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第97話 雑務に追われる人達

評価、ブクマありがとうございます。感激です。



 「……しかし、何だね。唐突の話だねぇ」


 最前線にいる牙狼(がろ)(はがね)からの報告書を読み、(おおとり)(しょう)は大きく頭を振った。


 牛頭(ごず)(ごう)の策略のせいで、尾噛(たお)が指揮する応援の軍が包囲殲滅の憂き目にあった。

 今回の蛮族が言う”勇士”とは、恐らくこの戦いに参加した者達であろう事は、容易に推察ができる。その者達の無事が判ったのは確かに僥倖だ。


 だが、こちらが捕らえた彼の国の”勇士”達は、素直に帰還してくれるかどうか。それを思うだけで、翔は頭を痛めてしまうのだ。


 「本当にあの国は、どういう扱いを、彼らにしていたんだろうねぇ?」


 捕虜達にただ飯を食わせる訳にはいかないので、土地を貸して耕作をやらせてみた。どうやら農業というものに面白味を覚える者が中にはいたらしい。収穫期を迎え、永住を希望する者達が一部で出てきていたのだ。


 国家を僭称しているとはいえ、『獣の王国』の奴らは、凡そ狩猟採取以外の産業を持たぬ獣人部族が大本だ。当然、農耕というもの自体を知らぬ者も多かった。その様な、一次産業と無縁の集団が大きく拡大していく為には、他人から略奪をし続ける他に術はない。


 あの集団が拡大を辞めぬ限りは、また帝国にぶつかってくるのは確実だ。今回の捕虜交換の件で、捕虜達が帰還の呼び掛けに従ってくれない場合は、それを口実にまたぞろ攻めてくる可能性だって大いに有り得る。


 ああ、面倒臭い。翔は大きく溜息を吐いた。


 ただでさえ今年は色々な事件が立て続けに起きたのに、まだこんな大きなイベントが残っているとは、流石に思ってもみなかった。


 「どうやら神様は、ボクにぐーたら生活をさせたくないみたいだ。うん、神様は絶対にボクの敵だネ」


 いくら天に唾を吐きかけてみた所で、結局はこちらに降ってくるだけだ。

 此処はもう諦めて、あの国の捕虜達に帰還の呼び掛けと、それに従う者達の名簿の作成を行うしかあるまい。大半の人間がこの方針に従ってくれる事を、翔は祈るばかりである。


 もう一度、翔は王国側が用意してきた名簿をパラパラとめくる。一応は、この列島の共通文字で書かれたものだ。かなり汚……いや、個性的な文字の為、読むのには多少難儀したが、翔も顔見知りの者の名がいくつもあった。尾噛に連なる家の者の名が特に多い様だ。


「やっぱり。垰クンの名前は無い、か。彼の性格じゃ、大人しく囚われの身になる訳なんか、絶対にないもんなぁ……」


 垰はの性格は、真面目というより、愚直と言った方が正しい。それほどに彼は頭が固かった。

 敵に捕らわれて生き延びるくらいなら、死ぬまで暴れて、より多くの敵を道連れにする方を選ぶ。その様な難儀な性格の武辺者が、まず捕虜となる訳はない。


 豪の雇った暗殺者達の手によって垰が殺害された件については、当に裏が取れている。当然その者達は、然るべき因果をくれてやった。その様な事で、垰の霊が鎮まる訳なぞ無いのだろうが……


 だが。もしかして、もしかしたら……そう考えるのは、やはり女々しいのだろうか?

 翔は、もう一度頭を振った。


 「鋼クンにも苦労をかけてしまうけれど、自ら望んで最前線に立ったんだ。このくらいは、我慢して貰わなきゃね」


 王国の使者の為の親書と、捕虜に関するいくつかの指示書を認める為に、翔は嫌々筆をとった。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 「うん。本当にこれ美味しいね」


雑 務に追われる兄の為に、祈は指宿(いぶすき)の甘薯を使った芋羊羹を、お茶請けに用意してみた。


 そのままでも充分に甘い指宿の甘薯だが、頭脳労働が主になる望の為に、ちょっと贅沢にも砂糖を使った。暴力的に甘い菓子は、糖分を欲する望にとって至高の甘味となった。


 「えへへぇ。お仕事頑張ってる兄様と空ちゃんの為に、ちょっと贅沢してみた。喜んでくれてなによりだよ」

 「本当に美味しい。これでまた頑張れる。我ながら現金」


 空は緑茶を啜り、ほぅっと一息吐く。仕事の合間に摂る甘味は頭の疲れを取るだけでなく、心のケアにも重要なものとなる。


 先日、蒼を(強制的に)迎えに来た空の表情は、中々に鬼気迫るものがあった。相当貯め込んでいたのだろう事は、誰の目から見ても容易に推察できた程なのだ。

 この程度の事で、それが和らぐのであれば祈も労力とは思わない。


 「……そういえば、蒼ちゃんは?」

 「ああ、愚妹なら都へ向かわせた。里帰りも兼ねた定期報告。来週頭には戻る筈」


 それほどまでに事務仕事を嫌がるのなら、肉体労働をしてこい。

 鳳翔への都定期報告便である。姉妹の定期報告書と、ついでに指宿の甘薯を大量に持たせたそうだ。甘薯に()()()がどんな反応をするか楽しみ。そう空はニヒヒと笑った。


 「僕もまだまだ勉強不足だな。帝国にそんな鬼の棲む地があったなんて、全然知らなかったからねぇ」


 大事そうにちびりちびりと芋羊羹に口をつけながら、望は嘆息した。鬼に纏わる伝承は、子供に聞かせる昔話として、古くからもこの地にあった。だが、その鬼が実在するとは多くの人間が知らなかったのだ。


