元へ戻れない事が確実に決まった様なものなのだ。この明確な差による不満は大きいだろう。
(早めに身元の照会を終えねば。この者達にこれ以上帝国への不満を持たせてはならない)
帰還者名簿に記された者達の身元確認の為、各領からの役人も尾噛の地に来ている。地味な作業が続くが、ここからいよいよ本格的に忙しくなるだろう。
(できれば年越しは、皆で平穏に迎えられると良いのだが……)
尾噛家の年越し行事は、家中の者総出の大宴会だ。今年も恙なく行事を迎える為には、今が踏ん張り所である。両頬を平手で打ち、望は気合いを入れた。
帰還者達の身元照会に、問題は無かった。
問題が全く無い所が逆に問題だとも言えた。
名簿の人数、人物名、出身地にどれも一切の誤りが無かったのだ。照会作業には、三重の確認を入れていたのだが、どれもにも漏れは無かった様だ。
「僕は彼らの事をよく知らないのだが、彼の国は誠実な取引をする様ではないか。これでは”蛮族”という呼称は如何なものかと思うのだが……」
「確かに今回の一件では、我が帝国の猜疑心が勝っていたと言わざるを得ませぬ。この結果をすぐに都へと届けましょう」
到着初日で結論を出してしまうのは、拙速なのかも知れない。だが、王国側から提出された名簿と齟齬は無かったのだ。略式で行われた乗船前の照会でも問題が無かったのであれば、今回の報告と、他領出身の兵達の帰還の嘆願も併せて行うべきであろう。彼らとて、故郷へ戻り家族と再会したい筈なのだから。
「とりあえずは、歓待の宴だ。まだ気は抜けないよ」
「はい、そちらも順調の様です。望さま、挨拶はお願いいたしますよ?」
「……うぇ。僕はそういうの苦手なんだよなぁ…こういう役目って、やっぱり年長者がやるもんじゃないかな? かな?」
望の視線は、筆頭家宰の沖へと向くが、当の沖は素知らぬ顔で望からの熱い視線を受け流していた。
「はいはい。いけませんよ、望さま。こういう行事の音頭を取るのは、当主のお役目ですからね」
「……はぁい。わかりましたよ」
聞き分けの無い子をやんわりと窘める母の様な空の物腰に、望はこれは勝てないと、完全に反抗心を喪失してしまった。
未熟者であるという自覚があるだけに、大人の態度でかかられると、どうしても望は勝てる気がしないのだ。宴が始まるまでに、なんとか挨拶の一言をひねり出さねば。こんな事でも、忙しい最中のちょっとした気分転換にはなるだろう。
歓待の宴は、宿舎の並ぶ広場で行われた。
夜風が染みる季節ではあったが、皆で火を囲んで暖を取り、思い思いに語り、ご馳走を喰らい、そして呑んだ。
祈も女房衆に混じり、料理を作り、配膳をし、酌をして回った。古株の女房達からは渋い眼で見られたが、元々これが性分なのだから仕方が無い。
当然、垰に付いて出陣した者達全員も歓待の宴に招待されていた。家族を伴い、宴の席を囲っている。祈はそこにも酒を持って挨拶に回っていた。
「……おお。これは、おひい様。態々某の所まで……」
垰の代では、祈は重要行事の際にだけ表に出る事を赦された”居るだけの姫”やら”幽閉姫”等と暗に言われる不吉の存在として扱われてきた。
その事をよく知る家臣達の前に、件の姫が姿を見せる……彼らの戸惑いも良く分かる。意地悪いだろうか? そう思いながらも、祈はあえて顔を出したのだ。
「まずは、ご無事でなによりです。今は亡き先代によくお仕え下さいました。これよりは、当代である我が兄に、変わらずの忠義を求めます」
「おお、これは忝く存ずる。おひい様直々にお酌して頂けるとは、某、嬉しゅうございまする」
突然の祈の訪問に、彼はかなり緊張をしている様だ。
