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第96話 指宿の甘薯



 「はぁ~。平和だねぇ……」


 凱旋を果たした祈は、すぐさま面倒な事務仕事を、何時の間にか副官に収まった八尾一馬に全て丸投げし、ダラけた日々を送っていた。


 晩秋に差し掛かった尾噛領は、木枯らしが吹き荒び、邸内を巡回する警備の者が寒さにふるえながら交代の時間を、今か今かと待ち望んでいる。

 鈍色(にびいろ)の空は、いつ雪が舞ってもおかしくはない程に、冬の足音がすぐそこまで近付いている事を示していた。


 「本当に(ほんなこつ)なぁ。今まで忙しすぎたけんなぁ…たまには、ダラけたっちゃ良かね」


 尾噛邸の離れには、祈と蒼の二人が囲炉裏を前に、何もせずただボーッとしていた。この姿を望や空が目撃したならば、恐らくは説教と一緒に、様々な事務仕事を押しつけられたことであろう。


 蒼は空に内緒で離れに訪れた理由が、正にそれであった。暇そうにしていたら確実に面倒な雑務を、大量にこっちに振られる事は判りきっていたのだ。


 ならば、逃げるが勝ちだ。その分後に押しつけられる仕事が倍に増えようとも、今の苦痛を回避できるのであれば、蒼は間違い無くそれを選ぶ。今が楽しければそれで良い。そういう刹那的な考えで生きるのが、蒼という娘なのだ。


 (たまには、ねぇ? つか最近この娘、毎日離れに来てはずっとダラけてね?)

 (左様で。そして、そろそろもう一人のダラけ女が、こちらへ来る頃でござるな)

 (あたしあの女嫌い。イノリちゃんにべったりし過ぎよ)


 「おーい、姫さん来たぜぇ」


 白衣を著たマッドな魔導技師、牛田紋菜(もんな)も、いつしか離れの常連と化していた。夫である黄によって”飴ちゃん禁止令”が発令されてしまい、研究の意欲が減退してしまったのが主な要因である。糖分摂らねばストレスが溜まる一方だ。もうやってられるか。と、紋菜はボイコットを始めたのだという。


 「あ。紋菜さんいらっしゃい」


 牛田夫妻が研究しているのは、(ぬえ)に代表される上位合成獣(キメラ)種の特性である、魔法無効化能力である。制御の難しい合成獣に頼る事なく、敵側の魔法を自在に無力化せしめる事ができれば、それは充分過ぎる程に抑止力となるだろう。


 その研究が止まってしまうというのは、大変残念な事ではある。だが、祈は無理強いをするつもりなど全く無かった。合成獣を潰してしまったせいで喪った牛田夫妻の目標を、新たに設定してやりたいが為の提案だったのだからだ。


 「なぁなぁ、姫さんよぉ。また”アレ”作っとくれよぉ。あたい完全にハマっちゃってさぁ。”アレ”が無いと、あたいもう駄目なんだよぉ」


 部屋に入るなり、紋菜は祈に抱きついて、猫なで声でお強請りを始めた。


 『あたい、姫さんの”アレ”の味が忘れられないのぉ』


 等と、聞く者によっては誤解を招きかねない台詞で、だ。紋菜の場合、それを狙っての態とであるのだが。つまり彼女は、そういう性格なのだ。


 「ああ、アタシもアレ、欲しかとぉ。やみつきやわぁ」


 紋菜に習い、蒼も祈に撓垂れかかってきた。祈の身体は同世代の娘の中では、かなり小さい部類になる。その様な背丈の娘に、いい歳をした大人と、身体だけならば充分に大人である二人の女性に抱きつかれては、半分潰れてしまうのは仕方のない事だ。それでも何とかギリギリ二人の体重を支えていられるのも、日頃の鍛錬の賜物なのである。


 「んぎぎぎっ。分かった、わかったからぁ。二人とも、どいてっ……くんない、かなー?」


 どいてくんなきゃ動けんだろうがっ! 最後の方には、祈もキレかかっていた。興が乗った時の二人の相手は、本当に、本当にしんどいのだ。




「んはぁ。ホントうめぇよなぁこれ……」


 出立前の祈に、指宿(いぶすき)の鬼達が態々土産にとくれたのが、採れたて新鮮な甘薯だった。


 あまりに沢山くれたので、保存法の検討も兼ねて色々試作した内の一つである干し芋が、どうやらこの二人の嗜好にバッチリ合っていたらしい。今では来る度にせがまれる様になっていた。