 「わたくしも知らなかった。斎宮前の集落に度々鬼が現れる。とは、聞いた事があったのだけれど」


 多分それは物々交換の為に集落に訪れた鬼の事だろう。彼らは山から採りだした鉱物資源の数々を、斎宮の集落で食料や酒と交換して生計を立てていたのだ。

 その鉱物達は集落で一次加工され、都へ定期的に送り届けられていたという。魔の森という障害が、帝国にとって、あまりにも大きすぎる目の上のたんこぶであった事が良く分かる事例だろう。


 「そういえば、指宿にも温泉が出るって長が言っていたな。それとは別に、砂風呂っていうのもあるんだってさ」


 温泉の蒸気で温められた砂を全身に被せる事で、温浴効果で全身が温まるのだとタマは言っていた。時間があれば、祈も体験してみたかった。


 「砂風呂かぁ。面白そうだね。何とか今の仕事に区切りを付けて、暇を作ろう。みんなで指宿に湯治に行くというのは、どうかな?」

 「それは良いお考えだと思います。わたくし、頑張りますっ!」


 望の言葉に被さる様に、前のめりで空は提案に賛同した。望さまが行く所、わたくしは何処までもお伴します!

 いつもの低いテンションは何処行った? 鼻息荒い空の様子に、少し引きながらも望は頷いた。


 「そ、そうか……じゃあ、みんなで頑張ろう、な?」

 「はひっ! 頑張りましょうっ!!」


 力強く何度も頷き返し、空は机に向かいバリバリと働きだした。その勢いは休憩する前の倍以上である。


 ずっとここにいては、確実に巻き込まれる。身の危険を感じた祈は、気配を消し音を立てずに執務室を抜け出した。日頃の鍛錬は、こういう時にも発揮されるものなのだ。


 「蒼ちゃん、帰ってきたら地獄が待ってるよ。なるだけゆっくり帰ってきてね……」


 揚々と都から凱旋を果たした蒼の末路が、容易に想像ついてしまう。空はそういう娘だ。祈にはそれが解っていても絶対に止められないだろう。


 蒼が戻ってきたら、せめて彼女の食卓には、毎日好物の一品でも別に供えてやる事にしようか。祈は首を竦め、母屋から逃げる様に出るのであった。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 「はぁ? お父さん(おとうしゃん)、もう一度言うてくれんね?」

 「うん。尾噛に、帰還兵の一時預かりをお願いしたい。これについては、元々尾噛に仕える者の名も多いから、特に問題は無いと思うんだけどね」


 捕虜交換の申し出自体については、帝国の立場としては渡りに船である。だが、これが蛮族の策略の一つである可能性は完全に否定できない。何故ならば捕虜名簿だけでは、絶対に裏が取れないからだ。総数さえ合っていれば、いくらでも工作員を紛れ込ませる事が可能なのである。


 工作員の存在の可能性を否定できない以上、最前線である砦の中に収容する訳には絶対にいかないし、勿論都に向かわせるなぞ論外だ。

 そうなれば名簿上、出身者の多い地…尾噛領が選ばれるのは、自明の理であろう。


 「そりゃ望様に聞いてみらんと、アタシには分からんばい。国ん意向は伝えるけん、返事はそちらに聞いて欲しか」


 蒼は定時報告の為に翔の元を訪れただけで、尾噛に関する一切の権限は無い。この様な重要な事柄を言われても扱いきれない。今の蒼にできるのは、帝国の意向を尾噛の当主に伝えるのみなのだ。


 「それには及ばない。これは命令だ。望クンには悪いけどね」


 費用はこちらで出す事になるだろうから、そこは安心してくれ。

 翔はニッコリと笑いながら、そう補足した。どうやら帝国は、尾噛にとって一番の懸念材料を請け負ってくれる様だ。それだけで蒼の気も楽になる。こんな厄介事を報告せねばならないのだから、少しでも不安材料は減らしたい。


 「全員の身元照会なんかは、普通に考えて直ぐに出来よう筈も無いからね。すまないが、当分迷惑をかける。そう望クンに伝えてくれ」


 そう。捕虜の身元の確認なんか完璧にできる筈もない。確実に工作員が混じるだろうし、ひょっとしたら味方だった者が裏切っている可能性もあるのだ。その様な者を、最前線や帝国の中枢に置く訳にはいかない。


 帝国の(まつりごと)一切を取り仕切る鳳翔が信用している者も、実はそう多くもない。勢力を削いだとはいえ、未だ牛頭家やその家系、それに次ぐ古い格式のある家々は、いつ弱体化した帝国に反旗を翻してきてもおかしくはないのだ。これ以上弱味を見せる訳にもいかない。


 そうなると、翔は尾噛家に頼む他はなくなってしまうのだ。悪いとは解っているのだが、こればかりはどうしようもない。


 (本当に、いつかボクは望クンに殺されてしまうかも知れないなぁ。借りが嵩むばかりだよ……)


 想像上の望に、頭の中で何度も何度も頭を下げては拝み倒した。実際にそれをしに翔は、尾噛領へ出向かねばならない日が来るだろうが、今はこれで勘弁して欲しい。


 今はバタバタする日々がまだまだ続くが、問題を早期に片付けて、せめて年明けくらいはゆっくりしたいものだ。


 愛娘の一人を見送り、翔は嘆息した。


( ああ、もう本当に。ボクは早く隠居したいってのに。(こう)クン、本当に恨むよ……)


 この場に居ない親友”兼”絶対的上司に向け、ほんの一寸の毒を吐く。


 これくらいは、別に良いよね?


 翔はまた筆をとり、今回の件で一気に増えてしまった雑務の山を切り崩し始めた。



誤字脱字があったらごめんなさい。

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