それもその筈、祈は先代の垰を恨んでいる……これは尾噛の家臣の間でまことしやかに流れた噂だ。垰に従ってきた家臣の中には、祈が復讐を考えているのだと思う者も、未だ在るのだ。
確かに祈は、全く恨みは無いか?と問われれば否と答える。
だが、それは自身のものというよりは、母の祀梨への態度が許せなかった方の意味合いが強い。
あまりに接点が希薄過ぎた垰に対する執着なぞ、祈の中には一切無い。家内の者に、それを理解しろというのは無理筋だと解っているから何も言わないに過ぎない。
同じ様に、祈は帰還した家臣達に酌をして回った。先代の垰は、望と変わらぬ歳から尾噛の家を取り仕切り、数々の武功を挙げた謂わばカリスマだ。先代をよく知る者ならば、望と比べる者もいるだろう。まずはその出鼻を挫く狙いが祈にはあったのだ。
「おひい様、少しよろしいですかな?」
「はい、どうかなさいましたか?」
槍の腕を買われ、垰の側衆に抜擢された者だったと祈は聞いていた。彼には右腕と右眼が無かった。そんな姿を一目見ただけで熾烈な戦いを潜り抜けてきた事を物語るには充分であった。そんな豪の者が、祈を引き止めたのだ。
「実はですね、先代……ご隠居様なのですが、まだ生きておいでの筈です。今回の捕虜交換では、お姿を拝見できなかったのですが、収容施設で何度か……」
「それはまことですか?」
父が生きている。
祈はそんな彼の言葉を聞いても、何も感情が浮かんで来ない事に、少なからず衝撃を受けた。
『自分は情が薄いのだ』
そう牛頭 豪の霊の前で言い切った記憶がある。だが、まさかその事を殊更自覚する日が来ようとは思ってもみなかった。
「ええ。私はずっとご隠居様の後ろに続いて、戦場を駈けてきました。あのお方の後ろ姿を見間違う筈は、絶対にございませぬ」
「そうですか。貴重な情報をありがとうございます。ですが、この事はご内密にお願いします……この様な宴の席では、特に」
「はっ。そうでしたな……申し訳ございませぬ。ですが、私は、おひい様にお伝えできて良かったと思います」
「お心遣い、感謝いたします」
もう一度杯に酒をなみなみと注ぎ、祈はその場を後にした。
父の話を聞いた所で、自身には何も感情が浮かんで来ないのだ。その事を家臣達に気付かれる訳には絶対にいかない。何故なら、彼らは垰を心の底から慕っているのだから。
帰還した家臣達の間を一巡する間に、祈は幾度か垰生存の噂を耳にした。
(この事を、兄様に話すべきかな?)
(お前が黙っていても、何れ望にも伝わる。考えるだけ無駄だ)
(そうね。ちょっと回っただけで、結構な数の目撃報告があったのだからね。というか、あのくそ親父が生きているなら、なぜ家臣達と交流をしなかったのかしら?)
(そこが疑問点だな。ただ、あの手の石頭は、捕われたという事実が恥だと思う節もある。単に恥ずかしかっただけという可能性も、無い訳ではないだろうが……)
後退著しい薄く寂しい額をぴしゃぴしゃと叩きながら、俊明は言う。
体面だけを気にする人間ならば、確かにそうだろう。だが、父はどうだったか?
少なくとも祀梨から聞いていた人物像からは、その様な行動は出てこない筈であるが……祈は首を傾げた。
(しっ。皆の者、気をつけよ。上手く隠しているつもりでござろうが、禍々しい気配が複数あり申す……此には、皆も記憶に新しい気配ではござらんか?)
(えっ? ……まさか)
よく知るその気配を察知し、マグナリアの声が震えた。
(そのまさかでござるよ、マグナリアどの。どうやら、彼の大魔王の”欠片”が、いくつか紛れておる様で)
未だ宴は始まったばかり。周囲は盛り上がりをみせている。
その最中、祈と守護霊達だけは、これから起こるかもしれない災厄に心を備えていかねばならなかった。
誤字脱字があったらごめんなさい。