 というか、二人ともこれ目的で二日と空けず訪れるのである。


 炙ってちょっと柔らかくなったすぐが好きなのは蒼で、少し焦がして香ばしくしたものが好きなのは紋菜だ。祈は干し芋よりも焼き芋の方が良いらしい。


 「こげん甘か芋を、アタシは知らんなぁ。今度お父さん(おとうしゃん)にも、食べさせてやりたかばい」


 この甘薯が蒼の父でもある鳳翔の口に合えば、きっと都でも取引される筈だ。そうなれば指宿の名物となるだろう。鬼の長達の喜ぶ顔を想像し、祈の顔が綻んだ。


 「じゃあ、都への定期便に入れておこうか? 食べ方の説明文でも付けて……」

 「駄目だ。あたいらの食う分が減っちまう。なんだっけ、指宿? そこから都に直送しちまえば良いんじゃねーの? 全部着払いでよ」


 「何気に酷い事言ってるよ、紋菜さん……」

 「ああ、あんドケチ親父になら、そんでも良かやなかかとは思うばってんな…そんよか、アタシらん食う分ば減る方が問題だってん」


 二人とも食い意地が素晴らしく悪い様である。こんなに美味しい物を、他人にタダでやるなんてとんでもない! そんな余分な物があるなら、私達で全部食ってやんよ。そう宣うのだ。何とも立派な食い意地であろうか。祈は気の抜けた笑いしか込み上げてこなかった。


 「んで、こいつに熱くて渋ぅいお茶が、本当に合うんだよなぁ……」


 幸せそうに緑茶を啜る紋菜の表情は、完全に蕩けている。

 初対面の頃の様な険のある刺々しい紋菜の印象は、今の祈の中には完全に無くなっていた。


 「これ、辛口の酒とも合うかも知れんなぁ…おい姫さん、酒あるか?」

 「残念。ここにお酒はありませーん。次回ご持参ください」


 離れに住むのは、数え12の小娘只一人なのだから、当然お酒の類いなぞ置いている訳はない。料理用の味醂ならあるのだが、これは大変高価な物だ。酒精なら何でも良いと言う様な蟒蛇(うわばみ)なんぞにくれてやる訳には、絶対にいかないのだ。


 「っかー! そうだった。しまった、酒持ってくるつもりだったのに、完全に忘れてたわー!」


 馬鹿馬鹿、あたいのバカ! あまりに派手に悔しがる紋菜の様子に、蒼と二人で指さして笑ってやる。こんな他愛も無い時間こそが、祈が求めていた平安なのだ。



 「もしかしたら、なんだけど。このお芋さんから、お酒とか造れないかな?」

 「んあ? 穀物からなら、酒精は大体造れるけどさ、一体どうしてだい?」


 「このお芋さんは確かに美味しいけれど、流石にずっと食べ続けるには、ちょっと辛いかなーって。何かに加工するにしても、やっぱりずっとお芋さんの味だしね」


 マナを含んだ河の水のお陰で、初の畑作だというのに甘薯が大豊作になったという話を聞いた。だが、実は作物というものは、採れすぎても逆に困りものなのだ。自身達で食べきれない分は、どうあっても持て余す。斎宮の集落と物々交換するにしても、当然限界があるのだ。


 どうせ持て余すのならば、その芋をそのまま指宿の鬼達が所望する酒にする事ができれば一石二鳥、三鳥にもなるのではないか。そう祈は考えたのだ。


 「あー、確かにそうかも知れんね。こん前祈が作ってくれた芋ご飯うまかったばってん、あれが毎日やったら。ちょっと嫌やな」

 「あたいは芋ご飯自体が駄目だなぁ。口ン中がモソモソしてイケねぇや」


 同じ様に豆ご飯も勘弁願いたい。紋菜は干し芋を囓りながらそう零した。彼女は米は米だけで食べたい派の様だ。


 「でしょ? だから全然違う物…例えば、お酒とかどうかなって」

 「……ちょっと面白そうだな。おし、お姫さん。甘薯いくつか貰っていって良いかい?」


 しっかり残りの干し芋を確保してから、紋菜は立ち上がった。当然、紋菜は酒造りに関して素人だが、異世界の魔導技師…前世では科学者の端くれだったのだ。酒精(アルコール)の醸造方法は、基礎知識として頭に入っている。請け負った以上、とびっきり美味い奴を造ってやろうじゃないか。どうやら紋菜は、宿題を与えたら燃える性質(たち)らしい。


 「裏にいっぱいあるから、お好きなだけどうぞ。実は言うと、ちょっと持て余してたんだ」

 「んじゃ、お姫さんは干し芋の量産頼むぜぇ。またお茶請けに出しとくれよ」


 「わかったよー。私ももっと美味しくなる様に研究しとくね」


 今にもスキップしそうなまでに浮かれたええ歳した大人を見送り、蒼は芋のお酒ができた未来の妄想をアテに緑茶を啜っていた。


 「今度は、芋ば肴に、芋で出来た酒ば呑む、か。離れん主は未成年だってんに。良かとかねぇ?」

 「その未成年の主の家に延々居座っているお前はどうなんだ、愚妹よ?」


 気配も無く突然背後から発せられた低い声に、蒼は総毛立った。


 「ぴっ! (くう)お姉様……ご、ご機嫌、よう……?」


 完全に、蒼の気分は蛇に睨まれた蛙であった。身動きの一切が取れなかったのだ。


 「仕事をサボりやがる愚妹のせいで、わたくしのご機嫌はすこぶる悪い。正常に戻すには、お前の悲鳴を三度(みたび)聞かねば絶対無理。さぁ、わたくしの鞭で可愛い声を挙げろ。クククッ」

