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第98話 備える



 「突然の申し出を快く受けて頂き、感謝いたす。これでお互いの”勇士”達は、祖国へ帰れる事になりました。貴国と、卿に幸あらん事を」


 森部が、牙狼(がろ)(はがね)に向け、右手を差し出す。王国では握手で親愛の情を示すのだという事を思い出し、鋼も慌ててそれに習った。互いの手を取り合うとは良い文化だと、素直に鋼は思う。お互い腹の中ではどう思っているのかは窺い知る事はないが、それはそれだ。


 「いつかまた戦場で会う事もあるだろうが、此処ではそういうゴタゴタは無しだ。貴君の無事を祈るよ」


 兵士というのは、所詮駒だ。こうして個人的に友情を育んだとして、本国の命に従い殺し合わねばならない。だが、今の一時だけは違う。個人だけではない。何れ国家間でも友好関係を築けるかも知れない。そんな日が来る事を、牙狼は右手に感じる暖かさと共に切に願う。


 「ですな。我ら、何れ戦場で相見(あいまみ)える事もありましょう。ですが、何れは……」

 「ああ、貴君に同意する。オレにも立場があるんで、はっきりと言えないが、な」


 「いや、充分です。我らも認識を改め申した。では、また……」


 一礼し、森部は踵を返した。本来ならば敵同士である筈の、ほんの少しの心の邂逅。鋼と同じ様に獣の血を引く彼は、何を思い、何を祖国に持って帰るのか。それは鋼にも分からない。


 「ああ。またな…王国の”勇士”達に、最敬礼っ!」


 牙狼の号を受け、帝国兵は一斉に最敬礼の姿勢を取った。今は停戦中であるが、形式上交戦状態のままの敵国の使者に向けての最敬礼なぞ、異例中の異例の事態だ。


 (ま、こんなのでしか礼を返せないのは、情けない話だがなぁ)


 王国の上層部の思惑が計略や策謀の何であれ、現場で動く森部に罪は無い。これが鋼に果たせる義理の精一杯だ。後は後方の(おおとり)(しょう)に丸投げするとしよう。


 (……その前に、やっておかねばならない事があるか)


 王国側から受け取った名簿に記された人数と、現在の人数の確認を、鋼は徹底させた。ここで食い違っていれば、すでに相手側の術中に嵌まっている事になる。


 数が少なければ、式典のゴタゴタに紛れて間者がすでに砦内に侵入している可能性もあるし、数が多ければ、間者の特定ができるまでは無闇に動かせないのだ。


 とはいえ、いくら名簿との数が合っていた所で、特定個人の照合と証明なんぞは、この様な辺境でできる訳も無いのだが。


 「本当に、こういう仕事は面倒なんだよなぁ……」


 目の前の敵を、ただ切り裂いて噛み砕けば良いだけの戦場とは大違いだ。鋼はこれからやらねばならぬ事を頭の中に並べて嘆息した。こんな面倒事ばかりを鳳の奴はやっているのかと思うと、途端に尊敬の念が込み上げてくる気がした。


 (まぁ、本人にゃ絶対(ぜってー)言ってやんねーけどな)


 頭をガシガシと掻きむしり、鋼は担当官達に、当初の計画通りに事を進める様に指示を飛ばした。表向きはいつも通りに、裏では最大級の警戒を。『この中に、敵側の間者が複数いる』想定で動く。これが大前提。それでもまだ足りないのだから。


 (砦の内と外からの同時二面奇襲……とかでない限りは、後で何とでもなるがな)


 そんな単純な手に引っかかる程、鋼は耄碌もしていない。

 周囲に草を多数飛ばしているが、敵の軍勢は、未だ影すら捕捉できてはいない。奇襲を行うのであれば、少なくとも砦の異常がそれと分かる範囲に潜んでいなければ、成功率は格段に落ちる。


 (敵の目的が、この砦でないのならば……あと考えられるモノはなんだ……?)