 「いやーっ! 祈っ、助けて! 後生やけんっ!! ね? ね? ね?」


 「さぁ、お前の罪を数えろ……」


 空に首根っこをがっしりと掴まれ、抵抗が出来なくなった蒼の姿を確認した祈は、何事も無かった様に干し芋作りの準備を始めていた。ここで下手に蒼を庇ってしまうと、こちらにもとばっちりで仕事を押しつけられる可能性がある。見なかった事にする方が得策であろう。


 「……ごめんね、蒼ちゃん。私は、何処までも無力だ……」

 「テメー、コラ祈っ何無視しとーったい! 後で絶対に倍返しやけんなー! なー!」


 空に引き摺られながら、蒼は延々と恨み節を吐き続けた。吹き荒れる木枯らしに、その声がかき消されるまで。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 「なんだぁ? 奴ら今度は、一体何しに来やがったってんだぁ?」


 『獣の王国』を自称する蛮族の侵攻を一度は退けた国境の砦に牙狼(がろ)(はがね)は、立っていた。


 視線の遙か先には、恐らくは蛮族の集団であろう影が複数見えた。


 差別される事の無い獣人達の楽園を作る。その名目で、蛮族は他国に攻め入っている。確かにその国内での差別は無くなった。その国の住人達は等しく蛮族共に蹂躙され、奪われ、犯され、虐げられたのだ。


 帝国は蛮族に蹂躙される事なく、こうして健在である。


 増援として送り込まれた尾噛の軍は、内通者のせいで上陸後すぐに包囲されてしまったのだが、その包囲からの撤退戦の最中、蛮族の名だたる将を悉く打ち破った事が、後の戦線維持に繋がり、最後は撤退に追い込めたのだ。


 今は国境守備の為に、今では二人となってしまった四天王の一人の牙狼が防衛司令として常駐していた。


 軍勢にしては、数があまりにも小規模過ぎた。恐らくは千にも届かないであろう。その程度では、この砦の門にすら届く事はできない。


 「白旗ぁ? ますます訳わかんねぇっ!」



 牙狼は白旗を揚げる謎の集団に逢う事にした。全員完全武装をしているが、数は100程度を引き連れただけでだ。もしこれが何かの罠であった場合は、砦から一斉に矢が飛ぶ。どちらも只では済まない筈だ。


 「馬上にて失礼する。砦の頭、牙狼鋼だ。貴君の所属と目的を問おう」

 「我は獣の王国に仕えし将、森部と申す。此度は、貴国との戦にて、奮闘虚しく囚われし勇者達の交換の願いに参った」


 先の戦で捕虜とした敵の兵はかなりの数にのぼる。


 その者達は、自身の食い扶持を稼がせる為にそれなりの労働をさせていたが、前線から遙かに遠くの地で管理をしていた。当然直ぐには応じられない。


 「捕虜交換、ねぇ? 確かに喰わせるだけでも、お互い結構な出費になるからなぁ」

 「まぁ、有り体に言ってしまえば、その通りですな」


 牙狼は言葉を飾る事なく、そのままの感想を言ったが、そのわかりやすさが逆に森部には好感触だったらしい。森部は破顔し、牙狼の言葉に深く頷いた。


 「折角の話なのだが、すまんが俺の一存だけでは決められぬ。少し待ってはもらえぬだろうか? それに貴国の勇士達は、今はこの地におらぬでな」

 「心得ております。ですが、一応、こちらからの捕虜の確認はして欲しい。此度の一件、我らが疑われても仕方の無い話であるのだが。名簿はこちらに」


 捕虜の中に工作員を紛れ込ませて、砦を強襲するというのは良く有る手だ。当然、その事を牙狼も念頭に置いている。砦の中に招き入れるつもりは一切無かった。


 「承知した。では、すまぬが作業にとりかかろう」



 すぐこの場で全員の確認はできる訳も無い。牙狼は名簿にざっと眼を通し、知った名前があるかどうか確認してみた。どうせ本国に対応を問わねばならない非常事態だ。所見を問われた時に答えられる程度の見極めだけで、この場は良いだろう。


 「うん? 尾噛の家臣の名が結構あるな……もしや、あの時の戦のか?」

 「左様で。あの様な勇士達が帝国にもおるのかと、我は肝がふるえましたぞ」


 牙狼の眼から見た森部の表情には、嘘偽りの一切を感じなかった。心底関心している様だ。小細工をする様な将ではなさそうで良かった。腹の探り合いなぞ正直好かん。


 (もしかしたら、尾噛は生きておるのかも知れぬか?)



 これが吉報になるのか分からないが、鳳が知れば喜ぶかも知れない。牙狼は急ぎ使者の手配を行う事にした。



誤字脱字があったらごめんなさい。

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