 「……わかんね。ま、後は鳳の奴が考えてくれるだろうさ」


 名簿の照会が済んだ者達から、順に移動を開始させる。砦の遙か後方に天幕を用意した。今日はそこで休ませ、明日には本国に向け出立させる予定である。


 順調にいけば、彼らは年越しを本国で落ち着いて迎えられる筈だ。


 そんな訳で無事生還した者達に申し訳無い事甚だしいのだが、最前線から彼らを早く遠ざける事がこの計画の一番の目的なのである。


 オレを恨んでくれるなよ。

 鋼は、彼らから突き刺さる視線に耐えねばならなかった。これも、上に立つ者の仕事なのか。面倒な事だ。鋼は腹の底から溜息を漏らした。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 「ああ、忙しい、忙しい……」


 尾噛領では、生還者達を迎え入れる為の仮設宿舎の建設で、上や下やの大慌てになっていた。


 鳳翔の手配によって、周辺の領から大工やら、資材用の材木が、次々と尾噛領に送り込まれている。その目録と照らし合わせながら、文官達は大忙しであった。


勿論、忙しいのは文官達だけではない。蒼からもたらされた勅命書を受け取ってからの望と空は、ほぼ不休状態で働き、今では半死人と化していた。


 『何とか今の仕事に区切りを付けて、暇を作ろう。みんなで指宿に湯治に行くというのは、どうかな?』


 この言葉を胸に、無茶なペースで働く空があまりに不憫で、望もかなりの無理をしている事が主な原因である。


 蒼はすでに現場から逃げていた。この様な雑事は草の仕事ではない。そう言い残して。

 こと事務仕事に於いて、祈もあまり兄の役には立てそうもない。そのため、なるだけ精の付く料理や、疲れを癒やす方向でお手伝いをしているのだが、日に日に(やつ)れていく二人の様子に、やるせない気持ちになっていた。


 (いっその事、あの子達を魔法で強化(ブースト)してやったらどうかしら?)

 (いや、それやっちまうと反動が怖い。下手しなくても二週間以上寝込む事になるぞ)

 (現場の作業とは、一定の速度以上には絶対にこなせぬもの。いくら(かしら)がひとり頑張ってみた所で、効率という名のものの前には無力でござる)

 (だよねー? いくら言っても聞かないから、どうしたものかと……)


 図面に不備は無いか、材木や資材は足りているか、大工の人数は大丈夫か……等々、態々細かい問題点を無理矢理探し出しては、一々対策を練り始めるのだから、あまりに非効率過ぎた。


 更には現場がそれに終始振り回されるハメに陥るせいで、彼らは非常に評判が悪かった。人間、疲れが溜まったまま無理に働くと、碌な事にならないという典型例である。


 (言って聞かないなら、限界が来るまで放っておけば良い。限界が来たら、嫌でもそこで意識が落ちる。そうなってから無理矢理ふん縛れ)

 (もうそれなら、今すぐふん縛った方が良くない?)

 (望殿は抵抗が凄そうでござるぞ?)


 (そういうこった。あの手のタイプは意固地になると、ホント厄介だからな。一度ぶっ倒れてからなら、少なくとも此方の言う事を聞くだろ)

 (……そこまで待ってなきゃ駄目なの? なんだか嫌だなぁ……)

 (祈殿のお気持ちも判るが、こればかりは……)


 (んじゃ、別の方法な。元凶は空だ。あいつが頑張り過ぎるから、望が付き合っている様なモンだ。いっそのこと、あれを眠らせちまえ)

 (あの子の今の衰弱具合なら、睡眠術(スリープ)が無条件で刺さるでしょうね。もう実力行使で良いんじゃない?)


 睡眠術によっての強制的な睡眠では疲れはほぼ取れないのだが、それもやむなしか。祈は覚悟を決める事にした。



 空が倒れたとの報が、尾噛の上層部に瞬く間に流れた。


 この所、ご当主様と一緒になって根をお詰めになっていたのだから、然もありなん。

 誰もがすぐに納得する程に、切羽詰まった状況であった様だ。もっと早くに実力行使をすれば良かったのだと、祈は後悔した。


「空、すまない。僕がはっきりと休めと言わなかったから、こんなことに……」


 医務室の寝台で、望は空の手を取り頭を下げ、部下の体調を慮れなかった自身の無能を、激しく責めた。

 そもそも鳳の押しかけ部下達は”草”なのだ。だが、彼女があまりにも有能であったが為に、いつしか副官の如く便利に扱ってしまっていた。深く反省せねばならない。


 「いいえ、望さま。これは、わたくしの無能と我が儘が招いた結果にございます。御身をお責めにならないで下さいまし」


 望の気持ちが痛い程わかり、空は困惑してしまった。部下を便利な道具として扱う事に、何もおかしい事なぞ無い。そう思っていたからだ。


 「それに、わたくしは嬉しい。望さまがわたくしを”便利だ”と、思っていて下さっている事に。わたくし望さまの御身の為に、これからも身を粉にしてお仕えいたします」

 「それは困る。君に倒れられて、正直僕は懲りた。出来れば、もうちょっと手を抜いてくれないかな? 蒼の様に図太くなられても、それはそれで困るんだけどね……」


 忙しくなると判ってすぐ行方をくらませた妹の方の顔を、望は頭の中で描いた。少しは姉の勤勉さを見習って欲しいと思うが、彼女は彼女で、裏で何かをやってくれている筈である。尾噛に利する何かを、きっと……


 「ずっと君をコキ使ってやる。だなんて、言うのは流石に傲慢だ。でも、君が身体を壊さない程度には、これからもお願いしたい」


 まずは、ゆっくり身体を休めてね。望はそう言ってから、空の手を解放した。


 空は名残惜しそうにしながらも、布団の中に手をしまい、瞑目する。早く元気な姿を仕えるべき主に見せなければ。この所の無理が祟っての今回の事なのだから、そこは反省せねばならないだろう。主に無駄な心配と時間を強いてしまったのだから。それは空の本意ではない。


 「はい。申し訳ありませんが、空は少しだけお暇をいただきます。望さまも、ご無理をなさらない様にお願いします」

 「ああ。君のお陰で、僕も心配させたくない人達がいっぱいいるのを思い出したからね。僕もこれから一休みするよ。おやすみ、空」


 「おやすみなさいませ、我が君……」




 (空ちゃん、本当にごめんね……)


 望が医務室を後にしたのを確認してから、祈は透明化術(インビジ)を解いた。二人の暴走を止める為とはいえ、友達に対し、強制的に術を仕掛けてしまったのだ。本来ならば此は許される行為ではない。


 祈は眠りに入った空に持続系精神回復術(リジェネ・マインド)をかけた。これで多少は疲労感が軽減される筈だ。この様な事で贖罪になりはしないだろうが、せめて。


 (兄様と空ちゃん。二人は、この尾噛の地に絶対必要な人だ。私は何れこの地を出なければならない。だから……せめて、それまでは)


 そう遠くないだろう未来の事を思い、祈は天井を見上げる。外はそろそろ太陽が完全に沈む頃だ。


 帝国の鳳 翔の思惑は、蒼から聞いた。もしかしたら、この地にも敵の工作員が入り込む可能性があるのだという。


 (……ならば、私に何ができる?)


 敵は、きっと闇に紛れて動いてくる事だろう。であれば、これからの時刻を想定して、備える為に一度見回るべきか。


 祈にできる事は、戦いだけだ。


 尾噛の娘として”それはどうなんだ”とは思うが、こればかりは仕方が無い。そんな人達に育てられたのだから。


 (……この地が戦場になるという最悪の想定で、全てを備えてみようか)



 祈は空を起こさない様に、気配を消したまま医務室を後にした。



誤字脱字があったらごめんなさい。

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